2006年07月24日:ドラムセット・スタンバイ 2006年07月25日:プロとアマ 2006年07月26日:異動/シフト勤務解除 2006年07月27日:カビキラー大作戦 2006年07月28日:夏オフ仕込み/歓送迎会 2006年07月29日:FCLA夏オフ 2006 第一日 2006年07月30日:FCLA夏オフ 2006 第二日目次へ戻る 先週へ 次週へ
今年の夏オフでは(夏オフ史上、始めて)ドラムセットを使う。企画枠で吹奏楽の(懐かしの)名曲を演奏するのだが、その中の1曲「ディスコ・キッド」で、ドラムセットが使われるのである。
といっても、生のドラムセットを持参できる参加者はいない。フルセットをレンタルするのは、金がかかり過ぎる。ここは無理せず、できる範囲でベストを尽くすのが、夏オフ流である。
ハイハットとスネアは、生を用意。トムトム(及びティンバレス)については、故Mさんの所有であり現在はTさんが管理されているVドラム(TD−6、パッド×4付き)で、なんとか間に合う。問題は、キック。最悪、キックの音も「手打ち」のパッドで奏するしかないかと思ったのだが、なまじ経験あるドラマーであれば、かえってそれでは演奏不能であろう。
というわけで、勤務先の同僚でドラマーであるY君に相談したところ、キックトリガーを貸してくれることになり、本日の残業時間に届けてくれた。部署の備品のVドラム音源に接続して動作確認。問題なし。
目次へ戻るBSのどのチャンネルだったか忘れたが、毎日新聞提供の番組でのコマーシャル。サラリーマン氏(推定課長)に路上でインタビューしているのだが、彼がいうに「プロがいなくなったって気がするんですよね」「自分の仕事に対する責任と勉強が、昔よりも」「アマチュアでもそこそこ仕事ができてしまう時代が」、などなど。
彼が言いたいことは、すべて、非常によくわかる。私自身「おまえはそれでもプロか!」と詰め寄られたら、口ごもることも多々あろうし..どの会社も、プロ(職人)じゃなくても仕事ができるように、必死になって業務の文書化・定型化を進めてきたのだし..でも、やはり(私のことは棚に上げて)言いたいな。「そういうあんたはプロじゃないのかのよ」、とね。
以下、連想。20年ぐらい前には、こういう「笑い話」もあったのである。「アメリカの工事現場では、配管や配線が色分けされているらしいぜ」、という。つまり、アメリカの労働者は「程度が低い(しばしば文盲である)」から、「同じ色をつなげ」という以上に高度な指示を与えることができないのだ、日本では考えられないことだ、日本のブルーカラーは「色分け」などされたら、「馬鹿にするな!」と怒るであろう..
言うまでもなく、差別的偏見である。たとえば、アメリカでは、英語で書かれたマニュアルや英語による指示が伝わらないことは多いのだろうが、それは彼らが「文盲」だからではなく、「英語が母国語でないことが多い」からである。
そしてもちろん、いまやあなたもよっくご存知のとおり、日本でもパソコンの背面の端子は「色分け」されているのであった。何も考えなくても同じ色どうしつなげば、キーボードもマウスも動くようにね(..というシステムを作ったのはアメリカ人だ、というオチもあるのだが [;^J^])。
目次へ戻るまだ通知は出ていないのだが、あなたがこれを読む頃にはもう異動済みなので書いてしまっても構うまい。2004年4月以来「お客様相談センター」に勤務していたのが、再び工場に戻ることになった。「プロダクション技術部」である。業務内容はざっと説明を受けたが、まだ固まっていないところもあるし、徐々に変わっていくところもあろうし、いずれにせよここには詳しくは書かない。
異動は8/1づけなのだが、27(木)28(金)はシフト勤務休。29(土)〜31(月)は本来出勤日なのだが、夏オフのために予め有休取得済み。ということで、今日がお客様相談センターへの出勤最終日である。なかなか有意義な2年4ヶ月であった。今度の部署ではシフト勤務ではなく、普通に土日休みである。木金休みにはメリットが一杯あった(郵便局、銀行、役所、病院等々に行きやすいし、どこに遊びに行っても空いている)のだが、仕方がない。生活のリズムを元に戻さなくては。[;^J^](もっとも影響を受けるのが、「木曜日早朝更新」の廃墟通信である。ここ最近は、木曜日が休みなので、前夜はさぼって木曜日の午前中に書いていたのである。[;^.^])
シンセ脚とキックトリガーをTさん宅に発送。Tさんに当日に(他の様々な荷物とともに)夏オフ会場に車で運びこんでもらうのである。
目次へ戻る というわけで、明後日からの夏オフの準備のために、今日と明日、まるまる2日使えるわけだが..もちろん、「今日できることを明日に延ばすな 明日できることを今日に早めるな」の格言通り、先送りである。[;^.^]
午前中は、肩の診察と本屋。外食してから帰宅して、午後は、長年の懸案であった黴退治にとりかかる。いや全く、ユニットバス(バス・トイレ)の内部ときたら..床といわず壁といわず天井といわず絶えず蠢いている粘菌状の色鮮やかな生物に埋め尽くされているのであった(← 頼むから嘘だと信じて欲しい [;_ _][;^.^])。
カビキラーの詰め替えパックを、計4本消費 [;^.^]。先日の「ゴキブリ・ガス室惨殺事件」に引き続いての、無辜の生物たちの大量虐殺である。環境テロである。なんと業の深いことよ..
目次へ戻るさんざん先送りしていたのであるが、言うまでもなく、やればすぐなのである。新規音色の作成はないので、既存の音色を曲ごとに使いやすいようにならべ、ハープのグリッサンドを仕込むのみ。
一段落ついたところで、何の気無しに去年の夏オフ関係の日記を読み返してみたら..MicroExpress(MIDIマージャー)が故障して使えなかったとな [;^.^]。そんなこと、ちーっとも憶えていなかったぞ [;^.^]。もう、シンセ脚に同梱して発送してしまったぞ [;^.^]。もちろん、軽く動作試験をしてから発送したのだが、そのときは特に異常はなかったのだが..去年の日記によると、症状の出方が不安定だとのこと。まいったなぁ..
まぁ、いいや。今年は念のために(というか、ほとんど「クセ」で)送ったのだが、実は使わなくてもなんとかなる。(去年も、使わずになんとか切り抜けたのだし。)このマージャー、外国製品で修理が(恐らく)面倒だし、そもそも保証期間はとっくに過ぎてるし、必要以上に機能が豊富でうざいし(これは重要なポイントである)、今年の夏オフが終わったら捨てよう。
明日の予定だが、改めて新幹線の時刻表を調べたところ、7:14浜松発のひかりがなくなっており、6:57か7:24である。例年、7:14の便にのると、会場に9:10頃に着いていたのだ。ということは、7:24の便だと9:20着か。今年はドラムセットのセッティングなどがあるので、むしろ例年より早めに(9:00の開場前に)着いておきたいところである。ということは、6:57のひかり。逆算して、自宅発は6:00、起床は5:30と決めた。30分あれば、荷造りは楽勝である。
今日は、お客様相談センターの宴会(歓送迎会)がある。17:15頃に自宅を徒歩で発ち、途中でコンビニなどに寄り道して、18:30に会社着。そこからS君の車に同乗させていただき、会場のR屋へ。盛会である。料理もなかなか美味く、赤ワインも、金を出して買うようなものではないが、飲み放題ならば文句はないという水準。楽しく飲み食いし、おしゃべりする..
目次へ戻る..で、気がついたら自宅のフトンの中である [;_ _][;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]。時刻は..4:30。5:30に起きれば良いのだから、安心して二度寝する..
..で、気がついたら、6:30である! 予定1時間オーバー! ここからはまさに電光石火の働きで、一部の作業は省略したが、あっというまに着替えて、荷造りして、飛び出した。バス停着は6:47。本来6:43に出ていたはずのバスが遅れて6:48に着いたので、これをゲット。浜松駅着は7:00をまわってしまったので6:57の便には間に合わなかったが、7:24の便には間に合った。やれやれ、被害軽微である。もしも7:24を逃がしていたら、リハ前に到着することは不可能な状況であった。
ひかり車中に落ち着いてから、起床から出発までの間に省略していた作業をすませる。すなわち、洗顔と髭剃りと歯磨きである [;^.^]。品川で降りて新橋へ。銀座線で青山一丁目へ。徒歩で9:20少し前に無事に会場着。セッティング開始。
毎年毎年リンクを張り直すのも面倒なので、これまでの10年分のレポートを、一覧表にしておく。
1996年 第一日 第二日 1997年 第一日 第二日 1998年 第一日 第二日 1999年 第一日 第二日 2000年 第一日 第二日 2001年 第一日 第二日 2002年 第一日 第二日 2003年 第一日 第二日 2004年 第一日 第二日 2005年 第一日 第二日
今年のファンファーレは、ブリテンの「聖エドモンズ墓地のためのファンファーレ」。トランペット3人が会場の3つの隅に離れて立ち、(最後には合うのだが)互いに無関係に演奏する [;^J^]。アイヴズかと思ったぞ。なんだか純文学的な難しいファンファーレであった。[;^.^]
序曲「コリオラン」(ベートーヴェン)、「交響曲25番」(モーツァルト)では、シンセはコントラバスパート。「交響曲2番」(ボロディン)ではハープとコントラバス。(以降の曲でも、奏者の手が空いていれば、コントラバスの補強。)
この日、一番感動したのは、「伊福部昭」枠と「宮川泰」枠である。シンセは、前者ではハープとチェレスタ、後者ではシロフォン、マリンバ、ビブラフォン、チューブラー・ベルを担当したが..前者の2曲からは「シンフォニア・タプカーラ」、後者の3曲からは「交響組曲「宇宙戦艦ヤマト」」に、特に感動した。「シンフォニア・タプカーラ」は、どの瞬間からでも「ゴジラ」に切り替えられそうな音楽だが [;^J^]、この迫力はなんだろう。まず単純に「繰り返し」の快感というものはある。でも単に繰り返している音楽ならば、世の中に山のようにあるわけで..それと、「(リズム感の悪い)日本人は、変拍子には乗れない(ついていけない)」というまことしやかな説が、単なる俗説に過ぎないことも、良くわかる。
ヤマトと来たら、もう..常々言っていることだが、散々パロディにされおちょくられる作品(ヤマト、ガンダム、巨人の星、あしたのジョー、サインはV、ベルバラなどなど)には、「根源的なパワー」があるのである。だから、パロディにしがいがあるし、何十年間ものパロディ化に耐え得てきたのである。その「ヤマト」の「根源的なパワー」の重要な一部が、この音楽であることは、誰にとっても自明であろう。
「くるみ割り人形 抜粋」(チャイコフスキー)では、ハープ。「雪のワルツ」にグリッサンドがあることが把握できておらず、仕込み損ない、Cスケールでやってもらうことになってしまった [;_ _]。「交響組曲 キージェ中尉」(プロコフィエフ)では、チェレスタ、ピアノ、ハープ。比較的馴染みの薄い作品だが、軽やかできらびやかな第4曲(だったかな)「トロイカ」を聴いた瞬間、ああこれか、と得心がいった。
「交響曲 第9番」(ベートーヴェン)を演って、初日はお終い。打ち上げは「番屋」、宿は「マロウドイン赤坂」と、例年どおりのパターン。徒歩ですぐなので、とても便利。今年は去年と異なり(あるいは昨日と異なり [;^.^])意識明晰なままの投宿に成功した。[;^J^]
目次へ戻る起床。洗面。歯磨き。髭剃りしようとしたら..電気髭剃り器がない。ひかりの洗面所に忘れてきたらしい。トホホ..[;^.^] しかし困ったな。朝っぱらから開いている電気屋は近所に無さそうだし、夏オフ参加者には女性も大勢居る故、無精髭というわけにも行くまい。ということで、部屋に備え付けの安全剃刀で髭を剃る..
あらあら、まぁまぁ。ざっと当たってから髭剃りクリームを水で流してタオルで拭いたら、タオルが血塗れ..というほどではないにしても [;^J^]、鮮血が点々と。鏡で確認したところ、下顎を中心に、真っ赤な血玉が10数個。いずれも徐々に成長しております [;_ _][;^.^]。流れ出すほどではない、と判断して、しばらくそのまま安静にして、乾いてかさぶたになるのを待つ。やれやれ。なぁにが「安全剃刀」だ、看板に偽りありではないか、こら!(推定20年ぶりに安全剃刀を使った私の技量については、ここではスコープ外とする。)
2日目は「祝典序曲」(ショスタコーヴィチ)から。シンセは、金管のバンダ(別働隊)を補佐するために起こされたパイプオルガンパート。「交響曲 第2番」(ベートーヴェン)、「「小組曲」よりバレエ」(ドビュッシー)。後者ではハープ。
「レクイエム」(モーツァルト)では、通奏低音としてのオルガンパートと、合唱を補強するためのオルガン。リコーダー枠をはさんで、「我が青春の吹奏楽」枠。
この枠で演奏されたのは、「エル・カミーノ・レアル」(リード)、「海の歌」(ミッチェル)、「アルメニアンダンス Part 1」(リード)、「ディスコ・キッド」(東海林修)の4曲。全て未知の曲である。「我が青春の」といっても、FCLA(の夏オフ参加者)の平均年齢(というか主力の年代)は私よりも若く、これらの曲が中学/高校の吹奏楽部で演奏されていた頃には、既に私は吹奏楽部を卒業していたのである。
特に気になっていたのは、「ディスコ・キッド」である。勤務先の電子楽器メーカーでは、少なくとも正社員は大概何かの楽器を演奏する(あるいは、歌う)。吹奏楽経験者も結構いる。そして私は、自分より5年ないし10年位若手と話す機会がしばしばあるのだが、吹奏楽の話になったとき、彼らはなぜか「ディスコ・キッド」という曲名に反応するのである。どうも、彼らの「青春の音楽」らしい。調べてみたら、私が高校を卒業した翌年(1977年)の課題曲なのであった。
なるほど、こういう曲であったか。吹奏楽コンクール史上初の「ポップス系課題曲」でもあったらしい。この枠では、シンセはシロフォン、ビブラフォン、チューブラー・ベル、マリンバ。
「交響曲 第5番」(マーラー)では、コントラバスとハープ。特に第4楽章のハープが重要。「3分間指揮者コーナー」をはさんで、「ボレロ」(ラヴェル)と「威風堂々」(エルガー)で締め。
実はニフティのフォーラムは、来年3月に全廃になる。そのことはこの7月8日に急遽決まった(正しくは、各フォーラムのシスオペに通達された)そうである。従って「ニフティのFCLAの夏オフ」は、今年が最後ということになる。それやこれやで心配もされたのだが、例年並みに人が集まり、盛会となった。来年以降どうなるのかはまだ不明。しかし、私にとっては実はニフティなんぞもはやどうでもよく、さらに言えばFCLAすらどうでもよく、気の合う人々とオフさえできればよいのだから、たいした問題とは捉えていない。そう考えている人は大勢いるようだ。きっと来年も開催されると思う。
撤収後、打ち上げは例年どおり「すっとこどっこい」。昨年は、昼食を抜いて、流動食(ビールその他のアルコール)だけで腹を持たせて宴会に臨んだ結果、胃腸が荒んでいて、せっかくの料理をほとんど食べられなかったという痛恨の失敗をしでかしていた。今年はしっかり昼食(コンビニ弁当のスパゲッティナポリタン)を食べていたので、もう安心。やはり宴会のある日は、朝・昼しっかり食べておくのが肝要である。今年は料理を美味しく食べられ、夜遅くまで歓談。マロウドインに帰ってからは、G氏の部屋に何人かで集まり、3時頃までおしゃべりしてから、お開きに。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Aug 5 2006
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