1997年07月28日:ジャンプ失墜 1997年07月29日:ある老営業マンの話 1997年07月30日:計算機と麻雀 1997年07月31日:「金田一少年の事件簿」事件 1997年08月01日:キャノン砲を作る 1997年08月02日:FCLA夏オフ'97 第一日 1997年08月03日:FCLA夏オフ'97 第二日目次へ戻る 先週へ 次週へ
朝日新聞の朝刊1面トップをマンガ雑誌の表紙が飾っているので、何事かと思ったら、「少年ジャンプ失速、少年マガジンと王者交代か!?」とな。政治経済凶悪犯罪と、ろくでもないネタに事欠かないこの時勢であるが、本質的には、ほんとーに平和な国なのだ。(これは皮肉ではなしに(誇りと感嘆を込めた)賛辞である。)
ジャンプが650万部を誇ったのは、今は昔(と言っても、僅か2年少々昔)のことであり、今や400万部そこそこで、この9月にもマガジンに抜かれることが確実視されている由。ジャンプのドクター・マシリト、こと、鳥嶋編集長のコメントによれば、大型連載が次々に終わって、次の世代の漫画家たちを育てる端境期に差し掛かっている以上、避けられない事態であると認識しているようである。(新聞記事が微妙なニュアンスを伝えられるわけがない、という前提で読むことが必要だが。)
私自身は、もう長年、ジャンプもマガジンも読んでいないので、公平な第三者の目から判断することはできないし、まー、どうでもいいと思っているのだが、それにしても某識者による「戦後子ども文化史上の一大事件」というコメントには、?である。(新聞記者の要約能力を信用しても、仕方がないのだが。)
目次へ戻る年に一度ほど、とある引退した営業マンと食事をすることがある。勤務先の関係者ではない。亡父の知己という縁である。営業畑を登り詰めた人で、もちろん饒舌。自分のことを喋り続けるタイプで、(正直なところ)出来ればお会いしたくないのだが、まぁ浮世の義理という奴だ。
その人が、営業マン時代の自慢話のひとつとして(この人の話題は、基本的に自慢話しか無いのだが)、とある大型商談をものにした顛末を得々と話してくれたことがある。
要は、その商談相手の担当者が、自分の同郷(同窓?)だったことが判り、相手が、そういうことならこの話、まとめようや、と決まったという次第。彼は私に、「いやー、営業を長くやっていると、こんなこともあるんだねー!」と、首筋を何度も撫で回しながら、得意満面で話してくれたのだが、私には、これのどこが“得意な話”なのか、全く理解できなかった。今でもそうだ。
これは「勝利」よりも「敗北」に近いのではないか。この商談をまとめたのは、彼の交渉能力ではなく、単に同郷(あるいは同窓)関係にあったという、彼の能力とは全く無関係な、偶然の事件の結果に過ぎないのである。(さらに言うと、彼の交渉相手の決定は、恐らく全く不合理かつ(あるいは)不公正なものだ。)
もちろん、仕事は数字(結果)が全てである、というのは、一面の真理。特に営業では、この傾向が強い、ということも(知識としては)知っている。だから彼が、この「成果(結果)」を、キャリアの一環として誇ることは、理解できる。しかし、この結果を得るに至った「経緯」を誇る理由が、わからない。私なら、恐らく問われても、適当に言葉を濁してはぐらかしてしまうだろう..
結局、まだまだ、浮世の現実を肌で理解できていない、青臭い私なのである。
目次へ戻るいやはや、こんにちのコンピュータ(特にDOS/V機)のスペックは、呆れるばかりである。性能のことではない。それを表現するデータの多さと複雑さのことである。
半年ほど前の、とある雑誌広告から引用すると、
M/B Intel 440 FX Chip Set CPU Pentium PRO 180MHz MEMORY 32MB EDO HDD Quantum 1.7GB CD-ROM MITSUMI 8X FDD MITSUMI 2MODE VGA PCI S3 ViRGE EDO 2MB SOUND SB16 Compatible CASE MIDDLE TOWER K/B 109KEY JAPANESE MOUSE PS/2 MOUSE STEREO SPEAKER
これで、179,800。
私が問題視 [;^J^] しているのは、この仕様表と値段を見て、「高い!」「廉い!」と、即座に判断出来る連中の頭の中である。お前ら、人間か?
そうでなくとも、相場は水物。これらの構成パーツの価格も、毎月どころか毎週、いや毎日、変動している。それらの情報と性能のバランスを常時掌握しているからこそ、「高い!」「廉い!」と、断言できるのである。他に考えたり憶えたりすることはないのか、生活の中で、君たちは?
20年以上(?)前に流行して、徒花と散った、スーパーカーブームを思い出す。当時の小学生たちは、大人には憶える気にもならないような無数のカタカナを憶えまくっていたものだ。
あるいは、この仕様表から、パッと妥当な値段の幅を算出する能力は、麻雀の点数計算を瞬時にやってのける能力に近いかとも思う。(かくいう私は、満貫以上でないと点数計算が出来ない、ヘボ雀士であるが。)
目次へ戻る週刊文春の今週号の広告トップが、「『金田一少年の事件簿』は盗用だらけ!」であり、島田荘司の「この問題は民事訴訟に発展する」というタイトルの寄稿付きである。
何をいまさら、という気もする。このマンガが盗用だらけである、というのは、遥か以前から知られていたことである。私は他の作品のネタバラシ(あるいは、アイデアの盗用)をしている作品を読むことを、非常に恐れているので、このマンガに関する、そういう風評を耳にした時点で、(まだ未読であった)この作品を決して読むまい、と決めていた。(家族にも、そう命じた。)それ故未読のままであり、その意味では公平なジャッジなど出来ないのだが、未読の名作ミステリの盗作を読まされる危険を犯すくらいなら、喜んで単なる傍観者にとどまろう。
なにしろ、私が(確たる情報として)聞いた範囲では、島田荘司の、とある超有名作品(幸いにも、私はこれを読んでいた)を、思いっきりパクっていたらしいのである。(その作品名をここで書くことは出来ない。それをすると、「金田一少年の事件簿」は読んでいて、島田作品は未読である人に対する、ネタバラシになってしまうからである。)これを知った時には、(誇張ではなく)震え上がった。これほどの名作から盗んでいるのである。当然、他にも無数の名作から盗んでいるのであろう。無数のミステリを読んでいる訳ではない私には、このマンガを(事実上)永久に封印するしか、とるべき手段がない。
実は、ミステリ読みのベテランは、案外、この作品に寛容である。しかしそれは、盗用元の作品の大半を、既に読んでいるからであろう。そういう立場であれば、逆にパロディ(本歌取り)の集積として楽しめるものである、ということは理解できる。映画ではないが「R指定」してくれれば、私も特に問題視はしないのだが。いやこれは洒落ではなく。
それにしても、どうして今頃になって?
それはもちろん、(掲載誌の)少年マガジンが、少年ジャンプを抜いて王者になる日が、目前に迫っているからであろう。(真相は、その記事を読めば判るのかも知れない。しかし私にはこれを読むことが出来ない。なぜなら、盗用元の作品名が列挙されている可能性が高いからである。いくらこのマンガを読む予定が無いとは言え、余計な情報を目にしたくない。)
目次へ戻る..実は私は、テロリストだったのである(大嘘)。
明日から始まるFCLAの夏オフに、例によってシンセサイザーを持ち込むのであるが、その任務の一環として、「大序曲 1812年」(チャイコフスキー)のクライマックスで派手に撃ち鳴らされる、「キャノン砲」の音を用意することになったのである。(古くは大太鼓で代用されてきた。ある程度新しい録音(レコード、CD)では、本物のキャノン砲の音を収めている。現代のコンサートで、大太鼓で代用しているのか、サンプラー等に本物の音を収録して使用しているのかについては、情報を持ち合わせていない。)
この話を引き受けた当初は、今ひとつ自信がなかったので、勤務先の社内で相談したところ、全ての回答が「サンプラーを使いなさい」だった。それが最も合理的な解であることは私にも良く理解できたので、逆にファイトが湧いて、シンセサイザーで合成することにしたのである。(難儀な性格だ。[;^J^])
アナログシンセをいじっていた10数年前のノウハウを思いだしてみると、この手の音は、ホワイトノイズかピンクノイズを素材に、エンベロープで工夫する(アタックの瞬間の挙動が異なるエンベロープカーブを持つ複数の音を、加算合成する)のが、定石。
しかしこれでは、“炸烈感”が出そうも無い。やはり、なんらかのサンプル音から加工するか..と、愛機のプリセット音のリストを眺めていたら「Gun Shot」というのがある。鳴らしてみるとリアリティもまずまず。これだこれだ!と、その元ネタウェーブを調べてみたら..
なんと、「ハンドクラップ(拍手)」である。
なるほどねー。
ここまでヒントが得られたら、私も一応(直接、音作りにタッチしている訳ではないとは言え)プロの端くれである。炸烈感さえ得られれば、キャノンサウンドの勘所は、あとは低域とディレイ、と見極め、サクサクと合成できた。
ハンドクラップを2〜3オクターブ下げ、トーンディレイをかけて距離感を出して、コンプレッサーをかませて思い切り歪ませ、さらにローブーストして、仕上げに残響を少々。
低域が、まだ物足りないが、これ以上は本体では無理。今回はJBLのプロ用PAが借りられた、と、スタッフから連絡があったことでもあるし、(どの程度の機材なのかは、実際に鳴らしてみるまで見当が付かず、不安ではあるが)それに期待することにして、夜も更けてきたので、他にも頼まれている、パイプオルガン、チェンバロ等の、最後のブラッシュアップ作業をすませて、深夜に就寝。
目次へ戻るFCLA夏オフのなんたるかについては、昨年の日記を参照のこと。今年は会場も同じ、上中里の滝野川会館である。2年続けて同じ会場、というのは珍しい。交通の便も会場の勝手も判っているので、気が楽である。
ちょっと寝坊して6時半に家をでる..重い。シンセが重い。今回は、シンセ以外の荷物も(やや)多く、リュックを背負っただけで、ある程度重さを感じるほどなのだが、これに加えてシンセのソフトケースを肩からぶら下げると、マジで重い。昨年までは、こんな感覚はなかったのに。やはり歳か。
バス停で待ち時間0、という幸運もあって、7時のひかりに間に合う。昨年同様、田端からタクシーで会場へ。
設営。山台を作ったあとは、(これも昨年同様)楽譜の製本はパスして、シンセのセッティングに専念させてもらう。肝心のPAは、12時にならないと到着しないので不安であるが、とにかくヘッドフォンで、翌日、古楽枠でチェンバロとしてシンセを弾くG氏に、操作方法をガイドしながら、調整の追い込みをしてもらう。(今年は、この時間が取れたのが、実にラッキーであった。例年、奏者が出音をじっくりチェックしている時間は、全く無い。G氏は午後、本番が始まって以降の休憩時間や、翌日の午前・午後の空き時間も、弾き込みと調整を続け、結果として満足の行く音で本番を弾き切れた由。楽器の提供者として、これにまさる喜びは無い。)
12時過ぎにPA(JBL)が届く..が、電源ケーブルが無い。[;^J^] ちょっと焦ったが、S氏に秋葉原まで買いに行ってもらう。開会は13時だが、シンセを最初に使う曲は、14時近くのはずなので、間に合う見込み。
開会のファンファーレのあと、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を素材とする、シックリー教授によるパロディ作品。これが終わったところで、電源ケーブルが届く。音だしOK。モーツァルトの協奏交響曲が過ぎ、最初のシンセ使用曲は、「ドイツ・レクイエム」(ブラームス)より2曲。ここでちょっと、音色と音量の設定をしくじってしまった。
つまり、レベルが低すぎて、あまり聴こえなかったのである。それは、ポジティヴ・オルガン風の、柔らかい音色にしたからだ。
ちょっと説明しておくと、実はきちんと響かせることが一番難しいのが、こういう柔らかい(ほとんどサイン波に近い)音なのである。それは、人間の耳の感度があまり良くない音域にエネルギーが集中しているからであって、つまり能率が悪い。この音で十分聴こえるようにしようとすると、相当なエネルギーを投入する必要があり、PAに対して過酷な負担をかけることになる。小さなスピーカーでは、まず出せない。逆に、キラキラチャラチャラした音は、人間の耳の感度が高い音域にエネルギーが集中しているので、さほどエネルギーを投入しなくても、耳に“刺さる”。小さなスピーカーでも再生出来る。
このことはもちろん、承知していた。以前、お気楽オフで同じ曲を演奏した際は、小さなスピーカーしか調達できなかったので、曲想に対してミスマッチであることは百も承知の上で、キラキラした音を(確信犯で)鳴らしたものだ。
今回は、立派なPAを使える。この曲で本来求められているオルガンサウンドは、柔らかく、くすんだ音である。そこで私は、ある程度の音量を投入出来ることを根拠に、非常に柔らかい音をセットした。この判断は、間違っていなかったと思う。
判断ミスは、お気楽オフの時とは比較にならないほど、オーケストラの編成が大きかったことである。結局、多少は大きく余裕を持って響いた、柔らかいオルガンサウンドは、オーケストラの響きにマスクされてしまったのだった。
同時に、モニターの難しさも痛感した。電子楽器というのは、本体自身は鳴らないので、スピーカーが自分の背後(あるいは横)に無い限り、自分が出した音が聴こえないのである。ヘッドフォーンを被ると、周囲の音が聴こえなくなる。そこで、まともなモニタースピーカーが使えないときは、ヘッドフォーンを半分だけ被る、などするのだが、今回はモニタースピーカー付きのPAであった。
ここで問題になるのは、演奏者自身は、モニタースピーカーから聴こえる音量と、周囲の音量とのバランスを、信じてしまうことである。当たり前だ、そのためのモニターなのだから。しかし例えば、本体の(客席を向いている)スピーカーからの音量が相対的に小さく、(演奏者側を向いている)モニターからの音量が相対的に大きい場合、実はもっと音量を上げなければならないのに、奏者が自発的に音量を絞ってしまうことが、ありうる。今回は、それが起こった。
この問題を解決するためには、よほど入念に事前の音量合わせをしなくてはならない。不可能ではない、と思う。これは来年以降の課題だ。
次の「1812年」では、シンセ・キャノンが使えなかった。これは実は事前に判っていたことなのであるが、今日は土曜日であって、同じ建物の下の階にある図書館は営業中なのである。それで、会場側から「爆発音は控えていただきたい」と、スタッフに要請があった(らしい)。
明日、日曜日の「3分間指揮者コーナー」でも、この曲のクライマックスは演奏される予定であり、日曜日には図書館は開いていないのだから、この時に思いっきりぶっぱなせばいいや、と、私は気にもしなかった。それに、シンセ・キャノンを使うまでもなく、大太鼓をはじめとする打楽器群の最強奏と、その場にいる金管楽器奏者全員を動員した大音量は、シンセ・キャノンよりも、被害、もとい、破壊力が大きかったのではないかな? [;^J^]
その代わりと言ってはなんだが、バンダにパイプオルガンを重ねよう、という提案が、直前になって指揮者から出された。目一杯派手な(明日、「復活」「威風堂々」で使用する予定の)パイプオルガンサウンドをセットして、客席にいたS氏に頼んで弾いてもらい、私は客席から、音量バランスをチェックした..なんと、満足に聴こえない。いや、PAは十分に鳴っているのだが、向きが悪い。壇上に居並ぶ金管群と打楽器群の後方に、スピーカーを置いているのである。せっかくそこから発せられた音が、途中で上書きされてしまっている。スピーカーの配置を変えなくては..これが判っただけでも、大収穫であった。
ということで、今日のシンセの出番は、これで終わり。休憩をはさんで、スメタナの交響詩、ベートーヴェンの第九全曲(これには、合唱で参加)、食事のあとは、ピアソラ作品以下、各種アンサンブル作品。
昼間からホール外のロビーで運営されている「居酒屋」にも時々顔を出していたこともあり、食事後には、早くもいい気分になっていたが、例年ならばここでぐっすり眠ってしまうところなのだが、今年はそうはいかない。本日のプログラムが終了して、後片付けが始まったら、後片付け作業を仕切る、同宿のA氏の分を合わせて、2人分のチェックインをするために池袋のホテルに向かい、そこから二次会会場に向かわなければならないのである。ひとりで。[;^J^]
ということで、19時以降は、ほとんど一滴の酒も飲まずに、この作業をこなしたのだ。タクシーで移動したのだが、教訓として、夜の東京は工事が多く、意外なところで渋滞が発生していることが解った。電車よりも早かったかも知れないが、どっこいどっこいであった。
二次会は王子のJ.Mという店。去年もここを使った。A氏と池袋のホテルに(タクシーで)向かった前後の事情は、あまり憶えていないな。[;^J^]
追記:
今日の最大の収穫は、もしかすると、某氏がトランクに詰めて配って歩いていた、UFOキャッチャーの獲物と思しき、綾波レイのフィギュアかも知れない。私がゲットしたのは、食パンをくわえて走る「学園エヴァ」バージョンである。
目次へ戻るということで、A氏も私も、ちょっと眠りすぎた。8時20分を回っている。ふたりとも会場に9時に着く必要があるのだ。電車では間に合わぬ。タクシーで会場へ。
9時少し前に到着。午前中は、各種リハである。「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のためのチャーチオルガン、「魔笛」のためのチェレスタが、この時間帯に必要となる。「カヴァレリア」は、毎年恒例の曲であり、去年と同じ音を出してみたら、ちょっと高域がうるさいということで、よりおとなしい(柔らかい)音に切り替えた。(これが多少問題を起こしたかも知れない。)チェレスタも、毎年使っている音。これはなんの問題も無し。音量バランスは、やや大き目にしておく。この曲では、ほとんどソロ楽器なので、聴こえない側よりは、聴こえる側に倒しておく方が、安全なのである。
なお、昨日のことがあるので、スピーカーは、舞台後方奥から、舞台前列左端(トランペットの左)に移した。チェレスタ、ハープ等は、普通はこの位置(この角度)に置かれるのだし、音の通り道に邪魔が少ない。
午後から二日目の本番が始まる。まずは「スター・ウォーズ」組曲から、3曲。ここではシンセはハープに専念。何しろ大音量の曲なので、シンセ・ハープの音量も、大き目にする。客席からモニターした限りでは、バランスOK。音質も、概して評価が高かった。続いて「魔笛」抜粋。出演者たちの芝居気たっぷりの演技が楽しい。チェレスタの音も(やや大き目だったが)例年の通り好評。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第3楽章の、飛んでもない名演を経て、休憩時間。ここで、マーラーの「復活」の第5楽章を指揮するD氏に、クライマックスで登場するパイプオルガンのサウンドを聴いてもらうが、全く満足してもらえない。音質ではなく音量の問題である。いっそ舞台から完全におろして(オーケストラからも合唱からも)違う方向から鳴り響かせることを提案したが、彼は、舞台の奥に後ろ向きスピーカーを設置し、壁にぶつけて、舞台全体をバックロードホーンにすることを提案した。ちょっと手間取ったが、そのアイデアを実験した結果に、Goo!が出た。「復活」は、これで行く。
それはいいのだが、休憩終了後の「カヴァレリア」間奏曲にも、成り行き上、同じ配置で臨むことになった。慌てて音量の再チェックをしたが、これは私の耳で確認している暇はなく、客席にいた人に(瞬間的に)判断してもらい、OKが出たのだが、どうも演奏中、あまりに低域に偏りすぎていないか、気になって仕方が無かった。(私は万一のトラブルに備えて、ステージ上でシンセの隣に座っていたので、客席での聴こえ方が判らないのだ。)これもリハ中に自分の耳で確認するチャンスは取れる曲である。来年の課題。
「ロザムンデ」間奏曲、「踊る猫」「子どもの遊び」と、オケの曲が続いたあとは、吹奏楽曲が3曲。次の「ダッタン人の踊り」では、再びシンセはハープに。
そして、本日のメインエベント、マーラーの「復活」の第5楽章である。合唱のサポートに、これはポジティヴ・オルガンの、聴こえるか聴こえないか程度の弱低音。そして、フルパワーのパイプオルガン。客席にはどの程度響いたのであろうか。私は、この曲でも、音色と音量を切り替える担当として舞台上でシンセに張り付いていたので、効果が判らないのであった。
ここで午後の部が終わり、食事・休憩タイム中に、次の古楽枠のために、G氏とシンセの配置を直す。(つまり、舞台の奥から、指揮者の真ん前に。)曲はパーセルの「妖精の女王」抜粋。シンセ・チェンバロは、気持ち良く安心して弾いていただけたようで、とても嬉しい。また、この曲中で披露されたバロックダンスは、実に興味深いものであった。
「3分間指揮者コーナー」。実は私は、「復活」で立候補して落選したのであるが、確かにあの曲が素人指揮者に通せるとは思えんなー。(書き忘れていたが、D氏が指揮した「復活」第5楽章は、少なくとも4回、止まったのである。)
まず、「スター・ウォーズ」より。ここではシンセはハープ。次は、「第九」の第二楽章。ここではシンセは出番なし。そして「1812」のエンディング。ここで思いっきり、シンセ・キャノンをぶちかます。それなりの衝撃は与えられたようである。
フィナーレは、恒例の2曲。ラヴェルの「ボレロ」と、エルガーの「威風堂々第一番」である。ボレロでは、シンセはチェレスタで登場するのだが、音量調整をしくじってしまった。理由は大体判っているので、来年以降は、この轍は踏まない。「威風堂々」では、「復活」同様のパイプオルガン。これはそれなりに存在表明出来る、音質と音量だったはず。
全てのプログラムが終わってから始まった撤収作業は、昨年の記録を2分縮める、13分。当然、来年の目標は、12分である。どうして毎年、苦しくなって行くのだろう? [?_ _][;^J^]
打ち上げは、昨日同様、王子のJ.M。去年のような大騒ぎ大会にはならなかったが、それでも盛会。三次会には、多分、行ったと思う。[;^J^]
同宿のA氏と、昨日と同じホテル(2日分、チェックインしていた)へ。翌日のモーニングコールを7時にセットして、ベッドに倒れ込む。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Aug 12 1997
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