2021年11月29日:幻想美術選「王妃キャサリンの夢」ウィリアム・ブレイク 2021年11月30日:今年も終盤.. 2021年12月01日:キャンピングカーの装備について 2021年12月02日:滅びゆく筆記体 2021年12月03日:メトロポリタン美術館展/キング・クリムゾン公演 2021年12月04日:根津美術館/太田記念美術館/墓参り 2021年12月05日:「ダーク・アンド・ウィケッド」/篁牛人展目次へ戻る 先週へ 次週へ
「幻想美術選」、第275回。この画家をご紹介するのは、「死の家」「神曲地獄篇:情欲の輪」「地獄の門のダンテとヴェルギリウス」「日の老いたる者」に続いて5回目なのだが、なにしろこの偉大なる幻視家の作品は、ほぼすべて、一流の幻想絵画なのである。
これは、私がもっとも早い時点で(小学生時分に)観た William Blake(1757〜1827、Wikipedia)の作品だと思う。そのときの画集を確認したら、タイトルは「王妃キャザリンの夢」となっているのだが、おそらく「キャサリン」の誤植だろう。(原語タイトルが記載されていないので、確証はないが。)いずれにせよ、この画題については、詳らかにしない。
渦巻くように旋回上昇する構図は、ブレイクの得意技のひとつ。天上から放射状に降り来(きた)る光と絡み合い、まさに夢のような幻想空間を現出させている。
目次へ戻る1年がこんなに早く過ぎてしまうのなら、私の余生(まぁたかだか20年)もたちまち過ぎてしまうのだろうから、その程度の短い期間のために改築やらなにやらいろいろ準備をするのも面倒だなぁ..と、やさぐれている時間帯が、確かにあるのだが..[;_ _][;_ _][;_ _] ..ま、気を取り直せ。[;^J^]
自動車出勤。夜、浜松西郵便局に不在届の郵便物を受け取りに行った帰途、雨になる。0時前から、一時、強く降る。0:05、大きな雷鳴。どこかに落ちた?
目次へ戻る吾妻ひでおの名作、「スクラップ学園」の、「病気もんばっかり」というエピソードからの1ページをご覧いただこう。
この男は「車フェチ」であり、自分の車を改造に改造を重ねて、このような豪華な「非現実的な」スペックにしてしまったという「ギャグ」なのだが、今の目で読むと、どう見ても「(多少豪華な)キャンピングカー」である。けっして「非現実的な(ギャグとして成立する)」仕様ではない。(車内で卓球をするのは、今でも難しいかもしれないが。[;^J^])時代は変わったなぁ..というか、このエピソードが発表された1981年には、まだキャンピングカーが、そこまでメジャーではなかった(知られていなかった)ということなのだろうか?
注目していただきたいのは、3コマ目のミャアちゃんのセリフである。「最新号の雑誌、百科事典、ビデオ付きテレビ、16ミリ映写機、電話にカセット」(これらに加えて、言及されていないが壁にかかっている「レコードプレーヤー」)以上「全部まとめて」、こんにちではタブレット1枚で事足りてしまうのである。
これを、かつて夢見た未来世界(未来テクノロジー)が到来したとわくわくするか、なんだかつまんない実現の仕方をしちゃったねとため息つくか..[;^J^]
目次へ戻るずいぶん以前に読んだ記事だが、今でも事情は同じ(というか、さらに進行している)であろう。欧米人(アメリカ人?)は、筆記体を読み書きできなくなりつつあるというのである。
そりゃそうだろう。彼らは手書きしないから..というのは極論としても、少なくとも日本人よりも遥かな以前からタイプライターを使っているわけだし、筆記体を読む機会も減る一方なんだろう。
その点、私は、アルファベットの筆記体の読み書きができるもんね! ..などと、優越感を感じている場合ではない。[;^J^]
漢字がどんどん書けなくなりつつある日本人も、事情は一緒。
自分の書き文字が解読不能になりつつある私も、事情は一緒(これは違うかも)
目次へ戻る有休取得済み。5:25、始発バスがまだ動いていないので、徒歩で発つ。雲は多いが好天。6:32のこだまで、8:43、大阪の天王寺。月見うどんを食って、大阪市立美術館に着いたのが、9:05。「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」(〜1月16日(日)まで)である。開館は9:30。
さすがに、名品ぞろいである [^J^]。ま、中には、この画家のもう少しマシなヤツを持ってこられなかったのかい?..と、思わないでもないものがあるようなないようなとお茶を濁しておきますが。[;^J^]
左から。フラ・アンジェリコの「キリストの磔刑」は、金箔が美しい。カルロ・クリヴェッリの「聖母子」は、上品な色彩が印象に残る。ラファエロ・サンツィオの「ゲッセマネの祈り」については、「二線級をもってきやがったな ["^.^]凸」、と、一瞬ピリついたのだが [;^.^]、よく見ると、いっけん地味な第一印象にかかわらず、たしかに「世界」がまとまっている。良しとしておこう。[^.^][;^.^]
ピエロ・ディ・コジモの「狩りの場面」は、図録に見開きで収録されていてスキャンできなかったので画像検索結果をリンクしておくが、とにかく実に異様な題材である。
左図、ルカス・クラーナハ(父)の「パリスの審判」! これが来ていたか! もうこの一点で、この展覧会はもとが取れた! とにかく「甘美 完備」なのである。クラーナハならではの極上のヌード(×3 [^.^])に加えて、「小世界風景」と呼びたくなる素晴らしい遠景、山岳の上の砦と、湖岸の城塞都市。植物の細密描写と凝った鎧装束..もう、見どころしかないのである。これらに順に視点が泳いでいき、ぐるぐるぐるぐるといつまでも巡り続ける..
..ここで引っかかっていると話が先に進まないので、心を鬼にして私自身をこの絵の前から引き剥がす。[;^J^]
中央図、エル・グレコの「羊飼いの礼拝」..これがエル・グレコだ! これこそエル・グレコだ! 揺らぐような形態に、シンプルな色彩設計..(赤と青と黄色と緑..)
右図、ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「ヴィーナスとアドニス」のヴィーナスのポーズには見覚えがあるのだが、とはいえ絵全体(というより細部)の印象が記憶と異なる。どうやらティツィアーノは、このポーズの作品を量産していたらしい。(つまり人気があり、評価が高かったということ。)
ペーテル・パウル・ルーベンスの「聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者聖ヨハネ」だが、右上隅の「父ヨセフ」は、あとから描き足されたらしい。「聖家族」の一員だというのに、例によってハブにされていたのである。不憫である..[/_;][/_;][/_;] ..とまぁ、こういう事例も状況証拠になるのだが、ここから超不敬 [;_ _][;_ _][;_ _] →「オッカムの剃刀」(説明するために必要以上に多くの仮定をするべきではないという原理)を適用するまでもなく「聖家族」というのは実は極めてありふれた「老いた夫を持つ年若い妻が産んだ父親がわからない子ど(略 ← ここまで超不敬 [;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
..みんな黙ってて言わないだけで、心の底ではそう思ってるよね? だからどの画家も平気で「父ヨセフ」をここまでぞんざい(もうよせ。[;_ _][;^.^])
左から、グイド・カニャッチの「クレオパトラの死」。まったくなんという エロさ エモさ! 数あるクレオパトラの自殺のシーンの中でも、極上の逸品! とにかくこの紅潮した頬が..[^,^][^,^][^,^]
サルヴァトール・ローザの「自画像」。こういう「意識高い系」の自画像はムカつきを呼びがちなのだが [;^J^]、何しろ私は幻想美術選でも2回取り上げているように(「聖アントニウスの誘惑」「魔女の情景」)この画家のファンでしてね [^J^]。画像検索結果もご紹介しておこう。
そして、バルトロメ・エステバン・ムリーリョの「聖母子」は..もう、どうしようもない。ムリーリョには降参です。[;_ _][;^J^]
左から、カラヴァッジョの「音楽家たち」。なんとなく淫靡なムードを感じ取ってしまうのだが..[;^J^]
ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「女占い師」。この題材は、むしろカラヴァッジョの作例(「いかさま師」(複数バージョン、画像検索結果))が人口に膾炙していると思うが..このラ・トゥール作品では、女4人がかりで、若い男をカタに嵌めている。[^.^]
そして、クロード・ロランの「日の出」。ムリーリョ同様、ロランも、もう、どうしようもない [;^J^] ..ま、本作は彼としては二線級の出来だとは思うが、しかし腐ってもロランだからな。[^.^]
左図、ヨハネス・フェルメールの「信仰の寓意」。フェルメール作品にしては珍しく、日常生活のスナップではない、いわば大仰なテーマなのだが、しかしディテールを見ると、彼の他の作品群と同じテクニックが使われていることに気がつく。
レンブラント・ファン・レインの「フローラ」は、ちょっと年齢高めな風情がいい。私ぐらいの歳になると若くてキャピキャピしている女子よりは..とか余計なことを書いてみるテスト(..と、死語を書いてみるテスト)。
アントワーヌ・ヴァトーの「メズタン」は、彼の作品中でも、有名なキャラのひとりである。
左図、フランソワ・ブーシェの「ヴィーナスの化粧」も、もう、どうしようもないねぇ..[^,^] エモいとか飾ってる場合ではなく、単純に直截にエロい。[^,^]
中央図、エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブランの「ラ・シャトル 伯爵夫人」。この女流画家は、とにかく女性を、単に「美しく」ばかりではなく「魅力的に」描く天才なのである! 人気があったのも無理はない。(画像検索結果も参照のこと。)
右図、マリー・ドニーズ・ヴィレールの「マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ」には、驚いた。この画家もこの作品も知らなかったのだが、キャプションを見たら、なんと、1801年の作品なのである! このセンスと画面構成は、1901年の作品と言われても納得する。驚くほど近代的なのである。
左から、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの「ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む」..ターナーだよ。ターナーが来てるんだよ。それも極上のターナーだ! 最近気がついたのだが、私はターナーを観ると、パバロフの犬みたいに幸せ反応をしてしまうのである [;^J^]。とにかく超絶素晴らしい!
中央図、ジャン=レオン・ジェロームの「ピュグマリオンとガラテア」もまた、眷恋(けんれん)の作品であった。これが来ているとは知らなかった。ようやく実物を観ることができた [^J^]。ヌード絵画の歴史の中でも、特筆すべき逸品のひとつだと思う。
そして、オーギュスト・ルノワールの「ヒナギクを持つ少女」。私だって、印象派をいつもいつもディスっているわけではない。いい作品ではないか。[^J^](本展覧会に来ている、その他の印象派作品には触れないけどな。[;^.^])
12:00に退出。天王寺の駅チカの丼丼亭で、月見親子丼。13:00、大阪府立中之島図書館。ここに来るのは久しぶりである。国会図書館などとは比較にならない規模の図書館なのであるが、なにしろ風情/風格が素晴らしい。中にいるだけで、なんだか嬉しくなってしまう。それはいいのだが..
あらかじめ自宅から蔵書検索してここにあることを確認している本を閲覧しにきたのだが、禁帯出はいいとして、所在が外部倉庫で、今日じゅうにはもってこれず、閲覧できないだと〜![;^.^]凸 さすがに、こういう「小規模であるが故のデメリット」は、国会図書館とは比較にならんわ [;^J^]。「じゃっ、どーすれば読めるんですか? 私は浜松から来てるんですけどっ!?」、と、軽く詰めてみたところ、「事前に(できれば1週間ぐらい前に)電話で依頼してもらえれば、用意して取りおいておきます」とのこと。こういう「小規模であるが故の柔軟な対応」もまた、国会図書館には求めようがないもの。要は、それぞれの館の性格に応じた使いこなしだ。次に大阪に来る機会まで、先送りとしよう。どうせ不要不急の調査だし。[;^.^]
適当に開架の本を読んでから、15:00に退出。次の予定は、17:30に(ここから直近の)フェスティバルホールであり、幸いさほど寒くもないので、適当に散策する。何度か書いていると思うが、私は大阪では、中之島のこの界隈が大好きなのである。散歩しているだけで楽しいのであるが、できれば酒を飲みたい(まだ15時だが。[;^.^])川沿いの GARB WEEKS というイタリア料理の店も好きなのだが、立看板にアルコールメニューが無い [;^J^]。まだ時刻が早いからかな。中に入ればあるのかもしれないが、なかったら大変なので [;^.^] 入らず、フェスティバルホール方面へ。をを、地下のHUBという店が、白昼堂々、アルコールを供しているではないか![^.^] 15:45から、レッドアイ、ジントニック、サラミ、生ハム、唐揚げ。
開場時刻の17:30の少し前にホールへ。キング・クリムゾンの来日公演である。セトリはそこら中で検索できると思うが、たとえば rockin'on のページを参照してちょうだい。コンサートの構成は(セトリは違うが)3年前と、ほぼ同じである。
「エピタフ」は、ベストの出来ではなかった。サックスソロが力みすぎていたと思う。「ムーン・チャイルド」は、後半のミュージック・コンクレートをばっさりカットして、一気に「21世紀の精神異常者」へ。やはりこの曲は、すげーよ..これがデビューアルバムの1曲目だというのは、いったいどういう冗談だ..
「太陽と戦慄 パート2」が聴けて嬉しい。なにげに一番好きな曲だからね。(多分、学生時代にレコードで200回ぐらい聴いている。)そして「クリムゾン・キングの宮殿」だが、まさかとは思ったが、ラスト直前のゲネラルパウゼ(総休止)で(曲の終わりかと勘違いして)拍手が飛び出した [;^J^]。みんな、この曲、知ってるでしょ?(こういう「事故」を誘発する曲は、クラシックでは何曲かある。今すぐ思い出せるのは、ベルリオーズの「ベンヴェヌート・チェリーニ」序曲。ほかにもっとポピュラーな例があったはずだが..)そしてアンコールは、やはり「スターレス」。
18:30に始まった公演は、21:00少し前に終演。21:05にホールを出て、大阪駅へ向かう。道が濡れている。コンサート中に軽く降っていたようだが、上がっていてラッキー。
21:20、大阪駅。夜行バスの出発は22:40なので、時間調整用の店を探す。「昼酒場こみち」で、22:15まで。
22:40、超得得ドリーム422号。2階席の最前列の窓側だったのだが、足元の空間が狭くて脚を伸ばせないのには参った [;_ _]。(後方の席でも似たようなものかもしれないが。)なにしろ格安なので(なんとバスタ新宿まで2500円)、文句を言う権利も資格も、いっさい無いのである [;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]。となりの(二人席の通路側の)客が、かぁなり太目のおっさんなのもね〜 [;_ _]。こういう発言は今日びジェンダー的にアウトだということは承知しているが、せめておねーさんだったなら脚の苦痛も和らいだだろうに..[;_ _] というかこの際もっと口を滑らせておくと苦痛ではなく逆に(もうやめとけ。[;^.^])
それはともかく [;^J^]、最初の1時間少々は本当に辛く、これでは明日、バスを降りてから歩けないのではないかとすら危惧したのだが、悲しいことに2時間すぎたぐらいからは、全然慣れてしまっているのであった..[;_ _][;^.^]
目次へ戻るバスタ新宿には、定刻の7:01から少々遅れて、7:54着。この程度はもちろん想定内。それはそうと乗っている最中から足腰の疲れを癒す必要を強く感じていたので、車中で新宿近辺の朝からやってる銭湯を検索していたのである。午前中から予定が詰まっているため1時間も利用しないというのに、しっかりとしたスパに4〜5千円も払うわけにはいかない。今秋できたばかりらしい「SOLA SPA 歌舞伎町 新宿の湯」という店が良さそうである。なにしろ1時間1000円だし [^.^]。営業してるかどうか電話して確認してみたところ、現在、男湯は工事改装中だとのことで、やむを得ず混浴..[*^.^*][*^.^*][*^.^*]
..なわけがなくっ [.^.^][.^.^][.^.^]、女湯を時間帯を区切って男性と女性が交互に使っているとのことで、今はちょうど男性が入れる時間帯だったのは、ラッキー。ま、歌舞伎町の明け方の仕事上がりの女性たちと混浴したところでタトゥーだらけピアスだらけで恐(← 大偏見 [;_ _][;^.^])
徒歩で着いたのは8:25。やけに時間がかかったのは、そもそも私が新宿駅とその周辺を苦手としている(たまにしか来ないので全貌がまったく把握できていない)のと、バスタ新宿に来たのは初めてでありここからの土地勘が働かないことと、iPhone のマップが呈示してくれた経路が「やたらとコチャコチャ曲がりくねっている近い経路」と「わかりやすい大回りの経路」の2種類であって、道を間違えている時間的余裕はないので後者を選んだことによる。
シャワーと湯舟で、40分ほど疲れを癒す。ここ、なかなか良いな [^J^]。憶えておこう。出てみたら、歌舞伎町一番街のゲートからまっすぐ徒歩2分の、新宿駅東口から直近の、めっちゃわかりやすい場所であった。[;^J^]
新宿に泊まったときの朝食は、大体いつも、はなまるうどん新宿東口モア街店である。メトロで 根津美術館へ。「鈴木其一・夏秋渓流図屏風」(後期:〜12月19日(日)まで)である。開館時刻の10:00に遅れること、わずかに5分だったのだから、昨日から今日にかけての私の時間の使い方(タイムテーブルのパズルの解き方)は、巨匠の域に達しているといえよう。[^.^](以下、画像検索結果のリンクで済ませているのは、図録には屏風絵の類は大体(ノドを越えて)見開きで収録されていて、スキャンが難しいからである。)
鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」(画像検索結果)は、山本素軒の「花木渓流図屏風」(画像検索結果)の構図と表現を下敷きにして、円山応挙の「保津川図屏風」(画像検索結果)の前景の渓流と、酒井抱一の「青楓朱楓図屏風」(画像検索結果)の色彩感と細部描写を合成したものをベースとして、酒井抱一の「夏秋草図屏風」(画像検索結果)の写実と美意識、尾形光琳作品、京都で観たであろう古典の学習の成果などを取り込んで作られたという仮説は、大変、スリリングで面白い。
11:30過ぎに出て、明治神宮前駅に11:50に着く。時間調整のため、また、こんな私でもオシャレな街ではオシャレに振る舞えるのだということをアピールするために(誰に [;^.^])、ダブルトールカフェ原宿へ。駅から出たら目の前にあったからという選択理由は、もしかしたらオシャレじゃないかもしれないが。[;^J^]
アフォガードと、ティーラテ..(← 書いてて恥ずかしがってるうちは、オシャレじゃない。[;_ _][;^.^])12:25に出て、ここから太田記念美術館まで、ぴったり120歩。[^.^][;^.^]「河鍋暁斎 ―躍動する絵本」(後期:〜12月19日(日)まで)である。
前期展示を観に来た時の日記では、とにかく紹介図版を画像検索で絞り込みようがないので、「暁斎百鬼画談」(画像検索結果)、「暁斎酔画」(画像検索結果)、「狂斎画譜」(画像検索結果)、「暁斎漫画」(画像検索結果)、を画像検索しておいて、ざっと眺めてもらってお茶を濁したのだが、今回はそれらに加えて、「暁斎鈍画」(画像検索結果)のリンクもご紹介しておきましょうかね。[;^J^]
13:35に発ち、14:38に東神奈川駅。中学時代の恩師と旧友たちと待ち合わせて、墓参り。それにしても改めて感嘆したのだが、マスクをしていない人を見つけられない。たぶん、1000人に1人もいない。渋谷とかではそうでもないのだろうか。浜松で、早朝ジョギングしたり自転車で(速めに)走っていたりする人がマスクをしていないケースを、たまに見ることはあるのだが..同調圧力だよなぁ、良くも悪くも。
墓参り後、3人で「木曽」という居酒屋で飲み。若くもないので遅くもならずにお開きにして、19:50、鶴ヶ峰の家。
目次へ戻る快晴、寒い。8:51のバスで、鶴ヶ峰駅へ。駅前の松屋で朝食。(たまにはすき家にしたらどうだ。[;^J^])鶴ヶ峰を9:57に出て10:43に新宿に着くという、ちょ〜便利 [^.^] な直通便に乗るが、実は、今日観ようとしている画家(展覧会)が、今朝9:00〜9:45の日曜美術館(「発掘!放浪の水墨画家 篁牛人」)で特集されているのである。浜松の自宅のBDレコーダー(Diga)で録画しておいてあるそれを、この直通便に乗ってからすぐに iPhone の「どこでも Diga」で視聴開始し、ちょうど新宿で降りる直前に、見終えたのである。私の時間の使い方の巧みさたるやここまでくるともはや「巨匠の域」などというレベルではなく「魔術的」としか..[^.^][;^.^]
とはいえ美術館には直行せず、まずは映画。11:00から新宿シネマカリテで「ダーク・アンド・ウィケッド」である。
ふむ..見終えた直後の印象はマイルドだったが、しばらく間をおいてから思い返すに、そう悪い出来ではないのではないかな(上から [;^J^])。パンフや予告編を見れば予想はつくだろうし、ここまでは書いてもネタバレにはならないと思うのだが..日本人はこういう「恐怖」に「ある意味」慣れているが、欧米人(というかキリスト教徒)にはとても恐いものであるのかも知れない。何故なら、(ここから先はさすがに伏せておこう..)
ま、機会があれば、どうぞ。
新宿駅チカでカレーライスを食べてから、メトロで六本木一丁目へ。13:50、大倉集古館。ここに来るのも久しぶりだ。「生誕120年記念 篁牛人展〜昭和水墨画壇の鬼才〜」(前期:〜12月5日(日)まで、後期:12月7日(火)〜1月10日(月・祝)まで)である。この展覧会、当初の予定には入れていなかった(スルーしていた)のだが、先日、なにかの美術番組(今朝録画した番組ではない)で紹介されているのが目に入り、これは大変な画家、大変な作品だ、是非とも観ておかなくては、と気がついた次第でありまして。
いやもうまったく、「個性的」などという言葉では括りきれないし、その絵は、二次元のjpgファイルでは伝わらない。(図録の解像度も、あまり高くなく。[_ _])申し訳ない。とにかく、この画家(1901〜1984、Wikipedia)をご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思うので、画像検索結果から。
「天台山豊干禅師」
「蛟龍」
「金時と熊」
「老子出関の図(部分)」
「渇筆」といって、極端に毛足の短い(おそらく切り落としている)筆で、丈夫な和紙に抉り込むようにして墨を擦り込む技法(これによって、紙の表面はざらざらにケバだち、立体的に盛り上がることになる)と、「鉄線描」といって、肥痩のない息の長い均質な線で輪郭が象られた人物たちと。(後者は、「ミリペン」で描かれた漫画のようにも見える。)こんな絵は、初めて観た [;*.*]。時間が取れれば、後期展示も観に来たい。
14:50に退出。15:27に東京を発つこだまにぎりぎり間に合った。17:19、浜松。18:00、帰宅。
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