*2017年01月23日:「論理」は通らない
*2017年01月24日:幻想美術選「聖アントニウスの誘惑」サルヴァトール・ローザ
*2017年01月25日:半端な都会人 [;^J^]
*2017年01月26日:困ってること [;^J^]
*2017年01月27日:20年前なら土日出勤で..
*2017年01月28日:裏ピースについて
*2017年01月29日:RAW現像猿 [;^.^]
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*2017年01月23日:「論理」は通らない


 ネットでたまたま目に入ったのだが、某女性の日記。自分の娘(女児)が男性保育士に世話されるのは、やはりイヤだ。これは差別でも偏見でもない、それは解って欲しい。気持ちの問題なのだ..という内容。で、もちろん、賛否両論のコメントがつくわけなのだが、ある男性は、実に理路整然と(ほぼ完璧に)彼女を論破した。

 ..その先の展開は、容易に想像つくであろう。話にならないとはこのことで、彼女は完全に逆切れし(表面的には冷静だけどね)、自分に賛成する人のコメントにしか反応しなくなり..はい、終了〜〜。

 数十年間もネットを読んできた私である。こんなのは、何度も何度も何度も何度も見てきた。見飽きてきた。今回の例で言えば、悪い(事態を悪化させた)のは、男性の方である。そもそも、口を出すべきではなかったのだ。論理的には完全に男性の方が正しい。しかし、この女性は最初から書いていたではないか。「気持ちの問題だ」、と..論理ではないのである。

 「気持ち」と「論理」の「バトル」は、絶対に噛み合わないし、「気持ち」サイドが「負ける(引き下がる)」ことは、あり得ない。なぜなら「負ける(引き下がる)」というのは「論理の世界の事象」なのであって、「気持ちの世界」には、そういう概念はないからである。つまり「気持ち」は、絶対に「負けない」。

 こんなものに付き合ってはいけない。「論理」は「気持ち」と戦ってはならない。

 「無理(気持ち)が通れば、道理(論理)は引っ込む」のである。

 もちろん、私は「論理の人」である。ここの読者も、割合としては「論理の人」が多いであろうから、ご忠告しておく。「気持ち」とぶつかりそうになったら(それを察したら)、すぐに撤退しなさい。無駄無駄。シリアスな世界(政治とか)ではそうもいかないだろうが、(トランプをどうするかね、全く..)所詮はSNS。「気持ち」に尻尾を巻いて逃げたとしても、恥でもなんでもないし、あなたのキャリアに傷がつくわけでもない。そもそも誰も気にとめていない。気にするな。

 松方弘樹、逝去。脳リンパ腫。享年74歳。合掌..

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*2017年01月24日:幻想美術選「聖アントニウスの誘惑」サルヴァトール・ローザ


 「幻想美術選」第48回は、「聖アントニウスの誘惑」3回シリーズの第2回。この作品は、ご存知無い方も多いと思う。

Picture

「聖アントニウスの誘惑」(サルヴァトール・ローザ、17世紀中頃)

 Salvator Rosa(1615〜1673)(Wikipedia)は17世紀の画家なのだが、19世紀のロマン派を完全に先取り(予告)している。論者によると、彼の基本的なテーマは、「文明の崩壊と自然への郷愁」であるが、管見の及ぶ限りでも、彼の作品の多くは、壮大で野性的な自然を描く風景画、戦争画、廃墟画。また、サバト(魔女の夜宴)を描く、目覚ましい傑作もいくつかある。

 この画題については、前回同様、「第15回「聖アントニウスの誘惑」ヒエロニムス・ボス」を読んでいただくとして..ローザの「聖アントニウスの誘惑」を特徴づけるのは、なんといっても、この、独創的な形態の悪魔である。ボスやグリューネヴァルトの作品にも見られそうなものであるが、実は、いない。この作品を知らない人に、20世紀のSF映画(あるいはファンタジー映画)に登場するエイリアン/クリーチャーだと紹介しても、信じてしまいそうだ。素晴らしいセンスと造形感覚である。

 同じ画家による、ほぼ同じ構図の作品が、少なくとも、もう1点、ある。そちらはより色彩が豊かで描き込みも緻密、今回紹介した作品に感じられる「土臭さ」よりも「スマートさ」が強くでている、いっそ、SF的であるとすら言える佳作である。どちらを紹介しようか迷ったのだが、このモノトーンな世界が、より悪夢的で、捨てがたかったという次第である。

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*2017年01月25日:半端な都会人 [;^J^]


 今夜の「くりぃむクイズ ミラクル9」で仕入れた雑学。長野県のとある農産物直売所では、庭や農地の「草刈り用」に、山羊をレンタルしている。3000円/3ヶ月というのだから、その廉さに驚く。草を食べてくれるので、餌代はタダ。

 こういうのを見て、「なんか楽しそうだな、田舎暮らしをしてみたいな」..これが、都会人の一番ダメなところである。なにしろ、3ヶ月もレンタルしようというのだ。草刈りしなければならない草地(庭)が、いかに広大か、ということである。その維持は、半端な苦労ではないはずである..

 ..と、しれっと、都会人目線で申し上げましたが [;^J^]、私が都会人か田舎人かは、そう単純には判定できない。浜松が都会か田舎かは議論の余地があると思うが、(廃墟通信「1996年04月02日:ボーダーランドの町」参照..って、さりげなくバックナンバーの購読に誘ったりして [;^J^]。なんと、21年近くも昔の第2話(第2回)である)、浜松暮らしは30年を越えるものの、実家は横浜、しばしば帰省もしているので、自分は「半端な都会人」だと思っている。

 普段、都会暮らしをしていないので、都会人とはとても言えないが、田舎人(浜松が田舎だとして)とも言えないのである。

 私は浜松市民かもしれないが、この町の町民とは言い難いのだ。アパート暮らしだからか、コミュニティの一員として認識されていないのである。だから、有名な浜松祭りに参加したことはない。(見物したことはあるが。)誘われないのだ。「コミュニティの一員ではない」からである。

 この状況、寂しいかって? 寂しくない。むしろ、気楽なのである..(← ここら辺が、都会人。[;^J^])

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*2017年01月26日:困ってること [;^J^]


 それは、買い物の際、レジで財布から小銭を探すとき。手暗がりになって、財布の中(小銭入れの部分の中)が、よく見えないことである。望みの硬貨を探し出すのに時間がかかる。[;^J^]

 解決策は、すぐにふたつ思いつく。まず、指先にLED照明をつけること。(なんなら、ネイルでもいいです。[^J^])ただ、外見的に、社会的に、ちょっとね..[;^J^]

 もうひとつは、内部にLED照明がついている財布である。探せばあると思うんだが..(しかし多分、そのフィーチャーに特化していて、実用性は低いであろう..)

 そんなに切実に困っているというわけでは、実はないのだが、毎日毎日少しずつ困っているので、これまでの生涯の分を積分すると、バカにならない量ではないかと..[;^J^]

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*2017年01月27日:20年前なら土日出勤で..


 なんとかひと仕事終えたが、宿題多数。来週からが、また大変..

 これが昔なら、休日出勤、やり放題だったので、土日にトータル20時間以上、ガンガン作業して、月曜朝いちには全部片付いているのだが..今は、こういう働き方は、許されない。連続7日以上働いてはならないし、休日出勤したら、必ず(速やかに)振休/代休を取得しなければならないので、稼働日数が減り、かえってスケジュールが苦しくなる。

 国全体で、労働時間の削減に向かって、全力疾走している。誤解を恐れずに言えば、過去数十年間のこのトレンドが、日本の国力を削ぎ、地盤沈下させ、若者たちの未来観を暗くしてきた(だから子どもも作らないし、年金も払わず、ますます未来が暗くなる、という、負のスパイラルを加速させてきた)ことは、間違いない。過労死も過労自殺も、絶対に避けなければならないが、全国民に対して「一律に」、残業時間の上限を設定するのは、愚かなことだと思うんだけどねぇ..(そもそも、業種により業態により職種により、「残業」の形態も実情も、まったく異なるだろうに..)

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*2017年01月28日:裏ピースについて


 快晴。8:50に出て、郵便局、図書館、クリーニング出し、とハシゴして、9:45から13:25まで、湯風景しおり(で読書)。13:40、帰宅。

 「裏ピース」が話題になっている。SNSにアップされている写真のピースサインから指紋が読み取れることが実証された、という報道から、プチパニック(というほどでもないか)が起こり、そういうことなら「裏ピース」、という流れになったわけだが、ほぼ即座に、これは多くの国で「中指立て」と同じ意味になるから気をつけろ、と、あちこちのSNSで指摘された。外国旅行をしないとしても、SNSにアップした写真は世界中で見られるしね。人品のほどを疑われるというわけだ。

 こんなことは、ツイッターやネットニュースでは、以前から指摘されている常識だろうに..と、書きかけて、あぶないあぶない、このトラップ(「ネットに書かれているから常識」)に、自分で引っかかりかけた。(詳しくは、「2011年02月16日:ツイッターの落とし穴」参照のこと。)「自分がネットで見ている視界」など、全体の何万分の一にも満たない、ごくごく極めて局地的なピンポイントに過ぎないのである。そこで「常識」だからといって、広い世間にとっては「何それ?」なのである。

 ま、それはそれとして。無駄に高解像度の写真をネットにアップすると指紋が読みとられる、という危険性は、随分昔から指摘されていた。指摘されなくても、気が付いてしかるべきではあったが、恥ずかしながら、私も気が付いていなかった。

 ま、私は、写真撮られるときにピースサインなんかしないから、関係ないけどね。[^.^](いや、そういう問題では。[;^J^])

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*2017年01月29日:RAW現像猿 [;^.^]


 今日は、某映画を観に行く予定だったのだが..早朝から腹具合がおかしい。私は、ひとたび腹を壊すと、回復するまで時間がかかる体質なのである。(ストッパを飲んでも、即効とはいかないのだ。)映画を観ている2時間強、もつかどうかも心配だが、映画館まで車で20キロ。時間帯と混み方に依るが、30分ではまず不可能で、50分近くかかる可能性もある。(実績値である。)この、往復の車中(いい感じに刺激的な振動付き [;^J^])が、怖い..

 無理をすることはない。やめよう。今日は(どうせこれから半日は、トイレに通い詰めになるのだから [;_ _])引きこもりだ。まだ使い込んでいなかったPCソフトを練習する日にしよう..というわけで、「Capture NX-D」。

 いわゆるRAW現像ソフトで、デジカメ(ニコン D750)で撮ったRAW画像を素材に、いじりまくる。いじりまくる。いじりまくる..(当たり前だが)止まらなくなる [;_ _]。RAW現像猿である。[;^.^]

 言うまでもなく、やめどき、引き際が肝心なのである。空の青を、より紺碧に出来るのは、良い。しかし、「あの日の空は、ここまで青くなかった。もっとくすんだ淡い青だった」..と、ふと気が付いたとき、どうするか。記憶/記録のための写真ならば(そして今のところ、私の写真の大部分はこのジャンルなのだが)、事実/現実から離れるほどの美化をするべきではあるまい。(あの女性の肌は、ここまでなめら(以下略)..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])諸々の事情で、現実を十分に写し撮れなかったとき、「現実に近づけるための修正」として、RAW現像するべきなのだ。その意味でも、撮影からあまり間を置いては、ダメ。まだ「現実」の記憶が鮮やかな、出来れば撮影当日にでも行うべき作業なのであろう。

 ..で、それはそれとして(現実の(例えば旅の)記録としての写真は確保しておいた上で)、「現実を超える、より望ましい夢想」として、大空の青、木々の緑、肌の(それはもういい [;^J^])を、「記録」ではなく「作品」として、非現実的なまでに美化し、磨き上げるべきなのだろう。

 そろそろ予定を確定させておかなくては、というわけで、「日本SF大会」と、「コンパック(日本SF大会 公認合宿)」に、参加申し込みを済ませる。8月末である。8月頭には、「夏オフ」。いずれも、大変、楽しみなことである。[^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 2 2017
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