2020年03月30日:志村けん、急逝 2020年03月31日:「“個”の時代」の陥穽 2020年04月01日:悪貨減少? 2020年04月02日:幻想美術選「魔女の情景」サルヴァトール・ローザ 2020年04月03日:100万人/5万人 2020年04月04日:相対性の罠 2020年04月05日:全員集合の「神回」の追憶目次へ戻る 先週へ 次週へ
..こんなことがあって、いいものだろうか。享年70。心の準備が、まったく、できていなかった..
もちろん、年齢が年齢であるから、搬送されたという最初の報道の時点では、危ないな、心配だな、と思ったのである。しかし、その後の僅か数日のうちに、「入院した老人の全員が死ぬわけではないし」「“きっと”大丈夫だろう」..などという、まったく根拠のない、非科学的な“妄念”にとらわれてしまったのだと、白状するしかない。
「志村けんのいない日本」を、まだ飲み込むことができず、動転している..
彼はもちろん私より年上だが、しかし実は、僅か9歳しか違わなかった。私が追い越して先に死ぬチャンスは、十分にあったのである。
私が死ぬまで、志村けんは、そこに、いてくれるはずだったのに..
合掌..
目次へ戻る昨日のニュースだが..雑踏の人々から適当にサンプリングしたインタビュー。外出自粛要請が出されていることを知らなかった人たち..もちろん、こういう取材は恣意的なものであり、報道する側のプラン(ストーリー)に沿った回答のみ、ピックアップしているわけなのだが、少なくとも、そういうサンプルは(パーセンテージはともかくとして)採取できたわけだ。
そりゃそうだ。(ピックアップされたサンプルについていえば)テレビもニュースも、新聞も見ていない人たちだもの。情報源は、ネットだけ。ラインとインスタとユーチューブで、自分が見たいコンテンツ、自分が知りたい情報しか見ていないんだもの。(← 偏見バイアスは、百も承知。)
テレビや新聞などの「マスコミ」が衰退して、「個人が自由に情報を取捨選択できる」ネットに移ることを、(無条件に)良しとしている人々が、大勢いる。この状況も、「良いこと」なのかね。「外出自粛要請」などという、知りたくもないし興味もない情報の存在に、そもそも気がつくことすら出来ない世界が。
そういう人々に、「万民が知るべき情報」を「プッシュする」仕掛けを作る? ラインやインスタやユーチューブの画面に、「(ブロック不可な)政府からの広報」が表示される仕掛けを作る? 「個人の時代、万歳」な人々は、そういうの、嬉しい? 認める?
インターネットの「良いところ」は、いまさら問答無用。(私の(精神)生活も、これに非常に、非常に依存している。)しかし..マクロにみると、人類にとっては「赤字」なのではないか(..という視点が必要なのではないか..)
インターネットは、「良くないもの」だったのではないだろうか..
目次へ戻る志村けんの追悼番組を録画したが、もったいなくて、まだ観ることができない..
このご時世、クソリプ(お下品な言葉ですこと [-.-])が減ったという、面白い観察を、どこかで目にした。まぁ、数字の裏付けがない印象批評だろうが、その原因の分析が、さらに面白かった。「スタバなどのフリーWi-Fi を使いにくくなったからではないか」というのだ。もちろん、これも裏付けが取れていない、その意味では「妄言」に近いとはいえ、かなりの説得力がある。
確かに、脅迫電話や嫌がらせ電話をするときは(まんがいちの逆探に備えて)家電を使わず、公衆電話からかけるのが常識だもんな..(← 昭和時代から古兵がお伝えしました。[;^J^])
目次へ戻る「幻想美術選」、第190回。この画家は2回目の登場である。
Salvator Rosa(1615〜1673)については、「第48回:聖アントニウスの誘惑」を参照のこと。必ずしも「魔の世界」専門の画家ではないのだが、行きがかり上、「悪魔」「魔女」と続いてしまいました。[;_ _]
サバトの絵の紹介も、200回近い連載のなかで、今回が、まだ2回目だったとは、われながら意外である。しかも前回の「第58回:魔女の旅立ち」(ルイス・リカルド・ファレロ)は厳密にいえばサバトではなく、しかも、およそ類例がないほど肉感的でエロい [;^,^]。典型的なサバト図で描かれる「魔女」の姿は、今回のローザ作品で容赦なく活写されている老婆たちのようなものである。諦めてくれ..(いや、これはこれで..とか言い出すな。ぶれるから。[;^.^])
そういうわけで [;^J^]、本作の紹介で、バランスはとれたのではないかと思う。実に情報量の多い図像であり、画面のあちこちで、さまざまな黒魔術が行われている。死者(骸骨)に署名をさせたり、首吊り死体を煙で燻したり検分したり、また、中央附近では、ホムンクルスらしきものがつままれている。女の魔女だけではなく、魔法使い(あるいは錬金術師?)や、鎧を着た兵士も参加している。鳥類(あるいは鳥類型恐竜)の骨格標本のような魔物が特に目立つが、右下には蝦蟇蛙のような怪物もいる。このいずれかが、主賓(あるいは主催者)である悪魔なのだろうか..?
人類史上最高のサバト図を描いたのは、ゴヤである。そちらを先に取りあげるべきだったかも知れないが、ゴヤについては、それよりも優先的にご紹介しなければならない作品があるのだ。第200回を、乞うご期待!(← まさかの予告編? [;^.^])
目次へ戻る新型コロナ、全世界で、感染100万人。死者は、5万人..この数字の伸びるペースが、いっこうに落ちていない..
横浜市から、固定資産税と都市計画税を支払えという通知書が届いた。コロナなのに..[/_;](コロナでもっ![;^.^])
目次へ戻る新型コロナに対する、日本社会の生ぬるい空気/雰囲気には、多くの心ある人々が苛立っているが、しかしこれは、まったくやむを得ないことなのだ。今以上に危機感をもっていどめ、というのは、不可能ではないかとすら思われる。
それは、数字のトリックだ。本日の時点で、日本の「公表されている」感染者数は2855人。死者数は69人である。昨日書いた、全世界でそれぞれ100万人、5万人という数字と比べると、「桁違いに少ない」。無論、2855人/69人という数字も、十分、脅威的ではあるのだが、「比較すると..」。
無論、あなたはただちに反論するであろう。「その小さな数字は、全然信用できないよ!」..もちろん、その通り。しかしここではそれを議論しているのではない。「表面に顕れている数字」のもたらす心理的効果を指摘しているのだ。
それでもまぁ、「常識的に考えて」、10倍してみようか。氷山の一角、10%しか「見えていない」と仮定するわけだ。すると、28550人/690人、となる..この「10倍補正」をかけてもなお、感染者数は全世界の3%弱、死者数は1%強である..安心するな、という方が無理なのではないか..?
「100倍補正」をかけてはじめて、30%/10%という「恐るべき数字」となるが、いくら日本の計測方法に問題があるといっても、「1%しかとらえられていない」という仮定は「信じられない」ものなので(それが事実かどうかはここでは問題ではない)、心理的に却下されてしまうのだ。
この「数字の(心理的)トリック」によって、日本社会は「危機感をもつことができない」のだ。笛ふけど踊らず、というやつだ..
O内科医院で、月いちの健診。
志村けん追悼特番の録画を観る。今さらながら、その存在の「巨大さ」に圧倒される。「あまりにも当たり前にそこにいた」ので、日本社会と日本文化にとっていかに大切な存在であるか、わざわざ認識する必要もなかったのだ..
国立西洋美術館の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は、6月14日(日)までである。あと2ヶ月で東京の「事態」が収まっているとは思えず、これほどの展覧会を観ることができないのか..と、呆然としていたのだが..よく見ると、大阪の国立国際美術館に、7月7日(火)〜10月18日(日)まで、巡回するではないか。この時期までにはおさまっていてくれよ..
渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムでの「超写実絵画の襲来」は、5月11日(月)まで。こちらはなんと、夜間営業を早めに切り上げたり、土曜日は閉館とするなどして開催しているのだが、とはいえ、向こう1ヶ月間は、東京に出かけるわけにもいかないだろうし..(未来からの介入:4月7日の緊急事態宣言発令で、前提がいろいろ覆った。[_ _])
目次へ戻る快晴。朝方、1時間だけ、休日出勤。業務内容は、別に伏せるまでもないのだが、説明が面倒なので、略。
午後から改めて車で出て、浜松駅からさほど遠くない「ギャラリーそれから」へ。硲さんの作陶展。今日は(この時間帯には)私しか来館者がいなかったが、昨日は結構来ていたらしい。行く場所がないので暇つぶしにきたのではないか、という、硲さんの分析 [;^J^]。もっばらコロナ話。情報交換、噂交換。
帰宅後、自転車のチェーンにオイルを差す。どうもオイルは、錆とり作業の邪魔になるように思え、錆を完全に除去してから..と、先延ばしにしていたのだが、チェーンの錆取りを完全に行うのは不可能ではないかと思えてきたし、「ギーコギーコ」という騒音は、とにかく世間体が悪すぎるので..[;_ _][;^.^]
大学生時代の日記(といっても、大学ノート2冊もない)を引っぱり出して、調べごと。「8時だョ!全員集合」の、とある回に関する記述を捜し出すためである。
1958年生まれの私は、小中高と、実家にいる間は、土曜日夜8時からの「全員集合」を、原則として見ていたと思う。しかし、1978年4月に大学に入学して下宿生活を始めてからは、下宿の部屋にテレビがなかったこともあり、実家に帰省したときにしか見なくなってしまった。多分、年に10回もなかったことだろう。まぁ、その頃にはそろそろ「全員集合」に飽きてきていたのだろう、別に残念だとも思っていなかった。(ちなみに、裏番組の「ひょうきん族」は一度しか見たことがなく、そのとき、格別の印象を受けることもなかった。)
一方、「日記」だが..大学生時代の日記というのは、とにかく不規則で [;_ _]、1ヶ月続けたあと、数日ごとに抜けたと思ったら、3ヶ月飛び、それから1週間書き続けたら、また半年飛び..という始末 [;_ _]。そんな、不規則な「日記」と、年に一桁回数しか見ることがなくなった「全員集合」が、ただ一度だけ、交錯した..つまり、大学生時代に、ただ一度だけ、「全員集合」の感想を日記に書いたことがあったのである..驚愕のあまり..
..見つかった! 1979年3月3日だった!
たいして長々と書いているわけでもないので、全文書き写すことも可能なのだが、41年前の青臭い文章はあまりにも痛々しく、これを人前にさらすことなど到底不可能なので [;_ _][;^.^]、ざっと要約すると..
いわゆる「前半」については、その「繰り返しの美学」を称賛している。もちろん、コントの基本なのだが、リズムとテンポが完璧である、と、感嘆している。走り込んできた加藤茶が何かに「飛び込む」瞬間を、今でも記憶している。
「少年少女合唱隊」については、由紀さおりと小柳ルミ子の掛け合いに言及している。しかし残念ながら、これについては、どのようなものだったのか、思い出せない。
問題は、後半の、志村けんと桜田淳子の「夫婦コント」である。確か、この日が、このコントの初お披露目だったと記憶する。
..仰天した。
志村が、サラリーマン。桜田が、その、ドジな若妻。疲れて帰ってきた志村を満面の笑みで迎えるが、味噌汁の具にとんでもないものを入れていたり、風呂を沸かしていなかったりで、志村をがっかりさせ、その度に..
(悲しいBGM..)
桜田「(ヨヨと泣き崩れながら)あたしってだめな妻ね..もう、愛していないんでしょう?」
志村「(またかとうんざりしながら)そんなことない、そんなことないよ、愛してるよ!」
桜田「(まだ、べそをかきながら)本当に?」
志村「本当に!」
(さっと明るい、天上から光が射し込むようなBGM)
桜田「(表情を明るく一変させ、胸の前で手を合わせ、「光」の方向を見上げて)あたし..愛されているのね!」
(志村、のたうち回る)
..これを、3回以上、繰り返すのである。[;^J^]
これは、本当に素晴らしかった! 特に音楽の使い方が、これに匹敵するものをほとんど思いつけないほどの絶品。「光が射す」音楽は、オーボエの上行音型だったと思うが、むしろ、これを思いついてからあとからこれにあわせてコントを作ったのではないかとすら思われるほど、完璧に融合していた。のちに名物コントとして何度も繰り返され、当然、やがてはマンネリ化していくわけだが、マンネリ化してもなお、面白かったこのコントを、初めて見たときの衝撃たるや! 大袈裟に言えば、「奇跡を見た!」、という感動を覚えたのであった。
当時、「神回」という言葉はなかったが、私の人生を思い返してみるに、私にとっては間違いなく、あの、1979年3月3日の回こそが、「全員集合」の「神回」なのであった..(いずれどこかで、アーカイブを観ることができるかも知れないが..必ずやあるであろう「記憶の美化作用」と立ち向かうだけの勇気が私にあるかどうかは、おのずから別問題である..[;_ _][;^J^])
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Apr 11 2020
Copyright (C) 2020 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]