2021年12月06日:幻想美術選「世界の終わり」ディーノ・ブッツァーティ 2021年12月07日:町田と八王子について 2021年12月08日:12〜1月の展覧会観覧予定 2021年12月09日:通院再開 [;_ _] 2021年12月10日:年末年始をどうするか 2021年12月11日:年賀状をどうするか 2021年12月12日:「2010年代海外SF傑作選」目次へ戻る 先週へ 次週へ
「幻想美術選」、第276回。これもまた、ある意味では眷恋(けんれん)の作品ではあったのだ。
おそらく45年ほども昔の高校生の頃、「幻想の画廊から」(澁澤龍彦、1967)の「崩壊の画家モンス・デジデリオ」の章に収録されているモノクロ図版で、初めて観たのである。「画家」の名前もちゃんとは憶えず、カラー図版を探すこともしなかったとはいえ、しかしこの異様な「終末図」は、私の意識下に密かに沈潜しており..そして、この連載を始めてから、「そう言えば、あれは..」、と、思い出して気になって、「幻想の画廊から」で「画家名」を確認し、首尾よくカラー図版を収録している書籍を探し出し、購入することができたのであった。
「絵物語(Le storie dipinte)」(Dino Buzzati、長野徹訳、東宣出版)に収録されていたのである。作者自身による、以下のようなキャプションが添えられている。
そしてあと数時間で、クレーターだらけの球体は膨らみながら空を完全に覆い尽くすことだろう。それから円錐形の地球の影に入って、光は消え、何も見えなくなるだろう。ついには、町が放つ弱々しい光に照らされた、破滅をもたらすごつごつとした天井がわれわれの上に落ちてくるのを一瞬のうちに悟るだろう。
Dino Buzzati-Traverso(1906〜1972、Wikipedia)は、20世紀イタリア文学の巨匠。イタロ・カルヴィーノと並び称されているなんて、高校生の頃は、知らなかったのです [;_ _][;^J^]。彼は第一義的には「作家」であり、「絵画作品」は余技とみなされているようだが、この「絵物語」に収録されている短文を読むと、彼は世間からのそういう評価・位置づけに大いに不満で、どちらかと言えば画家が本業、作家業を趣味、とみなしていたようである。
代表作「タタール人の砂漠」は未読なのだが [_ _]、中編集「偉大なる幻影」(脇功、松谷健二訳、早川書房、ハヤカワ・SF・シリーズ)をご紹介しておこう。年配のSFファンには、「銀背」と言えば伝わるだろう。3編が収録されている。
「偉大なる幻影」−巨大な“施設”全体が“人造人間”であり、その中に蘇らされた、亡き妻。その“人造人間”の苦悩。さらにそれは、亡き妻の人格ですらなく、より一般的な(無個性の)人格に、亡き妻の人格が投影させられていた(あるいは演じさせられていた)に過ぎない。極めて現代的なテーマであり、モチーフである。古さは全く感じられない。昨今、SFやアニメの「悪影響」[;^.^] からか、自分の人格をコンピュータの厖大なメモリなりクラウドなりに転写(アップロード)することによって、肉体が滅びたあと、不老不死の精神体になれる、と、なかば本気で夢想している人が1000人に1人ぐらい居るような気がするが、この小説を読んでおけ、と、いいたい。肉体を失って精神体だけとなった“人格”の“暗黒”と“地獄”..
「スカラ座の恐怖」−革命騒ぎの幻影に怯える上流階級の人々。まるで、「ミステリーゾーン」(Wikipedia)の一挿話のようだ。
「戦艦“死”」−第二次世界大戦秘話。密かに建造されていた超戦艦が、終戦(敗戦)によって行き場を失い、極地へと向かい、そこで遭遇した超自然的な幻影?と戦った果てに、沈む。
「スカラ座の恐怖」が多少毛色が異なるが、他の2編は幻想小説よりのSFであり、異様な傑作なのである。
目次へ戻るそれぞれの市民はあるいは激昂するかもしれないが [;_ _]、私は町田と八王子を、しばしば混同してしまうのである..[;_ _]
「町田市立国際版画美術館」、「東京富士美術館」、「いちょうホール」..これらの町に訪ねるそれぞれの施設名は間違えようがないし、そのレベル(レイヤー)で混同することは、ない。ただし、そこに向かっている電車のなかでしばしばウトウトしながら「どこで(どっちで)降りるんだっけ?(ムニャムニャ)この電車で間違ってないよな?(ムニャムニャムニャ)..」
そもそも私は浜松からアプローチするのであって、どちらの市も「東京の西の方」というぐらいの認識しかない。「出っ張っているのが町田」とは憶えているものの、八王子がその手前なんだか向こう側なんだか..[;_ _] どっちも似たような 誤差みたいな(逃げる)
第6波が(まだ)来ない、という前提である。
大倉集古館
「生誕120年記念 篁牛人展〜昭和水墨画壇の鬼才〜」
後期:〜1月10日(月・祝)まで
奈良国立博物館
「名画の殿堂 藤田美術館展 ―傳三郎のまなざし―」
〜1月23日(日)まで
太田記念美術館
「江戸の恋」
1月14日(金)〜2月3日(日)まで
岡田美術館
「The SAMURAI −サムライと美の世界−」
〜2月27日(日)まで
世田谷文学館
「描くひと 谷口ジロー展」
〜2月27日(日)まで
森アーツセンターギャラリー
「ボストン美術館所蔵「THE HEROES 刀剣×浮世絵−武者たちの物語」」
1月21日(金)〜3月25日(金)まで
東京国立博物館
「特別展「ポンペイ」」
1月14日(金)〜4月3日(日)まで
東京都美術館
「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
1月22日(土)〜4月3日(日)まで
まぁ、全部行けるとは、思ってませんが..[;^J^]
目次へ戻る本日早朝アップした廃墟通信(2021年11月29日〜2021年12月05日号)を、出勤してから始業前に読み返していて、とんでもない書き間違いを見つけてしまった [;_ _]。「聖家族」の一員の「父ヨハネ」と書いている! もちろん「父ヨセフ」である! 危ないあぶない! 悲鳴をあげて慌てて修正した![;_ _][;_ _][;_ _] ..うーむ。ここを書いたのは昨夜深夜。半分眠りながら書いていたからなぁ..[;_ _] もちろん、アップ前に推敲しているのだが、どなたにも共感いただけると思うのだが、推敲というのは、最初の1回で(ミスを)取り逃がしてしまったら、あとは何度読み返しても、もうそれには気がつかないものなのである..[;_ _][;^.^]
日記には書いていなかったが、2ヶ月ほど前から徐々に徐々に変形性膝関節症が再発(というか再悪化)していたのである [;_ _]。今夏悩まされていたのは股関節(等)の痛みの方で、それが(本当に)綺麗さっぱり、消えてしまったのと入れ替わりに。まぁ、マスクされていたのかも知れないなぁ..と、富田整形外科へ。
変形性膝関節症では、何度かここにお世話になっている。「何度か」ということはつまり、ある程度軽快すると通わなくなってしまい、数ヶ月ないし数年後に再発(再悪化)すると、またお世話になっているのである [;_ _][;^J^]。で、今回もまた、というわけで。
ある意味「馴染みの」症状ではあるのだが、これまでは「動き始め」こそ痛いが、歩き始めてしまうと痛みが消えていた(気にならなくなっていた)のに、今回は、歩いているあいだ、ずっと(少し)痛い。やばいな、事態が悪化しているのかな..と、戦々恐々としつつ問診を受け、レントゲン撮影をしてもらう。結果、1年前から比べても軟骨の摩耗はほとんど進んでおらず(「強いて言えば変化が見えなくもない」レベルで)、全体としては幸いまだまだ初期段階ということなので、ひと安心。
..さ、真面目に筋トレだ。[;^J^]
目次へ戻る基本的に、横浜の家ですごす理由はない。展覧会は僅かな例外を除いて閉まっているし、国会図書館なども同様。上京しても仕方ないのだ。唯一、「生誕120年記念 篁牛人展〜昭和水墨画壇の鬼才〜」の後期展示が1月10日までであり、これは見ておきたい。年末年始休みぐらいしかチャンスが無いかもしれないのだが、しかしこれだけのために往復交通費と移動時間をかけるのは、微妙に牛刀。ほかについでがあればいいのだが..
大晦日は(紅白ではなく)ABEMA の「ももいろ歌合戦」を浜松の自宅の安定したネット環境で観たいので、その意味でも横浜での年越しは、ないのである。だから横浜にいくとすれば、12月29日〜30日か、1月2日〜3日といったところか。せわしないなぁ..例えば、私はまだ「浅草花やしき」に行ったことがない。これは年末年始休みなしで営業しているので、これを絡めてみるとか..と、悩んでみる。
目次へ戻る午前中、りそなで金を下ろしてから、浜松日産伊場店で12ヶ月点検。いくらかかるか心配していたのだが、今回は1万数千円ですんだ。やれやれ。2年後に横浜(都会)に隠居したら金食い虫の車は手放す、というのがもちろん正解なのだが、しかしあればあったでもちろん便利なんだよなぁ..悩ましいところである。
昼前までかかってしまったので、インフルエンザの予防接種をしそこなってしまった [;^J^]。来週にするか。カインズ浜松都田テクノ店へ。小物を少々。年賀状印刷の案内ポスターがあり、サービスカウンターでざっと説明をきいて、パンフをもらって帰る。
さて、どうしたものか..今年もまぁ、年賀状を出すつもりではある。もともと枚数少ないし、そうたいした手間でもないし。それに誰もがそう認識しているように、年賀状とは「生存表明」なのだから、いきなり今年からやめたら余計な不安感を相手に与えるでしょ。[;^J^](..与えなかったら(気がついてもらえなかったら)どうしよう..[/_;][;^.^])
そして私は例年まさに「生存表明」程度の工数しかかけておらず、郵便局で買ってきた(「富士山」程度は印刷してある)白紙の年賀状に「謹賀新年」という(10年以上、もしかしたら20年近く使い続けている [;^J^])シャチハタを押して、一筆書き添えるだけ、というシロモノでして。[;^J^]
結構みなさん、美麗な年賀状をくださっているし、それが世間の標準(常識)なのだろうから、私の年賀状は明らかに浮いている(悪目立ちしている)はずである [;^.^]。もう少し、なんとかしようか。今年は印刷しようかなぁ..使えそうな写真はあるし..
とはいえ、年賀状のためだけにプリンタを調達するのは、あり得ない。ま、隠居後の人生でなにか用途を見つけてプリンタを駆使することになるかもしれないし、その可能性を考慮に入れるのなら小型高性能プリンタを買うべきなのだろうが、現時点では用途も要求仕様も見当もつかないので、買うわけにはいかない。置く場所もないし..買うにしても来年以降でいい。
となるとやはり、業者で印刷か。たまたま手元にあるのは、今日もち帰ったカインズ浜松都田テクノ店のパンフであるが、もちろん、ここにしなくてもいい。軽くぐぐっただけでも山ほどヒットするし..しかし業者を選ぶのも手間だしな..と、悩んでみる。
目次へ戻る「2010年代海外SF傑作選」(橋本輝幸編、ハヤカワ文庫)、読了。積読期間が僅か1年というのは、超絶速攻読了(当社比)の範疇である。[^.^]
「火炎病」(ピーター・トライアス)−難病の症状をARで再現しようとする。目の付け所はスマート。「乾坤と亜力」(ハオ景芳)−微笑ましいAIもの。「ロボットとカラスがイーストセントルイスを救った話」(アナリー・ニューイッツ)−解散したプロジェクトの野良ロボット(ドローン)がパンデミックを発見し、カラスの群れと協力して対応するという、素敵なSF。「内臓感覚」(ピーター・ワッツ)−腸内細菌叢から精神をハックする/操るというテロだが、そのアイデアよりもGAFA(ここでは Google)に対する反発が主調である。「プログラム可能物質の時代における飢餓の未来」(サム・J.ミラー)−高性能3Dプリンター(のようなもの)で万人が戯れているうちに、まぁ理の当然というか怪獣たちを(悪意または愚かさで)作り出してしまった世界。(それとは無関係な)登場人物たちのドラマとは「破滅願望」でリンクしているようである。
「OPEN」(チャールズ・ユウ)−あまり乗れない [_ _]。「良い狩りを」(ケン・リュウ)−感動的な傑作。古き魔術/妖怪が科学啓蒙の時代に敗れ消え去って行く..という序盤の流れはあまりにもパターンで欠伸が出たが [;^J^]、後半が凄い。かつて妖怪ハンターだった少年は(スチームパンクな時間線の)新時代の優秀な技師となり、かつては妖怪だったが今ではいっさいの魔力を失っていた少女を蒸気仕掛けの妖狐として蘇らせる。物語としてはまったく異なるのだが、なぜか「バンパイヤ」(手塚治虫)を想起した。「果てしない別れ」(陳楸帆)−力作。「蠕虫」に“憑依”した(「蠕虫」からは「脳内の他者」として認識されていると思われる)主人公からの世界観/世界認識、「蠕虫」との“コミュニケーション”のスリルと、若年性アルツハイマーのカップルの、いつ(相手の)記憶を失ってしまうかわからないという恐怖/焦燥とが、リンクしている。「“ ”」(チャイナ・ミエヴィル)−観念的ワンアイデアもの(“観念”と“アイデア”が被っております。[;^J^])レオ・レオーニの「平行植物」をなんとなく想起。「ジャガンナート」(カリン・ティドベック)−素晴らしい。もしかすると私が一番好きなタイプのSFなのかもしれない [;^J^]。超遠未来の人類の末裔は、巨大な生物(マザー)の体内に寄生し変貌して、蟻や蜂の社会に似た役割分担のもと、単調な生を生きている。そのマザーが食料不足で死ぬとき..「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」(テッド・チャン)−既読の傑作。今回再読はしなかったが、初読の際の感想は、「AIの法的権利。市場競争に負けた(取り残された)プラットフォームでしか動かないAIの運命。セクサロイド化。育成する/される経験が本質的に必要だが、それを圧縮して与えることはできない(しても意味がない)」。
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