*2021年10月25日:幻想美術選「夜の汽車」ポール・デルヴォー
*2021年10月26日:白土三平、逝去
*2021年10月27日:日時指定予約について
*2021年10月28日:「秘密 異形コレクション LI」
*2021年10月29日:「暗い酒」
*2021年10月30日:某オンラインオフ
*2021年10月31日:「曾我蕭白 奇想ここに極まれり」
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*2021年10月25日:幻想美術選「夜の汽車」ポール・デルヴォー


 「幻想美術選」、第271回。この画家の登場は5回目で、ほぼ1年間隔でご紹介していることになる。

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「夜の汽車」(ポール・デルヴォー、1947年)

 夜明け見捨てられて忘れられた街に続けて、5作目となる。「見捨てられて」と「忘れられた街」が、しばしばペアで画集に収録されているように、この「夜の汽車」は、「公衆の声」(1948、画像検索結果)と対で取りあげられることが多いような気がする。

 ホテルのロビーだろうか。もちろん、このような事物・人物(裸女)の配置はあり得ないわけであるが、物理的に不可能というわけでもなく、そこに、この作品の(あるいはこれに限らず、デルヴォーの多くの作品の)微妙な、密やかな、幻想性がある。

 ドアの外には、この画家のノスタルジーの根幹であり強迫観念ともいえる列車が見えるが、なんら深読みの必要はない。寒色系の色彩が素晴らしく、いつまでも見入り続けてしまうのである..

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*2021年10月26日:白土三平、逝去


 10月8日に亡くなったとのこと。死因は誤嚥性肺炎で、享年、89..なんと、先週の廃墟通信(「2021年10月18日:飯島敏宏、逝去」)に書いたデータと、死因も享年も、まったく同じではないか..そして氏の弟で作画を担当していた岡本鉄二も、4日後の12日に間質性肺炎で逝去されたとのこと。さいとう・たかをが9月24日に膵臓癌で(84歳で)亡くなったばかりだというのに..

 合掌..

 言及したい白土三平作品の数はあまりに多いので、ピンポイントで3作品だけにとどめる。1969〜70年頃に筑摩書房から出た「現代漫画」は、当時画期的なシリーズであった。亡父の言葉を借りれば、「ついに(あの!)筑摩書房が、漫画出版に参入した!」、という驚きと、その編集(作品選択)の素晴らしさ故である。(例えば手塚治虫の巻には、当時入手困難であった初期の2長編「メトロポリス」「ファウスト」が、まるまる収録されていたのである。)そして、白土三平の巻に収録されていた下記3作品こそは、白土三平の..というよりは、漫画/劇画の「可能性の極北」として、小学生時分の私の魂に刻み込まれたのであった。

 「いしみつ」。木ヘンに「色」,身ヘンに「黒」の異体字,人ベンに同じく「黒」の異体字,サンズイに「黄」。これで「い」「し」「み」「つ」と読む。「いしみつ」と呼ばれる不老長寿の霊薬の謎をめぐる、平安時代から江戸時代にいたるそれぞれの時代の忍者たちの探求と争奪戦。虚実をない交ぜにして描き出された、今の時代ならば数10巻は使うであろう内容が盛り込まれた壮大な叙事詩なのであるが、これがなんと僅か150頁ほどという、まったく信じがたいほどの高密度な読書体験。

 「赤目」。残忍な領主とその兵士たちに、身重の妻を凌辱され惨殺された農民の復讐劇。領地を去った彼は、数10年後、新興宗教の教祖となって帰ってくる。それは赤目(ウサギ)を奉る宗教であり、ウサギを殺してはならないのである。領地を席巻したこの宗教により、ウサギの数は爆発的に増える。ウサギを捕食する山猫も爆発的に増える。増えすぎたウサギは餌となる草木を食い尽くして全滅する。餌がなくなった山猫は飢え、人間を襲いだす。そして..という、食物連鎖を巧みに利用した雄大な構想にも驚いたが、同時に、領主たちの残虐さにもある意味ではまさるとも劣らぬ、「全滅させるためにウサギたちを保護する」という復讐者の非情さも恐ろしく、トラウマとなった。

 「ざしきわらし」は、上記2作品に比べれば軽量な短編であるが、抜け忍となった老忍者が、とある農村に(こどもにだけその姿を現す)「ざしきわらし」となって隠れ潜み、やがてその村が危機に陥ったときに彼らの盾となり、ひっそりと生涯を終えるという、まことに味わい深い、いつまでも忘れられない物語である。

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*2021年10月27日:日時指定予約について


 コロナ禍以来の、展覧会等の「日時指定予約制」。とても面倒なことではあるのだが、しかしいい面もある。それは、「会場が混雑しない」ことである。落ち着いて観ることができるのだ。もちろん事態はそんなに単純な話ではなく、「連日の大混雑」状態にならないとペイしない(美術品輸送にともなう莫大な保険金を支払えない)企画は、片端からつぶれているのだろうが..それにもちろん、ふと思い立って観に行くことがやりにくいというデメリットはある。予約枠以外に当日券も用意されている展覧会もあり、みな、知恵を絞り試行錯誤しているようであるが..

 一番困っているのが、国会図書館で導入された「抽選予約制」である。1日あたりの入館者数を1200名程度に制限するために、

月曜日から土曜日までを1申込期間として、インターネットから来館利用申込みを受け付けいたします。

お申込みの受付期限は、各申込期間の前週水曜日正午までです。

抽選の結果、当選された方にのみ、来館希望日の前週金曜日までに、改めてメールをお送りします。

 たとえば、11月22日(月)に有休を取得して行きたいと思ったら、11月17日(水)正午までにフォームから申し込む。結果がわかるのは、11月19日(金)である。つまり、直前まで、行けるかどうかわからないのである。予定が立たないのである。めっちゃ不便である。めっちゃ不便である。めっちゃ不便なのである..[;_ _]凸

 ただ、先ほど確認したら、

ただし、平日(土曜日を除く。)の9時30分から11時までの時間帯及び16時以降の時間帯に限り、登録利用者の方は予約なしで入館できます。なお、滞在時間の制限はありません。

 ..となっていた。つまり、平日の11時までに到着すれば、1日中滞在していられるのである。これは朗報。(従来はフリー入場時間帯は、16時以降のみだったのである。)私は国会図書館には、基本的に常に開館時刻(9:30)に着くことにしているので、事実上、抽選予約の必要がなくなったわけだ。よしよし..

 ..あ、そか。

 そういうことなら、利用者が少ないほうが出納が早くて助かるので、これ以上、制限が緩まない方がいいな。[^.^](← 鬼畜。[;^.^])

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*2021年10月28日:「秘密 異形コレクション LI」


 秘密 異形コレクション LI」(井上雅彦編、光文社文庫)、読了。ある程度踏み込んだ感想も書いているが、ネタバレには該当しないという判断の上である。[_ _]

 「壁の中」(織守きょうや)−「黒猫」のバリエーション(オマージュに近い)であるが、素晴らしい。トリガーとなった女の来訪は妄想だったのかもしれないなど、むしろよくある展開なのだが、まとまりがいいのだろう。後半の展開はともかく [;^J^]、小説家の悪夢としての序盤はリアル。「私の座敷童子」(坂入慎一)−家を守るというよりは、消せない/逃げられない「呪い」としての座敷童子。「インシデント」(黒澤いづみ)−コロナをうまく料理。リモートで覗いているのを勘づかれてしまったか、という恐怖は、現実のツールのバグ(あるいはマルウェア)としてリアルである。「死して屍知る者無し」(斜線堂有紀)−傑作。動物への転生を信ずる閉じたコミューンにおける、主人公の少女の「認識の恐怖」。「胃袋のなか」(最東対地)−留守電メッセージのみで構成された作品。つまり、電話「線」を伝わっていくのだ。絡新婦(じょろうぐも)の「狩り」が..「乳房と墓」(飛鳥部勝則)−一種の吸血鬼ものだが、本当の怪物は語り手か、いやいや実はやはり、と、何度も逆転する。

 「明日への血脈」(中井紀夫)−「石の血脈」(半村良)系の作品かと見当をつけながら読み進めたのだが、もう少し穏やかで平和な話であった [;^J^]。現世人類を否定していないところがよい。「夏の吹雪」(井上雅彦)−手の込んだ雪女幻想。「蜜のあわれ」(櫛木理宇)−多重に繰り返される性転換と近親相姦願望のアラベスク。「霧の橋」(嶺里俊介)−濃霧の中を走る車中で、可能性のある(あった)時間線へと切り替わってゆく。「貍または怪談という名の作り話」(澤村伊智)−日野日出志版ドラエモンを想起 [;^J^]。「嘘はひとりに三つまで。」(山田正紀)−洒落た構成のハードボイルド(なのかな)。「生簀の女王」(雀野日名子)−諸星大二郎の、人魚と鮫の話を想起。「風よ吹くなら」(皆川博子)−幻想的スケッチ。こんな作品を(たまに)書きながら生きてゆく人生を、遥かな過去に夢見ていたことがあったような(遠い目)..「モントークの追憶」(小中千昭)−陰謀論とフェイク陰謀論を大量投入。「世界はおまえのもの」(平山夢明)−呪いのメカニズムがわかりにくく、読み返してしまいました。[;^J^]

 それはそうと、この書物のタイトル、「秘密 異形コレクション LI」の「LI」、あなた読める? [;^J^]

 これは、ローマ数字で「51」を表しているのである。(Wikipedia 参照。)これを読める人は、珍しいんじゃなかろうか。本屋さんに「異形コレクションの第51巻、入ってますか?」と訊いても、探し出せないんじゃないだろうか。[;^.^]凸

 アイザック・アジモフも「忘れちまえ!」というエッセイ(「時間と宇宙について」(山高昭訳、ハヤカワ文庫)所収)の中で、このような無用の知識は残す必要はない、と息まいていますが [;^J^]、ま、「無用の装飾」としては、悪くないんじゃない? [^.^] 本屋さんに迷惑かけちゃいけないけどさ。[;^J^](もっとも、前記 Wikipedia を読むと、たしかに意外に多くのシーンで使われていますね、ローマ数字。)

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*2021年10月29日:「暗い酒」


 かつての私は、浜松の街中の居酒屋に、ほぼ連日通っていた。日記を調べてみたら、だいたい9年前ぐらいまでか。もちろん晩飯晩酌目的だが、同時に、読書の時間でもあったのだ。カウンターに本を何冊も積んで「誰も話しかけるなよ」オーラを発しつつ、もくもくと読み、もくもくと飲み食いしていたのである。

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 ちょうど、吾妻ひでおの「暗い酒」(『ミニティー夜夢』所収の1コマ漫画、1984)のように..この漫画になんとなく影響を受けていたということは、大いにあり得る。当然、こんなやつは、店の中を見回しても、ただのひとりもいなかった。

 今にして思うと、当時の方が遥かに読書がはかどっていた。この環境のほうが、集中できていたのだ。読書量を復活させるためには、居酒屋通いを再開すべきなのかなぁ..[;^J^]



 さらに言えば、読書だけではない。リブ100などのノートパソコンで書き物をしながら、飲み食いしていたのである。(「誰も話しかけるなよ」オーラを発しつつ。)スマホ以前の時代、こんなやつはもちろん、店の中を見回してもひとりもいなかったのであった。[;^J^]

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*2021年10月30日:某オンラインオフ


 市役所で期日前投票。やや早めの昼食は、らーめん豚鬼で、味玉和豚。湯風景しおりで日光浴。快晴で暖かくて快適だが、もはや汗は流れない。志都呂イオンのユニクロで長袖のカラーシャツを2着買ってから帰宅。

 酒とつまみの準備をして、18時から、ZOOMで某オンラインオフ。先週の日記 で準備風景をご紹介した、ノンリアルタイムアンサンブルを楽しむオフである。とはいえそれは(ほぼ)最後の出し物であって、前半は歓談、中盤はビンゴ大会。ZOOMでの音声の共有が一筋縄ではいかないこともわかった。ちなみに私はサティであった(説明略)。

 最後に、各自が提出した各パートの演奏動画を合成した映像を流した。タイミング合わせやレベル合わせはやはり難しかったようで、完成度など言うだけ野暮だが、もちろん、オフなので、なんの問題もない [^J^]。それよりも、映像と音声のミキシングが面白そうで、自分でやりたくなってしまったことであるよ。[^.^][;^.^]

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*2021年10月31日:「曾我蕭白 奇想ここに極まれり」


 バスで浜松駅へ。7:55に発つJRで、金山へ。さらに地下鉄で栄へ。9:40過ぎに、愛知県美術館。10:00から、「曾我蕭白 奇想ここに極まれり」(前期:〜10月31日(日)まで、中期:11月2日(火)〜11月16日(火)まで、後期:11月17日(水)〜11月21日(日)まで)である。既に何度か観ている作品が多いのだが、逆に言うと、主要作品がたくさん来ているのである。

 「プロローグ 奇想の絵師、蕭白」では、まず、「群仙図屏風」幻想美術選)!! [^.^] なんど観ても見飽きることが無い、異常な傑作である。「雪山童子図」画像検索結果)も、少なくとも1回(もしかすると数回?)実物を観ている。この童子(修行中の釈迦)が、妙にエロいのである。[;^.^]

 「第一章 水墨の技巧と遊戯」「富士三保松原図屏風」は、画像検索結果 から探すよりも、この展覧会の ホームページ を見ていただくほうが話しが早い。右から「春」「夏」「秋」「冬」の情景なのであるが、「夏」の「龍」が面白い。そしてまるで南極の氷山ごとき、富士山のふもとの樹木の雪! 「柳下鬼女図屏風」幻想美術選)は、「顔は誰かに消されたほど怖い」というキャプションを読んで、ハッとなった。確かにこの顔が「造作がよくわからないほど歪んでいる」ところが、この作品の恐さの根幹なのであるが、そう思ってよくみると「破かれた痕」がある! だからなのか! これは複製ではわかりにくい。実物も何度か見ているはずだと思うが、気がついていなかったなぁ..それにしても、破いてしまうとは、どれほど恐ろしい顔が描かれていたのだろうか..[/_;][/_;][/_;] 「林和靖図屏風」も、 ホームページ をどうぞ。文人のなんとも怪しげな目つきが、素敵である [^.^]。「鷲図屏風」画像検索結果)の、鷲の力強さ!!

  「第二章 ほとばしる個性、多様化する表現」。一連の「旧永島家襖絵」のうち、「竹林七賢図(旧永島家襖絵)」画像検索結果)には親しんでいるし、「松鷹図(旧永島家襖絵)」画像検索結果)にもなんとなく見覚えがあるが、「山水図(旧永島家襖絵)」画像検索結果)などは、もしかすると初見かもしれない。「唐獅子図」画像検索結果)も有名な作品だが、私が(確か千葉の美術館で)観たことがあるものとは別バージョンのようだ。そちらの版では、獅子が蝶に驚いてのけぞっている [^.^] のだが、本作には、蝶がいない。

 「第三章 絵師としての成功、技術への確信」「松に孔雀図襖」画像検索結果)は、白と黒のコントラストがはっきりとしている松の木と、淡い白で描かれている孔雀の対比が面白い。

 「第四章 晩年、再び京へ」「楼閣山水図屏風」画像検索結果)は、差し色が効果的。

 12:05に発つ。帰途、うっかり名古屋に出てしまった [;_ _]。在来線で浜松に帰るのなら、金山で乗り換えなければならないのだが、今さら移動するのも面倒なので、このままひかりで浜松へ。多少は早く着いたが、運賃の差額に値するほどではなかったと思うぞ。[;_ _]凸

 駅前広場が、やけに混雑してるなぁ..へんなコスプレしてる女子もいるし..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 5 2021
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