2021年11月01日:「ヘロストラトスの名声」 2021年11月02日:幻想美術選「天文台の時刻に――恋人たち」マン・レイ 2021年11月03日:久々の浜名湖一周サイクリング 2021年11月04日:ヒロシ、キャンプが嫌いになったってよ [^.^] 2021年11月05日:電子メディアの“永遠性”について 2021年11月06日:ももクロChan オンラインプレミアムライブ 2021年11月07日:「DUNE/デューン 砂の惑星」目次へ戻る 先週へ 次週へ
(承前)昨日浜松駅前広場がやたらと混んでいたのはハロウィンだからだということに気がついたのは今朝になってからなのであった。[;_ _]
閑話休題。[;^J^]
京王線で、刺傷&放火事件。嫌な事件なので記事へのリンクも省略するが、この事件に関して、ある人が、「こういう事件が起きると、模倣犯が出現するが、ニュージーランド首相が凄惨な事件が起きた際「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」と意思表明したのを思う」、と、ツイートしていた。元ネタ記事は、多分、これである。→「ニュージーランド首相、銃撃犯の名前は今後一切口にしないと誓う」(BBC NEWS JAPAN 2019年3月19日)。「皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください。男はテロリストで、犯罪者で、過激派だ。私が言及するとき、あの男は無名のままで終る」。
そして、ご存じの方も多いだろうが、これにはさらに出典(というか先例というか)がある。「ヘロストラトス(Wikipedia)」である。古代ギリシアで、「自分の名を不滅のものとして歴史に残すため、最も美しい神殿に火を放った」男だ。もちろん処刑されたが、それも彼の望むところだったのである。
..と、こう書くと、いかにも雑学を誇っている風だが、とんでもない [;_ _]。小学生時分に亡父から、「昔、ギリシアに、単に有名になりたいというだけの理由で神殿に放火した男がいた。市民も政治家たちも怒って、彼の名前を歴史から抹消すると決めたにも関わらず、「こんな愚か者がいた」という形で、その名前は残ってしまった」、と教えられたことを、ずっと憶えていただけのことである。そして神殿の名前までは憶えておらず、「パルテノン神殿じゃなかろうし..」、などとさんざん悩んだ挙句、結局、「神殿 放火 名を残す」でぐぐって、前記 Wikipedia にたどり着いたという体たらく。[;_ _][;^J^]
それにしても、「その名を口にした者も死刑にして彼の名を歴史から抹殺することを決めた」にもかかわらず、あるいはそこまでの苛烈な措置によって逆に悪目立ちして?後世の歴史家たちの興味をひいてしまい、彼の名は歴史に残ってしまった。私は知らなかったのだが Wikipedia によると、「英語では「ヘロストラトスの名声」(Herostratic fame)という言い回しがあり、「どんな犠牲を払ってでも有名になる」ことを指す。」..成句までできてしまったということは、まさに不滅の名を手に入れたということである。
今にして思うと、父が私に伝えたかったのは、この男の「愚行」それ自体ではなく、(名を残したいという)この男の思惑どおりにさせてたまるか、という人々の努力によって、逆に彼の望みを叶えてしまったという、「歴史の皮肉」だったような気がするのである。
目次へ戻る「幻想美術選」、第272回。好事家にはよく知られている作品なのであるが、やはり知らない人の方が、圧倒的に多数派であろう。[;_ _][;^J^]
Man Ray(1890〜1976、Wikipedia)の業績のスペクトルは、多彩である。幻想美術の範疇に限っても、レイヨグラフ(Wikipedia、画像検索結果)、ソラリゼーション(Wikipedia、画像検索結果)、オブジェ(画像検索結果)等々、どれをご紹介しようか迷い続けたのだが、結局、このタブローを取り上げることにした。シュルレアリスムのあらゆる絵画作品のなかでも、特に鮮烈な印象を与える傑作である。(制作年が併記されているのは、後年になってリトグラフ化されたから。)
遠方、左にふたつ並んで見える天文台のドームは、たしかに女性の乳房を思わせる。また、この実に艶めかしい唇の形状それ自体が、抱き合う恋人を想起させる(と、マン・レイ自身が語っている)。また、天文台から宇宙つながりの連想で、UFOに見えなくもない(と、これは、倉田の単なる思いつきである。[;^J^])
この絵の面白い点、特異な点、みどころなどなどを書こうとして、10回近くも途中で文章を棄ててしまった..要するに、説明できないのだ。
ただ、不安なざわめきだけが、心に残るのである..
目次へ戻る快晴。最近は週に2回ぐらいは自転車通勤できているし、そろそろ運動不足のリハビリもすんだだろう(多少の無理は大丈夫だろう)、と、数年ぶりに浜名湖一周100キロサイクリングを行うことにした。
8:35に出発。アスリートではないし、平均時速が25キロを越えないぐらいの、ポタリング(Wikipedia)に毛が生えた程度のペースである。9:15に、浜名湖南東端にほど近い雄踏総合公園前の信号に着いた。ここを起点として逆時計回りに、できるだけ浜名湖の岸辺に近いところを走っていくのだが、浜名湖というのは、Wikipedia の写真(と線図)を見ていただくとおわかりのとおり、かなり複雑な形状をしている。複数の湖の集合体と言ったほうがいいぐらいだ。右の掌をこちらに向けた形になぞらえると、まず、親指に相当する「庄内湖」を一周し、「庄内半島」の西岸を北上していく。
10:45、舘山寺温泉。昨春からコロナ禍で休業していた、このエリア最大のホテル、「ホテル九重」の閉館・解体が決まっている。まことに残念だが、コロナ禍は最後の一押しに過ぎず、そもそも長期低迷傾向であったとのこと。団体旅行客に過度に依存した、昭和平成型バブル型のビジネスモデルから脱却できなかったことが原因であると指摘されている。
そういえば、このエリアには「浜名湖舘山寺 美術博物館」という小さな施設があり、一度訪れてみたいと思っていたのだが、いつの間にか閉館していた。[;_ _]
「みをつくし橋」を渡り、天浜線の西気賀駅(無人駅)の構内にある「グリル八雲」に着いたのが、11:35。約1年前の小旅行(2020年10月31日:ぶらり天浜線)でこの駅に降りたときには、営業時間外だったのだ。シーフードセットを注文して、しばし休憩。次回はビーフシチューを試してみよう。
12:35に発って、西へ向かう。大崎半島の南下が間違えやすいポイント。例によっての私のクセで、地図(マップ)を確認せずに記憶だけで走っており、ここまでは記憶通りだったのだが、この大崎半島が難所で、湖の沿岸をなめて走ろうとするのだが、何かのはずみで、湖岸ではなく内陸の方に入り込んでしまうのである..というか、入り込んでしまった [;^J^]。いい感じに鄙びた農村地帯。「毛細血管道路行き止まり攻撃」「ここから先は私有地です侵入すると通報します攻撃」をかいくぐって、なんとか湖岸に脱出。[;^J^]
大崎半島の南端の先にある、浜名湖唯一の島である礫島を愛でつつ大崎半島の西岸に回り込んで北上し、「薬指」の場所にある「猪鼻湖」を反時計回りに回り込んで、天浜線の三ヶ日駅。西気賀駅と緯度が「北緯34度48分09秒」、と、秒の単位まで同じ [;^.^] なのだが、ここが浜名湖の北端である。
ここから旅程の後半、というか終盤に入る。あとは国道301号(Wikipedia)を、浜名湖の西岸に沿ってひたすら南下する。弁天島駅で左折して北上。「浜菜坊」を通りすがり(出発が早いときは、ここで昼食にすることが多い)、県道323号(舘山寺弁天島線)に乗って雄踏大橋をわたり、15:30に、雄踏総合公園前の信号に帰り着いた。朝、この信号を発ってからここに戻るまで、87キロ。これが浜名湖一周の距離である。この前後の、自宅までの往復距離を足して、トータル110キロというわけだ。このあと、ハードオフに寄るなどしてから、帰宅したのが16:40。
それにしても..
手首が痛い尻が痛い膝が痛い手首が痛い尻が痛い膝が痛い手首が痛い尻が痛い膝が痛いー!![/_;][/_;][/_;] ..「そろそろ運動不足のリハビリもすんだだろう(多少の無理は大丈夫だろう)」などと、朝っぱらからボケをかましていたのはどこのどいつだ! → [;_ _][;_ _][;_ _]
ここは体が求めるままに自然に健全に、酒を浴びるように飲んで早めにバタンキューしたら、目が覚めたのは、21:45 [;_ _]。いったいこれから朝まで、どうしろと..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
目次へ戻るソロキャンプブームの火付け役にしてそのシンボルである、ヒロシ。昔から彼のファンだった私は、彼の YouTube こそ見ていないが、BSで放映されている「ヒロシのぼっちキャンプ」シリーズはかかさず視て、すべて録画している。(BDを買うことまではしていないが。)
そのヒロシが、とあるメディアでのインタビューで、とうとうキャンプが嫌いになったと、衝撃の告白をしている [^.^]。「暖かいフトンで寝るほうが気持ちいい」そりゃそうだろう [^.^]。心ゆくまでひとりキャンプが楽しめるようにと、自分でそれ用の山を買って整備するほどのキャンプ好きであるとしても、自分のペースとは無関係に、さまざまな企画に引っ張りだされ、キャンプを「やらされ」てはね..
ま、「趣味」を「仕事」にしてしまったものの末路だ [^.^]。せいぜい頑張ってくれ(あるいは、ヒロシなだけに、頑張らないでくれ、かな? [^.^])
目次へ戻る高橋葉介が、「KAWADEムック 文藝別冊 総特集 高橋葉介 大増補新版」のインタビュー記事の中で、「データの原稿って怖くないですか。消えるときは一瞬で消えちゃうでしょう? なんだか信用できないような気がする。石に刻まれたエジプト文字って3千年もってるでしょう。今のディスクって3千年もつと思います?」、と言っている。電子メディアよりも紙メディアの方が信頼できるという感覚は正しいし、実際問題「3千年」どころの騒ぎではない。光メディアは、高々数十年。HDDは、10年もてばラッキーと考えるべきである(※)。電子メディアは、ある意味、紙、木、石(あるいはレコード盤)のようなアナログメディアよりも、遥かに儚く脆いのだ。
※ 無論、一概には言えない。CDの寿命は30年(すなわち、1985年頃から発売されたもっとも初期のメディアは、既に読めなくなっている)とされているが、私がその頃に購入した多数のCDを検査・試聴した限りでは、30〜35年もののメディアのうち、問題を起こしていたのは1%以下。それも、メディアの劣化というよりは(おそらくは)黴である。とある識者によれば、温度湿度管理がきちんとされていれば、CDは30年よりも遥かに長持ちするとのことである。
ただし、電子記録には、「無劣化の完全コピー」ができるという、本質的かつ決定的な強味がある。メディアの寿命が迫ってきたら、次の新品メディアを調達して「完全コピー」すれば、文字通り「生まれ変わる」のである。
もちろん、フォーマットは(急速に)移り変わる。jpg、mpg、m2ts、bmp等などのこんにちメジャーなフォーマットの電子データも、いずれは廃れ、再生できなくなる。しかし、その移行期には、必ず「変換手段」が提供される。(メジャーなフォーマットでありさえすれば。)そのとき、手間を惜しまずに全部「新フォーマット」に変換してしまえばいいのだ。(手間が惜しければ、業者やアルバイトを雇って金で解決する、というのも、よい考えである。)こうして、保持体(ハードウェア)を渡り歩いていくことによって、デジタル記録は「永遠性」を確保すると言えるのである。
ついでながら言うまでもなく、「永遠」にも、いろいろある。字義通りの「永遠」ならば、それを獲得するのは、ちょっと難しいかもしれない。なにしろ、地球が、あるいは宇宙すら消滅する超遠未来になったとしても、まだ「永遠」よりはだいぶ手前だからね [^.^]。まぁ、「永遠」を「人類史が終わるまで」と定義しなおせば、それまでの期間の半分ぐらいは、「電子記録」は「もつ」かもしれないね。
しかし現実問題として、私やあなたが「電子記録」をそれほどの未来にまで残したい(もたせたい)と思うだろうか? それより遥かに近い未来、たかだか「孫子(まごこ)の代」まで残せれば、十分なのではあるまいか。自分の残した記録を、自分の子孫に見てもらいたいという欲望は、あるであろう。(実際には、父祖(先祖)の残した記録になんか興味をもたれはしないのだが、そんなことはおいといて。[^.^])ならば、「100〜200年」といったところだろうか。この程度の期間ならば、無理なく電子記録を「もたせる」ことができるはずだ..もちろん、自分の死後、子孫が延々と「フォーマット変換」をし続けてくれればの話だ。これはハードル高いよ。やってくれないよ。すぐに再生不能になるよ。[^.^]
そしてもっとも射程距離が短い「永遠の定義」が、「自分が死ぬまで」である。これなら楽勝。なにしろ(体が動く限り、あるいは資金が続く限りという条件はつくにせよ)自分の手でフォーマット変換し続けられるのだからね。
目次へ戻る曇天。昼前に発ち、12:00、ホテルコンコルド。久しぶりに、ピーロートのワイン試飲会である。琴線に響く味のワインは少なかったとはいえ、ちょっと面白いのがあったので、2種9本を発注。
18:00から、「テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ」。有料の生配信であるが、実はこの類のコンテンツ(のチケット)を購入するのは初めて。「ライブ」と銘打たれているので、歌が主体なのかと思っていたが、それは数曲どまりで、基本はバラエティ番組であった。
ゲストとして、早見あかりも(リモートで)登場。いつの日か、有安杏果がゲスト出演できる日が来るのだろうか..
目次へ戻る昼前に車で出る。昼食は「青空きっど 零壱」でつけ麺。サンストリート浜北。
サイゼリヤで時間調整をしつつ、横浜の家をリフォーム(改築)したあとに設置する可動書架の検討を進める。現時点で心づもりしているメーカー(機種)以外のコンペティタのカタログも調べて、相見積もりを依頼するためである。なにしろおそらく、500万円を越える買い物になりますのでね。
18:15から、3Fのトーホーシネマで、「DUNE/デューン 砂の惑星」。
..ふむ。これは、大変よいものである。原作のスケール感が、確かに再現できている。サンドワームなどのビジュアルも(そして音響も)素晴らしいが、なんといっても、俳優陣がよい。特に、主役のポール・アトレイデスを演ずるティモシー・シャラメは、本当にイメージどおりで、驚いてしまった。この映画全体に漂う「高貴なムード」は、間違いなく、彼が支えている。
やはり触れないわけにはいかない、かつてのデヴィッド・リンチ版。いくつかのシーンは鮮明に憶えているし、いいところもあったと思っているが、なんとしても特に後半、あまりにも駆け足すぎて、あれよあれよという間に終わってしまったという印象であった。今回は、この長尺でしかも「第1部」が終わったにすぎないので、その弊は免れている。逆に、こんにちのハイテンポな映画を見慣れている目にはまだるっこしく映るのではないかと懸念されている向きもあるようだが、どうだろう。私は、もっとゆったりと進めてもいいと思っているのだが..
なんにせよ、続編が楽しみだ。[^J^]
ネットニュースによると、Twitter の仕様が変わったとのこと。最新順に検索できくなったらしいのだが、私は未確認である。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Nov 11 2021
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