*2020年06月08日:幻想美術選「森」ポール・デルヴォー
*2020年06月09日:「盲腸になるぞ」
*2020年06月10日:梅雨入り
*2020年06月11日:「風とともに去りぬ」配信停止
*2020年06月12日:「いつでもできることを..
*2020年06月13日:テレ朝動画のももクロChan
*2020年06月14日:これは不倫ではないね
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2020年06月08日:幻想美術選「森」ポール・デルヴォー


 「幻想美術選」、第199回。私はこの画家を、溺愛しているのである..

Picture

「森」(ポール・デルヴォー、1948年)

 夜明け見捨てられて忘れられた街に続く、4回目のご紹介。どうして何度も紹介するんだ、と訝るのならば、これらのリンクをいちいち開いていただきたい。どうです、素晴らしいでしょう..(ここで肯かないあなたとは、友だちにはなれません。[_ _][;^.^])

 デルヴォーとしては、やや珍しい画面である。彼の典型的な作風は、(多くの場合)南欧がかった廃墟や、無人の街並み、あるいは屋内に佇む、無表情な裸婦たち..というものなのだが、ここでは、画面全体を埋め尽くす、ほとんどジャングルに近い「森」の中に、微妙な笑みを浮かべている眩いばかりの白い裸身。いっけんして、アンリ・ルソーを想い出しかけるが、すぐに違いに気がつく。ルソーの森やジャングルには(稚拙な筆致なりに)「熱」があるのだが、ここは、冷えびえとしているのである。(木々の向こうに見える満月の輝きが、温度をいっそう、奪っているかのごとくである。)

 そして画面左奥に去り行くのは、デルヴォーの(ほとんど)オブセッションとも言える、「列車」である。「裸女」と「列車」の組み合わせから、フロイト流の解釈を引き出したければ、ご自由に。しかしそれはおそらく「邪推」であろう。デルヴォーの「列車」は、彼の少年時代への、純然たるノスタルジーの産物なのである。

 それにしても、なんと蠱惑的な、色彩の交響詩であろうか..

*目次へ戻る


*2020年06月09日:「盲腸になるぞ」


 私が小学校低学年のみぎり(半世紀以上昔のことだが [;^.^])、けっこうしばしば、「(そんなことをすると)盲腸になるぞ!」、と、親に叱られたと記憶する。(「盲腸になるぞ」は、もちろん、「盲腸炎になるぞ」の意。)たとえば..

 髪の毛を呑み込んだとき。スイカの種を飲み込んだとき。えーと、あともうひとつなんかあったかな [;^.^]。とにかく、何かを子どもにやめさせたいときに、「もうちょうになるぞ!」が、キラーワードだったのである。当時は難病だった..わけでもあるまい [;^J^]。要するに、子どもを脅すのに「わかりやすい“病気(手術)”」だったからであろう。「おへそを雷さまに取られるぞ!」、と、同じである。

 それにしても、「髪の毛」を飲み込むべきでないというのはわかるが、「スイカの種」を食すことを、なぜ、咎めたのだろう..[?_ _][?_ _][?_ _]

*目次へ戻る


*2020年06月10日:梅雨入り


 中国・近畿・東海が、梅雨入りである。昼から雨。これからは、自転車通勤できない日が多くなる。そうでなくとも、ほぼ隔日でテレワークなのだ。運動不足になる一方ではないか..[;_ _][;_ _][;_ _]

 聖悠紀、パーキンソン病と公表..

*目次へ戻る


*2020年06月11日:「風とともに去りぬ」配信停止


 さすがは梅雨だ。本格的な雨。東北南部、北陸、関東甲信、九州北部も梅雨入りとのこと。

 「風とともに去りぬ」、配信停止。ついに来たか..正直、意外ではなかった。

 この映画を最初に観たのは遥かな昔(もしかすると未成年の頃)であり、ストーリーの細部はろくに憶えておらず、もっとも印象的だったのは、言うまでもなく圧倒的なあの音楽と、ヒロインの「故郷へ帰る!」という強い意志だったのだが..のちに(多分、20世紀末の頃)、誰の文章だったかは忘れたが(唐沢俊一だったかも知れない)「なぜか問題にならないが、「風とともに去りぬ」はKKKの話なのだが..」というのを読み、あれ?そうだったっけ..と、軽く調べなおしたことがあった。

 20世紀末には(まだあまり)問題になっていなかったとしても、その20年後には、もはや不問に処すというわけには行かなくなってしまったということだ。このニュースにつけられたコメントを拾い読みしていると「そりゃ確かに、黒人の描き方には問題があるかも知れないが、時代背景を考えれば..(配信停止にすることはないだろう、ひどいじゃないか..)」という論調が数多くあり、おっしゃることはまことにもっともであり、理解もできるのだが..この映画の場合は、そう簡単にスルーできないのだ。

 私が理解する限りにおいては、より問題なのは、「黒人の差別的な描き方」ではなく、「KKK(の思想)を、肯定的に描いている」ことだからである。これは、かなり痛い。「KKK(の思想)」が「過去の遺物」ならば、「歴史の記録としての意味もある」と言えば言えるのだが..もちろんご存知のとおり、ちゃきちゃきの現役の団体であり、思想なのである。そう簡単に「作品は作品!」、と、割り切ることはできないのである..

*目次へ戻る


*2020年06月12日:「いつでもできることを..


 ..今やる必要はない」。論理的に、完璧に正しい。

 だからこそ、私はこの「呪縛」から逃れられないのだ [;_ _]。なぜなら私は論理的な思考の持ち主だからである..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

*目次へ戻る


*2020年06月13日:テレ朝動画のももクロChan


 うすうす気がついていたのだが..既に500本を越えている(2010/11/26 以来の)テレ朝動画の「ももクロChan」のアーカイブ。地上波/BSで既に視ている回も、ほぼすべて、「地上波未公開パート」が、大量に含まれている。それも、「きめ細かく」差し挟まれている(というか、地上波版が、きめ細かくカットされている)のである。これでは..結局、全部、みなおすしかないではないか..[/_;]

 しかも、1回25分〜30分かと思っていたら、さすがはネット配信番組。なんの制約もないので、しばしば40〜50分。70分越えの回だって、ざらにある [/_;]。恐いので計算していないのだが、全部みなおすのに、一体、どれだけの月日がかかることか..[;_ _][;_ _][;_ _][/_;][/_;][/_;](← いろいろ間違ってる。[;^.^])

*目次へ戻る


*2020年06月14日:これは不倫ではないね


 前回の散髪からちょうど3ヶ月空いたので、湯風景しおり内の髪工芸。予約は9:30だったのだが、少し早めに行き、早めに始めてもらえ、早めに終わった。野天風呂とサウナで軽く暖まり、ゆっくりしてから、昼過ぎに帰宅。

 ..せっかくさっぱりしたのに、鬱陶しいニュース..[;_ _] 渡部建の不倫報道。「不倫」と騒がれているが、ざっと読んだ限りでは、これは「不倫」でも「浮気」でもないね。

 「排泄」だろう。(トイレなだけに(すみません。[_ _]))

 ..まぁ今さら、何かを書くのもな。(必要以上に)厖大な量の言葉が流され終わっているしな。(まだまだ流されるんだろうしな。)だから、気になったことを、ひとつだけ。

 もちろん案の定、「告発」した女性たちに対する猛烈なバッシングが始まっている。「男も悪いが女も悪い!」「バカじゃないか!」「妻帯者と知りながら不倫した以上、被害者ではなく加害者だ!」、等などと。それら個々の主張はいちいち正しいが、実のところその「正しさ」は、問題にならない。はっきりいって、どうでもいいのだ、彼女らが加害者だろうが被害者だろうが。

 本質的に重要なのは、「この告発によって、彼女たちはまったく得しないどころか、損しかしない」、ことなのである。

 金銭的なメリットは、ない。文春は(文春に限らず他の週刊誌でも同じだと思うが)「タレコミ」には高々1万円しか払わないという。あるいは、まったく払わないか 。(10万、20万と払ってしまうと、ガセネタを持ち込む輩が続出するので、告発の真実性を担保するために「金銭的メリット」を与えないのである。)だから文春に「売った」とは言えないのである。それよりは渡部建から(定期的に)1万円をもらい続けるほうが、金銭的には得だったのである。これが昭和時代なら、「私は渡部建の肉●器だった!」(下品で失礼 [_ _])などという告発本を出版して小銭を稼ぐこともできただろうが、令和の御代には考えられないしね。だからもちろん、売名でもない。

 それどころか、彼女らには苛酷な運命が待ち構えているのだ。「不倫相手」として告訴される。ネットリンチ。住所氏名が特定されて晒されたが最後、物理的な攻撃。最悪の場合、自殺に追い込まれる可能性すら、ある。

 「まったくなんのメリットもないのに、これほどのリスクを背負ってまで、告発した」という事実は、極めて重い。「女の誇りのない人たち」、などと、高みからおっしゃっている「大物」もいるようだが、リスクも顧みない命懸けの行動をとっているのだ、「誇りなんぞは犬に喰わせろ!」、という心境なのだろう。それほどの怨みをもって、攻撃しているのだろう..

 ..先週末から今週にかけて、「渡部建バッシング」がまさに爆発したのは、もちろん、「安全地帯から安心して叩ける、絶好の」対象(サンドバッグ)だからである。私が常日頃から「もっとも卑しい」と蔑んでいる行為である。私自身はここまで極力、客観的に書いてきたつもりであるし、渡部建に対する理不尽な(不必要な)攻撃はしていないはずである..が、いつかは必ず、筆が滑る。なんのリスクも責任もない立場であることに安心しきって、「公共の敵・渡部建」を、かっこうの娯楽(気晴らし、鬱憤ばらし)として嬲る..という、卑劣極まりない行為(※)に足を踏み入れてしまうという「危険(リスク)」は、常にあるのだ。

 だから、ここまでとしておこう。


※  顔をさらし実名を出して渡部建を批判している人たち(キャスター、コメンテーター、芸能人、評論家、などなど)を指しているのではないことは、言うまでもない。
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 18 2020
Copyright (C) 2020 倉田わたる Mail [kurata@rinc.or.jp] Home [http://www.kurata-wataru.com/]