2019年01月14日:幻想美術選「ソドムとゴモラの滅亡」ジョン・マーティン 2019年01月15日:有安杏果、活動再開 [^J^] 2019年01月16日:さらば、ヨコジュン.. 2019年01月17日:Y君の通夜 2019年01月18日:生命保険、見直し 2019年01月19日:日本を変えた千の技術博/廃墟の美術史 2019年01月20日:親族の会食目次へ戻る 先週へ 次週へ
「幻想美術選」、第145回。この画家は4回目の登場であるが..
..「天国の平原」「万魔殿に入る堕天使たち」「神の怒りの偉大な日」に続けてご紹介するこの作品。スキャンをしくじって傾けてしまったのではない。最初から傾いているのである [;^J^]。こういう例は、ありそうで案外ない。まったく、人騒がせな..[;^.^]
それにしても、物凄い迫力である。画面を多少傾けただけで、この「大災害」の「尋常でなさ」が、強烈に伝わってくる。よく見ると、左奥に月が見える。空を覆う大火災の噴煙の質感は固く、まるで、滅び行く2都市が洞窟の中にあるかのような、一種の閉塞感をも醸し出している。
この日記の読者ならば、もちろんこの画題を知っているだろう。(まんがいち知らなかったら、こっそりぐぐっとけ。[^.^])画面中央で「塩の柱」と化したロトの妻が、まことに印象的。左手前で逃げて行くロトとその娘たちは、このあと、さらに尋常でない物語を繰り広げていくことになる..
目次へ戻る有安杏果、活動再開。「私、有安杏果は2019年、音楽活動や写真活動などを通して表現し伝えていく活動を始めます」..まぁ、さくっと検索しただけで、いろいろな「裏事情」が山のようにヒットする。ネット情報の常として、真偽不明な(というか判断しようのない)情報が多いのだが..要するに、ももクロから離れたかったということは、事実なのだろう。緑推しだった者として複雑な気持ちがないと言えば嘘になるが、それはそれで構わない..というか、他人が口を出すことではない。(「霧が晴れた向こう側/綺麗ごとだけじゃなかった/..」(灰とダイヤモンド))
ゆっくりと、活動してくれればいい。こちらも、ゆっくりと、応援していこうと思う。いつかももクロと共演する日が来るだろうかって? ..そんなことを考える必要は、ない。
目次へ戻る横田順彌、逝去。享年73歳。死因は、心不全。まだ早い..
古典SF研究、明治文化研究、リリカルなジュヴナイル、明治ものSF..いずれも素晴らしい仕事だが、しかし私にとっては、もちろん、第一義的には、ハチャハチャSFの人だった。筒井康隆とはまったくタイプが異なり、「こんなのありなのか!?」、と、私を瞠目させてくれた人なのである。
自宅を圧迫している、SFマガジンの全巻揃い。しかし、常に変わらぬ愛読者だったというわけでもない。しばらく離れていた時期が数回あり、あとで古本屋で、苦労して「欠落」を買い集めたものだが..おそらく最後の「離れていた時期」から戻った号..ややこしい言い方だな [;^J^]、要するに、久しぶりに手に取った号は、忘れもしない、1978年4月号。幻想美術選の「第72回」で、加藤直之の表紙絵を紹介した号であり、久々のSF小説群に、「そうだよここが俺のホームだったんだよ、なんでしばらく読まずにいたんだろう..」、と、渇を癒したものだったが..その中に横田順彌の「続・中継ステ*ション」が含まれていたのである。多分、これが、彼とのファーストコンタクトだった。仰天した..[;^.^][;^.^][;^.^](ちなみに、次の5月号に掲載されたのが、堀晃の「梅田地下オデッセイ」であり、かくして私は完全に(日本)SFに復帰することとなったのである。)
随分以前から体を悪くされていたことは、存じ上げていた。5年前の日本SF大会(なつこん@つくば)で、「ここがスゴいよ、柴野さん!」という企画(座談会)に出席されていたのを聴講したのが、最後だった。2014年07月20日号にこのときの氏の発言の抜粋を書き起こしているが、今読み返してみても結構面白いので、お暇でしたら、どうぞ。(ただし、柴野拓美を知っているSFファンでないと、ピンと来ない内容かも知れない。)
合掌..
R社同期入社のY君(数年前に退職していた)の訃報も届いた。なんということだ..享年、57歳。早すぎる..
目次へ戻る礼服などを持参して出社。残業せず、手早く着替えて志都呂の会場に直行。Y君の通夜である。
同じ部署で働いたことはない。近くの部屋で働いていたことは、ある。彼の記憶のほとんどは、その笑顔である。笑顔のイメージしかない..
いつも書いていることであるが..亡くなった人は、最後にひとつ、いいことをする。それは、懐かしい人たちと、引き合わせてくれることである。ありがとう..合掌..
目次へ戻る終業後、アポしていたニッセイのセールスが来訪。先日お願いしていた、生命保険の減額の試案を持ってきていただいたのである。
現状、「癌などに罹ったときの十分な手当」のために、結構な金額を支払っていましてね。しかし、半額以下に切りつめると、保証もずいぶん廉価になる。あと数千円足せば、かなりましに。もう数千円足せば、もっとましに..と検討していくと、結局、元に戻ってしまう [;^J^]。高額療養費制度というものもある。ここは冷静に切りつめよう。
目次へ戻る快晴。6:20に自宅を出て、7:19のひかりで上京。9:30、上野の国立科学博物館。「明治150年記念 日本を変えた千の技術博」(〜3月3日(日)まで)である。
これは大変面白いので、お薦めである。私がグタグタ書くよりも、前記のこの展覧会へのリンクから「見どころ」タブをクリックしていただく方がいい。よくもまぁ、ここまでコンパクトにまとめたものである。物品のセレクションは、大変だっただろう。
「見どころ」には挙げられていない物品を補足しておくと、たとえば、「電子式卓上計算機コンペット」。隣の母娘づれが、どうしてこんなにたくさん数字キーがあるのかと不思議に話し合っていたので、理由(使い方)を解説してあげたり [;^.^]。また、「パーソナルコンピューター」でチョイスされていたのは、「ベーシックマスター レベル3」「PC−8001」「PC−9801(初代)」であった。いろいろともの申したい読者は大勢いることと思うが [;^J^]、妥当な選択だと思いますよ、私は。
12:25、退出。渋谷に向かい、Bunkamura 向かいの蕎麦屋で昼食を食べて、13:35、松濤美術館。「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」(〜1月31日(木)まで)である。
「1章 絵になる廃墟:西洋美術における古典的な廃墟モティーフ」では、基本の、ユベール・ロベール。「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」。
「2章 奇想の遺跡、廃墟」では、やはり、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ。「ローマの古代遺跡:古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」は、「幻想美術選」の「第12回」で、紹介している。また、「ローマの景観」シリーズ(画像検索結果)も、基本中の基本である。
「3章 廃墟に出会った日本の画家たち:近世と近代の日本の美術と廃墟主題」では、近年になって知った不染鉄の、「廃船」(画像検索結果)が、凄い。右図は、岡鹿之助の「廃墟」。この人の作品のタッチは、遠くから見ても、すぐわかる。
「4章 シュルレアリスムのなかの廃墟」。ポール・デルヴォーの「海は近い」(画像検索結果)については、以前から苦言を呈している [;^.^] のだが、素晴らしい絵なのに(特に、中央で背を向けている着衣の女性と、右でベッドに寝ている女性)、月を隠している電信柱が、邪魔 [;^.^]凸。ルネ・マグリットの「青春の泉」(画像検索結果)は、かれこれ50年近くも親しんでいる作品。ジョルジオ・デ・キリコ(工房)の「吟遊詩人」(左図)は、おなじみの画題だが、「工房」という表記は珍しい。また、この建造物は「廃墟」なのだろうか..
「5章 幻想のなかの廃墟:昭和期の日本における廃墟的世界」では、まず、浜田浜雄の「ユパス」(左図)。極めて諸星大二郎的なイメージである..もちろん、こちらの方が先だが [;^J^]。今井憲一の「バベルの幻想」(右図)は、スタイリッシュでかっこいい。
「6章 遠い未来を夢見て:いつかの日を描き出す現代画家たち」では、これは京都で観た憶えがある、麻田浩の「旅・卓上」(画像検索結果)。元田久治の「Indication:Shibuya Center Town」(画像検索結果)..この作品以外の、いろいろな作品も検索にひっかかったと思うが、むしろ好都合 [;^J^]。こういう作品(たち)なのである。
野又穫の「波の花」(画像検索結果)は光点群が美しく、同じく、「交差点で待つ間に」(画像検索結果)は、前記ピラネージ作品(「ローマの古代遺跡:古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点」)へのオマージュでもある。「イマジン-1」(画像検索結果)は、富士の絵。左図は、「イマジン-2」。
15:00から16:00まで、野又穫氏の講演。数週間前の日程検討時に、この展覧会に来れるのは、今日しかない、と判明したのであるが、そのとき、この展覧会のHPで、野又穫氏の講演がヒットしたことを発見して、欣喜雀躍したものである。以前から、氏のファンだったのだ。14:30からロビーで整理券を配布とのこと。やな予感がしたので早めに行って正解。既に長蛇の列 [;^.^]。定員80人のところ、50番台の整理券をいただきました [;^J^]。危なかった。[;_ _]
以下、氏の発言の備忘である。メモが間に合わずに情報が欠落しているところが多々あるが、乞うご容赦 [_ _]。
渋谷育ち。
廃墟を描いているつもりはない。現在・過去・未来を意識。
和の環境で育ったので、日本美術は敬遠していた。洋物。
最近、ようやく日本美術も観るようになった。
大学では、SFに出会い、結構、読んだ。
大人になっても、こんなことを考えていてもいいんだ、自由なんだ、と。
子供の頃は、大人になれば、たとえば音楽でも、フォーク → ロック → クラシック(あるいは演歌)、と、いわば成長していくものだと思っていたが、そうじゃなくてもいいんだな、と。
広告代理店では、ひらけポンキッキの、大道具を作っていた(笑)。
デザインの仕事。三原じゅん子を担当したり。
並行して、絵を描いていた。会社を辞めて、わりとすぐに絵で食えた。そんなに苦労をしていない。
バブルだった。初めての個展で、全部、売れた。俺って、もしかしたらすごいのかも、と勘違いもしてみたり(笑)。バブルが崩壊したら、1枚も売れなかったこともある。
東日本大震災で、手が止まった。
朝日新聞に連載が始まる直前だった「エレメンツ」が、描けなかった時代の救いとなった。あの手この手の模索。
スクラップブックを続けている。脈絡なく、貼る。
過去・現在・未来。過去、面白かったもの。現在、面白いもの。これは何だろう?という(未来に属する)もの。
トリミングする、隙間なく貼る、見直す。
「イマジン-1」は、展覧会のエンドロールの背景。富士山の絵。前から、描きたかった。
Q「どこか欠けているモチーフが多いように思うが?」
A「ミケランジェロの彫刻も、どこか欠けている、あるいは未完というものが多い。それが魅力的。都市も、完成はしない。未完の美。」
Q「過去・現在・未来、とのことだが、時間をどう捉えているか?」
A「時間は、奥行き、と捉えている。時間+気配、を、意識している。」
音楽が大好き。いつも音楽を探している。学生の頃、ブライアン・イーノを見つけたり。
(「ミュージック フォー エアポート」はどうか、という質問に答えて)好きです。
デザイナー仲間とも、音楽の話ばかりしている。
アートの話は、しない。
(ガラスの建造物の中の植物の絵についての質問に答えて)エビと藻と、あとなんだったかな..を封じ込めたビオトープ。あれを作ろうと思った。(倉田注:厳密に言うと、ビオトープではなく、ボトルアクアリウムだろう。私の大好きなイメージ/ヴィジョン/コンセプトである。)
16:25、退出。17:50、横浜・上星川のスーパー銭湯「満天の湯」。食事もして、20:25、退出。21:05、横浜・鶴ヶ峰の実家。
目次へ戻る明るい曇天。実家前のバス停から8:16のバス。10:00、横浜霊園。父母の墓参り。
10:32のバスで離脱。時刻表では15分で金沢八景駅に戻れることになっているが、実際には25分かかった。こんなもんだろう。もちろん、織り込み済みである。
横浜駅に戻り、11:40、横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ。3Fの彩龍。12:00からの予約だが、店の外のソファで本を読んでいるのに飽きたので、先に入って読書の続き。10分少々で、あとから残り全員、来た。外で私を待っていたらしい。どうもすみませんね。[;^J^]
亡母の一周忌というわけではないが、親族の会食である。今までは年に一度、正月に実家に集まっていたのだが、これからはそういう機会もなくなりますのでね。
中華料理の店なのだが、回転式のテーブルではない。料理も、ゴリゴリの中華ではなく、インターナショナルな感覚もある。なかなか美味い。
13:40、散会。いったん実家に戻り、忘れていた作業を少し行う。すぐに発ち、新横浜から16:22のひかり。浜松着が、17:31。18:10、帰宅。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jan 26 2019
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