これぞSFの中のSF。ジャンルSFの王道を行く“黄金のSF”である。
この短編集には“空前絶後のアイデア”はなく、文章面から見ても、際立った名文でも個性的な悪文でもない。しかしここで扱われている、アイデアやテーマやガジェットの醸し出す雰囲気が、もうどうしようもなく、SFそのものなのだ。
例えて言うならば、もしも文明が十分に進歩して、これらの超科学や超技術が実現したとして、その世界をありのままに描いても、“こう”はならないであろう。絶対に、ならない。何故ならこれらは、何から何まで絵空事だからである。絵空事が現実よりも強い、極めてまれな例が、ここにある。
こういう言い方も出来る。これらの短篇群の中には、思索を深めることによって、人類とその文明、あるいは宇宙における生命の意味、そういうテーマに発展しうるものがある。小松左京ならば、そこまで持っていったであろう。クラークやレム、あるいはアジモフでも。しかしヴァン・ヴォークトは、そういうことに興味を持たない。また、強烈な社会風刺の刃を秘めたものも、非人類の抒情とでも呼ぶほかない詩情を湛えたものもあり、これらをシェクリイやブラッドベリが描けば、全く異なった様相を呈したであろう。しかしそれらは、ヴァン・ヴォークトの資質ではない。さらに言えば、先述したような小松左京やクラークの作品は、あるいはSFという文脈を離れて(その学術的な思索故に)なおも大きな価値を持つこともあろうが、ヴァン・ヴォークトの作品は、SFとしての価値以外を、一切、持たない。
神の玩具、それがヴァン・ヴォークトの宇宙だ。そしてこの玩具は“ごつい”。確かに“夢想”には違いないが、“夢想”という言葉の響きが連想させる柔弱さは、微塵もない。この力強く強靭な幻想こそ、理想のSFの、ひとつの姿なのだ。
はるかなりケンタウルス(1944)Last Updated: May 23 1996
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