*2024年07月15日:ジャンクを落札 [;^J^]
*2024年07月16日:人間ドック予約/いろいろポチる
*2024年07月17日:グレートウェーブ・インパクト展/デ・キリコ展/写本展
*2024年07月18日:江の島上陸
*2024年07月19日:お洒落というかは知らんけど [;^J^]
*2024年07月20日:来週土曜は大冒険 [;^.^]
*2024年07月21日:幻想美術選「金枝」J・M・W・ターナー
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*2024年07月15日:ジャンクを落札 [;^J^]


 明るい曇天。

 ミサワホームのH氏から電話。先日、11ヶ月点検をしていただいたのだが、修正した方がいい個所がもう一個所あるとのこと。日程について、改めて電話していただくことになった。

 ヤフオクで、リブ100の「ジャンク」を(また)落札した [;^J^]。ACアダプタが無いので電源が入るかどうか不明、というシロモノである [;^J^]。写真で確認できる限りでは、ヒンジのカバーが一部欠損しているものの、「動いても不思議ではない」[;^J^] 状態である。8700円。むろん、動かなくても出品者には責任はない。[;^.^]

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*2024年07月16日:人間ドック予約/いろいろポチる


 夜から残っているポツポツ雨から、やがて小雨へ。終日不安定な天候。

 9:30頃、上白根病院へ。人間ドックの予約である。8月14日。これで約6万円の出費が確定した [;^J^]。10時過ぎに帰宅。雨はほぼ上がっている。

 数ヶ月前から買おうかどうしようか迷い続けていた某画家の画集。なにしろ4万7千円なのだが、前記6万円の出費が確定した勢いで、ようやくポチることができた。[;^J^]

 これだけでは勢いを止められず、追加で アダルト系の 写真集を5〜6冊ポチって、ようやく落ち着いた。[;^.^]

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*2024年07月17日:グレートウェーブ・インパクト展/デ・キリコ展/写本展


 早朝、僅かな霧雨。

 花瓶に挿しておいたコスモスの寿命が尽きた [_ _]。廃棄する。[-人-]

 iPhone のライトニングケーブルを、外出時の携帯用と自宅常備(自宅での充電)用の2本使用しているのだが、どうやら後者が接触不良らしい。コネクタ付近に罅(ひび)が入っているし、これも寿命だろう。買い直さなくては。

 雨はやんで、曇天。暑くなりそう。7:40のバスで発ち、9:15、すみだ北斎美術館。9:30に入館。「北斎 グレートウェーブ・インパクト ―神奈川沖浪裏の誕生と軌跡―」(前期:〜7月21日(日)まで、後期:7月23日(火)〜8月25日(日)まで)である。

 葛飾北斎の「千鳥の玉川図」画像検索結果)は後期展示作品であり、現時点ではパネルが展示されていた。同じく北斎の「芥子」画像検索結果)は、「伸暢感覚」構図の例としての展示。この構図が「神奈川沖浪裏」のルーツのひとつではないか、という視点である。同じく「百物語 さらやしき」幻想美術選)も、「伸暢感覚」構図の例である。

 同じく北斎の「『富嶽百景』二編 海上の不二」画像検索結果)や「波濤図 (高精細複製画)」画像検索結果)等では、波の描法のルーツを探っている。歌川広重の「相州江之嶋岩屋之図」画像検索結果)、歌川芳員の「源義経平知盛霊逢図」画像検索結果)は、神奈川沖浪裏の波の表現の踏襲・展開という文脈。

 しりあがり寿の「ちょっと可笑しなほぼ冨嶽三十六景」画像検索結果)は、メディアでちょっと話題になったような気がするが、記憶違いかもしれない [;^J^]。「太陽から見た富士山」「方舟 その二」など、さすがのクオリティである。齋藤司郎の「江戸絵切子花瓶 神奈川沖浪裏」画像検索結果)、「富士山 BE@RBRICK 400%:葛飾北斎筆冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」画像検索結果)は、立体作品の例。

 三井淳平の「レゴ ブロックで作った神奈川沖浪裏」画像検索結果)は、現物は数万片からなる巨大なもので、展示されているのはそれのミニチュアスケール(縮小版)と、作製風景のビデオ。

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 驚いたのが、ルービックキューブ1080個で作った神奈川沖浪裏である [;^J^]。そうか、あれは、画材として使うこともできるのか。[;^.^][;^.^][;^.^]



 10:55に退出。引き続き、久しぶりに永田町の国会図書館に出向いたら..閉まってる [;_ _]凸。月に一度しかない資料整理休館日(第三水曜日)[;_ _]凸。まったくヒキが強いな、私は..[;_ _]凸

 この程度の蹉跌でめげてるわけにはいかん [;^J^]。即座に上野に転進。昼食は時間重視で、喜乃字屋で月見そば。なにしろこのあと2品は片付けないことには、腹の虫が治まらないからな![;^.^]

 12:35、東京都美術館。「デ・キリコ展」(〜8月29日(木)まで)である。もちろん好きな画家であるが、だからこそ、彼の展覧会は(それなりの規模の回顧展も含めて)何度も観ているし..と、多少の今さら感は否めなかったのだが、なかなかバランスの良い展示であった。

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 「1.自画像・肖像画」のセクションからは、「秋」(1935)。「2.形而上絵画」のセクションからは、まず3点。左から、「大きな塔」(1915?)、「イタリア広場(詩人の記念碑)」(1969)、「塔」(1974)。この「ふたつの塔」の制作年に注目。これが、この画家の大きな特徴であり、問題点 [;^.^] なのである。よくいえば「練り直し/再創造」だが(そしてこの展覧会ではその立場を取っているが)、別の見方もあろう。はっきりとは書かないけどさ。[;^J^]



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 左から、「福音書的な静物T」(1916)、「「ダヴィデ」の手がある形而上的室内」(1968)、「形而上的なミューズたち」(1918)。こうなると、制作年の情報になんらかの意味があるのか、疑わしくもなってくる。[;^J^]



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 「南の歌」(1930頃)と、「不安を与えるミューズたち」(1950頃)。特に後者は有名な作品だが、もしかすると実物を観るのは今回が初めてだったかもしれない。ちなみに拙宅にある画集に収録されている「不安を与えるミューズたち」は、1917年の作品だった [;^J^]。間違い探しかっつーぐらい、同じ絵ですけどね。[;^.^]



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 「4.伝統的な絵画への回帰」からは、「横たわって水浴する女(アルクメネの休息)」(1932)と「風景の中で水浴する女たちと赤い布」(1945)。私はデ・キリコが好きなので、この時期の作品にもそれなりの興味はあるが、正直なところ、「およびでない」という人も多いのではなかろうか。[;_ _]

 「5.新形而上絵画」のセクションから、「オデュッセウスの帰還」(1968)。この作品は、わりと好き。デ・キリコの自伝であることは明らかなのだが、同時に、その画業の旅路(オデュッセウスの放浪に仮託している)が、釈迦の掌ではないが、室内のカーペットの中にちんまりと収まってしまっている、というどこかニヒルで醒めた視点が。



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 立体作品も、面白いものが展示されていた。左から、「後悔するミノタウロス」(1969)、「吟遊詩人」(1970)、「ペネロペとテレマコス」(1970)。



 14:15、退出。14:35、国立西洋美術館。「内藤コレクション 写本 ― いとも優雅なる中世の小宇宙」(〜8月25日(日)まで)である。「写本」の実物をまとめて観るのは、初めてである。

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 左端は、「聖書零葉」。「零葉」とは不思議なタームだが、英語表記を見ると「Leaf from a Bible」である。なんかもやもやする [;^J^]..がまぁ、もやもやしている場合ではなく、細密描写に驚くばかり。ここでは、創世記からの7つのシーンが描かれている。

 右へ、「詩編集零葉」、同タイトルでもう一点、そして、「典礼用詩編集零葉」



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 iPhone で撮った写真ではいまいち伝わらないと思うが、金箔のきらめきが素晴らしいのだ。左から、「「レオネッロ・デステの聖務日課書」零葉」「聖務日課聖歌集(?)零葉」「ガブリエル・デ・ケーロの貴族身分証明書」



 必要以上の(全くもって「必要以上の」)ほとんど偏執的とすら言えるほどの、具象的であったりあるいは抽象的な図形であったりの描き込みの集積を見ると、どうしても想い出すのが、私自身の学童/学生時代の教科書やノートへの落書きである。授業中の暇つぶしに鉛筆で(時にはボールペンでカラーで)こちゃこちゃこちゃこちゃこちゃこちゃこちゃこちゃと、余白を埋め尽くさんばかりに描き込まれた図形や記号たちと、この美しい写本たちは、そのクォリティこそ比較にならないにせよ、確かに同じ世界に属しているように思えるのだ..

 ..つまり、遊んでるようにしか見えないのである(すみませんすみませんすみません..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

 16:50、退出。18:30過ぎ、帰宅。

 一昨日落札したリブ100のジャンクが届いたが、やはり電源が入らなかった [;^J^]。承知の上で買ったのだから、いっさい文句はない。[;^J^]

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*2024年07月18日:江の島上陸


 朝は曇天だが、今日は晴れて暑くなるとのこと。なにしろ梅雨明けだからな![;^.^]凸

 近所の公園の「公園愛護会」のメンバーとして手を挙げていたのだった。今朝は初仕事の、花壇への水やりである。(持ち回りの担当ではなく、気がついた人が水をやる、という、緩いスタイル。)これが結構、大変であった [;^J^]。というのも、備え付けの如雨露(じょうろ)を使うのであるが、これだと時間がかかるのである。自宅ではホースでシャワーモード(や霧モードなど)で水やりをしているのですみやかに終わるのであった。盲点だったな〜。[;^J^]

 7:12のバス。7:35に鶴ヶ峰を発ち、8:24、片瀬江ノ島着。信じようと信じまいと、これほど近くにある江の島に、この歳になるまで来たことがなかったのである(たぶん)。[;^.^]

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 近所を軽く散策してから、9:00、新江ノ島水族館。左から、クリサオラ・プロカミア、アトランティックベイネットル、パシフィックシーネットル。



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 10:25に離脱し、10:40過ぎ、江の島弁天橋を渡って、江の島に上陸。弁財天仲見世通りから朱の鳥居をくぐり、八坂神社からエスカーを経て、頂上の江の島サムエル・コッキング苑へ。



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 11:10、苑内の「LONG CAFE」で、完熟マンゴーとクリームチーズ。コロナビール。美味い。[^J^]



 11:45に発ち、12:00、シーキャンドル(展望灯台)。

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 12:35に発ち、御岩屋通りを降りて、東岸を目指す。稚児ヶ淵(左端写真)を経て、13:05、江の島岩屋。第一岩屋と第二岩屋。第二岩屋の最奥部には、龍神がいる。このギミックは結構怖く、子どもが涙目になっていた、[;^J^]



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 13:30に発ち、生しらすを食べられる店を探しながら、江の島の入口まで戻る。しらす丼やしらすカレーの店はいくつもあるのだが、そこまで腹は減ってない [;^J^]。結局、14:15、モース記念碑の近くの「江ノ島 藤浪」で、ちょい呑みセット。



 15:25に発ち、15:36、片瀬江ノ島をたつ便で、16:27、鶴ヶ峰着。筑前屋で小腹を整えて、19:15、帰宅。

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*2024年07月19日:お洒落というかは知らんけど [;^J^]


 晴天。昨夜から下痢がしつこいというか、お腹が緩め [;_ _][;^J^]。朝いちで白根診療所。月次の健診である。郵便局やスーパーによって帰宅。昼にかけて、むちゃ暑くなる。

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 ネットで発注していたシャツが届いた。ふむ。なかなかよい [^.^]。呆れたデザインだと思われるだろうが、もう、こっちのモードに切り換えちゃおうかと思いましてね [^.^]。この業者のサイトには、この類のデザインのシャツがいっぱいあるので、とりあえず、2着追加発注。[;^J^]



 世界規模で Windows がブルースクリーンしているとのこと。自宅のPCにはなんの影響もない。クラウドストライクのセキュリティ製品のアップデータが直接の原因らしく、私はそれをインストールしていないからというわけか。

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*2024年07月20日:来週土曜は大冒険 [;^.^]


 腹具合がまだおかしい。念のため医者に行くべきだが、白根診療所は運悪く今日は休診日である。昨日行ったばかりなのだが、昨日の時点ではさほど長引かない「いつもの腹下し」だと判断して相談していなかったのである。しくったなぁ..検索したら、鶴ヶ峰駅近くの「たいクリニック」が土曜日も開いているらしいので、9:21のバスで向かう。(この医者には、別件でかかったことがある。)

 ウイルス性ではないだろう、とのことで、整腸剤を処方してもらった。

 1週間後の夏オフのための楽器搬送方法を検討する。例年、私は会場にはシンセ本体だけを担いで(電車移動で)入り、シンセの脚は、会場に車で向かう別の人に事前に送っておいて、その車で運びこんでもらっている。別の人のエレピを使う年もあるが、それもその人の車で搬入してもらっている..のだが、今年は諸事情あって、シンセもエレピも、私が運ぶことになる。(シンセ脚だけは別送も可能だが、そんな中途半端なことをしても仕方がないので、これも含めて。)

 問題はだ [;^J^]。会場は我孫子なのである。横浜と我孫子のあいだには、東京都があるのである [;^J^]。ほぼ必然的に、首都高を通ることになるのである [;^J^]。そして私はこれまで高速道路といえば東名(浜松 ⇔ 横浜間)しか走ったことがなく、首都高については、悪い噂しか聞いたことがないのである [;^.^][;^.^][;^.^]。曰く、高速道路の基本設計思想に反して右車線から合流・分岐する個所がいくつもある、曰く、この変則ルールについていけず首都高から降りられずに何周もさせられてしまった、曰く、曰く、曰く..[/_;][/_;][/_;][;^.^]

 少なくとも、浜松 ⇔ 横浜の、東名高速での移動とは比較にならないほど難易度が高い、大冒険であることは間違いない..[;_ _](..逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

 腹具合は落ち着いているので、16:30に徒歩で出て、16:45に上白根コミュニティハウス/上白根ふる里公園。「旭北ふる里祭り 納涼祭」である。やはり地域の祭りには積極的に参加して盛り上げないとね。別に何をするわけでもないのだが、賑やかしのモブにも意義はある [;^.^]。沖縄オムソバと、生ビール。17:20に離脱し、買い物しつつ、17:50に帰宅。

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*2024年07月21日:幻想美術選「金枝」J・M・W・ターナー


 2016年2月から2022年7月まで6年半にわたって全300回掲載した「幻想美術選」を、2年間の休暇を終えて(ヴェルヌかよ [^.^])再開することにした。といっても、「セカンドシーズン、300回」をぶちあげるほどの根性もなく [;^J^]、まぁとりあえず、ポツリポツリと50回は続けてみましょうかね。

 というわけで、記念すべき再開第1回(第301回)で取りあげるのは、ターナーの珠玉の神品である。

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「金枝」(J・M・W・ターナー、1834年)

 ターナーを取りあげるのは、蒼い馬に乗った死神ドルバダーン城グラウコスとスキュラ湖水のある風景ポリュフェモスを愚弄するユリシーズに続いて、6回目となる。

 中央に白く描かれているのは、ナポリのアヴェルノ湖である。ウェルギリウスの「アエネイス」の一場面で、アエネアスが地下世界へ進もうとしたとき、巫女シビュラは彼に、神聖な木から切り落とした金枝を持っていくように告げる。彼女は片手に鎌を持って金枝を掲げている。

 この作品は、フレイザーの「金枝篇」(Wikipedia)の冒頭、「第一章 森の王:一 ディアーナとウィルビウス」の美しい語りだしに引用されていることで知られている。

たれかターナー描く「金枝」という絵を知らぬ者があろう。この絵はネミの小さな山の湖――古人のいわゆる「ディアーナ(ダイアナ)の鏡」の夢幻的な想像図であって、画面は幻の金色の輝きをもって隈なく覆いつくされ、ターナーの聖なる心はこよなく麗しい自然の姿をすら深く染めて、それを神々しいものに変えている。アルバの山の緑の窪地にたたえたあの静寂な湖を見た者は、永久にそれを忘れることはできまい。この湖の畔に眠る二つの特色あるイタリアの村も、湖面にまで峻しく降る雛壇式庭園のあるイタリアの宮殿も、決して風景の幽寂と孤独のおもむきを妨げはしない。ディアーナは今もなおこの淋しい湖畔をしたい、いまなおこのあたりの森林に出没するのではあるまいか。

 無論、このような「来歴」だけが、この作品の価値ではない。まったく、なんという絵画空間であろうか! 手を取り合って踊る女神(あるいはニンフ?)たちや、地面に散らばる石棺などの残骸、廃墟建築。白い湖はほとんど巨大な「孔」のごとく、いっそここが地下世界への入口かとすら想わせる。アエネアスらしき英雄の姿は見えず、シビュラに目を向けているものもいないことが、この場面の非現実感をさらに際だたせ、夢幻的な幻想世界となっている。

 「金枝篇」は文学作品ではなく学術書であるが、あまたの幻想芸術に深刻かつ絶大な影響を及ぼした、その意味では幻想文学の巨峰とも呼ぶべき書物であり、重要な幻想文学に引用/言及されたという意味では、このターナーの「金枝」は、ユイスマンスの「さかしま」(Wikipedia)に引用/言及されたモローの「出現」(幻想美術選)と比肩する、まさに幻想美術史上の最重要作品のひとつなのである。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 1 2024
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