2022年05月16日:幻想美術選「ポリュフェモスを愚弄するユリシーズ」J・M・W・ターナー 2022年05月17日:「締切本」「締切本 2」 2022年05月18日:何も進まぬ休日 [;_ _] 2022年05月19日:さらに何も進まぬ休日 [;_ _] 2022年05月20日:ヴァンゲリス、逝去 2022年05月21日:通知領域が消えた [/_;] 2022年05月22日:花鳥画展@平野美術館目次へ戻る 先週へ 次週へ
「幻想美術選」、第293回。これまでにご紹介してきたターナーの4点、「蒼い馬に乗った死神」、「ドルバダーン城」、「グラウコスとスキュラ」、「湖水のある風景」は、いずれもそれぞれの意味で超一級の幻想絵画であったが、今回の作品ももちろん、その例に漏れない。2020年の10月に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」でついに実物を観ることができたが、まさに、格別の体験であった。キーワードは、「雲」である。
ギリシア神話の一場面。「オデュッセイアー」中の挿話である。
巨人族キュクロープスの一員で一つ目のポリュフェモスは、キュクロープスたちの島の洞窟に住んでいた。オデュッセウス(ユリシーズ)がトロイア戦争からの帰途、この島に立ち寄った際、部下たちとともにポリュフェモスの洞窟に閉じ込められた。部下たちが順に食べられていく中、ユリシーズは策略を巡らし、ポリュフェモスが眠りこけているうちに、彼のひとつしかない眼を潰す。(酷いことをするね。[/_;])
そして船に戻って島から脱出するのであるが、このとき興奮して、苦しむポリュフェモスを嘲って自分の名前を明かしてしまったがために、以降、帰還するまでにさまざまな苦難に遭うことになるのであるが、まったくいい気味である それはまた別の物語。
なによりもまず、素晴らしい絵画世界である! この光! この空気! 前記展覧会場では、文字どおり足が凍り、釘付けになった、これぞ、ターナー!
ところで、この物語の登場人物たちは、どこにいるのであろうか? ユリシーズはわかる。島から離れていく船の船尾にたち、島の崖の上の方を見て、両手を上げている赤い男である。つまり、その方向にいる巨人を嘲弄しているのであろう。では、その「巨人」は、どこにいるのだろうか?
白状すると、私にも、長年、見えていなかったのである [;_ _][;^J^]。あからさまに描かれていないのだ。輪郭線を描き込んだ右図と見くらべていただきたい。見えましたか?
(ちなみに、色味が全然違うのは、PC上でマウスでこの曲線を描く技量が私になく(なんどやっても失敗したので [;_ _])、いったんプリントアウトしてマーカーで描き込んでそれをスキャンするという工程を経たからであるが、まぁそんなことはどうでもいい。[;^J^])
そしてひとたび見えてしまうと、その「巨大さ」に驚くことになる。これでは..ほとんど、「雲」ではないか!? ..というか、「雲が巨人に見えているのではないか!?」..
ここで、「“幻想者・倉田”のスイッチ」が入るのだ [;^J^]。もはやターナーの真意からも外れているかも知れないが、そんなこともどうでもよろしい [;^.^]。ポイントはふたつ。「巨人は、本当にいるのか?」と、「雲の幻視」である。
まず、第一のポイント。もしかすると、ユリシーズは、この島で「夢を見ていた」だけなのかも知れない。部下が次々と巨人に喰われていくという悪夢を..この説(というか妄想 [;^J^])を補強するのは、この絵画作品全体の「幻視性」である。よく見ていただきたい。船の舳先には、海の精霊・ニンフたち。そして素晴らしい輝きを放っている太陽の右側には、その太陽を戦車に乗せて馬を駆っているアポロンが..微かに見えるでしょう?
彼ら、ギリシア神話の登場人物たちは、実在しているのであろうか? いくらかでも具体的に描かれているように見えるニンフたちですら、波濤の見間違いのように見えなくもないし、アポロンの戦車に至っては、言われてみても見えない人もいるのではないか? 「全部、気のせい」「幻視・幻覚」なのではないか..?
そして、第2のポイント、「雲」だ。「雲の幻視」は、「霧の海を眺めるさすらい人」の項でも書いたように、私の生涯にわたるオブセッションなのだ。幼かった日々、毎朝、朝焼けを浴びて時々刻々と変化していく雲の世界に、さまざまな姿を、さまざまな物語を重ねていたのだ。この「ポリュフェモス」はもしかすると「雲の幻視」なのかも知れない、と、気がついたときに、このスイッチが入ってしまったのだ。
巨人も、ニンフたちも、アポロンの戦車も、もしかしたら「現実」の上に重ねられた「幻覚」なのかもしれない..その「幻覚」を見ているのは「ユリシーズ」かもしれないし、この絵の鑑賞者なのかもしれない..そして、現実の上に壮麗な幻想が二重写しになると言えば、アーサー・マッケンの「夢の丘」..
だから、私にとっては「雲の幻視」は、「幻想」と「ノスタルジー」のセットなのであり、超一流の「幻想小説」たちを召喚するこの作品こそは、最高水準の「幻想絵画」なのである。
目次へ戻るGWに横浜に戻ったときに、妹に紹介してもらった本。以前から、書名を耳にしてはいた。「〆切本」(左右社)である。
〆切を守れそうにないという言い訳の集成かと思っていたのだが、それだけではなかった [;^J^]。「無恒債者無恒心」(内田百閨j、「文士の息子」(大岡昇平)、「仕事にかかるまで」(木下順二)、「歪んでしまった魂」(胡桃沢耕史)、「自由という名の不自由」(米原万里)などが、味わい深い。「何故、締切にルーズなのか」(森博嗣)は、業界(関係者)全体として非常識であると、手厳しい。
「のばせばのびる、か」(外山滋比古)から、2個所引用しておこう。「仕事にかかるのは気迫だが、仕事をし終えるには諦めが必要である。大論文を書こうと思ったら決して完成しない。できるだけの努力はする。あとはもう運を天にまかせる。不出来であってもしかたがない。そう思い切るのである。色気をすてる。そうすれば案ずるより生むはやすし、である」(p280)「仕事を先にのばせば、いくらでものびる。そしてのびた仕事ほど、やりにくくなる。あがりもおもしろくない。氏は拙速をたっとぶ。どうせ上々の首尾などということは叶えられないことだとあきらめる」(p282)..まったく、耳が痛いことである。[;_ _][;^J^]
続編(「〆切本 2」(同))も読了した。「愛の対応、余生は反省」(川上未映子)、「拝啓 編集長がた様」(深沢七郎)、「変人」(吉村昭)、「さようなら」(團伊玖磨)、「骨折り損のくたびれもうけ」(三浦しをん)、「物書き根性」(ハルノ宵子)など。前作もそうだったが、出典は記載されているのだが、初出年が書かれていないのは、困る。
目次へ戻る不就労日。快晴。高丘のヤマトの営業所に、不在時配達されていた荷物を引き取りに行く。ももクロのニューアルバムである(はずだ、確か。[;^J^])
アマノ書店に寄ってから、湯風景しおりで久々に日光浴。昼食は、駅南の横濱魚萬。
「公」はともかく「私」の用件が、まったく進まない..[;_ _]
目次へ戻る有休。快晴。昨日アマノ書店で購入した「TVガイド」は先週号だったことが判明 [;_ _]。例によってレシートを(しばらくは)棄てない人なので、ノー問題。朝いちで出向き、交換してもらった。(書籍・雑誌の返品は原則として受けつけていないのだが、こういうケースでは応じてもらえるのである。)
ガソリンを入れてから、志都呂イオンのサイゼで昼食。
「公」はともかく「私」の用件が、まったく進まない..[;_ _](← しかもコピペ。[;_ _])
目次へ戻る享年79。死因は公表されていないが、新型コロナウイルス感染症の治療を受けていたとのこと。
きりがないので、3点に絞る。最初に意識したのは、おそらく、「反射率0.39」。正確に言えば、その6曲目の「アルファ」である。軽くぐぐってみたら「1980年のテレビ番組『コスモス(宇宙)』で使用され」云々とあったが、私はこの番組で聴いたのではない。(当時の下宿にはテレビが無かった。)渋谷陽一のFM番組でである。確か、氏の友人のミュージシャン(名前ど忘れ)が、ラジオドラマ「宇宙戦艦ヤマト」のために、エフェクト音を追加して流用したものだったと思う。何年のことだか、まったく記憶にない。「Wikipedia:反射率0.39」の「「アルファ」について」の項目に挙げられているどの音源とも、違うような気がする。
ちなみに、この番組で放送されたのは、この曲が最後に長調に転調する直前までである。のちにアルバム「反射率0.39」を聴いたときに、驚いたこと。[;^.^]
次に、「チャイナ」。(「2番目に聴いた」という意味ではない。)「今世紀(20世紀)初頭ぐらいの中国のイメージ」と喝破したのは、誰だったかな。中国人には「フジヤマ・ゲイシャ」的に聞こえるのではないかしら。多分、ヴァンゲリスもそれは承知の上だろう。「幻想の中国」なのだから、もちろん、なんの問題もない。特に、1曲目「チャイナ」の、オクターブで重ねられた分厚いシンセサウンドが素晴らしい。
そしてやはり、「ブレードランナー」だ。もう何十年前になるのかな。誰がサウンドトラックを担当しているのかも知らずに映画を観たにもかかわらず、一発でわかった。この映画を観た回数だけ聴いていることになる..天文学的な回数..(..すみません、多少、盛りました。[;_ _][;^J^])
合掌..
目次へ戻る自宅でメインに使っている Windows 10 ノートを再起動したところ、数分間経っても進まない。やむを得ず、電源ボタンを長押しして、強引に落とした。電源を入れなおしたところ、正常終了しなかったので云々というメッセージが表示されてセルフチェックが始まったが、もちろん、なんの問題もなく再起動した。
私は、PC(というよりOS)の「進歩」については(大人げもなく [;^J^])斜に構えているのだが、ことこの件に関しては、昔よりも確実に進歩していると認めざるを得ない。数十年前のOSでこんな乱暴な操作をした日には、致命的に壊れて、ゼロから再インストールする羽目になることも珍しくなかったのである。
..おっと。なんの問題もないわけではなかった。タスクバーの通知領域に日付と時刻以外の情報が表示されなくなっている。あらららら。
スピーカーの音量とか IME の状態とかは見えなくても作業できるが、「隠れているインジケーターを表示します」アイコンが消えているのは、致命的である。半べそをかきながら、ぐぐる、ぐぐる..最悪、OSの再インストールか? [/_;] そんな目に合うことはもはや滅多にない、と、ついさっき書いたばかりなのに..[/_;][/_;][/_;]
..ふと、検索結果の中に、「マルチディスプレイのサブディスプレイのタスクバーに」..なんだと..[;^.^][;^.^][;^.^]
首を(ゆっくりと)左90度回頭して、サブディスプレイ(55型の4Kテレビ)の右下隅を見たら..[;^.^][;^.^][;^.^]
ディスプレイの設定で、サブディスプレイを選んで「これをメインディスプレイにする」にチェック、次にメインディスプレイ(ノートPCのディスプレイ)を選んで「これをメインディスプレイにする」にチェック。以上。[;_ _][;^J^]
..などと、朝っぱらからドタバタしていたので [;^.^]、朝いちで出ることができなかった。平野美術館に乗り付けたが、駐車場が満杯。出直すことにした。
目次へ戻る快晴。朝いちで車で、平野美術館。「花鳥画展ー花は根に鳥は古巣にー」(〜5月29日(日)まで)である。実は、十分な容量の提携駐車場があったということに今さら気がついたのは、ここだけの話だ。[;_ _][;^.^]
街中の、少し大きめの画廊程度のサイズの美術館であり、そのぶん、入館料も廉い。インティメートなたたずまいが、お気に入りである。[^J^]
竹内栖鳳の「野雀」を画像検索してみたが、この画家のこの画題の作品は大量にあり、展示されている作品は、たぶん、あなたが検索したタイミングでも、含まれていないと思われる [;^J^]。まぁ、参考までに見ておいていただきたい。本作は、たった一羽が小さく描かれているだけの省エネバージョンである [;^.^]。渡辺省亭の「よしに鷺の図」は、画像検索結果中、白く大きく描かれた後ろ姿の鷺が、右側を見ているやつである。とにかく、上手い。栗原幸彦の「夏」は、蓮の緑と鷺の白のグラデーションが素敵だが、画像検索できない。
松本高明の「花王図」(画像検索結果)の、牡丹の立体感。「地」の質感が風変りだが、この画家独自の「刷り込み箔」という技法らしい。下田義寛の「風眩」の、紅葉と夕空の色! 画像検索したら、違う作品が検索されたっぽいが、まぁ大体こんな作品である。[;^J^](よくみたら、いずれもヤフオクのページである。早晩、検索対象から外れる可能性が高いが、あしからず。)
図録は用意されていない。絵葉書を2枚購入したので、スキャンしておく。左が、野々内良樹の「緑映」。右が、石踊達彦の「めぐる季節」。もしかしたら、多少トリミングされているかも知れないが。
浜菜坊で、昼食。
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