*2024年12月30日:「サはサイエンスのサ〔完全版〕」
*2024年12月31日:第8回 ももいろ歌合戦
*2025年01月01日:格付け 2025お正月SP
*2025年01月02日:新春鎌ぶらオフ 2025
*2025年01月03日:浜田レシピ
*2025年01月04日:100分de筒井康隆/東京地下オーケストラでブル8
*2025年01月05日:幻想美術選「エルベ川の夕暮れ」カスパー・ダヴィット・フリードリヒ
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*2024年12月30日:「サはサイエンスのサ〔完全版〕」


 サはサイエンスのサ〔完全版〕」(鹿野司、早川書房)が届いて、さっそく一読..できる分量ではない [;^J^]。あとがき/解説に目を通したのみ [;^J^]。でも、とりあえずはこれでいいのだ。(厖大な量の)本文は、すべて初出誌(SFマガジン)で読んでいるのだから。[^J^]

 これは、2022年に逝去した著者が、SFマガジンに1994年から30年近くにわたって連載した、科学エッセイの完全収録版(単行本での追加もあり)である。彼の訃報に接したときに廃墟通信に書いたことの繰り返しになるが、私がもっとも信頼している論客のひとりであった。判断が難しい、視座を定めにくい諸問題について、「鹿野さんはどう考えているのだろう」、と、本当に、何度も何度も、参考にさせていただいた。「科学」それ自体と「科学的思考方法(視点)」に、揺るぎない軸足をすえていながら、それに淫することなく、「科学を受け入れられない」人々への思いやりも、欠けてはいなかった。まったく、得難い人であった。(実は、同い年なのである..)

 これは、本当に素晴らしい本なのである。昔の私ならば、「今すぐ買って読め! これは命令である!」、と書いたところであるが、さすがにこの歳になると、良くも悪くも人間がまるくなる [;^J^]。「命令」ではなく「勧告」としておこう [^.^]。必読書。大人にももちろん読んで欲しいが、それよりむしろ、中高生と大学生。あなたの子どもに買い与えて欲しい。大部といっても、個々のエッセイは見開き2ページである。どこから読んでもよい。適当に拾い読みしていただければよい。どのように読んでも、血肉になる。

 巻末に掲載されている、とり・みきの「鹿野司のこと」と題されたエッセイの書き出しが、味わい深い。


 亡くなって二年近くが経とうとしている。

 悲しみの時間は終わっていて、正直いまさら追悼の言葉など浮かんではこない。一個の生物個体の死は厳然としてあり、エントロピーは逆に戻せない。誰しも、この自分も遠くない日にそうなるように、ちょっと早めに彼は生命現象を停止させただけなのだ。

 「何を薄情な」と思われる向きもあろうが、そもそも鹿野自身がそう考える人間だった。我々はさらに早すぎた何人かの共通する友人の死に際しても、どちらもミスター・スポックのように涙を流さなかった。口では「悲しいねえ」といいつつ顔は無表情だった(下手すると笑っていた)。So it goes. だからきっと自分の死に対しても鹿野はそう思っているはずだ。(後略)


 非常に、共感できる。知人/友人/親族の「死」に際しての私の反応も、ほぼ、このようなものである。多くの場合、「悲しむ」というよりは「残念に思う」に近い心持ちであり、彼(彼女)が、もはや「喋りも動きもしない」ことに対して戸惑いもするが、大体そこまでだ。それを「非人間的」と言われるのは、本意ではない。[;^J^]

 このエッセイの末尾の(すなわち本書の末尾の)パラグラフもまた、味わい深い。


 死後、知人一同と彼の部屋に入り、さて、パソコン内に残された原稿をどうやって救出するかという段になって、我々はモニタの裏にログインパスワードが書かれた一枚の付箋が貼られているのを発見した。このような事態になる可能性をあらかじめちゃんと想定していたということだろう。そうやって開いた仕事用のフォルダもその中のファイル名も、第三者が見ていつのどこの原稿かわかるようにきちんと整理されていた。

 唯一「やっぱり人より先に死ぬもんじゃないな」と思ったのは、書棚の引き出しにあったエログラビアのファイルを発見したときだ。故人の趣味やある種の性嗜好が見てとれる内容であり、たいていの男性の部屋には存在するが、みうらじゅん以外の人問は公表されたくない代物だ。いや、もちろん公表はしないので安心してほしい。私が形見分けとしていただいてちゃんと持ち帰ったから。


 ..いやまったく、ひとごとではない [;_ _][;_ _][;_ _]。私の(紙とデジタルの)これらのコレクションは、死後、誰の手に渡るのであろうか。もしかして公表されてしまうのであろうか..[;_ _][;_ _][;^.^]

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*2024年12月31日:第8回 ももいろ歌合戦


 明るい曇天。やがて快晴。

 車で出て昼食へ。焼き肉のスエヒロ館は待ち行列が長く、なか卯は、駐車場が満杯である。結局、安楽亭。これは以前からの個人的感想なのだが..スエヒロ館の圧勝だと思うぞ、私は。[;_ _][;^J^]

 今日はABEMAで「第8回 ももいろ歌合戦」。14時からだと油断していたら、13:30からオープニングアクトが始まっていた。13:45頃からおっかけ再生で追いついた。[;^J^]

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 見始めてしばらくしてからの日中の写真を、フェイスブックやMixiにアップしたのだが、ゴミ箱が写っているのが気に入らなかったので、夜になってから撮り直した [;^J^]。そこまでこだわるほどの写真かと [;^J^]。わざわざ魚眼レンズを装着して、三脚立てて、着替えて、ポーズを作って、セルフタイマーで撮るほどの写真かと。[;^.^]



 今年は5時間なので、例年よりも「コンパクト」感 [;^J^] がある。セトリだが..(以下、未来からの介入になるが)1月6日に公開された「「第8回 ももいろ歌合戦 〜愛の大晦日〜」セットリストプレイリスト公開」が、キングレコードのサイトだから信頼できるかと思ったら、歌手欄はオリジナルの歌手名なので、使えない。(「47. もしもピアノが弾けたなら / 西田 敏行」とか。)「〈第8回 ももいろ歌合戦〜愛の大晦日〜〉曲順・組分け発表」が、正しい(はず。視ながら取ったメモとざっと照合したところでは)。なお、アイドルメドレーについては、「【第8回ももいろ歌合戦】後藤真希・柏木由紀ら、総勢100人超え17曲豪華アイドルメドレー披露<セットリスト>」を参照。これについては、答え合わせしてないので、どこか違っていても、知らん。[;^J^]

 いちいち言及するのも大変なので、1曲に絞る。「松崎しげる feat. 百田夏菜子/もしもピアノが弾けたなら」は、なかなか聴きごたえがあった。百田夏菜子のピアノも、頑張った。アイドルメドレーでは、なんといっても、後藤真希と柏木由紀(いずれも初出場)であろうか。卒業済みとはいえ、3大アイドルグループ、ももクロ/AKB/モーニング娘。のトップ、揃い踏みというわけである。[^.^]


 冬木透、誤嚥性肺炎のため逝去。享年89。

 カーター元大統領、逝去。享年100。

 村上知彦、間質性肺炎のため逝去。享年73。

 合掌..

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*2025年01月01日:格付け 2025お正月SP


 快晴。面倒なので日記を溯って調べるのは省略するが、元旦はほぼ必ず、快晴である。

 13時、妹夫妻(2組)来訪。お菓子、果物、煮物、紅茶と酒などで、まったり。この日記を書いている時点では番組名を思い出せないが、クイズ番組を観ていたような気がする [;^J^]。去年はサッカーを観ていたはずだが、あれは、毎年元日に行われるわけではないのかな。16:50にお開き。

 さて、今年の格付けだが..[;^J^] 私は、この番組(に限らず、バラエティ番組一般)が、ガチなのかヤラセなのかはまったくどうでもいい、という立場なのだが、それはそれとして、今回の結果は、この番組が「ヤラセではない(筋書きはない)」ということの証左ではあるまいか。プロの放送作家が、こんな「凡庸な」シナリオを書くわけがないではないか。[^.^]

 さらについでに [^.^]。GACKTの無双ぶりをヤラセだ出来レースだと指弾して得々としている連中に限って(まぁ、全員かどうかは知りませんが)、DAIGOのポンコツぶりを気持ちよさそうに糾弾しているのは、まったく筋が通らないことである [^.^]。GACKTの連勝がシナリオ通りだというのであれば、「DAIGOの(肝心なところでの)ポンコツ回答もシナリオ通り」だとみなさなくてはおかしい。(自由にやらせて正答されてしまっては、困ったことになるではないか。[^.^])つまり、DAIGOは実はポンコツではない、ということになってしまうのだが、それでいいのかな? そこまで考えが及んでいないのかな?[^.^]

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*2025年01月02日:新春鎌ぶらオフ 2025


 快晴。8:30のバスで発つ。しばらくして突然、バスの車内スピーカーからピポー、ピポー、というアラーム音とともに、「全車一斉送信です」..広域災害でも発生したのかと、一瞬緊張したのだが..「横断歩道のある交差点を左折するときには、必ず一時停止をして安全確認してください云々」、という、運転手への連絡であった。要するに朝礼である。そういうのは、客に聞こえないところでやってくれ。[;^.^]凸

 9:32に横浜を発つ横須賀線で、9:59、北鎌倉。毎年1月2日に開催されている「新春鎌ぶらオフ」である。ぶらぶらと散歩するだけ。コースもほぼ固定。

 8人ほど揃ったところで、まずは円覚寺へ。(このあと、合流と追加が繰り返されるので、人数はいちいち書きません。手元のメモを読み返しても、最後まで、1人つじつまがあってないし [;^.^]。今さら座敷童子かよ。[;^.^])

 緑茶をいただいて、11:20、円覚寺を出る。11:25、北鎌倉駅前に戻る。やま本きそばで、昼食。私が食べたのは鳥そばだったかな。音律の話、音楽大学でレポートを書いたことがない話、理系文系の話など。12時に出て、向かいのカフェで、だべり続行。12:35に店を出る。

 ひとり合流するのを待って13時前に改めて駅前から発ち、13:15、葛原岡神社。銭洗弁財天に着いたのは、13:30頃。お参りの列が長すぎるので、例によってお参りは省略して [;^.^]、1万円札を洗って乾かす。13:55に発つ。

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 14:30、長谷寺。この展望スポットから眺める風景が好きでねぇ。[^J^]



 15:00に発って、バスで移動。15:20、本覚寺(鎌倉えびす)。コロナ禍前の賑わいが、ようやく戻ってきたようだが、福娘がいない [/_;]。何か事情があるのだろうか。

 15:30過ぎに、いったん解散。1時間半ほど、自由行動である。

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 別にどこに行ってもいいのだが、単独行動となる場合は、毎年、鶴岡八幡宮の参道である若宮大路を歩いている。左から、二ノ鳥居。参道の中央に一段高く造られている段葛(だんかずら)を北上して、三ノ鳥居。本宮までは、行かない [;^J^]。人が多すぎる。[;^J^](ちなみに、これらの写真の鑑賞ポイントは「丁寧なモザイク処理」です。[^.^])



 16:55頃、小町通りの鎌倉駅側の出口にある不二家の前で集合。17:00、お好み焼き屋の津久井。コロナ禍になってから以降は密をはばかって、この店を使っていなかった。何年ぶりだろう。2Fの個室に10人。かつては掘りごたつの部屋だったが、畳の上に机/椅子となった。この方が、楽ではある [;^J^]。音楽の話、酒の話、マンガの話など。19:00に散会。

 4人で二次会。19:15、鎌倉駅併設のCIALの2FのCAFE LEXCEL。秋葉原の昔と今、上野の音楽資料室、ハンス・ロット、などなど。

 20:10にお開きとして、20:13の横須賀線に乗り、20:54、鶴ヶ峰。21:20、帰宅。

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*2025年01月03日:浜田レシピ


 曇天。(新規にいただいた分の)年賀状の返信を、1通投函。

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 セブンイレブンで、格付け浜田メニュー(海老チリ&チャーハンと、餃子)を買ってきた。[;^J^]

 ..ま、普通の美味しさではないかな [;^J^]。強いて言えば、チャーハンはやや物足りないのだが、これは海老チリとのバランスをとっているのかな? 浜田チャーハンは、かつてくら寿司で提供されたことがあり、そちらの方が美味しかった。まぁ、レンチンと比較すれば、そりゃそうか [;^J^]。海老チリはこんなもんでしょう。餃子は、確かに美味い。[^J^]



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*2025年01月04日:100分de筒井康隆/東京地下オーケストラでブル8


 ヤフオクにかなり状態のいいリブ100が、朝いちで出品されたのに気がつき、即決価格で直撃落札したった [^.^]。ここのところまともに電源も入らないジャンクを連続して掴んでいたのだが、今回のこれは「OS起動確認済み」とあり、期待できるのだが、さて。[;^J^]

 昨夜録画した「100分de筒井康隆」を視る。ふむふむ、なかなかよいのでは。このシリーズは、通例は、毎週25分ずつの4回(つまり、100分)なのだが、今回は特番で、 また、通例は、その書物のスペシャリスト(案内人)が、いわば「生徒」である伊集院光に説明していく、という構成なのだが、今回は「生徒役」がおらず、案内人(下記)4人+司会の安部みちこアナ、サブMCのカズレーザー、という布陣である。

 紹介者と作品は、以下のとおり。中条省平が「脱走と追跡のサンバ」、池澤春菜が「七瀬シリーズ」(「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」)、菊地成孔が「エロチック街道」、大森望が「虚航船団」。まずまず妥当な人選とラインナップであろうか。(異論はいーっぱい、でそうだが。[;^.^])

 聞き上手/引き出し上手の伊集院光に相当する人がおらず、しばしば語り手たちのディスカッションになるのは、面白くもあり煩わしくもありで、一長一短だとは思ったが、議論の内容や指摘自体は非常に面白い。この録画、何度か視聴することになりそうだ。

 快晴。14:03のバスで発ち。鶴ヶ峰から14:19の和光市行きで、15:01、渋谷に直行。15:15、まんだらけ。文庫本を5冊購入し、15:55に出る。すぐ近くの「一休」で、16:00から18:00まで、早めの晩酌(夕酌? [;^J^])

 荻窪へ。18:34に着いて、18:45、杉並公会堂。東京地下オーケストラの演奏会(ブルックナー/交響曲第8番)である。このオーケストラは、知らなかった。演奏会企画の都度編成されるらしい。実のところ、出演者のひとりから情報をもらって、久しぶりにブルックナーもいいかな、と聴きに行く気になったあとで団体名を知り [;^.^]、どう考えても「地下アイドル」への連想を狙っているとしか思えず、どうしたものかと(少しだけ)悩んだりして。[;^J^](実際、練習(リハ)の回数も非常に少なく、ほとんど当日合わせに近いとのこと。)

 開場は19:00、開演は19:30。やはりアンサンブルの精度は完璧とは言えず、粗さが残っている(荒削りである)面もあるが、想像以上に聴けると思った。(すみません。[;_ _][;^J^])ブラスの響きも、マスとしては、なかなか良かった。

 21時過ぎに発ち、22:22、鶴ヶ峰。22:52、徒歩で帰宅。

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*2025年01月05日:幻想美術選「エルベ川の夕暮れ」カスパー・ダヴィット・フリードリヒ


 「幻想美術選」、第315回。このドイツ・ロマン派の巨匠の作品をご紹介するのは、「樫の森の中の修道院」、「リーゼンゲビルゲ山の朝」、「アグリジェントのユノ神殿」、「霧の海を眺めるさすらい人」、「海辺に立つ修道士」に続き、6回目である。

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「エルベ川の夕暮れ」(カスパー・ダヴィット・フリードリヒ、1832年)

 ドレスデン北西部、エルベ河畔のオストラ狩猟場の夕景を描いたこの作品は、フリードリヒの最高傑作のひとつではあるまいか。菫色の雲と湿地、黄色く染まった空。暗い大地と光が残る空。ほとんど単一の補色ペアからのみなっているとすら言える、極めて簡潔なこの色彩設計は、その簡素さと裏腹な(あるいは逆に際だたせているとも言える)湿地の複雑な形状と、そして何よりも、この異様な、まるで広角レンズで捉えたかのごとき、通常の透視図法(遠近法)へのアンチテーゼであるかのごとき「双曲線構図」と相俟って、目覚ましい効果をあげている。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 9 2025
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