2021年03月15日:幻想美術選「海辺に立つ修道士」カスパー・ダヴィット・フリードリヒ 2021年03月16日:「城の少年」 2021年03月17日:4月以降のできれば観たい展覧会 2021年03月18日:「異形コレクション」復活 2021年03月19日:ジェイムズ・レヴァイン、逝去 2021年03月20日:喉元を..[;^.^] 2021年03月21日:浜松交響楽団 第90回定演目次へ戻る 先週へ 次週へ
「幻想美術選」、第239回。この画家の作品をご紹介するのは、「樫の森の中の修道院」、「リーゼンゲビルゲ山の朝」、「アグリジェントのユノ神殿」、「霧の海を眺めるさすらい人」に続き、5回目である。
第28回でご紹介した「樫の森の中の修道院」と「対(つい)」の作品として発表された、フリードリヒの出世作である。
まったく、驚くべき構図というほかはない。画面の大部分を占めているのは「空」であり、残された僅かな部分に描かれているのは、3つのオブジェクト、「海」と「浜」と「修道士」のみ。それも極度に単純化されている。
この時期の(初期の)フリードリヒの造形法は「対照に富む様式」と呼ばれている。つまり、「前景と後景しか、存在しない」のだ。中間の領域が描かれていない。この作品で言えば、前景は修道士と浜。後景は海と空。「樫の森の中の修道院」で言えば、前景は廃墟と枯れ木と墓と修道士たち。後景は空。この、前景と後景の極端な「不連続性」が、観るものに不安感を与えるとともに、不思議な吸引力をもって、絵の中に視線と魂を惹きつける..この作品の「空」は、圧倒的な「虚無」であって、そこには「時間」がない。時間がないということは、つまり「永遠」である。まことに小さく描かれた「後ろ姿の人間」を通じて(扉として)、われわれ観賞者は、その「永遠」と対峙するのである..
だからこそ、この(ほとんど何も描かれていない)作品は、第一級の「幻想絵画」なのだ。それにしても..それにしても、なんという見事な、計算されつくした「構図」であろうか!
目次へ戻るSFマガジンで紹介されていたので興味を惹かれて発注していた「城の少年」(菊地秀行作、Naffy絵、マイクロマガジン社)が届き、さっそく一読。(絵本なので、すぐに読み通せるのだ。)素晴らしい。傑作である。「利用対象:小学生」に騙されてはいけない。大人が読んでも感動的であるし、もちろん、子どもに読ませても問題はない。[;^J^]
冒頭の数ページで、「アウトサイダー(ラヴクラフト)パターンか..」、と、見当をつけたのだが、なるほどこういう展開に。「この作者なればこそ」という必然性があるのも、いい。誰か(の子ども)にプレゼントしたくなる本である。お薦め。
目次へ戻る例によって、状況はまったく流動的である。[_ _]
福田美術館
「栖鳳の時代 〜匂いまで描く」
後期:〜4月11日(日)まで
東京国立博物館
「洛中洛外図屏風 舟木本 VR上映 35分」
〜4月11日(日)まで
三井記念美術館
「小村雪岱スタイル−江戸の粋から東京モダンへ」
〜4月18日(日)まで
浜松市美術館
「みほとけのキセキ-遠州・三河の寺宝展-」
〜4月25日(日)まで
東京国立近代美術館
「あやしい絵展」
〜5月16日(日)まで
愛知県美術館
「トライアローグ:横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館 20世紀西洋美術コレクション」
4月23日(金)〜6月27日(日)まで
諸橋近代美術館
「Shock of Dali ショック・オブ・ダリ 〜サルバドール・ダリと日本の前衛〜」
4月24日(土)〜6月27日(日)まで
サントリー美術館
「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」
4月14日(水)〜6月27日(日)まで
福田美術館
「美人のすべてリターンズ」
4月24日(土)〜7月4日(日)まで
岡田美術館
「東西の日本画 ― 大観・春草・松園など―」
4月3日(土)〜9月26日(日)まで
福田美術館の栖鳳展と、東京国立博物館の洛中洛外図屏風VR上映は、今からでは間に合わないかも知れないなぁ..小村雪岱スタイルには、なんとか駆けつけたいところだが..
目次へ戻る異形コレクション(Wikipedia)が、昨年11月に9年ぶりに復活していたことに気がついたのは、今年に入ってからなのであった [;^J^]。最新刊2冊のインプレを書き忘れていたので、アップしておこう。
「ダーク・ロマンス 異形コレクション 49」(井上雅彦編、光文社文庫)
「夕鶴の郷」(櫛木理宇)−ネタ自体はタイトルから明らかだが、小松左京の「●●●」を想起させる展開となる。傑作である。「ルボワットの匣」(黒木あるじ)−音楽をBGMとしてうまく使っているが、幻想交響曲の第5楽章は(例によって)いかがなものか [;^J^]。基本、楽しい音楽なので、ミスマッチ感が..[;^.^]。謎の匣(オルゴール)の正体とは..「黒い面紗の」(篠田真由美)−ベールに隠された女の素顔をスケッチすると、正気を失う。タイタニックに結びつけるのは、海の底に由来するからか?「禍または2010年代の恐怖映画」(澤村伊智)−呪われた映画撮影現場ネタ。iPhone と PC とクラウドを駆使するいまどきの撮影事情としても、興味深く読める。「馬鹿な奴から死んでいく」(牧野修)−語り口よし(まさに)破滅的な幕切れよし。「兇帝戦始」(伴名練)−まことに雄大な、ジンギスカン誕生篇。
「ぼくの大事な黒いねこ」(図子慧)−遺伝子操作によって作られた「ウルタールの猫」という設定が素晴らしい。感情移入させられるが、猫の邪悪で凶暴な(というより本来非人間的な)本性が明らかとなる。「ストライガ」(坊木椎哉)−えーと、百合小説の範疇に含めてよろしいですか? [;^J^] 「花のかんばせ」(荒居蘭)−一人称(鈴蘭)の設定が面白い。「愛にまつわる三つの掌篇」(真藤順丈)−天災を呼び寄せる血筋と、サンタクロースと、広島。「いつか聴こえなくなる唄」(平山夢明)−被差別(使役)種族との共闘に旅立つという結末が甘いと思ったら、やはりこうなるか。「化石屋少女と夜の影」(上田早夕里)−化石というモチーフ自体の魅力。「無名指の名前」(加門七海)−なんともスタイリッシュで蠱惑的な「恐怖の童話」。「魅惑の民」(菊地秀行)−ナチスネタである。「再会」(井上雅彦)−独立した作品というよりは、エンドロール兼予告編のようなもの。イメージはよい。
「蠱惑の本 異形コレクション 50」(井上雅彦編、光文社文庫)書物ネタのアンソロジーなので、まったく、ご馳走というほかはない [^.^]。「蔵書の中の」(大崎梢)−一種の悪魔(本の虫)の出現が恐いが、読後感は爽やかである。「砂漠の龍」(宇佐美まこと)−古(いにしえ)の西域の伝説と現代の犯罪とを、龍の伝説がつなぐ傑作。「オモイツヅラ」(井上雅彦)−この患者が切り裂きジャックかと思ったが、そうではなくて、いい話でした [;^J^]。「静寂の書籍」(木犀あこ)−悪念をもって書物を奪おうとした男が破滅するパターンだが、印象がややマイルド [_ _]。「蝋燭と砂丘」(倉阪鬼一郎)−多行俳句についてよく知らなかったので、勉強になった。時間の経過を表現できる、か。なるほど。「雷のごとく恐ろしきツァーリの製本工房」(間瀬純子)−いまひとつ、意味が掴みにくかった [;_ _]。「書骸」(柴田勝家)−本の剥製なのか獣の剥製なのかを巧妙にダブルイメージ化しているな、と読み進めていたら、エロティックなミスディレクションが待っていた。[;^J^]
「本の背骨が最後に残る」(斜線堂有紀)−「書物を焼く」というコンセプトから想起されたと思しき奇談。「河原にて」(坂木司)−同じく「書物を焼く」話なのだが、こちらは爽やかな読後感 [;^.^]。「ブックマン」(真藤順丈)−人間を書物として読む、というパターンのひとつ。「2020」(三上延)−この「本の島」は、魅力的である [;^J^]。楽園か。ここに閉じ込められる主人公の女性にとっては、あるいは甘美な地獄かもしれないが。「ふじみのちょんぼ」(平山夢明)−謎の書物に救われた男は、書物とともに滅びる。「外法経」(朝松健)−パズズを召喚する呪法が、応仁の乱を引き起こす。「恐またはこわい話の巻末解説」(澤村伊智)−さまざまなネタをコンパクトに集積できる形式だが、枠物語でも当然、話を進める。「魁星」(北原尚彦)−2019年1月に亡くなった横田順彌(SF作家、古典SF研究家、明治文化史研究家、書籍蒐集家)への、感動的な鎮魂歌である。彼の死の前後の消息を伝える、これはもちろんフィクションなのであるが、まさに愛書家の夢..
目次へ戻る大指揮者、ジェイムズ・レヴァイン、逝去。享年77。
その功績に比して、残念ながら晩節を汚したとしかいいようがない..(正確に言えば、数十年前の出来事を、晩年になってから告発されたのだが..Wikipedia)「事実無根の中傷」では、どうやらないらしいのでね..
「昔を知っている」古い人間であればあるほど、「いや、こういうことは遥か以前からあったことで」、とか、「公然の秘密でしたよ」、とか、「なにを今さら。そもそも芸事の世界では」、とか、言いがちであるし、事実、「そのとおり」なのであろうが、やはり、今の時代に通用することでは、もはやない。切り替えていただかないと..
無論、彼の数多くの名演の記録の価値を、なんら傷つけるものではないのだが..
目次へ戻る先週の日記に書いた、リブ100のDOS窓で「み」→「見」変換をするとDOS窓が飛ぶ(正確に言うと、変換候補に「見」が入った時点で、「不正な入力」で終了する)件の顛末を書き忘れていた。そういう変換をしないように(「見」という漢字が欲しければ「けん」で単漢字変換するなどして)回避していたのだが、さすがにこれではやっとれん、ということで、C:\JUST\ATOK12 の下の ATOK12UI.DIC と ATOKRH.BIN の 2/28 のバックアップがあったので、これを書き戻してみたら..あっさり治った [;_ _][;^J^]。これだけのことか。「もう、この環境も、さすがに終わりの始まりか..(Windows 95 だし..)」、と、殊勝な気持ちになっていたのだが、何かがあっさり、喉元をくだっていきやがった。[;^.^](足を洗うチャンスを、またしても逸したことであるよ。[^.^])
午後から天気は下り坂、という予報だったので、アウトドアな予定は諦めてインドア作業をしていたのだが、結果的に、午後から逆に快晴 [;^.^]。あのな。[;^.^]凸
目次へ戻る朝から大雨。12:10頃に車で出て、アクトシティの駐車場へ。昼食は例によって、アクトシティのレストラン街のKUMARで、カレー。(2軒、閉まっている。1軒には「臨時休業中」と貼り紙されていたが、もう1軒には貼り紙もなく、なんだか片付けられているように見える..)
14:00から、浜松交響楽団の定演。「第90回定期演奏会〜創立45周年 ドイツロマン派の神髄に迫る〜」である。
指揮:北原幸男
ソプラノ:森谷真理
バリトン:青山貴
合唱:浜松合唱団
ナレーター:山田門努
演出:中村敬一
曲目:
ワーグナー:歌劇「タンホイザー」(ハイライト)
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 作品68
なかなかよろしかったと思う。これらの作品で重要な「コラール」が、ちゃんとコラールになっていた。ヴァーグナーの音色とブラームスの音色の違いが出ていたかというと、正直、そこまで聴き分けるほどの(こちらの)自信がないのだが [;_ _][;^J^]、弦楽セクションも、よかったと思う。タンホイザーの大行進曲では、バンダ(ヤマハ吹奏楽団トランペットセクション)が、非常に上手かった。
「演出」だが、舞台上で動いたり演技をしたりするわけではなく、いわばイメージビデオの上映にとどめていたのだが、よい意味で邪魔にならず、好感を持てた。合唱団はマスクをしていたが、ステージ上は普通の密度で、アクリル板等はなし。客席との距離はやや大きめ。客席は、間隔を置かずにフルで入れていた。(ただし全て指定席で、誰がどこに座っているか、あとからトレースできるようにしていた。)
アクトシティを出た頃には雨はほぼ止んでいたが、風が強め。16:10頃に帰宅。夕方から、また風雨が強くなったが、最終的には夜には止んだ。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Mar 26 2021
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