*2016年03月28日:感覚の麻痺
*2016年03月29日:物凄い/凄まじい
*2016年03月30日:幻想美術選について
*2016年03月31日:幻想美術選「ユピテルとセメレ」ギュスターヴ・モロー
*2016年04月01日廃墟通信20周年!
*2016年04月02日:器の小ささ
*2016年04月03日:望月三起也、逝去
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*2016年03月28日:感覚の麻痺


 パキスタンで自爆テロ。(現時点で)死者69人、負傷者250人以上..

 ..正直に書いておく。ネットニュースでこの見出しが目に飛び込んできたときの第一印象は、「またか..」、であった。そのまま、次の記事まで読み飛ばしかけた。

 「またか」、では、ないのである。これは、恐るべき大惨事であり、凶悪で卑劣極まりない犯罪なのだ。遊園地(それも、高価で豪奢なディズニーランドなどではない、比較的貧しい人々が集まる、どちらかと言えば「公園」)で遊んでいた女性や子どもたちを狙うとは..(別に、軍隊/軍人や、金持ちなら、襲撃してもいいと言っているわけではないが..)

 それなのに、国際社会の(いや、一般化してごまかすのはやめよう。「我々」の、「私」の)このアテンションの低さは、どうだ。今から予言しておくが、3日後には、もう続報などどこからも出てこず、忘れ去られているぞ。ここ日本だけでなく、欧米からも、世界の大多数の国からも..

 パリやブリュッセルの惨劇は、長く記憶され、これからも繰り返し繰り返し、伝えられ続けるだろう。それとパキスタンと、どこが違うのか。どうせテロが年中行事の国(地域)だし..という感覚は、確実にあるだろう。ヨーロッパには興味も関心も利害関係もあるが、パキスタンには別に..という、差別意識もあるだろう。(もっとひどいのは、対アフリカだ。自戒を込めて言うが、いま、どこの国(地域)で殺戮が行われているか、即答できるか? 私は、できない..)

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*2016年03月29日:物凄い/凄まじい


 まぁ、言葉は変わり行くものだが..いまだに違和感があるというか、自分からはあまり使わない(よほどその原義に相応しい状況でない限り乱用しない)言葉が、「すごい/ものすごい/すさまじい」、である。(まぁ、「すごい」「すっげー」は、妥協して頻用しているが..)

 世間で普通に使われている言葉たちであり、ほとんど全ての場合、「程度がはなはだしい」ことを表現するために使われている。「この料理、すごく美味しい!」「ものすごい名演奏!」「すさまじいな、彼の人気は!」..誤用ではない。辞書を引いても、この3つの形容詞について、全て、「程度のはなはだしいことを表す」という意味「も」、記載されている。だから、前記の用例は全て正しいのだが..私はどうしても、これらの言葉の原義が気になってしまいましてね..

 「すごい(凄い)」は、「ぞっとするほど恐ろしい、非常に気味が悪い」。

 「ものすごい(物凄い)」は、「非常に気味が悪い、なんとも恐ろしい、何となく恐ろしい、何となくさびしい」。

 「すさまじい(凄まじい)」は、そもそも動詞「荒(すさ)む」の形容詞化で、「恐ろしい、驚くほど激しい、あきれるほどひどい、興ざめである、つまらない、荒涼としているさま」。

 ..これらの原義が、「この料理、すごく美味しい!」「ものすごい名演奏!」「すさまじいな、彼の人気は!」、と重なって、どうしても耳に響いてしまいましてね..[;^J^](博識であるということは、なんとも生きにくいことであることよなぁ..[^.^][^.^][^.^](← すさまじいドヤ顔。[;^.^])

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*2016年03月30日:幻想美術選について


 「幻想美術選」シリーズは、最初は確かに、ネタが無い日の(苦し紛れの)埋め草記事だったのであるが..「どうせなら..」、という、破滅の音ならぬ破滅の囁きを耳に吹き込んだのが、他ならぬわが内なる悪魔。誰のせいでもない。私自身のせいだ [;_ _]。この悪魔は、私の別人格だからだ..[;_ _][;^J^]

 今となっては、何を血迷ったか、幻想の画廊から(澁澤龍彦、青土社)、澁澤龍彦 幻想美術館(巖谷國士、平凡社)などを意識しているのである。限界までハードルを上げきった状態である。危険である..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]

 もちろん、澁澤クラスの博識怪物と、まともに張り合うつもりはない [;^J^]。「私(倉田)が書く(選ぶ)意味」に、とことんこだわることによって、なにがしかの(澁澤の著作(セレクション)にはない)価値を作り出せるはずである。それは、「倉田が、心の底から好きな(愛している)作品以外、取りあげない」、という、ある意味、当たり前の方針である。無論、澁澤も基本的には同じだと思うが、彼はプロ。彼の著作はプロの仕事。そこには、大人の事情やバランス感覚が、必ず入っている。それに対して、私は、原稿料などどこからも貰っていない、ただのアマチュア。ここに絶対的なアドバンテージがある(と信ずる)。

 まぁ、「心の底から愛している作品」の羅列になるのだから、それに付けられる文章は、「溺愛の吐露」の単調な連続になりかねず、そこが最大のリスクではあるのだが..[;^J^]

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*2016年03月31日:幻想美術選「ユピテルとセメレ」ギュスターヴ・モロー


 ..というわけで、第5回。基本的に(第50回ぐらいまでは)一人1作品で回していき、同じ画家の2作目、3作目を取り上げるのは、そのあとにする予定なのだが..辛いのが、モロー、フリードリヒ、エルンストら。第50回までは、1作品のみの紹介で我慢しなければならないのである。(取り上げたい(愛している)作品は、それこそ何十とあるというのに..)第5回はモローにしようと決めてからも、さんざん悩みまくった挙げ句、結局やはり、これを選ぶことにした。考え方にもよるが、彼の最高傑作。

Picture

「ユピテルとセメレ」(ギュスターヴ・モロー、1894〜95年)

 私に「幻想美術」の手ほどきをしてくれたのは、亡父である。アメリカ出張の土産として、「Fantastic Art」(Ballantine Books, Inc. New York)という画集を買ってきてくれたのだ。1973年の出版であるから、おそらくは私が中学3年生のときのこと。既に、「マグリット展」などには連れて行ってもらっていたはずであるが、いわゆる「幻想美術」の諸相を(収録図40点、とコンパクトながら)体系的に概観できたのは、この画集によってである。既に変色が相当進んでいるが、この画集は、私の生涯の宝物。(いずれ没後に建設されるであろう「倉田わたる記念館」において、第一級の資料として展示されることになるはずである。)今見ても素晴らしいセレクション。その中に、この、ギュスターヴ・モローの、おそるべき傑作が含まれていたのである。

 人間の乙女セメレは大神ゼウス(ローマ神話ではユピテル)に愛されていたが、それを嫉妬したゼウスの妃、女神ヘラにそそのかされて、本来の姿で自分に会ってくれとねだる。願いを叶える約束をしていたゼウスは仕方なく雷の神でもある神の偉形を見せたため、

「現身(うつせみ)の女人セメレは、荒れ狂う天の雷火に抗するべくもなく、いわば花婿のこの引き出物で、焼け死んだ」(オウィディウス「変身物語」(中村善也訳))

 この異様な絵画を見て、少年の私が最初に想起した言葉が「邪教」「異教」であり、それを素直に父に伝えたところ、いかにも不満げであった。「ギリシア神話は、キリスト教なんかよりも、よほど古く由緒正しいんだが..(だから、「異教」はともかく「邪教」呼ばわりされる筋合いはないんだが..)」、というわけで。

 それは確かにそのとおり。しかしあなた、この作品を観て、素直にギリシア神話世界を想起できるか? 確かに、描かれている個々の神々や怪物をつぶさに見ていくと、ギリシア神話に辿りつく(ものが多い)が、全体としての雰囲気は、明らかに「諸神混淆」であり、さまざまな宗教のアマルガムである。ヒンズー教や(西洋人が見た)仏教にインスパイアされたと思しき断片が、散りばめられている。そしてこの色彩と装飾! 異形の群像で埋め尽くされている画面の下半分は、特に圧巻である。

 この世界に入っていきたい..この諸宗教の神々と怪物たちの世界の中で、あるいは私は永遠の責め苦に苛まれるのかも知れないが..しかし、たとえここが地獄でも、それもまた良し! そんな夢想(妄想)に何時間でも浸っていられる、究極の傑作..


【幻想美術選:これまでのラインナップ】

*第1回 2016年02月14日 「天使の声」マックス・エルンスト
*第2回 2016年03月10日 「見捨てられた町」フェルナン・クノップフ
*第3回 2016年03月18日 「アレクサンドロスの戦い」アルトドルファー
*第4回 2016年03月27日 「火星のプリンセス」武部本一郎

 ..つか、「倉田わたるのミクロコスモス」の直下に、「幻想美術選」という、まとめページを作ってしまった。[;_ _][;^.^]

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*2016年04月01日廃墟通信20周年!


 ..だからどうしたと言われても困りますが [;^J^]、何度か自慢しているとおり、日付が連続している(1日たりとも途切れていない)Web日記(広義のブログ)としては、まず間違いなく日本最長寿。(もしかしたら、世界レベルでも結構上位ではないのかしら?)とにかく、20年間も書き続けてきたという事実に、我ながら圧倒されるやら呆れるやら..[;^.^]

 何が恐ろしいといって、もはや、やめどきが無いのである [;_ _][;^.^]。さすがに死んだら止まるだろうが(案外、続いたりして [;^.^])、そう遠くない将来、退職してリタイア生活に入ろうが、住処を変えようが、あるいはなんらかの事情でプロバイダを移る必要に迫られようが、今さらたいした(やめる)きっかけには、ならない。そんなことは理由にならないのである。[;^J^]

 「継続は力なり」という。それは確かに真実だ。しかし、「継続は慣性なり」という方が、より私の実感に近い..

 蛇足ついでに野暮なことを書いておくが、金品のプレゼントは不要である。(わざわざ送り返す手間もかけないが。)ただ、言葉にせずとも、胸の中で祝福していただければ、それで十分である。[^.^]

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*2016年04月02日:器の小ささ


 好天。8:50頃家を出て、図書館経由で、湯風景しおりに9:30過ぎから13:30頃まで。買い物をして、14:30までには帰宅。

 自分の「器の小ささ」を思い知らされる機会は多々あるが、その最たるものが、「行列」である。

 特に、スーパーでもクリーニング屋でもどこでもいいが、なんらかの列の最後尾について、何十分か待たされるとき..そのこと自体は「混んでいる時間帯に来た自分が悪い」と達観でき、なんとも思わないのであるが(器がでかい! [^.^])むかつくのは、列の末尾についている自分のあとに、誰も並ばないときである。最大の不利益を被っているのは(最も長く並んでいるのは)「私」であって、私以外の全員は、私よりも楽をしている(並んでいる時間が短い)のである。そして、列がほとんど(あるいは完全に)なくなった頃合いに、ようやく誰かがやってきて、私の後ろに着く。私は何十分も並んだのに、彼はほぼノータイム..なんの苦労もせずに..

 ..瞬間、殺意に近いものが心をよぎることもあり..[;_ _][;_ _][;_ _]凸 ..この私の器の小ささは、ここまで来ると、もはやほとんど快感ですら、ある。[;^.^]

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*2016年04月03日:望月三起也、逝去


 それしにても、毎週毎週、あとからあとから..なんということだ..

 望月三起也、逝去。死因は肺腺ガン。享年77歳。合掌..[_ _][_ _][_ _]

 ついに最後まで、代表作は「ワイルド7」であった。これは、手塚治虫の代表作が「鉄腕アトム」とされるようなものであって、作者としては不本意かも知れないが..しかし「ワイルド7」は、確実にマンガ史を変えた。以て瞑すべしや。物理的にも社会的にも(倫理的にも?)あり得ない、荒唐無稽なアクションであり設定であるのだが、その圧倒的な迫力は、何百万人もの読者の(そして私の)魂に、永遠に刻み込まれている..

 ありがとう..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 7 2016
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