*2016年02月08日:軽くすみそう [;^J^]
*2016年02月09日:京都にもっと行かなくては..
*2016年02月10日:西にもっと行かなくては..
*2016年02月11日:六分儀への憧憬
*2016年02月12日:ももクロ苛め? [;^.^]
*2016年02月13日:来週末に帰省予定
*2016年02月14日:幻想美術選「天使の声」マックス・エルンスト
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*2016年02月08日:軽くすみそう [;^J^]


 残業せず、T整形外科で診察。

 腰に異変を感じて駆け込んだのが、5日前。軟骨のごく自然な摩滅(を原因として、姿勢によっては神経さわさわ [;^J^])ということで、まだまだ軽い超初期段階。とりあえず5日間は湿布してベルトで固めて、抗炎症剤などを処方、及びリハビリと腰痛体操。で、今日が再診日。経過良好とのことで、薬はお終い。湿布とリハビリと腰痛体操を続けて10日後に3度目の診察。その時点で軽快していたら、リハビリも終えて、腰痛体操だけ続けてください、とのこと。

 案外、早く終わりそうだ。[^J^]

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*2016年02月09日:京都にもっと行かなくては..


 浜松の最大の地理的利点は、東京と大阪の、ちょうど中間に位置しているということである。私は(主として展覧会を観るために)頻々と上京しているが、それと同じ気楽さで、しばしば京都に出かけていることは、この日記の読者ならご存知かと思う。(なにしろ、京都ときたら、大阪よりももっと近いんだから..)

 しかし、上洛頻度よりも上京頻度の方が、圧倒的に高い。バランスが取れていない。「ちょうど中間」という、地の利を生かせていない。そりゃ確かに量的には、東京の方が展覧会は遥かに多いが、京都には(あったり前だが)見所が死ぬほどたくさん、あるのである [;^.^]。それらを(ろくに)観ていない。「京都国立博物館」にはしばしば展覧会を観に行くが、道路を距てて向かいにある「三十三間堂」は、毎回ガン無視である [;_ _]。いくら時間がないとはいえ、もったいないにもほどがある。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 もうそろそろ定年で、いつまで浜松にいるか、わからない。浜松に骨を埋める可能性がゼロとは言わないが、横浜に帰る可能性の方が高い。そうなると、首都圏の美術館には、もちろん圧倒的に行きやすくなるが、逆に、京都には行きにくくなる。今のうちなのだ。もう、毎月上洛しても追いつかないぐらいである。なにしろ、観るべきものは、死ぬほどある..(少々、焦っているのである..[;_ _](← 悪いクセ..))

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*2016年02月10日:西にもっと行かなくては..


 実のところ、京都どころではない..というと語弊があるな、京都だけに注力している場合では無いのだ。先週末には3年振りに奈良に行ったが、その際、「奈良県立美術館」には行ったのだが、歩いてすぐの場所にある「興福寺」も「東大寺」も、完全スルーなのである。いくら時間がなかったとはいえ..

 さらに西に行けば、「ウルトラスーパー級」の美術館だけでも、たとえば、倉敷には「大原美術館」が、島根県には「足立美術館」がある。どちらにもまだ行ったことがない..今ならまだ、比較的気楽に行くことができる。首都圏に戻ると、いずれも遠い..

 昨日と同じことを書くなって? 正論です [;^.^]。今夜はネタがなかったんです..[;_ _][;_ _][;_ _][:^.^]

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*2016年02月11日:六分儀への憧憬


 六分儀が欲しい..六分儀の使い方を、おぼえたい..これほどまでにGPSが発達した世界で、しかもシティ派 [^.^][;^.^] の私などには、使う機会も必要性も、まず無いのだが..人類が作りだしてきた数多(あまた)の「道具」のなかでも、群を抜いた素晴らしさ(クールさ)だと思うのである。なにしろこれと、高精度の時計と、紙モノの資料(季節ごとの太陽高度表)さえあれば、自分がいる場所の緯度も経度もわかる..つまり、GPSが要らないのである。(現代人には、逆に、信じがたいことである。[;^.^])

 しかし、自分の性格は自分が一番よく知っている。なにかの状況に追い込まれない限り、使い方を憶える根性は無いであろう。恐らく、それなりに見映えの良い(中途半端な)骨董品を買ってきてディスプレイして、悦にいるのが関の山であろう..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 快晴。暖かい。9:30に出て、クリーニング出し。9:50から14:20まで湯風景しおり(で、主としてサウナと読書)。14:30、帰宅。

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*2016年02月12日:ももクロ苛め? [;^.^]


 CSの「フジテレビNEXT ライブ・プレミアム」で録画した「あたしの音楽」で、ももクロの新曲、「マホロバケーション」を聴いたのだが..こ、これは..[;^.^]

 早口言葉も、試練だとは思う。試練だとは思うが..それより、これ、絶対に作詞者(六ッ見純代)によるももクロ苛めだろ [;^.^]。ももクロ(のメンバーの多数派 [;^.^])が知らないに決まってる単語(漢語)を大量投入している [;^.^]。「合縁奇縁」「那由他」「笑門来福」「徒花」「因果律」「吉祥」「五臓六腑」「天手古舞」「我武者羅(これは読めないだけかも)」「超弩級(同じく)」「冥加」「森羅万象」「総譜」..そりゃもちろん、レコーディングに入る前に、意味(と読み方 [;^J^])は教えてもらうはずだが、こんなにたくさん、憶えきれるわけがない [;^.^]。絶対、音で憶えてカタカナで歌ってるに決まってる。[;^.^][;^.^][;^.^]

 ちなみに、私がももクロのライブを非常に心地よく観ていられるのは..まぁ、昔から気がついていたことではあるが、武部聡志をはじめとするダウンタウンももクロバンドのキーボーディストたちが、私の勤務先の製品を数多く使っているからである。[;^J^](JUPITER−80の雄姿も見える。)我ながら心が狭いとは思うが、ここは正直に述べておく。[;^.^]

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*2016年02月13日:来週末に帰省予定


 8:00過ぎに出てT整形外科でリハビリ。(いちいち書いていなかったが、休日以外は、毎日リハビリに通っている。)そのあと湯風景しおり。帰宅時刻をメモし忘れたが、まぁ、15:00前だろう。

 急遽、来週末、横浜の実家に帰省することにした。高速バスのチケットを確保。この機会に、展覧会を4つ片づけることにしよう。

 2月20日(土)は、

*山種美術館
 「伊藤若冲 生誕300年記念 ゆかいな若冲・めでたい大観 ―HAPPYな日本美術―
 後期:〜3月6日(日) まで

*森美術館
 「村上隆の五百羅漢図展
 〜3月6日(日)まで

 2月21日(日)は、

*東京都美術館
 「ボッティチェリ展
 〜4月3日(日)まで

*東京都庭園美術館
 「ガレの庭 花々と声なきものたちの言葉
 〜4月10日(日)まで

 ..ま、予定は未定(久々に書いたな、この定型句 [;^J^])だが。

 夜、風雨が強くなってきた。

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*2016年02月14日:幻想美術選「天使の声」マックス・エルンスト


 早朝、5:00に目が覚めたら、まだ雨が強い。ドロドロと寝直して5:30に再び起きたら、やはり強い雨..もう一度繰り返して、6:00に起きた頃には、ほぼやんでいた。

 8:00にはすっかり上がったかと思ったら、9:00になったらまた降ってるし..映画とか買い物とかプランしていたのだが、なんだかダウナーな気分になって、結局、終日引きこもり..

 ..さて、本日の日記のネタは、これで尽きたわけなのだが [;^J^]、今日は、ここから粘りますよ。[;^.^]

 6年ほど前に書いた「孤島の1枚」という企画(2010年06月30日)。時間がなかったこともあるが、6点しかセレクトできなかったし、いずれも西洋美術史上屈指の傑作とはいえ、バランスがいまいちであったり、(諸事情により)図版の画質に問題があったり、と、思い残す点が非常に多く、いずれ再挑戦したいと思っていたのである。「倉田わたるの幻想美術十選」みたいな形で..

 それがどうして、6年間も実現しなかったのかというと..これが実に、容易な企画ではないからである。自宅には、数百冊の画集に収録された、数万点の図版が存在するのだが、おそらく、その70%以上が、「広義の幻想美術」であると推測される。(仮に)10点なり20点なりを精選するのであれば、その全てに目を通さなければならない..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 ..などという(一種の)完全主義に囚われていると、一歩も先に進めず、何もできないので、企画のハードルをぐっと下げて、折に触れて(ネタの無い日に [;^J^])、「倉田わたるの選ぶ“究極の”幻想絵画」(← これはこれでハードル高いが [;^.^])を、1枚ずつ紹介していくことにしよう。

 第1回は、この作品。前記「孤島の1枚」でもご紹介した(倉田わたるにとって)西洋幻想美術史上、オールタイム・ベスト級の1枚!

Picture

「天使の声」(マックス・エルンスト、1943年)

 私はこの作品を、おそらく1983年の3月(つまり、大学4年生になる直前の早春)に、今はなき「新宿・伊勢丹美術館」(調べてみたら、2002年に閉館したようだ)で開催された「シュールレアリスムの巨匠たち展」で観ている。当時は日記を書いていなかったのに、何故断言できるのかと言うと、読書記録DBにこの展覧会の図録が記録されており、そこに、下記のように書かれていたからである。

解説(図版)が、熱っぽく、面白い。中でも「Vox Angelica」を激賞しているが、まさに、わが意を得たり、である。それにしても、「かりに災厄が地球全土を襲い、(…)このヴォックス・アンジェリカだけは無事残ったとすれば、(…)」とは! とにかく、僕にとって、この展覧会は、「Vox Angelica」と「光の囚人」につきた。そのマッタの解説、「シュルレアリスムの作品には珍しく建築的な空間感覚(…)」というのは、気が付かなかった。不覚。

 ..30年以上昔の(学生時代の青臭い)自分の文章など、恥ずかしくて読んでいられるものではないが [;_ _](ここに記載されている「Vox Angelica」こそが、今回紹介する「天使の声」。「光の囚人」の作者は、ロベルト・マッタ。この作品も、いつかは紹介したいが..)、ついでに筆を滑らせておくと、当時(不精で)日記を書いていなかった私は、「どうせ毎日、何かしらの本を読了するのだから、読書記録DBが日記がわりになるだろう」、と、考えていたのは事実である。今では週に1冊強という体たらくであるが、当時は本当に、毎日1冊以上読んで、DBに感想を入力していたのである..(← 遠い目(← お約束。[;^.^]))

 閑話休題。[;^J^]

 本当に、衝撃的であった。以前から画集で親しんでいた(憧れていた)作品であったが、まさか実物を観られる日が来るとは夢にも思っておらず、ある日、特にこれといって大きな期待も(そしてなんらの情報も)持たずにふらりと立ち寄ったこの展覧会場で、とある部屋に入ったら、目の前にこの大画面が..そのショックたるや、30年以上たった今でも、鮮明に記憶しているほどのものである。まさか、これが、今、目の前に! ..本当に、絵の前で数十分間、硬直していたのである。

 これは何よりもまず、(私だけの表現かも知れないが、)「SF絵画史上の最高傑作」であり、「究極のSF画」なのである!(1976年に逝去したマックス・エルンストが、SF小説やSF映画に親しんでいたかどうかは知らないが。)

 SFファンなら、誰もがすぐにわかるように、これは「パラレル・ワールド」の可視化である。それも、単なる並列(パラレル)ではない。ご覧のとおり、実にリズミカルに、絶妙のバランスを保って通底しあっている。

 「ここに、SFの全てがある!」、と言えば、もちろん、言い過ぎになるだろう。しかし、いかに多くの、豊かな「世界」が、「宇宙」が、畳み込まれていることか! 最上段で特に目立つ、ふたつの不気味な風景は、超遠未来の地球か、あるいは近未来の破滅後の世界か、または遠い惑星/異世界/異次元か。そこに生物はいるのか。右上隅の「窓」から見えるのは、もちろん、深宇宙(ディープ・スペース)であり、ありとあらゆる宇宙SFやスペースオペラの世界が、この「向こう側」に拡がっている。逆に、左上隅(及びその下の段)の縦に細長い「窓」から見えるのは「あり得ざる宇宙」であり、それを舞台にした無数のSF(あるいはメタSF)が想起されよう。上から二段目、左から二つ目の窓の向こうの暗く渇いた「森」、三段目と最下段をぶちぬいている熱っぽい「森」(ここにはなにかしらの生物が居る)は、言うまでもなくヒロイックファンタジーや冒険SFの世界..いや、この「熱い森」は、むしろ、初期J.G.バラードの「破滅の風景」か..驚嘆に値するのは、中央付近に位置するふたつの窓。女と蛇と鳥が柵の向こうに(閉じ込められて?)いる「森」と、星降る夜空に奇妙な大木に巻き付いている蛇。明らかに「神話世界」であり、お望みならば「クトゥルー系」を想起するのもご自由に。そして、菫(すみれ)色の「空」が拡がる「窓」たちだ! とくに、二段目の、同系色で粗くクロスハッチングされた窓! 単なる抽象画にしか見えない人も多いだろうが、私には、これが「究極の未来都市風景」に見える。より正確に言えば、「巨大な未来建築の、巨大な窓から眺めた、未来風景」だ。あらゆる「未来社会を舞台とする」SFが、このひとコマに、吸い込まれて行く..そして、その左右の黄色い空の下の、レトロな建築。エンパイア・ステート・ビルと、エッフェル塔だろうか..今となっては、「スチームパンク」世界以外の、何物でもない。

 注目すべきは、これら「奥行き」のある「(三次元、あるいは多次元)空間(世界)」と、「二次元世界」が渾然一体となっているところである。後者は(当然ながら)空気もなく、息苦しく、しかし抽象的なSF世界を具現化している。ニュー・ウェーブを想起してもいいが、たとえば、円城塔らの数学SF、ロジックSFが畳み込まれていないだろうか。(特に、左下の明るい幾何学世界。)「でも、筒井康隆はいないだろう」って? 至る所に散りばめられている「文房具」が目に入らないかい?(特に、右下の「MAX」という署名を構成するコンパス群。)そう、もちろん、「虚構船団」である!

 「幼年期の終わり」も「銀河帝国の興亡」も「未来史シリーズ(ハインライン)」も「火星年代記」も、「果しなき流れの果に」も「百億の昼と千億の夜」も「脱走と追跡のサンバ」も「神聖代」も、「結晶世界」も「リングワールド」も「ディファレンス・エンジン」も「カエアンの聖衣」も、「ペルシダー」も「神獣聖戦」も「ユービック」も「ソラリス」も、全てこの「絵」が「飲み込んでいる」..もう少し正確に言うと、この絵を見つめることによって、(なかばアトランダムに選んだ)たとえば前記のSF作品群の世界を想起し、そこに入っていけるのである。広大極まりないSF世界への入り口として、機能しているのである。

 だから私は、SF小説を読むのに疲れたとき、この絵を眺めて過ごしていることがある..過去に読んだ、厖大な量のSF世界の追憶に浸り、その世界へ(過去へ、あるいは未来へ)魂を飛ばし、遊ばせるために..

 ..最後に、やはり、これだけは引用しておこう。(前述の「孤島の1枚」でも引用したので、読み飛ばしても構わないが。)

「ヴォックス・アンジェリカ」は4枚の組合せカンヴァスの中に、エルンストの20年間にわたるシュールレアリスト時代のイメージのあらゆる局面をうかがわせる小画面がびっしりつめ込まれている。この作品はシュールレアリスムの画家としてのエルンストのそれぞれの発展段階の、いわばミニチュア形式による回顧的アンソロジーともいえるものである。すなわち見事な静物、異国風の情熱的な“夢の風景”、紫色の空にかかる銀河の眺め、モホリ=ナギを思わせる幾何学的な断片、古代のプリミティヴなトーテムあるいはフェティシュを思わせる一連の彫刻的な形象、一見通り抜けられそうもない深い森を通してのぞかれる暗い不吉な眺めなどであるが、これらはいずれも完璧なバランスと秩序を保って描かれ、集められている。このことはこれらの色彩と形態と単純さと念入りな細部とのコントラストが物語っているが、その頂点ともいうべきは右下隅に見える“Max”という名で、各文字は精度の高い製図工のコンパスで、欠けるところのない“スーパー・リアリズム”風の緻密さで描かれている。かりに災厄が地球全土を襲い、席捲し、しかもこの「ヴォックス・アンジェリカ」だけは無事残ったとすれば、この作品1点によっても彼はその時代の、あるいはあらゆる時代の最大かつ最も才能ある芸術家として決して忘れられることも、見すごされることもないだろう。

(ティモシー・バウム、「シュールレアリスムの巨匠たち展 図録」より)
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*解説


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Last Updated: Feb 18 2016
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