2021年06月21日:「華氏451度」最終回 2021年06月22日:幻想美術選「聖アントニウスの誘惑」アンリ・ファンタン=ラトゥール 2021年06月23日:アジマリストの誤り判明 2021年06月24日:内出血? 2021年06月25日:「病変」消滅/アジマリストを修正 2021年06月26日:トライアローグ/「リカ」 2021年06月27日:「銀座じゃん」[^.^]目次へ戻る 先週へ 次週へ
今月の「100分de名著」は「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)だが、今夜が(全4回中の)最終回である。
この本を未読の人には(既読の人にも)是非とも視て欲しい好企画であった。(「読んで欲しい」ではなく「視て欲しい」というところが、なんともシニカルな逆説なのであるが。[;^J^])半世紀前に読んだっきり、という体たらくを棚の上に上げて言わせていただくと [;_ _]、やはりいろいろと「出来が悪い」小説ではあると思うのだ。(小学6年生の倉田わたるも、そう思っていた。)しかしそういう「出来の悪さ」こそが、「ひっかかり」あるいは「居心地の悪さ」として、心に残るのだとも言えようか。
本質的に重要なことは、ここに描かれているディストピアは、「大衆自らが招き、そしてそれを“よいもの”として受け入れている」社会であるということなのだ。そして今われわれが生きているこの現実社会が、いかにこの「華氏451度」のディストピアと似ていることか! 講師(指南役)の戸田山和久氏は指摘する。「われわれの社会にファイアマン(昇火士)はいらない。みんながファイアマンである。」
そして戸田山氏は、この結末(ディストピアの火による浄化)は、受け入れられないという。確かに言われてみれば、これではファイアマンのやっていることと同じなのだ。では、どうあるべきなのか..これが、「華氏451度」の「ひっかかり」なのである。
未読の人は、死ぬまでに一度でいいから、お読みください..
目次へ戻る「幻想美術選」、第253回。「聖アントニウスの誘惑」7番勝負の、第5回。この画家は「ラインの黄金」以来の、2回目の登場であり、その独特の蠱惑的な筆致は、ここでも健在である。
この画題(聖アントニウスの誘惑)については、前回のカロの回で、「祝祭による誘惑」という、新しいパターンが切り開かれたとご紹介したが、もちろん、すべての画家・すべての作品が「祝祭」に舵を切ったわけではない。そうではなくて、「多様化」が始まった(あるいはその傾向に拍車をかけた)のである。
この作品は、一見、「多様化」以前の、たとえはパティニール作品と同様の、キャバクラ型の範疇に含まれているように見えるかもしれない。違いと言えば、パティニール作品は上品でセレブな高級クラブの風情だったのだが、こちらではフルヌードですよ [*^,^*]、キャバクラではここまでのサービスは望めませんよ [*^,^*][*^,^*]、これはもう違うジャンルの風俗の [*^,^*][*^,^*][*^,^*] ..と、羽目を外そうとして 筆を滑らせようとして..少し雰囲気が違うことに気がつくのである。
たしかに「肉欲(あるいは酒食)による誘惑」であり、聖者は聖書を読みながら、必死になってそれに耐えている(無視している)のであるが、どうも、意外に高雅な..と言っては言い過ぎだが、どこか「品の良さ」が感じられるのである。この(アイキャッチとして機能している)裸女に騙されそうになるが、他の女性たちは決して露出過多ではないし、体の魅力でアタックするでもなく、むしろ控えめに遠慮がちに、聖者を「見守っている」ではないか。そしてなんとしても重要なのが、「母子の存在」である!
この「聖アントニウスの誘惑」には、なんと、「誘惑する側の家庭生活」が描かれているのである!
「肉欲に溺れれば得られるであろう、小市民的なささやかな幸せ」が描かれているこの作品は、「キャバクラ型の肉欲による誘惑」を装いながら、実は、「世俗の家庭生活の幸福に誘(いざな)う誘惑図」なのであった。古今東西の誘惑図のことごとくを見ているわけではもちろんないので、断言はできないのだが、おそらく前例がないのではないかと思う。
それにしても、必死に耐えている聖アントニウス..この場合は、「誘惑に負けるほうが、正しい」のではないかと思うのだが..[;_ _][;^.^](あー、もちろん、この優しげな「女性」たちは、全員「悪魔」ですので、そこはお間違えのないように [;^J^]。とはいえ別に、家庭生活に(婚姻に)誘う「女性」が「悪魔」だと言っているわけでは、ありません。[;^.^][;^.^][;^.^])
Henri Jean Theodore Fantin-Latour(1836〜1904、Wikipedia)は、普通に 画像検索 しても、ほとんど花の絵しか出てこない。「版画」もつけて 検索 すると、「こっち側(幻想美術より)」の作品がヒットしはじめる。
目次へ戻るほとんど数年振りにツイッターでエゴサーチをしたところ、「虫塚"KERA"虫蔵 @pareorogas」氏の「少なくとも倉田わたる氏が作成した吾妻作品リストの「純文学シリーズ」初出年月日は誤りといえます」という(2020/05/01 の)ツイートを発見し、おや? と思って連絡を取ったところ、さっそく返信があった。
どういうことかというと、「午後の淫荒」を初めとする「少女アリス」誌に掲載された以下の作品の初出データ、
午後の淫荒::6:増刊少女アリス:1980/02?
水仙::6:少女アリス Vol.8:1980/03
さまよえる魂::8:少女アリス Vol.9:1980/04
不思議ななんきん豆::8:少女アリス Vol.11:1980/06
夜のざわめき::8:少女アリス Vol.12:1980/07
陽射し::8:少女アリス Vol.13:1980/08
水底::8:少女アリス Vol.14:1980/09
夕顔::8:少女アリス Vol.15:1980/10
海から来た機械::8:少女アリス Vol.25:1981/08
..は、1ヶ月ずれており、正しくは、以下だというのである。
午後の淫荒::6:増刊少女アリス:1980/01?
水仙::6:少女アリス Vol.8:1980/02
さまよえる魂::8:少女アリス Vol.9:1980/03
不思議ななんきん豆::8:少女アリス Vol.11:1980/05
夜のざわめき::8:少女アリス Vol.12:1980/06
陽射し::8:少女アリス Vol.13:1980/07
水底::8:少女アリス Vol.14:1980/08
夕顔::8:少女アリス Vol.15:1980/09
海から来た機械::8:少女アリス Vol.25:1981/07
実はこの「ズレ」というか「誤り」には思い当たるフシがあるというか、あり得る事態ではあったのだ。どういうことかというと、「少女アリス」誌には厳密には「月号表記」がなく「Vol」表記だけなのだが、奥付がなく、発行年月日が本体に記載されていないのである。それなのに例えば、「不思議ななんきん豆::8:少女アリス Vol.11:1980/06」、と記載できていたのは、現代マンガ図書館の所蔵リストその他の複数の「状況証拠」の組み合わせから、「(その月に発売されたのは)まず確実である」、と判断できていたからであるのだが..
「虫塚"KERA"虫蔵」氏曰く、近年になって、Vol.11 の販売開始日が「1980/05/06」であったという物証(エビデンスとなる画像データも送っていただいた)が発見され、そこから逆算して、すべて1ヶ月ずれていることが判明したとのことである。(現在、Wikipedia の「シベール (同人誌)」の項にも、リストが掲載されている。)念のために付記しておくと、「月号表記」の雑誌であれば、実際の発売日に関わらず、その「月」を初出年月日として採用する。この雑誌は「Vol」表記なので、「発売日」を初出年月日とするのである。
いやまったくありがたい [_ _]。さっそく修正しなくては..(結構、修正範囲が広いので、即日とはいかない。作業は慎重に..)..と、念のために買い集めていた「少女アリス」誌を再確認したところ、なんと! 一部の号の表3(裏表紙の裏のページ)に、「次号の「発売日」」が記載されているではないか..[;_ _][;_ _][;_ _] どうして今まで気がついていなかったのだ..[;_ _][;_ _][;_ _] 理由はもちろん、早い時点で、「この問題は解決済み」として自分の中で「片付けていた」ので、洗い直すこともなかったからである..30年近くも..[;_ _][;_ _][;_ _] 実に教訓的でしょ。ここまで読んで、得したでしょ。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]
立花隆、4月30日に急性冠症候群のため逝去していたとのこと。享年80。合掌..
目次へ戻る左足薬指の爪に異状発見。左側の僅かなエリアを除いて全面が黒くなっている。表面の汚れかと思ってガシガシこすって(削って)みたのだが、まったく取れない。どう考えても、これは爪の「下」。内出血(血豆)とおぼしい。(別に痛みはないのだが。)
思い当たるフシはないこともない。私の足の指は若干長めで互いに干渉しあっており、薬指の先端(第一関節)は半分近く、中指の第一関節の「下」に「踏まれている」のである。ちょうど、黒くなっているエリアが..長時間歩くなどの酷使をすれば、中指からの圧迫を受けてこうなることもあるかもしれない..別に酷使していないのだけれども。[;_ _][;^J^]
そういう外部要因ではない、自然発生的な内出血だとすると、これはいささか気になるなぁ..明日の夕方にでも、病院に行こうかな..
目次へ戻る曇天。テレワーク。台風が近づいているらしい。週末には名古屋に出かける予定だし、荒天にならなければいいのだが..
昨夜気がついた、左足薬指の「病変」の件。シャワーで洗い流したら、落ちてしまった [;^.^]。まったく納得いかない。まったく納得いかないぞ、私は![;^.^]凸 昨夜はあんなにこすってもびくともしなかったのに、単なる「付着物」だったとは、まったく承服しがたいことである..[;_ _]
ありうる仮説として..これはもともと爪の下側で発生した(たとえば内出血による血豆などの)物質なのだが、一晩かけて爪の内部から外部へと「染みだし」、最終的には外部にだけ存在する「付着物」となった。これを洗い流すことによって、爪の下部も内部も(そしてもちろん外部も)クリーンになった..はたして「ありうる仮説」だろうか..[;_ _][;^.^] とにかくこれでは医者にかかれないので、しばらく様子見とする。
ほぉほぉ..Windows 11 が発表されましたか [;_ _]。10 で終わりという約束を、私はよっく、憶えていますけどね..[;_ _][;_ _][;_ _]凸
「吾妻ひでお 著作リスト」の修正完了。「少女アリス」誌の初出データの件である。変更個所は、6ファイルの計60行に及んだ。
目次へ戻る明るい曇天。にわか雨があるらしい。6:30頃に出て、徒歩で浜松駅にむかう。おや、古書肆の時代舎が3軒先に移動中。今後は営業時間が不定になるらしい。
7:55のJRで名古屋にむかう。9:50に愛知県美術館。10:00に開館、「トライアローグ:横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館 20世紀西洋美術コレクション」である。この美術館では明日(6月27日)までで、以降、富山県美術館に巡回する。
以下、おおむね作品リストの順に、いくつかピックアップしておく。
フランティシェク・クプカの「灰色と金色の展開」(画像検索結果)は、抽象画の生みの親のひとりの作品。私は抽象画にはそれほど惹かれないのだが、いいものはいい。マルセル・デュシャンの「アネミック・シネマ」は、画像検索結果を見ても、わけわからんでしょ [;^J^]。これは実は7分間のフィルム作品なのである。面白いんだか面白くないんだか..というところが面白い(何を言っておるのだ。[;^J^])コンスタンティン・ブランクーシの「空間の鳥」(画像検索結果)は、有名ですね。多数のバージョンがあります。まれに見る、美しい彫刻だと思う。ジョージ・グロッスの「エドガー・アラン・ポーに捧ぐ」(画像検索結果)、オットー・ディックスの「仔牛の頭部のある静物」(画像検索結果)も、悪くない。
パウル・クレーは、いつ見ても、本当に素晴らしい。「女の館」(画像検索結果)、「攻撃の物質、精神と象徴」(画像検索結果)、「蛾の踊り」(画像検索結果)。じゃんじゃん量産していながら、このクオリティとは..マックス・エルンストも、3点。「森と太陽」(画像検索結果)は、彼の初期を代表する作風。エルンストならではの「ドイツの森」。「少女が見た湖の夢」(画像検索結果)は、横浜美術館の逸品のひとつで、廃墟通信でも何度も言及している。「ポーランドの騎士」(画像検索結果)も、少なく見積もっても45年以上のお付き合いである。
サルバドール・ダリの「アメリカのクリスマスのアレゴリー」(画像検索結果)は、なんというか、ダリ一流のわかりやすさと(良い意味での)安っぽさ [;^J^] が、魅力である。(ディスっているのではない。[;^.^])イヴ・タンギーの「風のアルファベット」(画像検索結果)も、常々、横浜美術館でお世話になっている作品。ルネ・マグリットの「王様の美術館」(画像検索結果)は、この展覧会のアイコンのひとつとなっている。ポール・デルヴォーも3作。「こだま(街路の神秘)」(画像検索結果)は、わかりやすいですね。「夜の汽車」(画像検索結果)は、とりわけその色彩が大好きな作品なのだが、そうか、これは日本にあったのか。「幻想美術選」でいずれは取り上げなくては、と思っていた逸品。「階段」(画像検索結果)も、なんとも素敵だ。
ロベルト・マッタの「コンポジション」(画像検索結果)は、うまく検索できているだろうか。ウィフレド・ラムの「アダムとイヴ」は、検索できなかった。ジョージア・オキーフの「抽象 No.6」(画像検索結果)は、なんとか検索できたっぽい。画家は、自分の作品から性的なニュアンスを読み取られることを嫌っていたらしい。ジャクソン・ポロックの「無題」が、このタイトルで 検索(絞り込み) できるんだから、たいしたもんだ [;^.^]。ルーチョ・フォンタナの「空間概念」(画像検索結果)もまた、超有名作だが、やはり複数バージョンがある。あなたがご存じの「空間概念」ではないかもしれないし、トライアローグには来ていない「空間概念」が検索されているかもしれない。
そして、アルマンの素敵なオブジェ、「バイオリンの怒り」(画像検索結果)[^.^]。あと(僅か)2年と3ヶ月後には横浜の家をリフォーム(改築)「し終えて」そこに引き籠るのだが(準備している時間がまったく取れていない..![;_ _])、そこには小さくてもいいので、飾り棚を設置したいと考えており、そしてその中に飾っておきたくなるような作品なのだ、この「バイオリンの怒り」は。[^.^](いささか大きすぎるけど。それと、きっと、高すぎて買えないけど。[;^.^])
ちなみに飾り棚の理想型といえば、もちろん、澁澤龍彦の有名なキャビネットである。とてもとてもこのようなものは、誂(あつら)えられませんよ。似たようなキャビネットを購入して、似たような物件を買い集めることはできるだろうが、もちろん、そういうことではないのだから..
12:00過ぎに退出し、直近の「すずの屋」で「菜めし田楽」を食べてから、浜松に戻る。
浜松駅前のザザシティのトーホーシネマで、16:00からの回で、「リカ 自称28歳の純愛モンスター」を観る。
この作品の原作を読んでおらずドラマも見ていなかったことをどうこう言われる筋合いは、ない。しかし、事前に入手していたパンフレットをチラ見しただけで物語の梗概も性質もまったく把握していなかったことは、それは、私の落ち度かもしれないのだが..[;_ _]
..だって、このタイトルだもの。「心は28歳だが体はアラフォーかアラフィフの“痛い”乙女を主役とする、クリティカルなメタ少女マンガ」だと思い込んでいたのは、当然だと思うのである [/_;]。まさか、猟奇系のサイコホラーだったなんて [/_;]。(物語開始前に)じゃかじゃか殺しまくってるじゃないか [/_;]。しかも、切り裂きジャック的な惨殺かと思いきや実は(以下略)..[/_;][/_;][/_;]
..えーと、全体としては面白かった [;^J^]。特に前半。この狂女の造形が、逆にリアル。十分に現実世界に実在しうるという恐怖。それだけに、中盤というか「終盤の入り」の、警察の包囲を突破するシーンの違和感がぬぐいきれない。パンフレットを読むと、「あり得ないアクション」による「笑い」を狙いとする、要するに「マンガ的なシーン」だとのことで、なるほどそういう意図かと理解はできるが、しかしやはり..[;^J^] そこまでは「実在しうる恐怖」だったのだが、ここで「超人あるいは妖怪」と化すのである。おそらく誰が観ても、ここが評価の分かれ目になるだろう。(無論、高く評価する人たちもいるだろう。)
雨宮リカ役の高岡早紀が、素晴らしい。奥山次郎役の市原隼人、青木孝子役の内田理央も、好演。孝子のバディである梅本尚美役の佐々木希は、どういうわけか応援したくなってしまう [;^J^]。ほとんど警察関係者しか出てこないという物語のコンパクトさも、高く評価したい。ただし、このラストシーンは、私はやりすぎだと思う。これではリカが(略)。それよりも、その直前のシーン、いわばリカの「狂気」が「継承されていく」シーンで切る方がいいと思った。
ま、お薦めしておく。自己責任でどうぞ。[^.^][;^.^]
夕食は、有楽街の「餃子の遠州」という店。たいして長居はしなかったが、バスで帰宅した時刻は忘れた。
目次へ戻る昨夜の「ブラタモリ」は、「江戸城〜江戸城は日本の城の集大成!そして…〜」。2回連続企画で、江戸城の痕跡をめぐるという趣向であり、1回目の今回は、2階建てのバスで回るのだが..
..東京の中心地を大きく反時計回りに回り、南側からバスが左折して江戸前島エリアに入ったとき、アシスタントの浅野里香アナが、思わず、「銀座じゃん!」、と、2回も口走るという、アナウンサーにあるまじき好リアクション [^.^]。ひとしきりタモリに「銀座じゃね?」「銀座ですけど〜♪」、と弄られていた。[^.^]
降りそうな曇天。車で出る。11:00、「麺屋 Kazu-G」。特製淡麗煮干しそば。
城北図書館へ。雑誌をチェックしていて、SFマガジンの今月号を買っていなかったことに気づき、三方原のアマノ書店へ。
昼過ぎに帰宅。
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