2021年02月08日:LPC2-T 予備機確保 2021年02月09日:カビダッシュが.. 2021年02月10日:依存症ではないらしい [;^J^] 2021年02月11日:メディア経由の経路を確保 2021年02月12日:輪ゴムが切れた [;^.^] 2021年02月13日:怪物原稿 初稿アップ 2021年02月14日:幻想美術選「孤独な塔」サミュエル・パーマー目次へ戻る 先週へ 次週へ
なにかと言うと、PCカード(PCMCIAスロット)規格の LANカードなのである。(このインターフェースを知らない人は、ぐぐっとくように。[^.^])
なんでまたこんなものを買ったのかと言うと、私の自宅でのメイン執筆環境である LIB100(Win95機)の本体には LAN端子がなく、永年挿しっぱの LPC2-T が頼りなのだが、これに錆が浮き始めていて [;^J^]、いつ使えなくなるかわからないからである。これが故障すると LIB100 が LAN から切り離されるという、そこそこのピンチに見舞われるのである。(ちなみに、接続先は家庭内 LAN であり、外界にはつながっていない。いまどき Win95 に感染するマルウェアが新規に作成されるとは思えないのだが、かつてひとたび放たれたウィルスは、いつまでも消えずに漂っていると考えるべきだからである。)
もちろん、このカードはとっくにディスコンなので、中古品をポチり、本日、届いたのであった。別の PCカードを買うとドライバの入れ換えが発生するわけで、いまさら Win95 でそんなリスキーなこと [;^.^] をするわけにはいかないので、同じ製品を入手したのである。
現在稼働中の錆っぽいカードと挿し替えて、問題なく稼働。元のカードに挿し戻しても、問題なく稼働。オッケー。これで予備機を確保できた。これであと*年は戦え(略)
目次へ戻る..効かないのである、唖然とするほど(倒置法)。
以前、行きつけの杏林堂にカビキラーがなかったので、代りに買ってみたものなのだが..これが本当に同じジャンルの製品なのかと、呆然とするほど、カビが落ちない [;^.^]。何か使い方を間違っているのだろうか? それとも不良品なのだろうか?
もしかすると、本来、カビ落としというのはこの程度のものであるべきであって、カビキラーが「効きすぎる」のであろうか..いやいや、これではダメでしょう。カビキラーを買いなおすことにしよう。(ほぼ未使用も同然の、このカビダッシュは、なんとかして使いきろう..)
目次へ戻るとにかく、iPhone をよく忘れるのだ。紛失したり、どこかに置き忘れてくるのではない。家からでかける時にポケットに入れ忘れることが、非常に多いのである。
出勤時に忘れることは、これまで恐らく一度もなかったと思う。東京や京都など少し遠くに出かけるとき、あるいはそこまで遠くでなくとも、休日に市内・県内の、たとえばフラワーパークや掛川花鳥園などに出かけるときも、「財布」「手帳」「iPhone」「ボールペン」「シャーペン」の5点セットは、必ず(ほぼ無意識のうちに)身に付けて出かけている。
「ダメ」なのは、近所のスーパーなどに買い物に行くときなのである。体感的には、4回中、3回は忘れているのではあるまいか。ほとんどの場合、車を運転しだしてから気がつくので、引き返すのも業腹で、「もう、いいや..」、と、多少の不便を忍びながら用件を済ませて帰宅するのである。(なにしろ腕時計を持っていないので、iPhone がないと時間もわからないのだ [;^.^]。電話/メールが使えないことについては、言わずもがな。)
どこかの時点で、「習慣づけ」に失敗したんだろうなぁ..クセになってしまっているとすると、もう、直らないかもしれない..[;_ _][;^J^]
目次へ戻る一昨日の続きである。LANカードの予備は確保したが、それでも LAN 自体につながらなくなるリスクは、常に抱えている。そこで、LIB100 と Windows 10 機のデータ交換の予備経路の確認をした。要するに、カードメディアによる受け渡しである。かつては行っていたのだが、ここ最近は(もしかすると数年間も?)行っていなかったので、できなくなっている可能性があるからである。
LIB100 には PCカードスロット以外の出入口がない。(Win95 時代には、USB なんかなかったのである。[;^.^])(フロッピーは?とかシリアルとかパラレルとかつっこむなうるさいそこのオタク [;^.^]凸)各メディアへの変換アダプタ(カード)経由なのであるが..まず、SD がダメ。これは、容量の問題かもしれない。手元にある最低容量の SD は 2Gバイトなのだが、これは Win95 には無理なのかもしれない。[;^J^](あるいは、変換アダプタの不具合/仕様なのか。)これ以外はさらに大容量であり、いずれも LIB100 が認識しない。512M などの小容量のものなら使えるのかもしれないが、わざわざ買うのもね..
SmartMedia には LIB100 から読み書きできるのだが、今度は Windows 10 PC 側のマルチ変換アダプタ(USB 仕様)が、手元の2種類とも、これに対応していない [;^J^]。なんでまたこんな(今となってはマイナーな)メディア用の変換アダプタを持っているのかというと、Fantom-S の外部メディアが SmartMedia であり、LIB100 でそれをバックアップしているからである。(2020年は夏オフが中止となり、Fantom-S を使う機会がなかった [_ _]。今年はどうだろうか..)
CF(Compact Flash)が、双方で認識できた [^J^]。8M オッケー、32M オッケー。48M が、LIB100 では OK だが Windows 10 PC 側で認識しない。メディアの個体不良なのか、仕様の問題なのかは不明。
まぁ、いいや。32M までならデータ交換できることが確認できた。どうせテキストファイルの転送をするだけだし、非常用としては、このサイズで十分である。
T氏プロジェクトの怪物原稿の構想が、大体まとまった。
目次へ戻る久々に自転車通勤。朝も夜も少し寒めの涼しさで、ちょうどいい。
出勤中に、ヘッドライトを止めている輪ゴムが切れていることが判明した。(なんでまた輪ゴムなんかを使っているのかについては、「2020年12月04日:濡れ鼠 [;_ _]」を参照のこと。[;^J^])そりゃまぁ、テンションかかった状態で、この寒空に屋外に放置していたんだから、劣化もするわなぁ。[;^J^](むしろ、2ヶ月ももったんだから、たいしたものである。)
爪が折れていてロックできないのを、輪ゴムで押さえつけていたのであるから、それがなくなると軽く引っかかっているだけであり、衝撃を与えると外れてしまう。路面のたいらな部分を選んで慎重に走り続けたが、最後の最後、左折して会社の正門に入る瞬間に路面のデコボコに乗り上げてヘッドライトが吹っ飛び、コロコロと落下。トホホ..[;^.^] 幸い、そこはもはや幹線道路ではないので安全に拾えたが、「百里の道は九十里をもって半ばとす」とは、このことである。[;_ _][;^J^](あとで輪ゴムを取り替えておかなくては..)
チック・コリア、癌により逝去。享年79。RIP..
目次へ戻る怪物原稿の初稿を書き上げ、Aさんに送付した。最終締め切りはまだ先なので、なんらかのフィードバックを受けて書き直す余裕は、十分ある。(自分で言うのもどうかと思うが、なかなかの読みごたえであると思う。[^.^])ま、ずっと反応無しのまま時が過ぎて、最終締め切りの直前になって(対応が必要な)フィードバックが来るような気も、するんですけどね。[;^J^]
T氏プロジェクト案件の続き。従来から作成・メンテしていた作品リストの一部に誤りがあるのではないかという(初出誌かと思っていたら、実は再録だったのではないかという)疑惑の調査である。上京して東京の図書館で調べることができないので、当たりをつけておいた雑誌を所蔵していることがわかっている多摩図書館に電話。すぐにつながった。非常に親切で、時間を割いて柔軟に対応していただけた。結果、真の初出誌の発見に成功!\[^O^]/ さっそくリストの修正を行うが、もちろん、エビデンスの確保が肝要なので、コピーを依頼した。10日ほどで入手できる見込みである。
そして、T氏プロジェクトの最後の大きな山であるところの、画集の素材の初出調査にとりかかる [;_ _]。数が多い&上京調査が不可能、という状態であるにも関わらず、最初の締め切りが2月23日..(この段階では、およそどこまでが調査可能かの報告ができれば、それでいいのであるが..)やれやれ..である。[;_ _]
目次へ戻る「幻想美術選」、第234回。第1回(「天使の声」マックス・エルンスト)が掲載されたのは、2016年2月14日。つまり、今日で 5周年 である。まさかこんな長期連載になるとはね..違うな、逆だ。「もう、5年たっちゃったのか!?」..私の余命が20年だとして、この期間を4回繰り返したところで、終了か。たまらんなぁ..あっという間に死ぬんだなぁ..[;_ _][;_ _][;_ _](ちなみに、第234回で5周年というのは、まずまずだったかな(なにが。[;^.^]))
「爽やかな空気感の作品、3回ミニシリーズ」の、第2回である。Samuel Palmer(1805〜1881、Wikipedia)は、芸術を含めたあらゆる面において古代人は近代人に優越すると信じて自らを“古代人”と称した一派(ショーアム派)に属する。ブレイクを崇拝し、当時の“現代美術”を否定した彼の作品は、ブレイクからの強い影響の元に、豊かで牧歌的な自然描写と宗教的な雰囲気が融合した、神秘的で幻想的、しばしば魔術的な世界である。そして何よりも「夜の光」の画家であった。
とはいえ、その真に独創的な時代は、1830年前後のおおむね10年間に過ぎず、その後は比較的凡庸なアカデミズムに流れていった。要するに、「若気の至り」の作品群によって、歴史に名を留めたのである。(画像検索結果)
ここにご紹介する作品は、そんな彼の最晩年の、おそらくは最高傑作のひとつであり、若き日の幻想が完全に戻ってきている。まさに永遠の夜! 永遠の光! この羊飼いたちに、あるいは画面左の旅人たちにおのれを投射せずにこの絵を観ることは、私には不可能なのだ..
この作品は、ジョン・ミルトンの「沈思の人」に拠るとされている。
あるいは人気のない高い塔で書斎の灯火を夜ふけまでともしていたいものだ。
その部屋で何度も大熊座と共に夜を徹して、三倍も偉大なヘルメスによみ耽ったり…
(才野重雄訳『ミルトン詩集』、篠崎書林、1981、39〜40頁より)
「三倍も偉大なヘルメス」は、幻想文学界隈では普通は(訳されずに)「ヘルメス・トリスメギストス」(Wikipedia)と呼ばれているし、耳に馴染んでいる(親しんでいる)ので、ここに引用した翻訳はそこのところだけ気に入らないが、まぁいいや。[;^J^]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Feb 18 2021
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