2017年01月30日:「幻想写真」の夢 2017年01月31日:幻想美術選「聖アントニウスの誘惑」フェリシアン・ロップス 2017年02月01日:訃報が続く..[;_ _] 2017年02月02日:「好き」は「無敵」 2017年02月03日:「私が地球を止めてやる!」 2017年02月04日:江戸の絶景展/手塚宴会/魔界彷徨 2017年02月05日:ティツィアーノ展/並河靖之七宝展目次へ戻る 先週へ 次週へ
私の伯父が残した数冊のエッセイ集の中に、カメラ道楽を始めた頃の追想が載っていた。昭和30年代か、もしかしたら昭和20年代のことである。
特に印象的だったのは、ひととおりの使い方を憶えてカメラを持って街に出た伯父が、困惑したくだりである..「私には、「主題」がない..」..何を写せばいいのか、わからなかったのだ。途中経過は飛ばすが、最終的には、「おれは、暗室で行く!」、という方向性(テーマ)を見いだした。(つまり、「合成写真」を極めてやる!、という意思表示である。)
さて、今、私が、同じような段階にある(というか、あった)。高性能のデジタル一眼レフを手に入れて、ひととおりの使い方を憶え(といっても、まだ全機能の半分以下しか使っていないのだが)、旅先の風景写真や、帰省したときには庭の写真を撮り、正月には親族のポートレートも撮っている..これが、私がやりたかったことなのであろうか? ..いや、もちろん、そうには違いないのだが、それなら別に、コンデジや iPhone でもすむことではないか。(事実、これまでは、すませてきたし。)一眼レフの方が、より綺麗に撮れるとしても..
いったい、何をしたくてD750を買ったのか、自分でもよくわからず、しばらくもやもやしていたのだが..先週号の「幻想美術選」を書いていて、突然、腑に落ちた。これか..
私が、幻想美術マニア、幻想文学マニア、幻想音楽マニアであるということは、熱心な読者ならご存知であろう..いや、「幻想美術」「幻想文学」はともかく、「幻想音楽」などというジャンルは定義されていないのだが [;^J^]、私の内なるジャンル分けでは、(ビッグネームの列挙ですませると、)ベルリオーズ、シベリウス、ラヴェル、フォーレ、ドビュッシー、ヴァーグナー、マーラー、スクリャービンなどが、「幻想音楽」の作曲家たちである。(もとより、ざっくりとした分類である。音楽にはそもそも幻想的要素があるし、さきほど列挙しなかった作曲家の作品にも、「幻想的」あるいは「幻想音楽」としか形容しようがないものは、数多くある。)
閑話休題 [;^J^]。つまり私は、「幻想写真」を撮りたいのではあるまいか。「幻想趣味」を「写真」で実現したいのではあるまいか。そして、「幻想趣味」のなかでも、「幻想文学」「幻想音楽」の「写真による表現」よりも、より直裁に「幻想美術」、さらに言えば、「幻想美術選」を、無意識のうちに目指していたのではあるまいか..
..要するに、私が撮りたい「幻想写真」の究極の目標は、「幻想美術選」で取りあげている作品群なのではあるまいか..(..さぁ、ハードルを極限まで上げきりました! 危険です! [;^.^][;^.^][;^.^])もちろん、あの絵画群を、写真で「なぞって」も、仕方がない。(そういう写真を撮影しているプロの写真家(芸術家)がいることは知っているが、もとより私などとは「階梯」が全く異なる、比較にもならない方々であり、「作品」である。)大体、撮影不可能である。世界中(あるいは地球外まで)撮影旅行に行く? 悪魔や妖怪は着ぐるみ? フィギュア? ヌードモデルを雇って?(..あ、これは可能か..[*^,^*][*^,^*][*^,^*] ..ではなくってっ! [;^.^])、もちろん、実写でやろうとするから「不可能」という「解」しか出てこないのであって、フォトショップその他を駆使すれば..でも、それはもはや「写真」ではなく、「CG」じゃないの?
..あれらの「絵画」を「再現」しようとするから、いきなり(ちゃんとスタートしてもいないのに)袋小路に迷い込んでしまうのだ。そうではなくて、「幻想の魂」をもって、あれら「幻想絵画の精髄」を凝視し、その本質を見極めれば、まったく異なる(しかも実現可能な)方法で表現できるのではあるまいか。(極端な例をあげると、「リンゴ」1個を撮るだけで、「聖アントニウスの誘惑」の幻想世界/幻視世界を表現することだって、できるはずだ。)それには、まず、写真の基礎を身に付けないと、話にならんよね..
..一生かかるテーマ(重荷)に気が付いてしまった。ライフワークである。これまでは、もう、いつ死んでもそれほど惜しくはないかな..と、漠然と思っていたのだが、なんとなく、未練が出てきたな..いいことだ。(ヌードモデルも使いたいし [*^,^*] ..← だから、そういう直裁な方法論にとらわれるなっつーに。[;^.^])
目次へ戻る「幻想美術選」第49回は、「聖アントニウスの誘惑」3回ミニシリーズの第3回。これは(好事家の間では)極めて有名な作品である。
Felician Rops(1833〜1898)(Wikipedia)と言えば、19世紀末のデカダンス、サタニスム、エロティシズム。背徳的、倒錯的、というキーワードも並び、ある意味、概念レベルでは実にわかりやすいが [;^J^]、その本質は、独創的な発想力にあると見る。とはいえ、本作はむしろシンプル。この画題には「暴力で責められる拷問パターン」と「色仕掛けで責められるパターン」があると、何度か述べているが、本作はもちろん、後者。ここまですっきりとわかりやすくエロく冒涜的な作品も、珍しい。[;^J^]
漫画的で滑稽な悪魔が、十字架からキリストを外し、代わりに誘惑する裸女を十字架にくくりつけて、聖人に見せつけている。磔刑図につきものの略号「INRI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)」は、「EROS」に置き換えられている。豚が踏み台にしている書物は何であるかなど、掘り下げる余地はあるが、おそらくさほどの謎は畳み込まれていない。われわれ不信心者は、素直に、冒涜的な裸体を楽しめば、それで十分である。
目次へ戻るジョン・ウェットン、1月31日に逝去。結腸癌。享年67歳。
藤村俊二、1月25日に逝去。心不全。享年82歳。
..さすがに、1日に2件は、こたえるなぁ..[/_;] くだくだしい論評(繰り言)など読みたくないだろうから、いっさい、省略。合掌..
目次へ戻る先週書いた、「「論理」は通らない」「「論理」は「気持ち」を論破できない」という話の続きである。
では、「「気持ち」の世界」の中の戦争では、どうか。典型的な「気持ち」は、「好き」または「嫌い」である。「好き」と「嫌い」が「議論」(にはならないんだよな、「言い合い」かな)すれば、どちらが「勝つ」か。これはもう、最初から明らかである。「好き」が「勝つ」。いや、正確に言うと、「負けない」。
なにかを「嫌う」のは簡単である。何か「嫌な」ポイントを、ひとつ見つければいい。つまり、「そこまで努力しなくても」(精神的エネルギーが低い状態でも)「嫌える」のである。それに対して、「好き」になるというのは、そういうさまざまなポイントをいちいち(ひとつひとつ)乗り越えて受け入れているので、精神的エネルギーが高い状態なのである。もう少しかみ砕いて言えば、ハードルをいくつも乗り越えている状態なのである。
こういう「強度が強い心的状態」(=「好き」)と、「強度が弱い(可能性が高い)心的状態」(=「嫌い」)をぶつけたら、結果は自ずと、明らかであろう。(どのみち感情論(気持ちの問題)なのであるから、「ハイ」な方が強いというのは、こんなにくだくだしく書くまでもなく、自明なことでしたね。)
目次へ戻る..ももいろクローバーZの「デモンストレーション」という歌の一節である。(歌詞というよりは語りだが。)
この曲を含む「AMARANTHUS」のライブCD(「MOMOIRO CLOVER Z DOME TREK 2016 "AMARANTHUS/白金の夜明け" LIVE Blu-ray BOX [4Blu-ray Disc+2CD]」に含まれている)を、カーステに入れっぱなしにしてヘビロテしているのだが(シリコンメディアでもクラウドでもなく、CDというところが味というもの [^.^])、いつも、このくだりに差し掛かるたびに、「ヴァン・ヴォークト..」と、呟いている。(← ここ、オールドSFファンは笑うところですので、スルーしないでください。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])
いや、ヴァン・ヴォークトのSFでは、本当にこういうことをやりかねないのよ、ヒロインが [;^J^]。平凡な家庭の主婦だかOLだかが、いきなり不死/万能の超エスパー(ほぼ、神)になっちゃったりするんだもの。脈絡無しに。[;^.^](このぶっとび具合が、たまらない魅力なのだが。[^J^])
目次へ戻る7:05に発つ。快晴。ひかりで上京。10:05、原宿の珈琲茶館「集」で時間調整。(太田記念美術館の開館時刻は、10:30と、やや遅いのである。)
10:30を待って入館。「江戸の絶景〜雪月花」(前期:〜2月26日(日)まで、後期:3月3日(金)〜3月26日(日)まで)である。これは、大変「よいもの」であるので、都合のつく方は、是非ともご覧になることをお薦めする。
歌川広重メインの展示で、今回、惹かれた(&検索結果をご紹介する)作品は、いずれも(確率的にも [;^J^])広重となったが、他の画家の作品も展示されている。ただ、たとえば北斎は、作品リストへのマーキング自体を省略 [;^J^]。いつも言っている繰り言だが、手間暇かけていちいち「モナリザ」をスキャンしたり検索結果をリンクしたりする? [;^.^]
「日光三滝 日光山霧降ノ滝/日光山裏見ノ滝/日光山華厳ノ滝」(画像検索結果)は、検索結果が少なくサイズも小さいのが残念だが、気に入った作品。実物の素晴らしさを妄想して欲しい [;^J^]。「木曽路之山川」(画像検索結果)の、白い巨魁の量感! 「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」(画像検索結果)は、この展覧会のアイコンにもなっている、毎度お馴染み、驚愕の傑作である。画家にせよイラストレーターにせよデザイナーにせよ、生涯に一度だけでも、このような作品を描けたら、もう、死んでもいいのではないか。
「月二拾八景之内 弓張月」(画像検索結果)は、検索できた図版が小さいのでわかりにくいかも知れないが、月がとんでもない場所にある。「東都名所 御殿山花見 品川全図」(画像検索結果)の、伸びやかな「広さ」。「名所江戸百景 飛鳥山北の眺望」(画像検索結果)もまた、素晴らしく広大な景観である。「六十余州名所図絵 阿波 鳴門の風波」(画像検索結果)は、もう、完璧な傑作。
11:40に退出し、新宿へ。まだ時間があるので、西口の「マップカメラ」へ。(Y君に薦められた、わりと大規模な中古カメラ屋である。)3Fのニコンのコーナーに直行し、視察。(今日は、まだ偵察フェーズなので、購入しない..というか、2週間インターバルで、数万〜10数万(またはそれ以上)のレンズを買ってられるか。[;^.^])
大雑把、相場感覚が身に付いたところで、退出。12:50頃、同じく西口のすぐ近くの「土風炉・西新宿1丁目店」。13:00から、ディープな手塚治虫ファン(11人)による懇親会(つーか、宴会)である。(真昼間から。[;^J^])手塚治虫のレアな発掘作品(イラスト)のコピーが持ち込まれたので、それが真筆かどうか、みなで鑑定したり、同人誌というか雑誌を作ったり関わったりしている人が多いので、それを回覧(または頒布)したり、手塚プロや出版社の「中の人」が何人か居るので、今後の出版予定の話をしたり。
16:10に、お開き。16:30に、近所のワタナベという店(喫茶店かな?ファミレスかな?)で、二次会。ここでもいろいろお話したが、倉田が力説した話のうち、記憶にある [;^J^] のは、現代の若い世代に手塚治虫を引き継いで行こうとするなら、どんどんリメイク、リクリエイトしていくしかないのではないか。(今もしてるけど、もっと、もっと。)実際、今の若者は手塚治虫を読んでいない。ぎりぎり、ブラック・ジャックが読まれている程度。彼らが何故読まないかの理由のひとつは明確で、「絵が古い」から。しかし、手塚治虫が、あの絵で作品を残したという歴史的事実は変えられない。ならば、リメイクしかあるまい。ビートルズが何故不朽なのかと言えば、厖大なカバーがあるからだ。どんどんカバーさせればいい。とにかく、「誰もが名前は知っているが、誰も読まない、古典」にしてしまってはいけない。
カバーといえば、浦沢直樹の「PLUTO」。倉田は、評価している。終盤、伏線を回収しきれずに失速したが、序盤から中盤にかけてのサスペンスは、素晴らしかった。それで十分だ。ただ、浦沢は、いまや日本を代表する大家である。もっと若くて生きのいいのに、ガンガン描かせるべきだ。(今もしてるけど、もっと、もっと。)
18:35、散会。実は、二次会が始まる前に、いつも上京時に(予定が合えば)遊んでもらっているKさん、Y君、Yさんに連絡していたのだが、(いつ頃、体が空くのか、あるいは今日は空かないのか、なかなか読めなかったので、この遅い時刻になるまで連絡できなかったのである [_ _])、Kさんは、出歩いているという可能性を失念して、携帯ではなく自宅PCにメールしてしまい、連絡付かず。Y君は、どうも先約ありらしいのだが、終われば来てくれるようである..というわけで、とりあえず、新宿西口の「くろねこピッツァ」という店で、19:00から、Yさんとデートである。[^.^]
例によって、いろいろな話をしたが、(展覧会とか、カメラとか、)一番盛り上がったのは、Yくんが、今、どこにいるのか、という推理である。何しろ、Y君からの情報が極端に少なく(おそらく、酔っぱらっているか寝惚けているかのどちらかだと思われ [;^.^])、最初の返信は、「がんばる」。次の返信は、「首都圏に居る」。
彼は職種がら、土曜日に勤務していてもおかしくない。「首都圏に居る」という表現からは、どこか遠いところから新宿を目指しているという印象を受ける。しかし、この「首都圏」発言から、1時間経っても来ないのである。仮に東から向かっているとして、「千葉」ならまだ「首都圏」とは言わないだろう。両国か、遠くても西船橋ではないだろうか。そこから1時間かかるはずがない。南なら、「首都圏」と呼べるのは、新横浜から。わざわざ在来線を使えばともかく、やはり普通は1時間はかからない。
ここで、逆転の発想。実は彼は、最初から首都圏に居たのではないか..この、いま、本当はどこにいるんだ?という謎から、「ホワイトアウト」(真保裕一)を想起し、未読のYさんにスポイラーとならないように、この傑作の終盤の大トリックを(紹介はできないので)暗示し、興じる [^.^]。いい肴だ。>Y君 [^J^]
多分、このあたりからブッキッシュな話題になり、Yさんが「ドグラ・マグラ」(夢野久作)を読み通せずに挫折している(「キチガイ地獄外道祭文」まで辿り着いていない)とのことだったので、死ぬまでに必ず最後まで読み通すよう、厳命する。(← 酷い奴だ。[^.^])
また、「黒死館殺人事件」(小栗虫太郎)もご存知なかったので、「ドグラ・マグラ」と共に青空文庫からダウンロードして iPhone に常駐させている「黒死館殺人事件」(あなたが何か言いたげな顔をしたことは知っているが、ここはスルーさせていただく [_ _][;^.^])の冒頭と、数十ページ先の、いい感じの [^.^] ページをざっと読ませて、その文体と字面に、Yさんがどっひゃーとなったところで、死ぬまでに必ず最後まで読み通すよう、きつく言い置いた。(← 酷い奴だ。[;^.^])
酒の上での失敗を、お互いにカミングアウトした。Yさんの失敗談は非常にヘビーなものだったので、絶対に秘密 [;^.^]。私の失敗談は、かつて廃墟通信に書いたことがあるのだが、部署の飲み会から代行運転で帰宅したら、朝、自分は自宅でふとんで寝ていたのに、車は駐車場になかった、という、大トリック [;^.^]。憶えていらっしゃる読者もいるかもしれないが..実はそのとき、敢えて書かなかった(隠した)ことを、カミングアウトした。
私はそれをYさんに、「砂漠の惑星」(スタニスワフ・レム)の序盤、行方不明になった探検隊員たちの行動の痕跡になぞらえて説明した。(SFファンのあなたは、ここでざわざわするところです。[;^.^])それほどまでに、意味不明で不気味で理解出来ず、到底、公開日記に書けなかったからだ..今回も、書かない。
写真の基本は、ポートレートである..ということで、練習台というわけではないが、Yさんにモデルになっていただいた [_ _]。実物どおり、美人に撮れたが、もちろん、見せてやらないよ。[^.^]
もう、0:30。どうやらY君は来ないようだと決めて散開しかけたところで、タクシーで向かっているという電話。そこで急遽、二次会。0:50、「先斗町(ぽんとちょう)」という店へ。京都の有名な街と同じ名前の、京都系のメニューを取りそろえている店である。ほどなく、Y君、到着。やはり、ほかの飲み会に参加していたようで、無理矢理引っぱり出した形になり、失礼しました。[;_ _]
カメラの話(相談)が多かったかな。(何しろ、今日はY君に推薦してもらった「マップカメラ」に行ってきたわけだし。)マップカメラの品揃えとか、一部欠損があるので見送ったレンズがあったが、あれは「買い」だったのかどうか、とか。
1:55、散会。あらかじめ予約してあった、歌舞伎町の「はたごや」に着いたのが、2:05。
目次へ戻る7:30、はたごやをチェックアウト。快晴。例によって、朝食は新宿駅への途上の、はなまるうどん。
8:20、上野の東京都美術館。開門9:20、開館9:30なので、まだ誰も並んでいない。(それほど客が殺到するような展覧会じゃないしね。)寒いというほどでもないが、1時間も風に吹かれているのは健康によくないので、近くのスタバでコーヒー。徐々に曇天。
改めて8:50に東京都美術館の門の前に向かったら、30人程度、集まっていたが..どうも違和感というか、場違いな印象を受けるオーディエンスなのである [?_ _] ..まず、何が異様かといって、「並んでいない」。あちこちでおっさんたちが、5〜6人ずつ、「たむろしている」。恐る恐る、「あのー、どこが最後尾でしょうか?」、と、聞いてみたら、「いーよいーよ、(並んでないんだから)先頭にいきなよ!」、と、譲ってくれたのはありがたいが [;^.^]、このくだりでおわかりのとおり、陽気。大声で話す。ジャンパー。60〜70代がメインかな。門を掴んで、早く開けろー、と(もちろん冗談で)ゆする..私は、展覧会のこんな客(というか待ち行列..あ、並んでないか [;^.^])を、初めて見た。私は、競馬競輪オートレースの趣味がないので、そのあたりには近づかないのだが、場外馬券売り場というのかな?そのような場所を通りすがる機会はある。そこに似ている。客層が。[;^J^]
もちろん、世の中にはいろいろな展覧会があるから、こういう客層が集まるものもあるのだろう。しかし、「ティツィアーノとヴェネツィア派展」だぜ? [;^.^] 場違いにもほどがある..
..9:20に開門..あらあらまぁまぁ。なんと、このおっさんたちは、ほぼ全員が、併催されていた「盆栽展」に吸い込まれていってしまいました [;^J^]。全ての謎が、解けました。[_ _][;^.^]
..というわけで、改めて、9:30から、「ティツィアーノとヴェネツィア派展」(〜4月2日(日)まで)。
展示された作品群に依るところが大きいのだろうが、やはり、ティツィアーノより前とティツィアーノ以後で、はっきりと変わる印象がある。ティツィアーノ・ヴェチェッリオの「フローラ」(画像検索結果)と「ダナエ」(画像検索結果)については、論ずるのも虚しいほどの美しさ! 特に「フローラ」! ヤコポ・ティントレットの「レダと白鳥」(画像検索結果)の構図も、見事である。
ほか、うまく画像検索できなかったが、セバスチアーノ・デル・ピオンボの「男の肖像」。ベルナルディーノ・リチーニオ(帰属)の「裸婦」は、頭が小さすぎ、首か太すぎるが、しかし肌が実に綺麗で、エロい [^.^]。ポリドーロ・ダ・ランチャーノ(帰属)の「眠るウェヌスのいる風景」も、美しい。
11:00に退出し、目黒へ。駅前の松屋で牛丼。東京都庭園美術館に着いたのが、12:00。そろそろいつ降ってもおかしくない空模様になってきたので、展覧会を観る前に、まず庭園散策(と、撮影練習)。「白い花」を、例によって、背景を盛大にぼかして撮影して悦に入っていたのだが、その背景が「真っ白な曇天」ということにあとから気が付き、なんというか、ほとんど意味の不明さに観る者を混乱させる超現実的な写真になってしまった。[;^.^]
ひとしきり散策してから、美術館に入る。「並河靖之七宝展」(〜4月9日(日)まで)である。
その有線七宝の美しさたるや、言葉では表現できず、また図録も買わなかった。写真家(と印刷技術者)の方々には申し訳ないのだが [_ _]、実物の光沢や質感を到底再現できておらず、購入意欲がわかなかったからである。[_ _](資料的価値は、ある。それで十分ではないか、と問われれば、然りと答える。昔は、「資料的価値」があれば、図録を買って帰ったのだが、残念ながら、今の自宅の書架(の空きスペース)事情では、単に資料的価値があるから、というだけでは、新参者の入る余地は無い。観る喜びをも持ち合わせていないと..)
というわけで、作品紹介は、もうとても雑に、「"並河靖之" "七宝"」で検索した画像検索結果ですませておく [;_ _] 。実物を是非ともご覧になることを、強くおすすめする。
13:55、退出。(美術館の中にいる間に、パラパラ雨があったようだが、退出時にはやんでいた。ラッキー。)品川を14:34に発つこだまで、16:22、浜松着。八丁蔵で小腹を整えて、18:15、帰宅。
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