2016年06月06日:冨田勲のドキュメンタリ 2016年06月07日:Gの最終回 2016年06月08日:幻想美術選「聖アントニウスの誘惑」ヒエロニムス・ボス 2016年06月09日:気高き装置 2016年06月10日:名古屋ボストン美術館、閉館へ [/_;] 2016年06月11日:東大寺/藤城清治展/リケジョたち 2016年06月12日:興福寺/元興寺目次へ戻る 先週へ 次週へ
梅雨入りしているらしいのだが、快晴。
先日(5月29日)NHKから録画して以来、視る暇がなかった、冨田勲のドキュメンタリーを2本、ようやく視聴。「NHKアーカイブス 理想の音を追い求めて 〜冨田勲さんを偲ぶ〜」と、「宇宙を奏でた作曲家 〜冨田勲 84年の軌跡〜」である。
やはり、ドナウ河畔での8万人コンサートのメイキングドキュメントが面白い。私はこのコンサートをCDだけで聴いており、正直、評価できていなかったのだが [_ _]、印象が全く変わった。いずれも保存版のドキュメンタリーである。
目次へ戻る「G」といっても、「ゴジラ」でも「某13」でもない [;^J^]。「GU-GUガンモ」(細野不二彦)である。最終回が少年サンデーに掲載されたのは、1985年4月3日号..
(以下、最終回の内容に触れるので、このマンガをいつかは読むつもりでありながら未読の方は、明日の日記までスキップ!)
オバケのQ太郎型というか、ドラえもん型というか、日常生活に侵入してきた愉快な異人タイプ。体型的にもオバQ的な不細工な「鳥」である「ガンモ」は、最終回に至って、それまで自分も知らなかった自分の正体を知り、去って行く。彼と関わり、彼と友情を育んだ全ての人々から、自分の記憶を消して..
..その翌朝、ガンモの記憶をすべて失った半平太(ガンモのいわば「飼い主」だった)は、朝食のコーヒーの香りをかいだ途端、急に胸が苦しくなって、意味もわからず涙が出てきたのである..(コーヒーは、ガンモの大好物だったのだ..)そのシーケンスに被せられる、最後のナレーション..
思い出は夢のごとく…
遠く色褪せゆく一瞬の少年の日……
昔の友はその名もとどめず…
されど、いま一度飲みかわさん……
カップ一杯のノスタルジアとともに―――
..失礼ながら、名文だとは、思わない。(さらに誤解を恐れずに言えば、マンガ作品に、文学の香り高い名文が必要だとも、思わない。)言葉の選び方と組み立て方が、軽いのだが..しかし、そんなことは、どうでもよい。三行目。「昔の友はその名もとどめず…」..私は、30年前(まだ20代半ばの時分)、これにやられた。とことん、感動した。そうなのだ。幼稚園の頃、小学生の頃。あんなにも仲良しだった隣の子の、名前も顔も、憶えていない..それでも、遊んだことを憶えていれば、まだマシな方なのだ。多くの場合、遊んだことも、その存在すらも、憶えていないのである。
それから30年を閲(けみ)して、もはや四捨五入すれば60歳..この想いは、いや増すばかりである..そう、どれほど貴重な友人も、どれほどかけがえのない想い出も、みな、忘れ去ってしまうのだ..(All those moments will be lost. In time / like tears… in rain…)
目次へ戻る(前回の幕切れ↓)
それにしても、極力キープしておくつもりだったピーテル・ブリューゲル(父)をこの段階で出してしまった以上、次回は「彼」を出さないわけには..(まさかの、2回連続の引き? [;^.^])
..というわけで、第15回で取りあげるのは、当然、コレ↓である。[;^J^](すみません、この引き、もう、やりません..[;_ _][;^.^])
(ちなみに、これまでのラインナップ →「幻想美術選」)
「聖アントニウスの誘惑」という画題の解説については、とりあえず Wikipedia にリンクして手を抜くつもりだったのだが..この聖人についての簡単な記述しかない →(Wikipedia)。仕方がないので、手頃な(文章量が多すぎない)個人ページをリンクしておくが、個人ページなので、いつまで読めるやら..(← Wikipedia は、この意味で便利なのだ。「永続性(固定性)」を、ある程度あてにできるからである。)「聖アントニウスの生涯」と、「魑魅魍魎が跋扈する聖アントニウス ー象徴主義7ー」。
..ま、ざっくり言ってしまえば、荒野で修行する聖人を堕落させるべく、悪魔が誘惑しに来る、という伝説である。その設定から、悪魔(怪物)を山ほど登場させられるので、「その類の画家」、あるいは「その類の美術愛好家」(← 「その類」って、なんなんだよ [;^J^])に、非常に好まれてきた画題であり、作例は山ほどある →(画像検索結果)。これらをみてもおわかりのとおり、大体2パターンある。「暴力で責められる拷問パターン」と、「色仕掛けで責められるパターン(これも聖人には拷問か [;^J^])」である。
さて、今回ご紹介するヒエロニムス・ボスの「聖アントニウスの誘惑」こそ、世界美術史上、この画題の最高傑作だと断言する。「異時同図法」というか、この三連祭壇画のあちこちに、聖アントニウスがいる。複雑極まりない構図と舞台の中に、象徴的なモチーフとダブルミーニングが(文字どおり)山のように詰め込まれ錯綜し、とてもこの短いスペースでは語り尽くせない。だから、ここではただひとつのこと(私の、ほぼ半世紀に及ぶ、素朴で正直な想い)だけを、書くことにする。
それは、「楽しい地獄」、という概念である。
これは、一般論として言えることである。「天国」よりも、「地獄」の方が、遙かに楽しい。実際、「天国」ほど退屈なところがあるであろうか。(私は、これを指して「天国は地獄だ!」、と叫ぶことがあるが、趣旨が伝わっているかどうかは不明である。[;^J^])私だけの思いではない。有力な証人が、歴史上、何人もいるのである。
ここでは、ギュスターヴ・ドレに言及するだけでいいだろう。彼による傑作中の傑作、ダンテの「神曲」の挿画を例にとる。(「神曲」を知らなければ、ぐぐれ。)「神曲」は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」からなり、これらはほぼ同じ長さ(それぞれ、34歌、33歌、33歌)であるのだが、これにつけられたドレの有名な挿画の数は、「地獄篇」75葉、「煉獄篇」42葉、「天国篇」18葉..と、どんどん先細りしていくのだ [;^J^]。天国篇の挿図の枚数は、地獄篇の1/4にも満たず、しかも、そのつまらないこと! 想像力に満ちあふれ、未だに多くのクリエイターたちの発想の源泉となって刺激し続けている地獄篇の挿図に対して、天国篇の挿図など、見たこともない人が多いのではないか。むべなるかな。とにかく、雲の上で、天使と聖者の魂が、白くキラキラ光り輝いているだけなんだもの [;^.^]。しかしこのつまらなさはドレの責任ではないし、ダンテの責任とも言い難い。そもそも天国とは、つまらないところなのである。
証人としてもうひとり、澁澤龍彦を召喚しようと思ったのだが..確か彼の文章の中に、「天国(極楽)とはなんと退屈なところだろう..蓮の葉にのって、お釈迦様と対峙して..その時間が、永遠に続くのである..それに比べると、どの地獄絵図も、なんだかとても楽しそうである」(大意)..というくだりがあったと記憶しているのだが、捜し出せなかった [;_ _]。でも、確かに読んだし(もしかすると、巖谷國士か、種村季弘か、荒俣宏の文章だったかも知れないが [;^J^])、我が意を得たり! と、快哉を叫んだものである。
この、ボスの「聖アントニウスの誘惑」こそは、「楽しい地獄」の、最高の具現化である。いっそ、「テーマパーク」と言ってしまってもよい。1日どころか、何年でも、この世界の中で遊んでいられる。特に好きなのは、中央パネル上空の右側で空中戦を繰り広げている?飛行物体で、とりわけ、左側の、前半分が鳥の形状をしているもの。これに乗り込んで、この地獄世界を空中旅行したい..
..本気で、そう思っているのである..(..引くな、こら。[;^.^])
目次へ戻る..だと思うのである。フライトレコーダーは。
厳密に言うと、装置自体も気高いが、飛行前にそれを起動する、という行為が、気高い。
なぜなら、それは、自分が不慮の事故で「死んだ」時に、初めて役に立つ装置だからである。自分の役には立たない。しかし、この事故の原因を調べ、飛行機を(あるいはシステムを)改良するためには、なくてはならない装置だからである。「死んだあとのことは知らんよ」、という態度(思想)ならば、そもそも設置も起動もする必要がない装置だからである。
ここに、私は、パイロットという職種の、矜持と気高さを見る。
目次へ戻る悲報である [/_;]。名古屋ボストン美術館が、2018年度末までに閉館するとのこと![/_;][/_;][/_;]
「当財団はこれまで、財界からの寄附金や、愛知県・名古屋市からの財政的な支援をもとに、関係各方面のご協力を得て、米国ボストン美術館が保有する素晴らしいコレクションの数々を皆様方に鑑賞して頂いております」「しかしながら、昨今および今後とも予想し得る低金利の経済情勢下においては、多額の運営資金を安定的かつ持続可能な形で確保することは極めて困難と言わざるを得ず」(ウェブサイトのお知らせより)..う〜む..公的支援は(民間からの援助も)あるのである。それでも支えきれなかった..他の美術館に波及しなければよいのだが..
目次へ戻る快晴である。5:20に徒歩で発ち(なにしろまだ始発バスすら動いていない時刻なので)、6:32に浜松を発つ下りこだま。9:00に、近鉄奈良駅着。(近いねぇ..)
せっかく浜松という、「西の京」と「東の京」の中間に住んでいるのだから、この地の利をもっと生かさなくてはもったいない。東京(首都圏)ばかりに出ている場合じゃない。私もいつまで浜松に住んでいるかわからないのだから、せめてこれからは、上京と同じ頻度とは言わないが、上京2回につき上洛(あるいは大阪、奈良、あるいはさらに西に)1回、ぐらいの頻度でトリップしようと、心を改めたのである。
で、今週末(今日明日)は、奈良。近鉄奈良駅から至近距離にありながら、おそらく修学旅行以来訪れていない東大寺と(修学旅行ですら訪れていない可能性が高い)興福寺が、メインターゲットである。
駅から20分ほど歩いて、南大門。相変わらず鹿が多い [;^.^]。野生なのだが、完全にヒトと混住状態。少し変わった人種(姿)のヒト、ぐらいの存在感である。[;^J^]
金剛力士像を目に焼き付けてから、金堂(大仏殿)へ。盧舎那仏像は、確実に中学校の修学旅行で観ている。当時、私は親父から古いカメラを借りていったのだが、ただシャッターを押すだけで、ろくに使いこなせない。すると、カメラの得意な小柄な友人(そら、名前も憶えていない [;_ _][;^J^])が、かしてみ、と、私のカメラを構えて、シャッターを開けたまま、10秒以上も静止していた。もちろん、原理はすぐにわかった。フラッシュを使えない(使っても意味がない)暗い巨大な空間で、大仏をフィルムに焼き付けるためには、長時間露光して、とにかく光を集めなくてはならないからである..ただ、残念ながら、彼は、意余って力足りずというか、カメラを支えている腕が、ぶるぶる震えていたのだが..[;^J^](最終的な写真の仕上がりは、憶えていない)..という、まことに些細な記憶があるからである。[;^J^](それと、盧舎那仏像を前にして「火の鳥 鳳凰篇」(手塚治虫)を想起しないことなど不可能だ、ということも、追記しておく。)
多聞天像、広目天像なども押さえてから、(これを書いている今、多少順序が怪しいが)二月堂、法華堂(三月堂)、戒壇院、転害門と回ったところで、ほぼ12:00。
13:15まで、東大寺ミュージアム..これで、大物は落としていないと思うのだが..疲れた..[;_ _] 細かい施設は、これの倍以上、軽くあるし、1日では無理無理。でもまぁ、これだけ「目撃」できただけでも、よしとしよう。
ここで東大寺エリアを出て、13:55、奈良県立美術館。「藤城清治 光のメルヘン展」(〜7月3日(日)まで)である。
2時間もあれば見られるだろう(そもそもそんなに大きな美術館じゃないし)、と、軽く考えていたのだが..甘かった [;_ _]。3時間半近くかかった [;_ _]。すごいボリューム! 藤城清治の画業を(もちろん、全スペクトルというわけにはいかないが(← 「光」と掛けている巧妙さを読み落とさないこと))、一望できる。堪能した。
17:15に出て、古本屋をハシゴする。19:00過ぎに「いにしへ長屋」。奈良に来るときは、ここに寄ることにしている..というか、あらかじめ、ここが開いている日程を確認して、それに合わせて奈良に来ているのである。
いつも女将がひとりでやっているのだが、今日はなんと、新しい娘がふたり。ちゃんと確認しなかったが、新入社員というわけでもなく、ヘルプ? アルバイト? 見習い? ..という詮索(確認)など、どこかに吹っ飛んで(忘れて)しまったのは、彼女たちがリケジョだと知ったからである。それも、並みのリケジョではない。日本が世界に誇る某超巨大最新鋭研究施設(装置)で、研究されているとのこと!(ひとりは理論屋、ひとりは実験屋。)
徹底的に舞い上がって、饒舌になったことは白状しておくが、もちろん、反省はしない [;^J^]。当然であろう。[;^.^]
ホテルのチェックイン時刻が24:00なので、23:45に(なごりを惜しみつつ)退出。(今度から、ホテルの選び方を変えよう。[;^.^])24:00ぎりぎりに、JR奈良駅の目の前の「スーパーホテルJR奈良駅前・三条通り」にチェックイン。
目次へ戻るこのホテル、チェックイン時刻が24:00までというのは不便だが(でも大体、どこもそんなもんかな [;^J^])、朝食バイキングを食べる2Fのレストランの窓から、JR奈良駅の風格ある駅舎が真正面に眺められるのは、悪くない。
8:05、チェックアウト。興福寺まで歩いて20分もかからないので、諸施設が開扉する9:00まで、まだ少し時間がある。南側にある猿沢池の周辺を散策したり、境内で休憩している鹿たちを眺めながら読書したり、しばらくブラブラ。
9:00に、まず、国宝館に入館。ここはもう..吐き気がする(失礼 [;_ _][;^.^])眩暈がするほどの、夢のような国宝の群れである! あまりに多すぎて、ありがたみが薄まってしまうほどだ(← こらこら。[;^J^])
板彫十二神将像、銅造仏頭、乾漆八部衆立像(萩尾望都版「百億の昼と千億の夜」が決定的なイメージを確立するまでは、「阿修羅王」のビジュアルといえば、これだった..今でも、年配の方にはこちらの方が親しみやすいだろう)、乾漆十大弟子立像、木造金剛力士立像、木造天燈鬼・龍燈鬼立像..
無論、(主として東京の)展覧会で観ているものも多い。(「板彫十二神将像」「銅造仏頭」とか、ほかにもいろいろ。)しかし、それらの展覧会は、ものすご〜く、混んでいるのである。ここでは、ゆったりと楽に見ることができる。日常風景の中に、普通に存在している国宝たちだからである。(ルーブル美術館で、「モナ・リザ」の前に人だかりができないのと同じことである。)それでも、時間が遅くなれば、修学旅行の団体があとからあとからやってきて、多少とも混むのだろうが、朝いちで起動していますのでね。[^J^]
引き続き、隣の東金堂へ。木造文殊菩薩坐像、木造維摩居士坐像、木造四天王立像に混ざって、ご存じ、木造十二神将立像! 私が思うに、日本美術史上、もっともクールでかっこいい十二神将の群像なのだが..ここで(先刻承知のこととはいえ)問題点も、はっきりと認識した。つまり、「よく見えない」のである。これだけの彫像が密集している迫力は、大変なものである。しかしそれだけに、特に後ろの方に設置されている像は、一方向からしか見えないし、全貌が見えないことすら、ある。数年前、東京上野の展覧会で木造十二神将立像が(他の興福寺の至宝群と共に)展示されたときには、12柱、バラバラにされ、それぞれお立ち台に乗せられて、360度、回り込んで観ることができたのである。本来、そのように見えるべきではないのかも知れないが..なんにせよ、バラでのじっくり鑑賞と、本来の設置条件での密集群像の迫力と、両方を体験できた私は、果報者である。[^J^]
..疲れてきたので、以下、記述は略式になるが [;_ _]、五重塔、三重塔、南円堂、北円堂と、ひととおり見て回って、10:20に離脱。
10:30、元興寺へ。日本最古の、飛鳥時代のものだという瓦や、五重小塔などを鑑賞。その後、再び興福寺エリアで少しブラブラと鹿と遊び [;^.^]、そうこうしているうちに昼食時間。もうこれ以上、無理はしない。夕方までには、浜松に帰りたい..
というわけで、11:40、いつもの、やまと庵。単に近鉄奈良駅に近いので愛用しているというだけであるが [;^J^]、12:10、退出。近鉄と新幹線で、15:05、浜松着。駅前のビックカメラで、一眼レフについて、初歩的な質問とか相談をし、16:25、帰宅。
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