2004年11月15日:カウントダウン 2004年11月16日:デパートの屋上 2004年11月17日:ポオについて 2004年11月18日:「昭和の歌」 2004年11月19日:“環境とは、スピードなり” 2004年11月20日:2日遅れのボージョレ・ヌーヴォー 2004年11月21日:単純作業の休日出勤目次へ戻る 先週へ 次週へ
リブ100のバッテリーが、また1本、死んだ [/_;]。99年に購入したものだから、仕方ないか。あと2本。(01年ものと、03年もの。)リブ100本体の製造中止から大分年数が経っているはずだが、まだ購入できるだろうか。仮に購入できないとしたら、この2本が死んだ時点で、リブ100はモバイルPCではなくなる。あと数年..
仮に買えるとしても、1本(確か)1万8千円、という高額なものである。ここは考えどころだ。リブ100は数年後に(モバイル機としては)使い切って、その時点で購入できる最新の小型薄型ノートPCに乗り換える、というのが、どう考えても正しい。ネックは..かつて書いたように、昔むかしのDOSツール群が、XPのコマンドプロンプトでは動かない、ということである。これを解決しないと、リスト群のメンテができなくなる。(あまりに複雑で巨大なスクリプトなので、例えばLinuxに移植するのも、なかなか骨だと予想されるのである。)
本格的に寒くなってきた。ついにコタツを入れた。
目次へ戻る先日、イオンに行った時に思ったこと。屋上の駐車場に止めたのだが..広大な屋上エリアが、全て駐車場になっているのだが..勿体ない。
思えば、昔のデパートの屋上は、遊園地とビアホール、と決まっていたものである。(今でもそうなのかな?)幼年時代/少年時代の私にはビアホールは関係なかったので、それがどのようなありさまだったかは憶えていないが、遊園地のことは良く憶えているぞ。
とにかく、チープなのだ。ゲームコーナーには(なんだかローテクな)カーレースゲーム機。飲み物コーナーではオレンジジュース。屋上エリア一周みたいな小さな列車。お化け屋敷は無かったかな。そして何よりも、「観覧車」である。
北九州市八幡区に住んでいた小学校低学年の私は、両親に駅前の「井筒屋」というデパートに連れていってもらう度に、屋上の遊園地の観覧車に乗る(乗せてもらう)のが好きだった。そうでなくとも、(子供の目には)かなり高い屋上の上にそびえ立つ観覧車の頂上からの眺めというのは、それはそれは絶景であり、また、高所恐怖症気味の私には、恐ろしくもあったのである。
例によって脈絡無しの連想だが、観覧車の出てくるミステリ(というか幻想小説)としては、小栗虫太郎の「絶景万国博覧会」が記憶に残っている。細かい筋書きはほとんど憶えていないが、遙か遠方にある「観覧車」が(超現実的なまでに)大きく見える、というシーンが、終盤にあったはずである。(ここで「超現実的」と言っているのは、作者がその効果を狙ったのでは恐らくなく、計算違いの結果であろうと思われるのだが。)全然違ったら、ごめん。[;_ _][;^.^]
目次へ戻る私はエドガー・アラン・ポオが大好きである。大好きであるのだが..内容を憶えていない小説作品が非常に多数あることに気が付いて、愕然とした。
創元推理文庫の「ポオ小説全集」(全4巻)の目次を眺めてみて、タイトルから内容を思い出せたのは、「アッシャー家の崩壊」「赤死病の仮面」「陥穿と振子」「黄金虫」「黒猫」「壜の中の手記」「ハンス・プファアルの無類の冒険」「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」「モルグ街の殺人」「メエルシュトレムに呑まれて」「早まった埋葬」「盗まれた手紙」「タール博士とフェザー教授の療法」「ヴァルトマアル氏の病症の真相」「アルンハイムの地所」「ウィリアム・ウィルソン」「アモンティラドの酒樽」「メルツェルの将棋指し」「鐘楼の悪魔」「「お前が犯人だ」」「スフィンクス」ぐらいのものである。「リジイア」「ベレニス」「エレオノーラ」「群衆の人」「沈黙」「シェヘラザーデの千二夜の物語」が、もう怪しい。この全集、高校時代に通読したはずなんだけどなぁ..無論、全集であるからには当然、玉石混淆であるわけであって、「石」の作品群が印象に残っていなくても、それは当然であるのだが..
しかしここは、考え方ひとつだ。手元には全集が常備されているのだから、内容を忘れているということは、またいつでも新鮮な目で、これらの作品群に接することができる、というわけなのである。一粒で二度も三度も美味しい、というわけなのである。まさに、人生の宝物。[;^J^]
ところで、私にとってはポオと言えば、実は小説作品ではなく、エッセイ「構成の原理」なのである。これについては、8年前に書いている。有名な長編詩「大鴉」を読んでから、「構成の原理」を読んでみたまえ。後者のあまりの面白さに、腰を抜かすはずである。
目次へ戻るつい最近、「昭和の歌」(小学館)という、CD27枚付きの書籍を購入した。昭和の流行歌511曲を収めたもの。
「ついにオジン趣味に堕ちたか」、と、嗤わば嗤え [;^J^]。こう見えても私は、昭和時代には歌謡曲をそこそこ人並みには聞いていたのであるが、今、手元を見るに、歌謡曲のCDと言えば、太田裕美を(近年のアルバムを別にすれば)ほぼ全部もっている他は、ほとんど所有していないのである。つまり大方の読者の予想どおり、私は「昭和の歌」を、「ベーシック・コレクション(&参考文献)」として購入したのであった。実際、極力初出のオリジナル音源から復刻されているので、資料価値が高いのである。特に前半の(私が生まれる前の)古い時代の歌には未知のものが多数あり、聴いてて飽きない。なかなか良い買い物をした。
「復活唱歌(カチューシャの唄)」、「すみれの花咲く頃」、「モン巴里」あたりから始まって、悼尾を飾るのはもちろん、「川の流れのように」。買う前は511曲といえば相当多いと思っていたが、入手してみると、やはりこの曲数で「昭和」を覆い尽くせるものではなく、抜けが目立つのは仕方がないのだが..それにしても、太田裕美やさだまさしが見当たらないのは、まぁそんなものかなとも思うが、山口百恵の歌が1曲も収録されていないのは、いかにも不自然。大人の世界の事情があったのだろう..
目次へ戻る誰の言葉だったか忘れた。確か学生時代、1980年代だったかなぁ。どこぞの大学の教授の言葉として仄聞したのだが、ネットニュースで読んだのだとすると、1988年以降ということになる。
「環境」という言葉がはやっていた時代である。オゾンとか温暖化とかではなく、「計算機環境」である。確か、ゼロックスのパロアルト研究所が(その方面の通には)脚光を浴びていた時代で、「環境」とくれば「オブジェクト指向」だったり「アイコン」だったり「デスクトップのメタファー」だったりしたのである。少なくとも「計算機文化の大衆」は、そう認識していた。
その時代にその教授は、サクッとあっさり、「環境とはスピードだよ」と、喝破してのけたのである。
確かに(少なくとも一面の)真実なのである。
快適で美しくてそして現実世界のメタファーとして実に良くできているが、しかしとある仕事を片付けるために(なんだかんだで)1時間かかる「環境」と、不便でダサくてミステリアスな呪文や段取りを山ほど憶えて使いこなさなければならないが、しかし前記と同じ仕事を5分間で片付けられる「環境」と、どちらが優れているといえるのか。
この例では「総経過時間」を問題にしたが、「環境とはスピードだ」というテーゼは、「反応速度」も射程においているであろう。仕事が終わるのは当分先だとしても、とりあえず人間のアクションに対して、「受理した!」というレスポンスが返されるか返されないかで、ストレスが全く違う。(この意味で「ダメ」なシステムや「ダメ」なプログラムは、まだまだ山ほど世の中に存在している..あるいはむしろ(割合は)増えているかも知れない。)
..をを、なんと私の現在の職場である「コールセンター」に対する要求事項と、全く同じではないか。「環境とはスピードだ」「問題が解決するまでの総経過時間」「解決はまだ先のことだしても、とにかくクイックレスポンス」..しまった、朝礼のネタにするべきだった。[;^.^]
目次へ戻る約1ヶ月前に受講した「電話応対者研修」の、2回目。(形としては、今回で受講終了である。)今回は「ロールプレイング」が主体で、他の受講者やオブザーバーが見ている前で、電話応対の実技演習である。非常に面白い。
一昨日届いていた、今年のボージョレ・ヌーヴォー(赤ワイン、6本)を開封する。をを、なかなかいけるではないか。これは確かに赤ワインなのだが、赤ワインらしいクセが少なく、どんどん飲める。味わったり舐めたりする酒ではなく、ゴクゴク流し込んで喉で味わう酒だ。僕は、こういうのが好きだね。
目次へ戻る休日出勤。昨日から、勤務先の部署のレイアウト大変更作業が始まっているのである。
私は力仕事はせずに、主として新規購入したPC10台のセットアップ。作業量は多いが、単純作業の繰り返しなので、ちょろいもんである。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Dec 2 2004
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