*1996年05月27日:東京泰文社閉店
*1996年05月28日:霜焼けが悪化する
*1996年05月29日:来店機会ということ
*1996年05月30日:フォーマット1枚300円
*1996年05月31日:「鴉」について
*1996年06月01日:吹奏楽のコンサート
*1996年06月02日:廃墟の建設
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*1996年05月27日:東京泰文社閉店


 先週のアールヴィヴァン閉店に続く、大ショック。SFマガジンで東京泰文社の店じまいを知る。神保町の老舗のひとつで、ミステリ・SF系の洋書と古書に関しては、メッカであった。私はここでSFマガジンのバックナンバーの大部分を買い集めたのだ。またひとつ、学生時代の想い出が消えていく。

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*1996年05月28日:霜焼けが悪化する


 日曜日には治ったと思っていた霜焼けが、盛大に悪化した。この陽気だというのに、どうなっているのだ。左足に続いて、頼みの綱だった右足もやられ(両足とも被害は踵が中心で、爪先近辺は無事なので、車の運転には支障がないのが、救いではあるが)、指もやられ、それどころか、血行不良になりやすい“先端”ばかりではなく、ほとんど意味不明な部位にも霜焼けが出来ている。例えば左の二の腕の外側、あるいは右の腿の前側、あるいは腰の裏側。さらに掌や手の甲にも、ぷつぷつと細かい霜焼けが。なんなんだ、一体。

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*1996年05月29日:来店機会ということ


 インターネットマガジンの記事を読んでいて、なるほどと思ったこと。店舗がホームページを持つということは、オンラインショッピングがどうのこうのなどは、実は全く本質的でなく、ウィンドウショッピングの機会、来店機会を増やすことにあるのである、と。確かにそうだ。

 この記事ではレンタカーの例だったが、確かに、ホームページで様々なサービスの組合せをセレクトして、ボタンをクリックして料金計算をする。こんなことは電話でもできるのである。電話を受けるのは接客のプロなのであるから、サービスの組合せを変えて、何度もしつこく計算させても、嫌がられる訳がない。しかし電話をかける客としては、実際に5分なり10分なり接客させてから、よそもあたってみますから、と、電話を切る度胸がないことも多々あろう(関西人を除く ← 関東人の偏見)。つまり、最初からそこで買う(契約する)と、決めていないと、電話しにくいのだ。電話をしてくれなければ(店に来てくれなければ)、ビジネスチャンスもない。ホームページは、気楽な来店機会を作り出せるのである。

 別に商売もののホームページに限った話でも、あるまい。個人のホームページが、個人の“売り出し”の大きな武器であることの、最大の理由のひとつであろう。とすると、しばしば見掛ける「来客簿に記帳して下さい」というスタイルは、ピント外れということになる。(自慢じゃないが、私はただの一度も記帳をしたことはない。感動を伝えたければ、メールを出す。)

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*1996年05月30日:フォーマット1枚300円


 気分がすぐれず、有休取得。午後からなんとか元気が出てきたので、図書館へ。「吾妻ひでお 著作リスト」と「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」に、掲載誌の出版社名のリストを追加するための調査である。従来、両リストに欠落していた情報では、あった。

 帰りに書店に寄って、ボルヘスの「伝奇集」と中井英夫全集の第3巻を買う。いずれも文庫。自宅が狭く、文庫に落ちるまでは買うに買えない。

 ついでに富士通プラザにも寄る。プラプラと店内(というか)を眺めていたら、あはは、これはなんだ。所謂OAスクールの様なものの案内、及びサービス料が貼り出されているのだが、

*レッスン2500〜4000円/時間
*文書変換(OASYS間)2000円/枚
*レーザープリント70円/枚

は、まだいいとして、

*フロッピィ初期化サービス300円/枚

と来た。単純に所用時間から算出したようだが、なんだかなー。

 メーラーを、Netscape に切り替える。取り敢えずトラブルもなく、動いているようである。過去のメールを Netscape 環境に移すのは、諦めた。過去のメールは過去のメーラーで読む。

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*1996年05月31日:「鴉」について


 以下、3年ほど前に書いた文章からの、引用である。…

 音楽に限らず、一般に芸術作品に対して、「魂の奥底から沸き上がる心情の吐露」とか「真実の感情」とか「深い内面性」とかが、気高い真面目な創作動機とされ、そういうものとは無関係に技巧的に構築された作品は、低く見られる傾向が有ります。いわく「小手先のテクニックだけ」、いわく「職人仕事に過ぎない」、いわく「食うための仕事だ」。

 これが偏狭な精神主義であることは言うまでもありません。それに対する最も痛烈な告発(作者はそんなことを意図していなかったかも知れません)が、エドガー・アラン・ポーの「構成の原理」です。

 彼は、ここで自らの傑作長編詩「鴉」を完成するまでの「過程」を解説しているのですが、それは手に汗を握る程の面白さ。失われた愛人に対する「真実の感情」、「内面からにじみ出る深い苦悩」が、その創作動機になっているかのごとく思われる「鴉」が、実は……

*大衆と批評家双方の好みに適うような詩を一篇書いてみたい…
*その構成の一点たりとも偶然や直感には帰せられない…
*数学の問題のような正確さと厳密な結果をもって完成されたものである…
*最初に考えたのは長さのことだった。
*次に考えたのは、伝達すべき印象或は効果の選択ということだった。
*次の問題は、美に最高の表現を与える調子は何かということだった。
*リフレインの効果ほど弘く用いられているものはない…
*快感は専ら同じことの反復という感じから引き出される…
*全体として音の単調さは守りながら、思想の単調を破る…
*最上のリフレインは一語である…
*最も引き延ばせる子音rと、最も響きのいい母音o…
*詩の調子として決めていた憂愁と結び付けうる言葉は、Nevermore …
*Nevermore という言葉を何度も続けて用いるための口実が必要になった。
*この困難さは専らその言葉が人間によって発せられるという前提から…
*ものが言えて理性を持たない生き物にしようと考えついた。
*こうしてぼくは、憂鬱な調子の、長さ百行ばかりの詩の各連の結句に、Nevermoreという一語を単調に繰り返す不吉な鳥、鴉に思い至ったのであった。

 まだまだこれからが面白いのですが、長くなりますので省略します。(以上、創元推理文庫「詩と詩論」より引用)このエッセイは、最上の推理小説に匹敵する面白さであり、その方面に趣味があり、かつ、未読の人には、強くお薦めします。

 これを読むと、名作「鴉」が、「大衆と評論家に受けたい」という「不純な」動機のもとに、完全にテクニックのみによって作られたことが判ります。そして私は、サン・サーンスのオルガン交響曲にも、「それ」を感じるのです。…(後略)

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*1996年06月01日:吹奏楽のコンサート


 アクトシティの大ホールで、浜松市民吹奏楽団の演奏会。特にドイツのマーチが楽しめた。気になったのは、第2部の照明効果というか、スライド映像の「使い過ぎ」である。セロ弾きのゴーシュのBGVとして、ふらふらとゆらめく(幻想的な)動物の姿を映すのは、いい。しかしそれはすぐにやめるべきである。長く映し続ければ映し続けるほど、効果が色あせて行く。

 場末のスナックでテキーラを一杯飲んでから、帰る。今日はアクトシティまで、往復とも徒歩であった。片道45分位の、体をほぐすのに手頃な距離。

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*1996年06月02日:廃墟の建設


 金を下ろすのを忘れていた。財布の中に小銭しかない。まぁキャッシングすればいいのだが、そこまでする気にもなれないので、今日はどこにも出かけずにおとなしくしていることにする。

 別に自然が豊かだというわけでもないが、うちの近所は散歩には好適である。いずれ詳しく紹介しようかと思うが、長い長い時間をかけて少しずつ進行している、大きな道路工事が、うちのすぐ近くまで接近している。これはまだ開通していないので、車は走っていない。すなわち片側2車線の、静かで長大な空き地なのである。あまりにも長い時間をかけているので、すでに腐蝕が始まっている箇所もある。まさに廃墟の建設である。

 私がここに引っ越してきた10年前、既にこの工事現場は廃墟化していた。それが7年ほども放置されたのち、廃墟が少しずつ延長され始めたのである。

 浜松の(道路)工事の進行の遅さは、まさに異様である。タイムスケールの異なる、別の時間軸で進行しているとしか思えないほどだ。事情通の人に伺った話では、これが浜松の施政方針なのだそうだ。すなわち、工事に際して拙速で当たると、立ち退き料が(住民の正当な権利として)発生する。それを払わずにすませるためには、立ち退かない家の手前まで工事を進めておいて、あとはそのまま放置してしまうのである。いつかはその家も嫌気がさして、自発的に去ってゆく。この場合、市は何も払わなくていいのである。(少なくとも、大幅に廉く立ち退いてもらうことは、出来るであろう。)

 私の自宅(アパート)のすぐ目の前まで接近してきている、いつの日か立派な道路になるのであろう、アスファルトの空き地は、散歩に都合が良い。またこの将来の道路は、どう考えても道路網の中での配置計画がおかしく、道幅に見合った交通量が発生するとは、到底思えないのである。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 2 1996 
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