*2000年07月17日:シャワーカーテン、カビキラー
*2000年07月18日:深海のデーモン
*2000年07月19日:島本和彦の新連載
*2000年07月20日:「山小屋の灯」
*2000年07月21日:邪悪な男女
*2000年07月22日:久々の浜松オフ
*2000年07月23日:大空の下で、爽やかな目覚め
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*2000年07月17日:シャワーカーテン、カビキラー


 代休取得。長年の懸案であった、シャワールームの黴掃除を敢行する。

 無論、昔からカビキラーくらい使っているのだが、(説明が面倒なので端折るが、)シャワールームのカーテン(の、特に裏側)が、カビキラーを使いにくい位置にあるのである。(要は、狭いというだけのことだが。)それで、ついつい黴掃除をさぼっていた結果、到底看過(容認)しがたい事態に至ってしまった、という次第。なにしろ、単にどす黒いだけなら、まだしも..さまざまな色合いに鮮やかに発色した挙げ句、じわじわと変形しながら、シャワールーム中を蠢き始めるに至っては..(← それは、粘菌)

 ..というわけで、粘菌もとい黴がべったりと付着したカーテンを外して駐車場に広げ、2〜3倍に水割りしたカビキラーをぶっかけつつ、それと並行して、カーテンが無くなって見通しが良くなった(換気性能の劣悪な)シャワールーム中にカビキラーを噴霧し、塩素ガスで心地よくトリップする..

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*2000年07月18日:深海のデーモン


 「沈黙の艦隊」という作品も、今では古典に属するのだろうか。何しろ連載開始当初は、(少なくとも、やまとが、米海軍・太平洋第三艦隊を全滅させるまでは、)“書記長”に支配されている“ソ連”という国があったのである。(その後、なんの説明もなく“大統領”にすりかわりましたが。)

 終盤、ちょっとダレたとは言え、やはり一代の傑作(少なくとも問題作)だったと思う。その全編中、私にとって、最も印象的だったセリフを紹介しよう。

 モーニングKC版第1巻、「VOYAGE 10 深海のアマデウス」の章。シーバット(やまと)が“逃亡”後に、初めて、米原潜艦隊と海戦を繰り広げるシーン。ここで海江田は(やはり初めて)海中で音楽をガンガン鳴らすのだが、これを聴いた、米原潜艦隊の1番艦「ニューヨーク」の、ソナーマンの報告。

 「どうやら、ニューヨークフィルの、モーツァルトの41番です」

 オタクか、お前は。

 さすがは太平洋第七艦隊、人材の層が厚い..ではなくって [;^.^]、これを読んだ瞬間、この作者、実はクラシック音楽のことをあまり知らないんじゃないか、文字どおり“耳学問”なんじゃないか、と、疑ったことであった。

 説明しよう!

 ある演奏を、「楽団名」でアイデンティファイしている。これは、ポピュラー音楽の発想(習慣)である。クラシック音楽の場合、弦楽四重奏団や(指揮者を置かない、小規模な)室内楽団はともかくとして、指揮者を使う交響曲や管弦楽曲の場合、必ず、「指揮者名」でアイデンティファイされる。それはなによりもまず、「フルトヴェングラーの」「トスカニーニの」「ベームの」「ショルティの」演奏なのであって、それを踏まえた上での、「ベルリンフィルの」「NBC交響楽団の」「ウィーンフィルの」「シカゴ交響楽団の」演奏なのである。

 無論、「“指揮者”が誰であるかは問題にされない」ケースも、ありうる。「誰が振ったんだかは知らないが、金管楽器のこの破壊力は(**年代の)ロシア系のオケだ!」「弦楽器の、この色艶は!」「この、ほっぺたが落ちそうな、ホルンの甘やかな音色は!」..しかしこれらのケースでも、(ブラインドテストで楽団名を的中させるようなオタク共にとっても、)「では、オケは確定したとして、誰の指揮だ?」、と、続くのである。本当に知りたいのは、指揮者名なのだ。

 (そしてさらに、細かい(オタクな)指摘であるが、「ニューヨークフィル」が「モーツァルトの交響曲第41番“ジュピター”」を演奏したとしても、ブラインドテストで「ニューヨークフィル」、と的中させるのは、不自然である。ニューヨークフィルは、モーツァルトの41番で音色的特徴を発揮するような性質の楽団では、ない。)

 ..という考察から、この作者は、ポップスのことは良く知っているのかも知れないが、クラシック音楽については、実は良く知らないのであろう、と、当時は結論づけていたのであるが..最近になって、考えが変わった。この作者が「クラシック音楽に通じている」、という証拠は無いが、少なくとも上記の一事をもってして「クラシック音楽に無知である」、と、結論づけることは、出来ないのだ。即ち、「仮に、クラシック音楽に詳しいとしても、結局、同じセリフ(「どうやら、ニューヨークフィルの、モーツァルトの41番です」)を書いたであろう」、と考えるに至ったのである。

 説明しよう!

 彼が、クラシック音楽に通じているとすると..この場合、やはり指揮者名でアイデンティファイしたい、と、考えるであろう。(それが、自分にとって、自然なことであるから。)では、“誰”にすればいい?

 読者のことを考えたら、選択肢は、ほとんどひとつしか残らない。日本においては、クラシックファンの割合は、総人口の1%である。(実は、欧米でも似たようなものであるが。)クラシックファンではない、99%の読者に通用する、指揮者の名..

 それは、「カラヤン」でしか、あり得ない。(クラシックファンでは無いあなたは、「フルトヴェングラー」「トスカニーニ」「ベーム」「ショルティ」の名前を、ご存知でしたか?)

 しかしここで、作者自身の、クラシックファンとしての素養が、邪魔をするであろう。「カラヤン」と「ジュピター」というのは、もうひとつ、しっくりこない組み合わせなのである。

 ならば、楽団名を書く方が、まだましである。

 では、楽団名として、何を選ぶ?

 多くの(少なくとも10%前後の)日本人が“耳にしたことがある”楽団名としては、「ベルリンフィル」と「ウィーンフィル」しか、あり得まい。(「カラヤン」を知らない人でも、「ベルリンフィル」は知っている可能性が高い。)しかし、ここで「ベルリン」という都市の名を出すのは、この作品世界において、どうも具合が良くない。(妙なニュアンスが伴ってしまう。)「ウィーン」も同様..

 ここはどうしても、アメリカのオーケストラでなくてはならない。となると、自動的に「ニューヨーク」である。少なくとも、クラシックのことを知らない読者でも、「ベルリンフィルやウィーンフィルがあるんだから、ニューヨークフィルもあるんだろう」、と、容易に推測できる..

 作者は、クラシック音楽に無知だったのかも知れない。その場合、必ずや(現実にそうであるように)「どうやら、ニューヨークフィルの、モーツァルトの41番です」、というセリフを書いたであろう。しかしあるいは、クラシック音楽に十分通じており、その結果、(マニアとしての、クラシック音楽のことを知らない読者に対する思いやりと考察から、)「どうやら、ニューヨークフィルの、モーツァルトの41番です」、と、書いたのかも知れないのである。

 そしてやはり..後者の可能性が、高いと思う。

 それは、“ジュピター交響曲の第4楽章”を鳴り響かせながら深海を襲い来る、モビーディック(白鯨)のごとき、無敵の原子力潜水艦、というイメージが、まさに戦慄的だからである。

 私は、“戦闘”と“音楽”の、これほどまでに恐ろしい組み合わせを知らない。(この曲をご存知の方は、第4楽章冒頭の、あの、無限の憧れを秘めた、晴朗極まりない快活な音楽を、想い出していただきたい。)これに比べると、「地獄の黙示録」における「ヴァルキューレの騎行」なんぞ、全くの児戯に過ぎないのである。(ましてや、劇場版「エヴァ」における「エア」なんぞは。)

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*2000年07月19日:島本和彦の新連載


 新雑誌、「月刊サンデーGX(ジェネックス)」を買い損なった(あるいは、立ち読みし損なった)あなたは、今からでも書店に走らなければならない。最悪、見つけられなかった場合は、次号(8月19日発売)は間違いなく、確保しなくてはならない。(手帳(またはPDA)に、メモしましたか?)

 それは、島本和彦の新連載、「吼えろペン」が、素晴らしいスタートダッシュを見せてくれたからである。

 無論、「燃えよペン」の、続編である。「燃えよペン」は、(作者は、公的には否定しているが)作者自身をモデルにした、炎尾燃(ほのお・もゆる)という熱血漫画家を主人公にした、島本和彦の最高傑作であるが、「吼えろペン」は、その作品世界と登場人物をそのまま引き継いで、新キャラ(新アシスタント)を登場させたもの。無論、今回の主人公は、この新キャラである。

 “世界に冠たる”日本の漫画産業も、既に斜陽化していると言われて久しいが、なんのなんの、心配するには及ばない。島本和彦と永井豪が健筆を揮っている限り、日本漫画の黄金時代は、終わらないのである。

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*2000年07月20日:「山小屋の灯」


 手塚リストの「全集未収録作品リスト」をチェックしていて、「山小屋の灯」という作品が、だぶっていることに気が付いてしまった。ただちに、調査ノートを再チェックする。

 初期作品であって、初出誌未見。「手塚治虫マンガ大全」に掲載された復刻(というかコピー)で読んでいるのみ。そして、この「大全」と「手塚治虫全史」では、初出データは「読切読物ブック:53/01」となっており、この2冊を除く全ての資料では、「新漫画:54/09」となっているのである。

 複数の資料から「全集未収録作品リスト」をまとめあげる過程において、初出誌も初出年月日も異なるので、同一作品とは気づいていなかった、という次第。無論、同名の別の作品では無い。“「新漫画:54/09」に掲載されている「山小屋の灯」”の“粗筋”が掲載されている資料があるのだが、それは“「読切読物ブック:53/01」に掲載されている「山小屋の灯」”と、同じなのである。

 明らかに、「大全」「全史」のデータの方が、信用できる。なにしろ、「全史」はともかくとしても、「大全」を編集する過程において、(コピーを掲載した以上、)そこに初出誌の現物があった、と、考えられるのであるから。

 とはいえ、「新漫画:54/09」説も、ただちには棄却しかねる。それは、つい最近のTさん宅調査において入手した「手塚治虫作品総目録」が、この説を採っているからである。

 これは、古い資料(1961年)であり、その分、(のちの研究・調査の結果が反映されていないという意味では)信頼性が低いものなのだが..何しろ、手塚治虫自身が、ほぼ全ての作品について、内容の簡単な紹介と「作品番号」を付している、という、他のいかなるリストにも見られない特長を有しているのである。

 無論、作者自身による初出データの記憶は、必ずしも当てにならない(し、恐らくデータ部分は、作者以外の人が作業している筈である)のだが、やはり、このリストには、特別な意義を置きたい。

 というわけで、再調査だ。「新漫画」が国会図書館に無いことは判っているが、「読切読物ブック」は、どうだったかな。大宅壮一文庫では、所蔵チェックも行っていない..

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*2000年07月21日:邪悪な男女


 通勤時、やけに自転車が少なくて走りやすいと思ったら..今日から夏休みか。ケッ [;^J^]

 近頃の(若い)女性の胸は大きく、形も良く、男性の目に優しい..と嬉しく思っていたのだが..どうやらこれが、詐術らしいのである。(全員が偽っている、とは言いませんが。)無論、「パット」とか、「寄せてあげる」とかの存在くらいは、知っていましたが..それにしても、技術革新が進んでいるようで..

 だから私が、仮に(見知らぬ)女性の胸元を見つめていたとしても、それは必ずしも“邪念”故ではなく、「どこからどこまでが実体なのであろうか?」、という、“科学する心”の持ち主だからなのである。誤解しないでいただきたい。

 (もちろん、“邪念”も、いくばくかは入っている。当たり前でしょう。女性の胸元を見ながら、なんら“邪念”を覚えないなんて、私はそれほど非常識でも礼儀知らずでもありませんよ。)

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*2000年07月22日:久々の浜松オフ


 朝いちで浜松クリニックへ。水虫の件だが、驚くべきことに、医者に予告されたとおり、本当に一ヶ月で治ってしまった。(医学の進歩は、人類の幸せに確実に寄与している。)一ヶ月前に(この件では)初診。2週間前に再診。そして今日は“結果確認”みたいなものである。一応念のため、飲み薬だけあと2週間分、もらっておく。

 治療内容をメモしておく。飲み薬はラミシール。塗り薬はアスタットクリームとアスタット液。前回(2週間前)も今日も、「特に異状はありませんか」、と確認されたが、つまり、異状が起こりうる“強い”薬なのである。肌や体質に合わずに使えない人もいよう。万人に通用する特効薬では、ない。

 これらに加えて「電気療法」も行った。(今日も含めて、計3回。)足をたらいの水に浸し、たらいの中で電極を踏み、片手をもうひとつの電極に置いて、15分ほど、低周波の電気を流すのである。はっきり言って、胡散臭い [;^J^]。理屈は聞かなかったが、仮に、この“穏やかな電撃”に殺菌能力があるとしても、白癬菌だけを選択的に殺せるものだろうか。他に色々、本来死ぬべきではなかった(あるいは、殺されるには及ばなかった)雑菌まで、巻き添えでジェノサイドされてしまったのではなかろうか [/_;](オロオロ)

 今日は、浜松でFCLAの中部合唱オフ(仮称)がある。中部圏(名古屋、浜松)で開催されるのは、数年ぶりである。出来れば出たかったのだが、日中は所用が有って無理。夕刻からの打ち上げにだけ参加する。まずは、フォルテ8Fのビヤホール(アーシェントタイム)。懐かしい顔ぶれが、大勢揃っている。

 ビールをガブ飲みしながら色々喋った内容を、いちいち紹介することはしないが(..と言うか、あらかた憶えていないが [;^J^])、メモしておいた奴をひとつだけ。「戦争を知らない子どもたち」、というのは、今や(古過ぎて)通用しないらしい。こんにちでは「一年戦争を知らない子どもたち」、なのだそうだ。さもありなん(..と、軽く書いたが、これは実に“深い”話である。私でも、ここからただちに5つ位の議論の流れを導出できる。10本以上導き出せれば、プロの文筆家..かな?)。

 このあと、カラオケのハシゴ。浜松に歌屋が集まるときのデフォルトの店(店名失念)と、有楽街のど真ん中の店(店名失念)である..しかしどうして、カラオケビルというのは、こうも迷路的な作りになっているのだろう..て、もしかして、私が酔っぱらって方向感覚を失っているだけだ、というオチかい? [;^J^]

 しかし、古いアニソンを歌う時、オリジナルの映像が提供されないのは、実に困る。100人中100人が賛同して下さると確信しているが、マイクを握っていても、気合いの入り方が、全然違うのである。それでも例えば、前回、どこかで(持ち歌の)「エイトマン」を歌った時は、サスペンス系トレンディードラマ風の映像で、まぁ許容範囲内か..(元々、警察系の物語なのだしね..)と思ったものだが..今夜の「エイトマン」の映像は論外。動物園で、カバさんやクマさんやゴリラさんたちが、欠伸をしながらゴロゴロしている映像なのである。(あまりのシュールさに、それはそれで面白さを感じてしまった自分が、情けない [;^.^]。)

 0時を(多分)遙かに回ってから解散。週末の有楽街にいつも出ている贔屓の屋台で、ニンニク卵入りラーメンを食べてから、タクシーで帰宅..

 ..したのはいいが、「鍵が無い」。なんで? 落としたか? 落としたんだろう、無いんだから。しかし参った。時計を見ると1時半。大家さん宅まで、100メートルも無いのだが、いくらなんでもこの時刻に、鍵を借りに行く訳にはいかない。朝を待たなくては..どこで? 酔っぱらっているし、さすがに眠いぞ。どこで眠る?

 玄関前、という訳にもいくまい。うっかり朝まで眠ってしまった場合、アパートの他の住人に目撃されると、少しアレである。3分も歩けば遠鉄ストアがあり、その駐車場の自販機コーナーには、ベンチがあるはずだ。ベンチで夜明かしする分には、世間体はおかしなことにはならない(と思う)。

 ..というわけで、テクテク歩いて来たのだが..おやまぁ、ベンチが撤去されているではないの。ここで寝る奴が続出したからか?(んなこと無いって。)しかし困ったな。他に夜明かしする場所も無いよ。この時刻にこんなところをタクシーが通りかかるとは思えないし..

 ..となると、結論は自明である。確かにコンクリートの寝心地は良くないが、何故か私は、「駐車場で眠る」というシチュエーションに対して、免疫が出来ているのである。(明日につづく)

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*2000年07月23日:大空の下で、爽やかな目覚め


 4時頃起床。目が覚めた時には酔いも覚めており、事態が完全に把握出来ていた。

 私は、鍵を落としてはいない。手で探って確認した。ジーパンの尻ポケットにある。

 大体、落としようが無いのだ。ちょうど3年前、同様に鍵を無くして玄関前で野宿し、さらにその4ヶ月後に、再度鍵を落とした時点で、キーホルダーをズボンにくくりつけるための紐を購入し、それ以来(3年近く)、自宅の鍵は、私のズボンと一体化していたのだから。(無論、洗濯したりクリーニングに出したりする時には、付け替えるのである。3年近く、ズボンを洗わず替えてもいない、などと、深読みしないように。)

 どうやら昨夜、酔っぱらいながら「無い、無い!?」、と、全身のポケットを裏返しながら探しまくっていたキーは、車のキーだったようだ。(確かにこれは、自宅に置いて外出していたのである。)やれやれ。こういう事態(野宿)を避けるための、紐だったのだが..

 教訓:万全の備えも、酔っぱらいの敵ではない。

 ということで、午前中は、なんとなくグロッキー。夕方から持ち直して、天狗へ。(← 懲りない。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 26 2000 
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