*1997年10月27日:「マグマ大使」のLDを発見する
*1997年10月28日:「鉄人28号」文庫版
*1997年10月29日:「鉄人28号」の「贋物事件」
*1997年10月30日:リブ70に失望する
*1997年10月31日:ある名言
*1997年11月01日:大道芸in静岡 1997
*1997年11月02日:「蝶々夫人」
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*1997年10月27日:「マグマ大使」のLDを発見する


 先日の上京時に捕獲しそこなった、唐沢なをきの単行本を、紀伊國屋のBOOKWEBに登録されているありったけの10冊、発注する。これは本店に在庫がなければ、リジェクトされるシステムである。さて、何冊入ってくるか。

 「マグマ大使」のLDを、会社近くの新規開店の古本屋にて、計10万円で発見した。(上下各巻(共に7枚組)定価39800円のところを、49800円。)う〜ん。[;^J^] 実は、「マグマ大使」のLDは存在しない(というより、フィルムが残っていない)と思い込んでいたのであった。理由はシンプル。手塚治虫が(全集の後書きで)そう書いているからである。だからこそ「幻のフィルム」に見え、ならば10万で捕獲(保護)するのは当然、という感覚にもなったが、実のところ、たいして珍しくもないソフトなのであれば、例え今は絶版であるとしても、無理に買う必要があるだろうか? しばし保留とする。

 久々に、イタリア料理&パブのCへ。店員が全員入れ替わっていた。そこそこ美味いのだが、どうしても5000円越えてしまうのが、つらいところ。

 帰宅したら、定期購読している「日経サイエンス」の12月号が届いていた。前回届いたのは、(夏休み前の)7月号である。4ヶ月分、飛ばされた。どういうことだ。明日、電話しなくては。

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*1997年10月28日:「鉄人28号」文庫版


 「日経サイエンス」の、8〜11月号が飛ばされた件、出版社に電話したら、「この時期、色々ありましたので、そういうこともあるかも知れません」。あのな。

 確認を求めたところ、ほどなく折り返し電話で、すぐに宅配便で送るとのこと。対応が速いのは、よろしい。

 ふと思い立って「鉄人28号」の文庫版をドカ買いする。これはいったん、全12巻で完結したあと、「続・鉄人28号」13巻が企画され、これが現在、第10巻まで出ている。来月、最後の3巻が出て完結するのかな? この、正・続、合わせて25巻に、全エピソードが収録されることになるらしい。(それを知ったから、買い揃える気になったのである。)

 とはいえ、正編は昨年出版されたのであるから、揃えている書店は多くはない。あちこち車で走り回って、とにかく、正編の最初の3巻を除く全巻を、買い揃えた。

 で、いそいそと読み始めたのだが..

 ..実に印刷画質が悪い。また、編集が最悪。[;-_-]

 まず、画質について。

 原稿が残っていないので、雑誌から復刻した由。だから、ある程度読みづらいのは、仕方がない。しかし、どうも納得がいかないのは..

 まず、もう少しまともなソースは残っていなかったのか?という点。この文庫版では、4段組のページと3段組のページがあり、恐らく、前者が「少年」本誌に掲載された分、後者がその付録に掲載された分である。特に読みづらいのは、後者である。現存する「付録」の品質が、非常に悪いということなのだろうが、私は、「少年」の付録については、記憶が曖昧なのだが、少なくともこれらのページが収録(再録)されている「カッパコミクス」は読んでいる。カッパコミクスから復刻すれば、これほど読みにくいはずは無い。カッパコミクス自体、まともな品質のものが、光文社に残っていないのかも知れないし、あるいは、原典からの復刻にこだわり、敢えてオリジナルバージョンから起こした、ということなのかも知れない。後者の理由であれば、これを非難したくは無いのだが..

 もうひとつ、これは言っても仕方が無いことなのだが、4段組のページの多くは、オリジナルがカラー印刷であり、それをモノクロ復刻しているものだから、やはり非常に見苦しい。手塚治虫の作品では、こういうケースは少ない。なぜなら、手塚治虫は、カラーページを単色印刷する場合は、単色で“描きなおしてしまう”からである。オリジナルの再現性という意味では、非常に問題のある方法であるが、“読むためには”圧倒的に優れている方法論なのである..

 以上のように、絵の見づらさについては、それなりに正当な理由があるのだが..

 ..弁護のしようがないのが、この目茶苦茶な編集である。私は、これほど酷い例を見た記憶が、ほとんどない。

 正編の、第7巻と第8巻、及び、第9巻と第10巻のあいだで、大きな欠落がある。そしてこのことは、該当する各巻には、ひとことも説明されていない。結論から言えば、(続編が企画されていない段階で)全12巻に収めるためのスキップだったようだが、それでは、第12巻が、きりのいい所で終わっているかと言えば、全然違う。もろに、とあるエピソードの途中で、ぶち切れているのである。そして、そこで全12巻が終わっている理由として、「これ以降は、現行のコミックスに収録されているから」とされている。なんとも中途半端な仕事を、したものだ。

 そして、続編がまた、酷い。続編の第1巻が、正編の第7巻と第8巻の間、続編の第2巻が、正編の第9巻と第10巻の間に入るのだが、その説明が、これらの巻には、全く無い。しかも、続篇の第2巻の巻頭には欠落頁すらあるので、読者は、どの順番で読めばいいのか、非常に迷う。正編と続編で数十頁にわたって、重複して収録されている頁すら、ある。

 さらに、続編の各巻には、初出年月号が記載されているが、正編には、このデータが無い。全く、なんなんだか。

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*1997年10月29日:「鉄人28号」の「贋物事件」


 「鉄人28号」文庫版の、正編1巻〜3巻を、購入。かなりあちこちの書店を、探し回る必要があった。

 「鉄人28号」は、少年時代に、初出誌「少年」と「カッパコミクス」で、大体全エピソードの半分以上は読んでいたことになるが、今回の文庫版の再読に臨んで、結末までストーリーを憶えていたのは、「アリ事件」「超人間ケリー」「ブラック博士」など、わりと地味めの作品群で、その他のエピソードは、断片的にしか憶えていなかった。

 そのため、ほとんどのエピソードを、新鮮な気持ちで再読(というか、気分的には、ほとんど初読)できたのだが、面白かったのは、「にせ鉄人28号事件」である。

 ありとあらゆるヒーロー物で、この「贋物」ネタが使われていると思うが、その基本パターンは、ヒーローの贋物が、街を無茶苦茶に破壊するなどの悪事の限りをつくすことによって、本物のヒーローの信用を失墜せしむる、というものである。

 ところが、この「にせ鉄人28号事件」においては、そういうシーンがほとんどない。贋物は、しばし正太郎少年たちを惑わせたのち、あっけなく、本物に破壊される。ちっとも活躍しないのだ。

 考えてみれば、無理も無いことではあった。鉄人28号の場合、贋物が暴れるまでもなく、本物の鉄人が、しょっちゅう、操縦機を盗まれては、街中で暴れまくって、無辜の民衆に多大な被害を与えているのであって、いまさら贋物が暴れる幕ではないのであった。[;^J^]

 日経サイエンスの、配達欠落分が、無事到着する。

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*1997年10月30日:リブ70に失望する


 リブ70のニュースが入ってきたが..大失望。

 要するに、CPUがMMX120になり、HDDが1.6Gになり、キーピッチが広がっただけ。RAMはMAX32Mのまま。相変わらずレジュームは無し。

 HDDは換装出来るので、全く本質的でない。MMXは、ペンチアムの2倍速い訳でもない。つまりこれらは、たいした改善ポイントではない。

 逆に、スペックダウンしてしまったのが、キーボードである。多少とも打ちやすくなったのかも知れないが、Home / End / PgUp / PgDn が無くなった。これらは FN + Cursor で代用するのである。悪夢である。

 これらの key が、右端に縦に並んでいることが、東芝のノートの大きな魅力だったのである。

 特にリブレットにおいては、液晶右側を“つまんで”リブポイントを操作するが、そのフォームのまま親指を下ろすだけで、PgUp / PgDn / Enter に届く。(もう少し伸ばすと、カーソルにも届く。)つまり、左手で別のことをしながら、ウェブをブラウジングできていたのである。

 そうでなくとも、CTRL + Home / CTRL + End 等は、Windows の基本操作ではないか。

 リブ80だか90だかで、元に戻すか、少なくともキーボードの選択の余地が与えられない限り、東芝ノートとの付き合いは終わりだ。

 先日、紀伊國屋のBOOKWEBで注文した10冊中、「電脳なをさん」と「鉄鋼無敵科学大魔號(徳間書店)」と「百億万円」と「ぞろぞろ」と「近未来馬鹿」と「八戒の大冒険(白夜書房)」と「カスミ伝(徳間書店)」が、品切れで入荷せず、との連絡が入る。

 コミックスの“品切れ”は、出版社に発注した結果ではなく、紀伊國屋本店に在庫が無かった、ということである。やはりBOOKWEBは、コミックスの発注には、使えないなぁ。

 それを承知で(覚悟の上で)BOOKWEBを使ったのは、「マンガの注文を、出版社まで届けてくれる」業者(書店)は、ネット上に無い、と、考えていたからであるが..(ネットで無くても、マンガの発注を取り扱っていない書店、というのは、珍しくないはずだ)確かニフティサーブに、そういう業者が店を開いている、という話を聞いたような気がしてきた。ちょっと調べてみよう。

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*1997年10月31日:ある名言


「ふり逃げ打点一。しかも決勝点。そのうえ新人王…ってかんじ。ズルいよカヲルくん。」

SFマガジン連載中の水玉蛍之丞のイラストエッセイ「SFまで10000光年」より

 無論、渚カオルのことである。

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*1997年11月01日:大道芸in静岡 1997


 大道芸ワールドカップin静岡。今年は10月31日から11月3日まで。この催しについては、去年の日記を参照していただきたい。

 昨年同様、9時過ぎの電車で、10時過ぎに静岡着。演技開始は11時。今年はちょっと作戦を変えて、無闇に歩き回らずに、駿府公園内のメインステージで定点観測を試みる。(昨年はひたすら歩き回り、へとへとになってしまったから。)


*エイコーン・パペット
 ドーナツ状の(孔の開いた)布を使って、尼僧、ナポレオン、等、様々な物真似をしてみせるが、これは外れ。欧州と文化が違いすぎて、何に化けているのか、半分以上わからないのである。
 メインは人形劇であり、左手に男のマスクを装着、右手はその男の右手、という趣向で、恋人に振られた男の悲嘆を演ずる。仮面自体の表情は変わらないことを逆手に取って、フリで見せる。これはまずまずのもの。

*レイ・ワールド
 炎の芸である。最初から最後まで、何かしら燃えている。いやはや、これは見事なものだ。
 例えば、ファイアー・トーチのジャグリング等は、全く珍しくない。ほとんど誰もがやっている。彼もこれをやるが、その間、服が燃えている点が違う。椅子に座れば椅子が燃える。その椅子の上で(顔を炙られながら)倒立する。燃える棺桶からの脱出芸。油が燃え上がる水槽からの脱出芸、等など。
 恐らく、技術的には、それほど難しくない(と、私は見た)。しかし、とにかく見た目が派手であることと、ひたすら炎に追いまくられている、というテンポの良さとテーマの統一で、強烈な印象を残した。

*デビッド・ラムゼイ
 3つ乃至6つのボールのジャグリングをはじめとして、色々な芸を見せてくれる。彼のような、言わば「小技」の組み合わせ、というタイプは、非常に大勢いるのだが、印象が散漫になることが珍しくない。上記レイ・ワールドのような、統一テーマが無く、個々の技については、それこそ、「別にあんたでなくても見られるじゃん」という気にさせられるからだ。
 そこが芸人の難しいところだと思うが、彼は、日本語が達者であり、いわば話芸で巧妙に場をつないでいた。

*エンリケ・フェーダーマン
 つまらん。
 これは私の嗜好の問題なのだが、こういう観客参加型のコメディに対しては、(非常に)点がからくなる。たいした芸をしていないように見えるからだ。無論、ステージに引っ張り出した客を“乗せる”のには、それなりのテクニックがいるのだろうが..
 何らかの形で客を巻き込むことは、多くの演技者が行っている。本来?の、アクロバットなりマジックなりがしっかりしている場合には、この種の“素人の参加”は、むしろ映えるのだが..

*王健
 というわけで、ここでメインステージから離れて、口直しに、このシンプルなアクロバットを見た。
 感動的である。
 ローラーボールというのだろうか。(横倒しの)円筒の上でバランスを取って、倒立したりするのだが、その円筒が、縦横交互に5つも積まれるのである!

*つぶつぶオレンジ
 日本の若手コンビである。これも中々のもの。
 主たる素材は、箱のジャグリングと、ファイアー・トーチのジャグリング。全く珍しくもないものだが、これを話術のうまさと、若さの勢いと、テンポの良さで見せてしまう。ウィリアム・テル序曲のマーチに乗って、掛け声をかけながらの箱のジャグリングは、見ごたえがあった。

*マイケル・コーエン
 これは、昨年も観たものであり、楽しみにしていたのだ。
 やっていることは、小手調べの前座芸も含めて、昨年と全く同じである。だから、次に何をやるのか、完全に読めている。しかし飽きない。芸がしっかりしているからである。
 逆に言えば、年に一度だから見られる芸、でもある。ちょっと知りたいのは..彼(に限らず、去年と全く同じネタを披露している芸人たち)は、この芸だけで生活しているのだろうか? あるいは、「静岡では“定番の”これ」、と決めているのだろうか?(確かに、一年かけて世界を一周すれば、世界中のどこででも、年に一度しか見られない芸として、通用するのだが。)

*テッセラクト
 男女のペアのアクロバットで、サーカス出身らしい。ゴロンゴロン転がる、大きな足場?の、組み立て&分解をしながらの芸、というのが、変わっている。

 ここで、自宅の鍵を紛失しているに気が付く。一応、本部に詰めている警官に届け出るが、拾得されることは、ハナから諦めている。なにしろ、会場が広すぎる。アパートから徒歩50メートルの大家さんに、合鍵を借りることにしよう..

 駿府公園を出て、街中の演技スポットへ。


*ラスピニ・ブラザーズ
 口で、3つ玉のピンポンのジャグリング。その他、色々と小技を見せてくれたが、今ひとつ印象に残らない。

*パウロ&ダニエラ
 去年のチャンピオン。男女ペア(男:27歳、女:20歳)による、脱出芸の数々。両手の親指同士を固く縛っておきながら、右腕に輪をかける。女性をきちきちに縛っておきながら、ちょっと幕で隠しただけで、たちまち着替えてみせる。あるいは、客と一緒に幕に入り(客は顔だけ幕から出す−従って、何をされているか判らない)縛られたまま、客の上着を来てしまう。さらには、縛られたまま箱に入って鍵をかけられ、その上に乗った男性ごと幕に隠れて、男性と入れ替わってしまう。等など。
 鮮やかなものである。感服した。しかも、美女の緊縛芸である。堪能した。[^J^]


 昼の部はここまで。近所の炉端焼きで腹ごしらえをしてから、夜の部へ。


*好田タクト

 去年も観た、指揮者の物真似である。ネタは、

*朝比奈隆交響曲第5番(ベートーヴェン)
*カラヤン交響曲第1番(ブラームス)
*レヴァインウィリアム・テル序曲(ロッシーニ)
*ストコフスキーカノン(パッヘルベル)
*小澤征爾交響曲第2番(マーラー)
であり、去年の日記を参照していただくと分かるが、朝比奈とカラヤンの曲を入れ替えて、クライバーを省略しただけ。
 これは、前記のマイケル・コーエンとは異なり、毎年見られる芸では無い、と思った。少なくとも、新ネタを仕込まないと。また、ちょっと気になったのは、彼は芸人にしては、声が小さいというか、通らないのである。修行が足りんぞ。


 このあと、パウロ&ダニエラを、もう一度観る。今度は背後から。

 同じ出し物を、角度を変えて2回観たためか、箱抜けのトリックは、なんとなく見当がついたが、だからといって、感銘が削がれるようなものでもない。

 大家さんから鍵を借りなくてはならないので、深夜に帰るわけにもいかない。あと30分以上夜の部が残っている時点で切り上げて、こだまで帰宅。

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*1997年11月02日:「蝶々夫人」


 まず、合鍵を作りに行く。[;^J^] そしてついでに、ズボンに取り付けるためのキーホルダーと紐を買う。やれやれ、これでもう落とさないぞ。私は、右の尻ポケットに鍵とハンカチを入れる癖があるのだが、ハンカチを何度も出し入れしている間に鍵を落としたりしないか、ずーっと昔から(20年位昔から)くよくよと気にしていたのだ。これで(ほとんど半生悩み続けた問題が)解決した。[;^J^]

 今日は、アクトシティの中ホールで「蝶々夫人」。私のボイトレの先生が、節目の年齢の記念として(蝶々さん役で)上演するものである。

 大ホールと異なり、中ホールには、オーケストラピットの設備が無い。それどころか、幕も無い。そこで、演出にはひと工夫されていた。

 すなわち、舞台の右半分に、30人ほどの(やや、縮小された)編成のオーケストラが陣取り、左半分に、演技のスペースを設ける。それも、極端に節約された装置を効果的に用いたもので、一種箱庭的印象を与えるものである。

 特に第一幕、前面で蝶々さんとピンカートンが語り合っている背後で、蝶々さんの親戚たちが“音も無く”酒宴に興じているシーンには、ひそやかな悪夢的な趣があった。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 6 1997 
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