*1997年07月07日:鉄腕アトム(小学二年生版)/ジャングル大帝(学年誌版)/冒険ルビ/フィルムは生きている、等調査
*1997年07月08日:自業自得 [;^J^]
*1997年07月09日:「ロボットの科学」
*1997年07月10日:車を換えた
*1997年07月11日:流血と苦痛について
*1997年07月12日:「ロスト・ワールド」
*1997年07月13日:雨の夜のホームレス
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*1997年07月07日:鉄腕アトム(小学二年生版)/ジャングル大帝(学年誌版)/冒険ルビ/フィルムは生きている、等調査


 横浜の実家のすぐ目の前のバス停を7時33分のバスに乗ると、国会図書館の開館時刻(9時30分)にピタリである。本日のミッションは、最近明らかになった、いくつかの相互矛盾しているデータの解決と、(「漫画少年」ではなく)学年誌に掲載された、一連の「ジャングル大帝」ものの総チェックである..が、後者については全集版の「レオちゃん」を持参するのを忘れたので、調査完了には至らず、代わりに「冒険ルビ」を2系列チェックした。

 まず、「わかっちゃいるけどむずかしい」「白くじゃくの歌」「万国博ハプニングガイド」のデータが、不明または曖昧だったので、決着をつける。次に、先日発覚した、


	観客がいっぱい(絵と文)::4:スクリーン:60/08
	ヌーヴェル・ヴァーグ演出の極意(絵と文)::11:スクリーン:60/06

の初出号のデータが、全集と、全集以外の全ての資料で逆になっている件については、初出誌に当たったところ、やはり全集の誤植であった。

 吾妻ひでお関係の調査&コピーをはさんで、以下、「鉄腕アトム(小学二年生版)」「ジャングル大帝(小学二年生版)」「ジャングル大帝(小学三年生版)」「冒険ルビ」「冒険ルビ(小学二年生〜小学三年生版)」「フィルムは生きている」を、バリバリチェック。

 閉館後は、文藝春秋臨時増刊「漫画 田中角栄」(1983)が当選していたのを受け取りに、3軒茶屋の2階のマンガ屋へ。このアンソロジーを発注したのは、手塚治虫の「列島改造の悪夢」という一コマ漫画が収録されている、と、カタログに記載されていたからである。このタイトルは、従来の各種目録には無いものであったのだ。

 蓋を開けてみたら、残念なことに、初出データが「昭和47年。掲載紙、発表月日不明」である..が、これはもしかしたら、


	日本列島害造論::1(1コマ):赤旗日曜版:72/10/29

なのではあるまいか? 国会図書館で捜したものの、切り抜きの被害にあっていて読めなかった作品である。診療台の上の満身創痍の患者(日本列島)が「先生の治療をうけたら、病気(公害)がからだじゅうにトビヒしてしまいました!」と訴えるのを、困ったね〜という(本心では困っていない)顔で見下ろす医者(田中角栄)、という構図は、手塚治虫が同紙に掲載した他のいくつかの作品と、スタンスが近しいように思われる。

 神保町に戻り、中野書店をチェックしてから、地下のレストランでビールを飲みつつ、リブでデータ整理。ひかりで浜松へ。

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*1997年07月08日:自業自得 [;^J^]


 困った。[;^J^]

 浜松の代表的な繁華街であるところの有楽街の中心部にある、とあるカラオケ系の店。そこの、ちょい狸入ってるロリ系美少女コンパニオンを2度ほど指名したものだから、すっかり彼女に顔を憶えられてしまい(当たり前だ)、夕方から深夜にかけての彼女らが客引きをしている時刻に、その店の前を通りすがると、見逃してくれない。[;^J^] 今夜は別の店で飲むから、と言って振り切るのだが、結構タイプなので、毎度毎度袖にして愛想を尽かされるのは嫌だし、だからといって、毎度毎度誘い込まれていると破産する。[;^J^]

 という訳なので、わざわざその店の前を迂回しなくてはならないのだ。有楽街のまさに中心部の店なのだから、不便で仕方がない。[;^J^](念押ししておくが、ここはいかがわしい店ではないぞっ)

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*1997年07月09日:「ロボットの科学」


 先日、カッパコミクス版「鉄腕アトム」全34巻(別巻2冊込みのコンプリートセット)5万5千円を発注したのだが、本日、納品された! [^O^]

 第1巻の裏表紙がなく、第21巻に小さな切り欠けがある他、5〜6冊、破れている頁があるが、いずれも読むのには全く問題なし。(しかもなんたる偶然か、第1巻と第21巻は、つい最近、破損の無いものを別途購入したばかりである。)

 これは多分、(納本のタイミングから察するに)抽選ではなく先着順だったはずだ。しかも、私の発注は、アクションとしては決して早くなかった。これが古書道楽(正しくは、古書極道)の醍醐味なのだ。このセットは、東京の大手漫画専門古書店(「まんだらけ」「3軒茶屋の2階のマンガ屋」等)のカタログに載ったが最後、価格も価格だが、それよりも競争率が論外に跳ね上がったはずだ。地方の店の通販をこまめにチェック。これなら、地方在住者もハンディ無しに戦える。

 もとより、小学生時代に、ほぼ全巻読んでいる。だから、今回大枚5万5千円をはたいたのは、まずは懐旧の情を暖めるため。次に、全集をはじめとする現行の各版との照合調査のため。(初出誌「少年」を別とすると、最も古い版であるから。)そして、別巻2冊のうち「ロボットの科学」と題された巻を読むためである。

 その最初の見開き頁には、歴史上の代表的空想的ロボットが4人(?)、「青銅のタロース」「泥の巨人ゴーレム」「フランケンシュタインの怪物」「メトロポリスのマリア」が描かれており、この恐ろしくも美しいイメージの記憶は、思春期を通じての私の悪夢(あるいはトラウマ)であった。特にマリアの硬質のエロティシズムに悩まされていた。この絵をもう一度見たかったのだ。(この巻がバラ売りされているのを見たことがなく、全巻セットでも、別巻は揃っていないことが珍しくない。)

 想いが叶って再会した、その頁は、もちろん素晴らしいものであった..が、実はこの巻の真髄は、こんなところにはなかったのだ。私は、この巻については、この頁しか記憶になかったのだが、今回通読してみて、仰天した。

 神話時代、ゴシックロマンの時代の“ロボット以前のロボット”。フランケンシュタインの怪物。「未来のイブ」。チャペックのロボット。ロボット工学の三原則。なぜ人間の形にするのか。ギリシア以来のからくり人形の歴史。魚雷や飛行機の自動操縦装置やサーモスタットや新幹線のCTCもロボットだ。人間ほどすぐれた機械はない。フィードバック回路。ナイル川が算数を教えた。ソロバンはデジタル、計算尺はアナログ。デジタルとアナログのどちらが有利か。バベッジの歯車式計算機。歯車ではなぜだめか。リレー、真空管、トランジスタ。トランジスタのどこが真空管より優れているのか。電子計算機の基本構成(そういう用語は使っていないが、CPU、メモリ、アキュムレータ、I/Oモジュール、という概念が、明確に導入/図解されている)。フローチャート。パルス。機械語。メモリ。レジスタ。二進法。二進法の有利さの説明。論理回路(AND、OR、NOTゲートとディレイを導入し、加算回路の実例を示す)。情報の数値化。アルファベットの数値化。穿孔テープの読み方。自動翻訳。計算機のプログラム。「はたらく電子計算機」として、天気予報、切符の予約、アイスクリーム工場での工程管理、無人工場、チェス・将棋、自動作曲、宇宙旅行のコントロール。まだまだ人間にはかなわない最大の弱点のひとつがパターン認識。手書き文字をドット化して認識する実例の図解。人間の脳とどこが違うか。未来の夢。しかしあくまでも電子頭脳を作り電子頭脳を使うのは人間である…。

 これだけの内容が、70頁そこそこの分量で、見ていて楽しい豊富な図解やイラストと共に、小学校高学年なら理解出来る文章で書かれているのである。これが発行された昭和40年当時の計算機科学とロボット工学の、歴史と最先端の話題をサーベイしているばかりでなく、それらの(枝葉末節にわたらぬ)本質的なこと、最も大切なことは何か、という点をしっかりと押さえて書き込んでいる。当時の大人にとっても得るところの多い…いや、今の大人が読んでも少しもおかしくない、素晴らしい科学解説書なのであった。(私が、この内容を憶えていなかったのは、7歳児には、さすがに読みこなせなかったということだろう。)執筆者は、福島正実、帆足茂夫、朝倉久、菊池誠、加藤喬、谷牧夫。併録は「鉄腕アトム:アルプスの決闘の巻」。

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*1997年07月10日:車を換えた


 日産マーチである。「マッチのマーチはあなたの町にマッチするぅ!」のマーチである。(このフレーズを、記憶の底から消去することができないのだ。誰か助けてくれ。[;^J^])平成5年型の、とても程度の良いものがあったのだ。

 無論、マニュアル車である。別にオートマ車に恨みは無いが..ただ、その機械に対して人間が最も“直感的に安全に”振る舞った時、すなわち、手も足も離した時に、動いている、というメカの設計思想は、根本的に誤っていると思うのだ。

 先日の日記で、エヴァに関するエピソード(山から降りてこなかったファン)について書いたが、これに関するメールをいただいた。それによると、この話は、岡田斗司夫・唐沢俊一・眠田直の「オタク・アミーゴス」(ソフトバンク)の中で紹介されていたもので、舞台は四国ではなく福島県のいわき山。毎週エヴァを観るために「登山」していたのは、いわき明星大アニメ研とのことである。

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*1997年07月11日:流血と苦痛について


 かれこれ20数年ぶりに、歯医者にかかることになった。虫歯ではない。歯周炎である。元々、歯茎は丈夫ではなく、歯を磨くと血が滲む体質ではあったが、数日前から、急に悪化したのである。いやもう血が滲むなどというものではなく、歯を磨いているんだか、血を絞り出しているんだか判らない、毎朝毎晩、洗面所で流血の惨事(当社比35%誇張)。

 通勤途上にあるT歯科医院に、帰宅時に寄る。今日はレントゲン等の検査のみ。別にそれほど悪化はしていないけれど、歯石は削らないとね、ということだが、「歯石を取るのは、とても痛いですよ」、とにこやかに笑うその目元は、患者を安心させるよりは、単に(“それ”が)楽しいのではないか、という不安感を患者に与える効果がある。[;^J^] ま、腹はくくった。これから当分、スプラッタな日々が続くのだ。

 そう言えば、新聞で、ディープキッスでHIV感染したという記事を読んだような記憶がある。無論、キス自体や唾液で感染することはない。そのHIV患者の男性はキスの前に歯を磨く習慣があり、それで血が滲んで、血液経由で相手に感染したという。私も気をつけなくては(意味不明)。

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*1997年07月12日:「ロスト・ワールド」


 今日からロードショー。朝いち(9時半)の上映に間に合うように、映画館へ。

 なるほど..これは..

 面白い、としか言いようが無いな。[;^J^]

 今回の映画(以下、LW)については原作を読んでいないし、どのみち、原作とは全然違う脚本になっているらしいのだが、確かに、ほとんどストーリーは無いに等しい。この点では前作の映画(以下、JP)よりも、遥かに徹底している。無論、これを欠点だとするのは、見当違いである。JPについて、私は何度も言ったり書いたりしてきたが、これは動物園なのである。動物園にストーリーや伏線は不要、いやむしろ邪魔である。それはLWも同じだ。(もっとも、パンフレットによると、LWは原作のストーリーに魅せられて制作を開始した、ストーリー重視の映画らしいが。[;^J^])。

 以下、ネタバラシにならない程度に書く。(ばらすほどのネタも無いが。[;^J^])

 JPとどちらが優れているかと問われると、即答できない。JPは“動物園”である前に“恐竜を蘇らせる物語”であった。そこには確かに、大きな夢と感動と憧れがあった。センス・オブ・ワンダーが満ち溢れていた。

 LWは、恐竜を蘇らせる物語では、ないのだ。恐竜は既に(日常風景として)その島に存在している。それはもはや珍種の猛獣に過ぎない。その意味では夢も感動も全く無く、映画としての(続編という)出自からして、JPに対してハンディを負っているとは言える。

 しかし、いわゆるリアリティは、遥かに上である。この種の映画にはストーリーはいらない、と述べたが、何事も程度問題であり、JPには、いくらなんでもそれはないだろう、と突っ込まざるを得ない、あまりにも不自然な展開が多すぎたのだが、LWの場合、それほどでもない。例えばJPで最も不自然だったのが、「最低でも数百人は運営要員が必要な島から、ハリケーンが接近するという理由で、ほぼ全員が退去するのはともかく、その時まだ、(大切な)パイロットツアー客はツアー中で、それを見守るために残ったのは、僅か数名の管理職だけである」という点。人数を絞ってサスペンスを盛り上げるための段取りだが、説得力は皆無だった。LWは、最初から破棄され廃虚となった無人の島に、探検に乗り込むのだから、この点(人数が少なくても)全く不自然でない、等など。

 恐竜の数が増えたのも、リアリティを増している。JPでは、妙に島全体が“寂しい”印象があった。LWは、恐竜で充満している感じである。特に序盤の、恐竜サファリのシーンのスピード感と重量感! これだけのためにでも、この映画を観る値打ちがある。

 難癖は、山ほどつけられる。何より、JPのネタの使いまわしが目に付きすぎるぞ、コラ! 凸[^O^]

 雨の中、車の窓から覗き込むティラノのアップといい、ティラノに潰された自動車のクリフハンギングといい、(ランクルから大型のトレーラーへとスケールアップ!)遠くから聞こえる「(ズシン..)」に反応して水に波紋というティラノ接近の予兆といい、ラプトルとの建物の中での3Dチェイスといい。それに、ハンターたちのキャンプに潜入して恐竜を檻から放すとは何事だ。重過失致傷(あわや重過失致死)、いや、騒乱罪ではないか。[;^J^]

 監督の才能を疑いたくなる箇所もある。上述のトレーラーのハンギングのシーケンスは、明らかに長すぎる。私は途中で飽きてしまった。

 終盤、まさかとは思ったが、某古典怪獣映画と同じ展開になったのは、ご愛敬。こういうシーンは見たくなかったというと、嘘になるし。[;^J^]

 映画としては、JPの方が優れていると思う。しかし一見の価値は、確実にある。

 ということで、昼過ぎに帰宅してデータベース整理をうじうじやってから、2回目を観るために魔法瓶に「上善如水」1リットルを詰めて、20時に家を出たのであった。[;^J^](以下、翌日の日記に続く。)

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*1997年07月13日:雨の夜のホームレス


 20時55分からの回と、23時10分からの回を見終えると、1時22分。これで終演だが、浜松ではこれでも「オールナイト」と呼ぶのだ。これは「ナイトショー」だろうが。

 かなり大降りの雨の中、タクシーに乗って家に近づいたところで、鍵が無いのに気が付いた。落としたらしい。映画館の中か? ただちに引き返させるが、既にシャッターは降りていた。

 仕方がないので、どしゃぶりの雨の中、週末だけ店を出している贔屓の屋台で大好物の「ニンニクラーメン生タマゴ入り」を背中を半分濡らしながら食べてから(脈絡不明)、万が一、家のドアに鍵を差し込んだまま出てきた可能性もある、と、再度タクシーで家まで飛ばす。

 ..無論、そんなことはなかった。ドアは開かない。タクシーは行ってしまった。どこか終夜営業のファミレスで夜明かししようにも、この時刻(2時半)ではタクシーをつかまえることは難しく、そもそも、タクシーをつかまえられる道まで徒歩10分。大雨である。そんな元気はない。目と鼻の先に大家の自宅があるので、合鍵を借りればいいのだが、この時刻に叩き起こすことはできない。

 つまり、ここで夜明かしをしなければならない、ということだ。自宅の玄関先で。

 幸い、雨は吹き込まず、濡れる心配はない。しかし..枕も無い、冷たくて固いコンクリートの床で、眠れるものではない。(寝たことが無いとは言わないが、その時は泥酔していたからである。)一応、試みては見たが..何度も目を覚まし、結局4時が限界。

 雨は小振りになってきた。しかし、バスやタクシー等はまだまだ動きださず、昨夜以来、体もほとんど休まってはいない(1時間少々、コンクリの上で横になっていたので、かえって節々が痛くなったような気がする)し、徒歩でどこぞの終夜喫茶に向かう、という選択肢はありえない。座っていると尻が痛い。立っていると足が疲れる。そしてとにかく、玄関先に縛り付けられており、やることが無い。肉体の疲労よりも、この無聊の方が遥かに辛い。こんなことなら、昨夜、文庫本でも持って出かけるんだった、と悔やんでもあとの祭り。ロスト・ワールドのパンフレットは、飽きるほど読み返した。

 バス停まで足を引き摺って歩いて行ったが、ベンチは雨ざらしで座れない。近所のコンビニの雑誌は全てビニ本状態で立ち読み出来ない。

 6時過ぎ、動きだしたバスに乗って、駅の待ち合いには椅子があるだろうと、駅に向かう。(無論、バスの中では座れるのだが、山の手線じゃあるまいし、大枚はたいて1時間ほども乗り続ける、という選択肢は無い。)

 ..ない。駅の周辺、バスロータリー、そこここにベンチはあるのだが、全て雨ざらし。天気の良い日にはとても気持ちのいいロケーションだろうが、雨の日には全く使えないのだ。これには驚いた。浜松駅周辺は(喫茶店の開店時刻前には)雨の早朝、座る場所がない。今日の私なんぞは自業自得の自爆ギャグだが、(罪も無い)疲れきったお年寄りに対して、なんとする。

 まったくもってやることが無いので、疲労困憊しながらそこらあたりを歩き回り(こういう場合、立ち止まったりしゃがんだりすると、余計疲れる)、7時半も回った時刻になってからバスで引き返す。

 8時。世間の常識が許容する時刻だ。大家さんのドアを叩き、合鍵を借りる。既に1日分の疲労がたまっていたので、取り敢えずビールを1本ガブ飲みして爆睡。

 昼過ぎに起きて、大雨の中、合鍵の合鍵を作りに行く。夕方には雨も上がったので、大家さんに合鍵を返してから、再びバスで駅前へ。交番に届けてから(「でも、鍵の拾得物は、まずないから、当てにしないでね」)映画館の受付へ。やはり鍵の落とし物は無い由。まぁしゃあない。本当は、自宅の鍵を取り替える方がいいのだが、持ち家ならともかくアパートだし、鍵に名前が書いてあるわけでもなし。

 近くのビアホールでビールを一杯飲んでから、バスで帰宅する。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 17 1997 
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