1999年11月01日:「第2回 国際オペラコンクール」一次予選 第三日 1999年11月02日:リンクリストの憂鬱 1999年11月03日:大道芸in静岡 1999 初日 1999年11月04日:ちょっとだけ、愚痴を 1999年11月05日:「第2回 国際オペラコンクール」ガラ・コンサート 1999年11月06日:大道芸in静岡 1999 第四日 1999年11月07日:「第2回 国際オペラコンクール」本選目次へ戻る 先週へ 次週へ
有休取得済み。今日が一次予選の最終日である。
例によって早朝、目がさめたのだが..これは嵐の音ではないかい? [;^J^] 色々まずいな。というのは..(以下、話せば長いことながら。)
浜松駅前のアクトシティ中ホールで、開始は10時半。終了予定が17時過ぎくらい。問題は、今日はその前後の予定が、がっちり入っていることなのである。
すぐ近所のスーパーに、今日中にクリーニングに出さなければならない物件が、少々。このスーパーが開くのが10時。そして、18時に歯医者の予約。これはアクトシティから車で30分の距離。つまり、一昨日も昨日も(日中の長い時間、街中の駐車場代を払いたくなかったので)バスを使っていたのだが、今日はそういう贅沢が出来ないのだ。車で移動するほか無い。
タイトなのは、夜ではなく朝の方である。夜は、歯医者の予約が18時に入っているとはいえ、これには多少遅れても大丈夫。(大体、いつも20分は待たされているし。)問題は、朝。車でスーパーの開店時刻(前)に乗り付けても、クリーニング出しをしてスーパーを離脱するのは、早くても10時5分。もしかすると10分頃になるかも知れない。ここからアクトシティまで、20分は見ておく方がいい。15分で着ける保証は無い..つまり、ぎりぎりである。アクトシティから徒歩15分のところに、30分100円の駐車場があるので、財布的にはここに入れたいのだが、時間的にはそんな余裕は無い。しかも、嵐である。直接、アクトシティの駐車場に入れるほか、無い。
アクトシティの駐車場が、割高だと言うわけでは無い。30分150円であり、これは浜松駅近辺の標準価格である。しかし、後述する理由から、出来るだけここは利用したく無いのだが..やむを得ない。
例によって早起きしたというのに、前述の理由から10時直前まで起動できないので、中途半端に時間が余った。廃墟の部屋の焼け石に水をかけるなどして時間を潰してから、スタート。スーパーでクリーニング出しをしてからアクトシティへ。案の定、休日だからか、予想よりも(市内に向かう)車の数が多く、アクトシティの地下駐車場に走り込んだのは、ほとんど10時半直前。慌ただしくエレベーターで地上に出て、中ホールに駆けつけ..
..滑り込みセーフ。開始が5分少々遅れていたおかげである。私を待っていてくれたか。
採点しながら聴いていたわけでは無いので、この3日間で、誰がもっともうまかったと思えるか、など、言えるわけが無い。顔写真を見ながら、各人の歌(声)を思い出すことすら、容易では無い。審査員とは、つくづく大変な仕事だと思う。
特に、“上”の方の水準の人たちになると、テクニック上の微妙な瑕疵を聴きわける耳が無いと、ほとんど(誰が誰よりうまいか下手か、など)判定不能である。はっきりいって、ドングリの背比べに聴こえる。
それに対して、(これはアカンかな、という)“下”の方の水準の人になると、私の耳でも、ある程度自信を持って判定できるのだが..こういうのは、判定できても嬉しくないのである [;^J^]。うまい歌を聴きたかったんだしさ。今日、歌った人の例で言えば、ひとり、全く声が届いてこない人がいた。ほとんど、伴奏ピアノにかき消されている。コンディションを壊していたのだろうか?(伴奏ピアニストも、音量をセーブすればいいのに..つまり、この、状況判断が甘い伴奏ピアニストも、プロとしてはいまいち実力不足と言える。)
伴奏ピアニストで思いついたが、グレン・グールドよろしく、鼻歌を歌う伴奏ピアニストがいたら、やだな [;^J^]。(グールド自身、歌伴の仕事をしていたかどうかは、ディスコグラフィを調べるのが面倒なので、パス。私のCDコレクションには、無い。)
午前の部が終わったところで、1時間半近い昼食休憩となったので、駐車場のチェンジをしに行く。つまり、30分150円のアクトシティ地下駐車場から車を出して、先述の(徒歩15分の距離にある)30分100円の駐車場に、入れ直すのである。午後の部は長いので、これでだいぶ廉くつく。30分あたり50円の“割増料金”は、午前中だけで食い止められたわけである。(こういう小細工をするとき気を付けなければならないのは、少なくとも浜松駅近辺の大概の駐車場では、最初の30分は1時間分の料金を取ることである。つまり、駐車時間があまりに短いと、割高についてしまう。)
さて、地下駐車場へ..
..ここまで、便宜上「地下駐車場」と書いてきたが、これは俗称あるいは通称。正式名称は、「地下迷宮」である。いや全く、正式名称は「地下迷宮」なのである。だから、ここには入れたくなかったんだってばっ!
とにかく、むやみやたらと広い(というより“長い”)。しかも見通しが悪い。妙な高低差がある。人間が歩いていいとは思えない(はっきり言って車道な)坂を歩かなければ、別のエリアに入れない。ろくに掲示が無い..気分はすっかり、ジャン・バルジャン(わくわく)。
わくわくしている場合では無くって、[;^J^] とにかく自分の車を発見・救出して、迷宮から脱出。30分100円の駐車場に入れ直して徒歩でアクトシティに帰り、ちょっと遅めの昼食は、アクトシティ地下のインド料理屋で。午後の部を聴いてから、(歯医者に行かなければならないので)19時頃になるという一次予選の結果発表を待たずに、徒歩15分の駐車場に向かう。
その途上、(妙に暗い)バドワイザー・カーニバルの前を通りかかったら..なんと、10月末日付けで閉店とのこと。大ショック [/_;]。はやっていたように、思うがなぁ..
目次へ戻る「倉田わたるのミクロコスモス」の諸コンテンツ中、最も整備不良で品質が低いのが、「外宇宙への扉(リンクリスト)」である。なにしろ、「Last Updated: Sep 23 1998」なんだから、話にならない。(もっと以前から更新が停止しているページも、いくつかあるが。)
初めてこのページを公開した1996年当時、個人のウェブページのリンクリストは“非常に”もてはやされていた、という記憶がある。「有用である」という理由で。実際、サーチエンジンがまだまだ未発達な時代には、便利だったのだ。(今でも便利である。玉石混淆のページが山のようにヒットするgooなどの出力よりも、特定の趣味・嗜好に絞り込んだ個人ページのリンクリストの方が、遙かに濃くて的確で役に立つことは、珍しくない。)
また、利便性とは別に、リンクリストを作ることが、おおいに奨励されてもいた。それは、そのウェブページのウェブマスターの「書棚」に等しいから、という理由からである。まことにもっともな理由であるし、その意義は、こんにちでも無くなってはいない。これは、「リンクリスト」自体を「作品」として作る、という姿勢だ。
そして私も、「外宇宙への扉」を、「“私の書棚”として恥ずかしくないリストを!」という気合いを込めて作り、公開したのであった(遠い目)。
「MUSIC」「SF」「BOOKS」「COMICS」「ART」「TRAVEL」..などという分類も、「倉田わたるのミクロコスモス」の諸コンテンツに(ある程度)対応していることは、明らかであろう。私は、それなりに抽斗(ひきだし)の多い「倉田わたるのミクロコスモス」に相応しい、一種の「百科全書」を、「外宇宙への扉」で実現しようとしたのである..
..しかし..
..「私の書棚」ほど、メンテが大変なものも、無いのであった。
リンクリストの問題点としてよく挙げられる、リンク切れの問題などは、メンテ工数という視点から見れば、ある意味では全くどうでもいい、というか問題にならない。それなりのツールを使えば、簡単に(自動的に)チェックできる。(私はそれすらしていないので、「外宇宙への扉」の中には、リンク切れの項目が、いくつも含まれているのだが。)問題は、リンク切れが判明したあとの処理である。
一番簡単なのは、単に捨てることである。労力最小。問題は、リンクリストが徐々に(確実に)縮退していくことだけである。
次に考えられるのは、リンクが切れたページを追跡して、リンクし直すことである。実はこれは、案外成功率が高い。リンク切れというのは、結局、そのページの管理者が、何も考えずに(配慮も連絡もせずに)唐突にURLを変更してしまった“だけ”のことが、多いのである。プロバイダの引っ越し、という例も多いが、単にファイルネームやディレクトリ構造を変えただけ、という例も、珍しくない。プロバイダが変わった場合は、さすがにサーチエンジンなどを使って探し直すハメになることが多いが、ファイルネームやディレクトリ構造の変更程度のことならば、(何故か、学生が作っているウェブページに、この例が多いのだが、)適当にURLを変更してアタリをつけて探すだけで、再ヒットすることも、少なくない。
しかしついに発見できず、そのページを見失ってしまった場合..私は、「代わりになるページを探そう!」、と、考えてしまうのである。「“私の書棚”の公開者」としては、そりゃそうだろう。
例をあげて説明する。私の精神世界の一部を形成しているのは、シュルレアリスムの画家、「イヴ・タンギー」の作品群である。従って、彼のページを探して、リンクリストに加えて公開していた。「“倉田わたるのミクロコスモス”の一部」として。そのリンクが、ある日切れてしまい、ついに見つけられなかったとする。このままでは、「イヴ・タンギー」に“穴”が開く。「ダリ」「マグリット」「エルンスト」..と並んでいるリストに、「イヴ・タンギー」が欠けていると、それだけで、このリンクリストの読者に、「フフンッ」、と、鼻で笑われてしまいそうだ [;^J^]。
そこで、「イヴ・タンギー」に関する代替ページを探して、「外宇宙への扉」に加え直さなければならなくなる。これが、おっそろしく、手間なのである。
1996年頃には、サーチエンジンの数も、まだまだ少なく、「イヴ・タンギー」のページを探すのも、容易ではなかったと思う。しかしだからこそ、ようやく見つけた「イヴ・タンギー」のページのURLには、情報として価値があった。「外宇宙への扉」に加える意義があった。
また、なかなか見つからなかったということは、高々数個のページから、(私の目から見て)最も素晴らしいページのURLだけ採取すればいいのであるから、その選択作業は、相対的に言えば、とても楽だったのである。いずれかひとつに絞り切れなければ、全部リストアップしてしまえばいい。どうせ高々数個なんだから。
このように、情報量が少なく、検索も思うにまかせない時代ならば、楽だったのだが..
こんにち、たとえばgooやAltaVistaで「イヴ・タンギー」を検索すれば、どれほど膨大なリストが出てくるか。(今、試しに、gooで日本語ページに限定して、「(イブ OR イヴ)AND タンギー」で検索したら、2314件、ヒットした。)その中から選別などしていられるか。どうせ、時々刻々、状況は変わっていくのに。
goo等の出力を、全部自分のリンクリストに加えても、意味は無い。読者にしてみれば、そんな(やたらと長い)リンクリストを読むくらいなら、自分でgoo等で検索する方が早い。先にも述べたが、「私が選んだ“私の書棚”」でなければ、リンクリストとして公開する意義は、無いのである(、と、私は思っている)。
となると..リンクが切れたが最後、(いや、リンクが切れなくても、常に、)各種サーチエンジンを駆使して、「私の書棚」にもっとも相応しいURLを探し続けて、「外宇宙への扉」に既に登録されているURL群に加えるか、あるいは入れ替えなくてはならないことになる。
まとめると。サーチエンジンが高度に発達した現在、そのページのウェブマスター(ここでは私)の「選択眼」「見識」が反映されていないリンクリストには、既に存在意義は無い。各種サーチエンジンで検索する方が、早くて便利である。そして、「選択眼」「見識」が反映されているリンクリストを維持するのは、実に大変なことなのである。
..ということで、私はもはや、「外宇宙への扉」を維持する気力を、ほとんど失いかけている。とはいえ、どうしても閉じなくてはならん、とまでは、思い詰めてはいない。まことに中途半端な状況なのだ。いや全く、どうしたものか..
もっと気楽な、リンクリストのメンテポリシーもある。ひとつは、たまたま目に付いた、またはリンク依頼が来たページを、漫然と追加するのみ、という奴だ。これはこれで、少なくとも自分の役にはたつ。しかし、「私の書棚」として公開するほどのものかどうか..
さらに割り切って、自分のブラウザに設定しているブックマーク(IEならば「お気に入り」)を、そのまま公開してしまう、という考え方もある。(ある意味、確かに「私の書棚」そのものだ。)しかし言うまでもなく、公開できるブックマークと公開できないブックマークがある。(裏帳簿みたいなものか。)わかりやすい譬え話をすると、「外宇宙への扉」の中に、「浜松の風俗店情報」があるべきでは無いと思うのだ。(あくまでも、わかりやすい譬え話である。)
目次へ戻る大道芸ワールドカップin静岡。今年は11月3日から11月7日まで5日間。この催しについては、3年前の日記 と 一昨年の日記 と 昨年の日記 を参照していただきたい。(こうして毎年順調に、参照先が単調にひとつずつ増えていくのである。[^J^])
今年は、事前の情報が乏しい。(もちろん、ウェブページ(http://www.daidogei.com/)は読んでいたが、それ以外の(例えば、ニフの FMAGIC 等での)各パフォーマーの前評判が、ほとんど耳に入ってこなかった。)とはいえ、1996年から通いはじめて、今年で4年目。ある程度は“勘”(と“鑑賞眼”)もついて来たつもりなので、それを頼りに動くことにする。
絶好の、大道芸日和である。脚立片手に、7時45分浜松発(8時58分静岡着)の東海道線。静岡駅構内の食堂で朝食を取ってから、駿府城公園へ..一部、様子がおかしい。整備不良。どうやら、この月曜日の大嵐(静岡県の観測史上前例が無い、瞬間最大風速30メートル強)で、4日間かけた設営が“チャラ”になってしまったらしく、それを突貫工事で復旧したらしい [;^J^]。それはともかく、今日はいい天気 [;^.^]。まずはメインステージへ。
大道バカ一代初登場だが、修行が足りん。簡単なジャグリングや皿回しで、ポロポロ落としていてはいかん。(ジャグリングや皿回しが簡単だと言っているのでは、ない。)とても見ちゃおれず、(この時間帯、他にやっている演技はなかったのだが、)客席エリアから離脱。むろん、投げ銭無し。
ガムテープでスイートホーム(の輪郭)を作る、ホームレスのカップルの芸。(わかるでしょうか? [;^J^])去年は、リエンドレ・リベラのソロだったが、今年はペアで。そのせいか、去年の芸は、全くいきあたりばったりのハプニング的なものだったのだが、(少なくとも、そのように見えたのだが、)今年は、(ペーソス入った)ストーリー性が前面に出ていた。
フツーのマジックである。ほとんど全く記憶に残っていない。
静岡では珍しい演目で、クレーン車を使って、高いところから吊ったロープとブランコにぶら下がり、絡まるなどして、演技をする。そこそこ官能的..なのだが、どうも「体操競技」以上の感銘が得られない。それほど危険な技を繰り広げるわけでも無いので、やたらと高いところで演じられる、という、面白さと物珍しさ以外のものは、無い。
今年は珍しいことに、スティルトらしいスティルトが参加していない。この風変わりなグループは、その代わりというわけでもなかろうが。高い一本足のスティール棒の上に乗り、それを大きくしならせ、お互いに、時には同期させ、時には非同期に回転させて繰り広げる、上空の寸劇..良く解らないでしょうが、つまりは、こういうもの(写真)である。雰囲気わかるでしょうか。
原理的に、お互いの位置関係(距離)が固定せず、接近しては離れる、という特質があるので、これを利用して、例えば「歌に生き、恋に生き」(歌劇「トスカ」(プッチーニ作曲)より)を伴奏にして、四角関係のメロドラマを演じたりする。
面白いし、ビジュアルインパクトは確実にあるが、応用がきかない(大規模な)一発芸、との印象も受けた。
去年、みそびれた人。ディアボロ(中国ゴマ)とリングの芸。実に大道芸らしい大道芸である。決して完璧なパフォーマンスではない(少なくとも7回、ミスった)点で評価が分かれるかも知れないが、その「ミス」が大きな「傷」にならないところが、プロの芸である。要するにフォローがうまいのだが..実に妖しく美しい風貌と動き、というパーソナリティが確立しているところが、本質的だろう。(デビッド・ボウイの“若い頃”を彷彿とさせるのだ。)
回転する巨大な花弁のステージで繰り広げられる、男女のカップルによるアクロバット。(をを、このように書くと、とても卑猥な印象が [;^J^]。 実態はそんなことはないのよ [;^.^]。)たいした芸ではなく、これといった印象は残らず。
去年と同じネタ。彼に限らず「常連」は、90%以上、毎年、同じ芸をする。それしか芸が無いのか(それでメシが食えるのか)、あるいは、静岡では「これ」、と、決めているのか。それは判らない。(本人たちに聞けばいいのだが、なんだか失礼なようで、いつも質問しそびれてしまう。)前者の理由ならばネガティブだし、後者の理由ならばポジティブである。そして(毎年)それを心待ちにしているリピーターも少なくない以上、ポジティブな側面は、確実にある。この、去年と同じ芸は、確かに面白いのだが、これといった進歩は見られない。
実力は、まぁそこそこか。バランス芸やファイアートーチのジャグリングなどは、見ていてヒヤヒヤする。
しかし彼の持ち味は、その話術とダンス(とタレント性)である。テクニックは一流ではないにせよ、確かに客を惹きつけ、楽しませる。(私も大いに楽しんだ。)これも“芸”のうちと言えるかどうか。
客を動員して張らせたロープの上で綱渡りしながら、ファイアートーチのジャグリングをしたりするのだが、テクニックがいまいちで、なかなか成功しない。客席の方向に(最前列を飛び越して)ファイアートーチを飛ばしてしまったりするようでは、話にならないのでは。片言の日本語が、(片言であること自体は、全然問題では無いのだが、)半分以上聞き取れないのも、減点ポイント。(自分のヒヤリング能力を、理不尽に悲観してしまったぞぃ。[;^.^])
ジャンプ系(体育会系)のアクロバット。はっきりいって、感銘は受けない。これなら、オリンピックの体操競技を観ている方がいい。
ここで、昼の部は終わり。19番ポイントのすぐ近くの居酒屋「ひょうたん屋」(という名前だったと思う)に、燃料補給に入る。(ナイトパフォーマンスの拠点群に近い、という地の利があるので、例年、なんとなく利用している店である。)
今日は、終わりにかけていまいちの芸が続いたので、口直しに中国雑伎団(出身)の、質実剛健な実力芸を。(ちょっと長めに酒を飲んでいたので、今夜のナイトパフォーマンス鑑賞は、(19時開始の)この演目だけである。)私は、去年のファイナルステージで、彼のルーチンの一部だけ観ている。目次へ戻る
まず、「水流星」という、長い紐の両端に水を湛えた(ついでに金魚も入れたりする)器を結んで、これをぶん回す、という、明朗この上ない芸。ごまかしのきかない、遠心力の芸である。止まったら最後 [;^.^]。
そして、去年も観た(信じ難い)一輪車の芸。非常に背の高い一輪車を片足であやつりながら、もう片足で、皿(など)を蹴り上げて、頭上で受けて、重ねていく。それも、一度に3枚、蹴り上げたりするのである!
これこそ、大道芸だ。実のところ、今日は、投げ銭する気になれない芸が多かったのだが、それで余っていた予算を、全部彼の帽子(缶)に放り込んだ。もちろん、紙幣である。
業務で、ちょっとはまる。他部署に移管する予定のPCに入っているWin95が、いささか不安定になってしまっていたので、その対策。レジストリをいじってなんとかするか、いっそWin98(または95)をインストールし直すか、その場合、上書きインストールかクリーンインストールか。おっと、このPCにはCD−ROMドライブが無い。クリーンインストールの方が安心だが、ネットワーク上のCD−ROMをどうやって認識させるか、云々..
こんな話、みんな読み飽きてるよね [;^J^]。ここらでやめる。私も書く気力が無い。しかしまったく、なんで、こんなことで半日以上も浪費しなければならんのだ。
目次へ戻る会社がはねてから(という言い方はしないかも [;^.^])アクトシティの大ホールへ車で向かう。今夜は多少とも余裕があるので、アクトシティの地下迷宮ではなく、徒歩15分の30分100円の駐車場に入れる。(この駐車場に入れると、往復の徒歩時間である30分間、駐車時間が余計にかかることに注意。気を付けないと、割高とは言わないまでも、ほとんど差額が出ないこともありうる。)「第2回 国際オペラコンクール」のオプション企画の、ガラ・コンサートである。
前半では、5人の歌手が、アリアを12曲。後半は、舞台装置を用意して、衣裳・ヘアメイク付きで「蝶々夫人」(プッチーニ作曲)第二幕第2場の上演。(私は、この歌劇を観る(聴く)度に、義憤にかられてしまうのだ。なんの落ち度もない蝶々さんが、(男を見る目が無かった、という落ち度はあったかも知れないが、)こんなに酷い目に遭ってもいいものだろうか。夫どころか、子どもまで奪われて..)
帰路、書店に寄る。
「異形コレクション13 俳優」(井上雅彦、廣済堂文庫)、「順列都市」(上・下、グレッグ・イーガン、ハヤカワ文庫)、そして、島本和彦の最高傑作、「燃えよペン」(MF文庫)。例によって、あとがきマンガに重要な情報 [;^J^] が。
同じくメディアファクトリーから、「こんなマンガがあったのか!」(MFペーパーバックス)という(宝島系?)ムックも出ていた。「妖怪ハンター」の“幻の最終回”である(一度は単行本に収録されたが、それが絶版になったのちには、二度と再録されることが無かった)「死人帰り」が、このムックで取り上げられている、という情報を、諸星MLで仕入れていて、「それは、ちとマニアック過ぎないかい?」、と、気になっていたのだ。
..で、立ち読みしてみたら、いきなり目に飛び込んで来たのが、吾妻ひでおと萩尾望都の共作、
愛のコスモ・アミタイツ・ゾーン::9:奇想天外増刊号 吾妻ひでお大全集:1981/05
の再録 [;^J^]。18年前に発表されたっきり、単行本に収録されたことの無い、この怪作。今の若いファンは、ほとんど目にしていない筈である。このムック、他にも(オタク殺しのツボを押さえている)濃いネタが多いので、お薦め。
目次へ戻る行きの(静岡行きの)電車の中に、未使用ポストイット10枚ほどの束を忘れてしまった。こういう時、私は「もったいない」ではなく「可哀想」、と発想してしまう。ポストイットが可哀想だ。一度も使われないまま、捨てられてしまう [/_;]。誰か気の利く人が、拾って使ってくれればいいのだが..静岡が終点だった! 職務に忠実な清掃係が、捨ててしまうであろう。嗚呼..
パントマンガ昨年は(表彰式で)ルーチンの一部だけ観ている。今年は全ルーチン観たことになるが、どうやら去年も今年も同じネタで、去年は後半だけ見たようだ。
正統派のパントマイムだが、つかみのロボットネタは、少々派手。秀逸なギャグであるとは思うが、不特定多数の前で演じるためには、どうしても(ある程度)万人向けにしなくてはならないわけで、そのぶん、フォーカスがぼけるのは惜しいところだ。このパターンなら、「フランケンシュタイン」か「金田正太郎」に先鋭化する方が良いと思うのだが..ニッチマーケットかしら? [;^J^]
手首の手品はいまいち。ガラス拭き等の基本的パントマイムは、良い出来。エスカレータの芸は、いささかくどい。
トランプ模様の板を使って「トランプの城」を作り、その上でバランス芸をする。バランス芸については、昨年度までに、張雪&張梅、王健、という究極(としか思えない)芸を観ているだけに、鑑賞眼が厳しくなる。彼ら中国4千年に比較すると、まだまだだな。
二人組のうちの「ギャグ担当」が「芸担当」の邪魔をして、その上に「芸担当」が乗っている最中の、トランプの城を崩したりするのは、面白い。
小道具無しの、男女のトリオによるアクロバット。素直(で質実剛健)な芸で、気持ちが良い。昨年度も「好感度賞」を受賞している。
期待はずれ。
ビジネスマン・スタイルのジャグラーというから、電話や文房具やパソコンでジャグリング..は無理でも、少なくともバランス芸等の小道具に使ってくれるのか、と期待したのだが、結局、マジックボールジャグリングが主体であった。しかも、たいしてうまくない。
ウサギのぬいぐるみを使った、ちょっと残酷なギャグが、脈絡不明でシュールであったことのみ、印象に残った。
これを観なくちゃ始まらない。例の人間美術館。
ただ、「ゲルニカ」等でのアシスタントの品定めをするために、オーディエンスを眺め回している時間がかなり長く、進行がストップしているように見えるので、彼の芸を知らない人は、途中で(じれて)人垣から離脱してしまう傾向がある。
「アントニオ」は、やらなかった。時間の問題もあったろうし、「アントニオ」に使えるアシスタントを(人垣から)調達できそうもなかった、ということもあろう。
先日に続いて、2回目。今日は、メインステージでのパフォーマンスを観た。
感銘度は、前回よりもかなり低い。やはりこれは路上の芸であり、ステージで観るもんじゃない。ハプニング的要素がほとんど無いのも、物足りない。
バランス芸。まずまず(というか、まだまだ)。ローラーボールの上で輪くぐりしたりするのだが、ローラーボールが一段、というのがいまいち。くどいようだが、王健は、ローラーボールを5つ重ねて、その上で倒立するんだぞ。
時間の都合で、前半のシガーボックスジャグリングだけ。テクニックはそれなり。話術とパーソナリティの妙か。来年、もう一度、じっくりと観てもいいかな。
ジャグリング、ローラーボールなど、色々。テクニック的には、満遍なく高い水準に達していると思うのだが、残念ながら、こういうタイプが、一番記憶に残らない。
極めて伝統的な皿回しを観たのは、今大会ではここだけ。なぜか、「絶えざるメンテナンス」という概念を想起する。(「白鳥の水掻き」でも、可。)
普通の(ジャンプ系)アクロバットと、イスを積み重ねた上でのバランス芸。いまひとつの個性が欲しい。こういうタイプは、単なる(しゃべくり付き)「体操競技」と、紙一重なのだ。
まず、指揮者の物真似からスタート。去年まで来ていた好田タクトと比較すると、全く緩(ゆる)い。好田タクトは、特定の指揮者の物真似であり、それが「誰」であるか、説明書きを見なくても(マニアには)すぐに判るほどの濃さだったのだが、鶴岡アキラの物真似は、「指揮者らしきもの」の「フリ」に過ぎず、つまり、実に無個性なのだ。
まぁ、好田タクトレベルまでやってしまうと、全人口の1%しかいないと言われるクラシックファンのうち、指揮者の身振りの見分けがつく、さらに数十%(数%?)にしか通用しない、極端なニッチマーケットになってしまうので、そこまでやれとは言わないが、音楽と指揮棒があっていないのは、全くいただけない。臨場感がゼロである..と、見限ろうとしたところで、指揮棒の先端からリボンが..[;^J^] そか。新体操するですか。[;^J^] 許可する。[;^J^]
続いて、指揮棒二丁使って、譜面台をジャグリング(但し、一台)。ちょっと危なかしかったが、まずまず。
このあと、もう一品二品あったかも知れないが、失念。〆は、(オーディエンスから引っぱり出した女性に)愛の告白をする(ハートの風船の)芸。細かい段取りを説明しても仕方がないので省略するが、この芸は、サンキュー手塚の芸とニュアンスが似ている。独立に発想したものなのか、どちらか一方が他方を参考にしているのか。あるいは共通の師匠(または、発想元)がいるのか。
ただのコミカルダンスである。
昼の部は、ここまで。今日は、連日、日中に配布されている「DAILY NEWSPAPER」に、ナイトパフォーマンスのスケジュールが記載されていない。15時頃に決定して、どこそこの掲示板に掲示される、と書かれている。
そこで、その掲示板を晩飯前に見に行ったのだが、全ポイントのスケジュール(各々、30分を1コマとして3コマずつ)が掲載されているので、最適鑑賞スケジュールを、とっさに決めるのは難しい。まだ観ていない芸、もう一度観たい芸を、3コマの間にどう配分するかは、結構、長考を要するところである。
デジカメが真価を発揮するのは、まさにこういう局面である。メモを取るかわりに掲示板を撮影して、先日同様(すぐ近くの)「ひょうたん屋」に入り、カウンターでジョッキを傾けつつ、デジカメからコンパクトフラッシュを抜いてリブ100に挿し、画像ファイルブラウザで読みながら、プログラムと照合して、じっくりと作戦を練る。
一昨年以来、2年ぶりに。(去年も来ていたのだが、シカトしていたのでした。[;^J^])とにかく、安心して観ていられる芸である。話術のうまさは、「外人」としては最高水準のもの。
昼間、私が観た回では、どうやら白眉であるらしい「バナナを食う芸」が、時間の都合で行われなかったので、これだけのために、1コマ、アサインした。結果、「ハートの風船」以外は、昼間とネタがかぶらなかったので、お得でした。
「バナナを食う芸」を観れば観るほど、この人は「サンキュー手塚」と同じ系譜だ、という気がしてくる。前述したように、どちらが先だかは知らないし、どうやら、このタイプは、他にも数多くいるのであろう、という気もしてきた。(ほとんど毎年来ているのに、まだ一度も観ていない「ハッピィ吉沢」。どうやら、彼がキーパーソンらしいのだが..?)
やはり、もう一度観たかった。
秦亜利は、もちろん、おなじみの「水流星」と「一輪車」。文句無し。王輝は、今回初めて観たのだが、いまいちであった。
ただの綱渡りではなく、綱の上でジャンプして、前後に宙返りして、綱の“上”に降りる。一見派手だが、テクニック的には、実はそれほど高度ではない。なぜなら、綱の“上”に降りるとき、“足”ではなく、(サポーターをしていると思しき)“股間”で着地(着綱)するからである。ここは、足で着地して欲しいところだ。恐らく、股間で着地(着綱)するのも、結構難しい芸なのだろうが、中国雑伎団に対する私の要求水準は、もっと高い。
例えば、昨年来た「マシミリアーノ&カトリーヌ」も、ロープ上で、障害物の飛び越し(ジャンプ距離は、1〜2メートル、といったところか)くらいは、見せてくれたのである。宙返りも何も無しの、ロープ上への着地である。中国雑伎団なら、宙返りした上で、足で、ロープ上に着地して欲しい。
今年の鑑賞は、ここまで。最終日は明日だが、明日は、浜松アクトシティの「オペラ」の方に行く。
特に思い残すことは無いが、今年は、怪奇幻想・異形・異生物系の芸人が参加していなかったのが、何よりも残念であった。例えば、去年の シアター・ル・ピエトネ や ゼブラ・ステルゼンシアター。あるいは、一昨年までの マイケル・コーエン。来年には、これら異世界の、非現実の、超現実の芸人たちが襲来することを、心から願う。
目次へ戻る本選である。開始は13時半。今日は時間的にゆとりがあるのでバスで出かける。昼食は、フォルテ8Fのアーシェント・タイムズで。
一次予選、二次予選(これは私は聴かなかったが)を経て本選まで残ったのが、7人。日本人は、斉藤紀子、ひとりだけ。各自、2曲ずつ歌う。予選ではピアノ伴奏だったが、本選では(ピットに入った)オーケストラ伴奏がつく。時間切れの無粋な鐘も無い。さすがに、一定の水準には到達している人たちで、私には順位などつけられない。ただ時々、特に誰がというわけでもなく、フォルテの箇所で響きに余裕が無くなるケースが、ままあるように思われた。特に男声。(これがどの程度の失点になるのかは、私には判らない。)
7人全員が歌い終えてから、30分の休憩をはさんで、伴奏をつとめた新星日本交響楽団による、特別演奏会。(指揮:井崎正浩。)もちろん、オペラネタオンリーで、「フィガロの結婚」序曲、「セヴィリアの理髪師」序曲、「運命の力」序曲、「カルメン」前奏曲、「エフゲニ・オネーギン」第3幕のワルツ、「ニュールンベルクの名歌手」第1幕への前奏曲、の6曲。なんとも、口当たりの良い演奏で..これらの曲が、全部同じ響き、同じ音色で演奏された感あり。良くも悪くも、爽やかなイージーリスニング。あくまで「おまけ」のプログラム、という分(ぶん)を守った(出過ぎない)演奏、と、言えば言えるかも。
さらに休憩をはさんで、結果発表。
2位 | Tigran Martirosian | (ロシア、バス) |
3位 | Oana−Andra Ulieriu | (ルーマニア、メゾソプラノ) |
3位 | Han Myung−Won | (韓国、バリトン) |
入選 | Baik You Jin | (韓国、ソプラノ) |
入選 | Alexandre Vinogradov | (ロシア、バス) |
入選 | 斉藤紀子 | (日本、ソプラノ) |
入選 | Li Jian Lin | (中国、テノール) |
三浦環 特別賞 | 斉藤紀子 | (日本、ソプラノ) |
つまり、1位は無しである。
この、2位(すなわち、今回の最高位)のロシアの青年だが、私が、予選初日にチェックした3人のうちの、ひとりであった。別に自慢するほどのことでもないが、事実は事実として、アピールしておく。証拠書類は、一次予選 初日の見聞記 である。(同時にチェックした他の2人も、本選には残らなかったが、二次予選までは進んだらしい。)
例によって、駅前の天狗で飲んでから、バスで帰宅。今日は、「大道芸in静岡 1999」の最終日でもあった。審査結果が出ているはず、と、ウェブページ http://www.daidogei.com/ をアクセスするが、疲れていたので、そのホームページに掲載されていた、ワールドカップ受賞者の写真を確認したところで、寝てしまった。(あなたは、“ウェブページ”と“ホームページ”の意味の違いが、お判りですか?)
サンキュー手塚である。意外。まぁ、芸は水物だし、メインステージで審査員の前で演じた時に、どれほどの感銘を与えたのかは、(私はその場にはいなかったので)判らないが..確かにいい芸だが、今、彼に「グランプリ」を与えるのは、彼のためにも、もったいないと思う。
他の受賞者は確認しなかったが、ストレンジ・フルート の写真があったような気が。確かに、なんらかの賞は受賞してしかるべき、インパクトがあった。但し、来年も来るかどうかは知らないが、飽きられるのも早いぞ。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Nov 10 1999
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