*1999年10月25日:zcopyについて
*1999年10月26日:祭りの支度/e−one目撃
*1999年10月27日:「天敵」雑感
*1999年10月28日:「波乗り野郎」
*1999年10月29日:「モーニング 新マグナム増刊」雑感
*1999年10月30日:「第2回 国際オペラコンクール」一次予選 第一日
*1999年10月31日:「第2回 国際オペラコンクール」一次予選 第二日
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*1999年10月25日:zcopyについて


 バックアップシステム(ツール)を、久々に変更する。VFATBAKによる1〜2ヶ月に一度のフルダンプと、zcopyによる作業領域のデイリーバックアップ。これが従来のバックアップシステムであった。このzcopyを、DOS版からWin版に変更したのである。

 何度も書いているように、私は日常的な作業を、ほとんど全てDOS窓(フルスクリーン状態)の中で行っているので、日常的に変更するファイルを、DOSのツールでバックアップするのは、ごく自然なことである。(いちいち、DOS窓から抜けなくても良いし。)そして、このzcopyという(c.mos 氏による)有名なフリーソフトは、素晴らしく便利で完成度が高いのである。

 ではなぜ、その便利なDOSツールを、Win版に変更するのか。

 ロングファイルネームに対応していないからである。

 無論、私の作成するファイルのファイルネームは、全て8+3文字以内である。(ウェプページのHTML文書の拡張子は“html”だが、これはホストにアップロードした後、ホスト上で“htm”からリネームしているのだ。)ところが、どうしてもロングファイルネームが(日常的に)発生してしまう状況が存在する。受信メールに添付されて来たファイルが、その一例である。

 それやこれやで、節(せつ)を曲げて、Win版のバックアップツールをいくつかあたってみたのだが..よっぽど「ヒキ」が悪いのだろうが、使えないものばかりだったのである。

 信じられないのは、作業ログを(コンソールなりファイルなりに)残さないソフトが、珍しくないことである。途中経過の表示はしているのだが、今、何をしているか、瞬間的に見えているだけなので、(一瞬でも)目を離したら終わりである。どうして、こんなソフトにユーザーが付くのだろう?

 みんな、そんなに、「自分が信じられる」のだろうか?

 しょうもないゴミファイルを作っていたことを忘れていて、これが(差分バックアップによって)バックアップストレージにコピーされていく..これを見逃すくらいは、害は少ない。ゴミが溜まるだけである。しかし、重大なのは、いわゆる「Sync」をする時である。これは、ソース(普通はHD)に存在するがデスティネーション(普通はストレージメディア)に存在しないファイルを、ソースからデスティネーションにコピーし、次に、デスティネーションに存在するがソースには存在しないファイルを、デスティネーションから削除する機能である。

 ストレージにゴミを溜めることなく、常にソースと同じイメージを保つ(ミラー化する)ことが出来る、非常に便利な機能である。私はデイリーバックアップをこれで行っているし、大概のバックアップソフトでサポートしていると思う。

 しかしこれは、“ヒューマンエラー”に対してガードがかかっていない機能でもある。「何か重要なファイルを、誤ってソース上で削除していたことに気が付かずにSyncをかけると、デスティネーションからも、そのファイルが削除されてしまう!」のである。

 「そんなに、自分が信じられるのか?」というのは、そういう意味だ。私は、重要なファイルをうっかり消してしまうなどは、週に一度はやってしまう。

 作業ログが残りさえすれば、そういう状態でSyncをかけてデスティネーションからも削除されてしまったとしても、必ず気が付く。気が付きさえすれば手は打てるのであって、もう一世代前のバックアップストレージから戻せば良い。さらに言えば、実は本当に削除される前に、気が付く。というのは、作業の進行がコンソールに出力されているからである。どうも、自分が思っているのとは違うファイルが(ソースからデスティネーションに)コピーされて行く..このことに気が付けいた時点で、作業を中断すればいい。作業ログを残さず、途中経過を(人間可読な形で)表示しないソフトでは、このフェイルセーフが働かない。

 もっと言えば、例えばzcopyでは、上記の事故が、そもそも起こり得ない運用が可能である。というのは、「これから何をやるか、(どのファイルをコピーして、どのファイルを削除するか、)表示だけして実行しない」オプションがあるからである。これで予め、(思いがけない重要なファイルを、ソースから削除していないか、あるいは、バックアップメディアを間違えていないか、等を)チェックしてから、実行できる。

 私がいくつか調べてみたバックアップソフトには、この機能がなかった。これでは使えない。そういえば、Windowsにも標準のBackupコマンドがあるんだった、使う気が(端から)無かったので、調べてすらいなかったが、もしかすると、これは使えるのかも..と、起動してみたら、なんだかのドライバだかファイルだかが無い、インストールし直せ、とか言う。インストールし直しても、駄目。これ以上付き合う義理は無いので、ディスクから削除。

 ..という幕間狂言をはさんで、zcopyのWin版があることに、ようやく気が付いたという次第。(zcopy=DOS、という連想回路が、強すぎたのだった。)

 まだ若干の問題は残っているようだが、私のニーズは問題なく満たしている。(例えば、「最後のオペレーションのログをファイルへ保存するオプション」が未実装なのだが、上述の、「予めアクションをチェックする」ボタンがあるので、問題無い。)試用してみたら、さすがに筋がいい。使いやすい。起動時にDOS窓から抜けなければならないのは残念だが、ロングファイルネームを保存するためだ。やむを得ない。

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*1999年10月26日:祭りの支度/e−one目撃


 午後、半休を取って、野暮(でもない)用を色々片づける。

 まず、銀行。ヤマハでCD。某医院で薬の追加。文房具屋。そして、アクトシティチケットセンターで、「第2回 国際オペラコンクール」のチケットの購入。

 来週は(正確には、今週末から)わたくし的には「お祭り週間」なのであった。しかも、「第2回 国際オペラコンクール」と「大道芸ワールドカップIN静岡」のダブルブッキング。

 「オペラ」の方は、30(土)、31(日)、1(月)と、一次予選。3(水)、4(木)と、二次予選。5(金)が、オプションのガラ・コンサート。7(日)が、本選。(予選は午前から夕方まで、本選は午後いちから夕方まで。ガラ・コンサートは、夜。)「大道芸」の方は、3(水)から7(日)まで。この両者を、30(土)、31(日)、3(水)、6(土)、7(日)、という休日に、どうはめ込んでいくか。

 1(月)は有給休暇を取得することにして、一次予選3日間とおしのチケット(1000円。廉い)と、ガラ・コンサートのチケット(自由席、1000円)を購入。二次予選は諦めることにして、3(水)と6(土)は大道芸。大道芸には、少なくとも2日間かけたいので、この両日中、いずれか1日が(大)雨で潰れた場合は、7(日)は大道芸。さもなくば、(あるいは、1日しか回れなかったが、1日だけで十分、と判断できた場合は、)7(日)はオペラ。ということで、本選のチケットは、買わずにおく。(多分、当日券が、たくさん残っているはずである。)

 CompMartで。噂の「e−one」に初遭遇..

 ..これが、あの「e−one」なの?(わざわざ店員をつかまえて、問い詰めてしまった。[;^J^])全っ然、iMacに似てないじゃん!

 店員の話によると、当初のバージョンは、色もそっくりだったとのこと。確かに、目の前にある「e−one」は、グレーである。これを、あの妙に玩具っぽい色に塗り直せば、いくらかiMacに似てくるかも..いやいや、駄目駄目。全然違う。

 とにかく、フォルムが違い過ぎるのである。これ、(たかが色が似ているくらいのことで、)本当にiMacと間違えて買った人、いるの?

 iMacの、本当にiMacらしい(美しいと言って言えなくはない)フォルムは、横、あるいは斜め後方から見た角度である。「e−one」は、その角度から見ると、全く凡庸なのだ。「e−one」が最もiMacに似ているのは、正面図。つまり、iMacの、一番不細工な角度である。皮肉なことに、そこだけが似ているのだ。

 これが、本当にiMacの売り上げに被害を与えたことが、立証できたのだろうか?「私は、うちに帰って起動して、Winロゴが出るまで、iMacじゃないものを買ってしまったことに気が付きませんでした」って、証言した人がいるんだろうか?(末代までの恥だぞ。[;^J^])

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*1999年10月27日:「天敵」雑感


 これは私個人のことかも知れないのだが、「天敵」という言葉が、随分、軽くなってしまったように思う。

 大辞泉を引くと、「ある生物に対して寄生者や捕食者となる他の生物。青虫などに対する寄生蜂(きせいほう)や、昆虫に対する鳥、カエルに対する蛇など」とある。広辞苑 第5版では、「自然界である生物の捕食者・寄生者となり、それを殺したり増加を抑制したりする他の種の生物。昆虫を捕食する鳥の類」。

 確かに、これらは、絶対にかなわない“敵”である。しかし我々は(少なくとも私は)日常的には、もっと緩い(ぬるい)ニュアンスで「天敵」という言葉を使っている。政治家Aは政治家Bの「天敵」である、とか、江川事件の翌年の小林投手は、読売ジャイアンツの「天敵」と化した、とか。(例えが古くてすみません。)

 ある種の小さな虫に対して、肉食の「オニヤンマ」は天敵である。オニヤンマは、その小さな虫には、出すことも認識することもできないスピードで突然飛来して、いわば視界の外側から、いきなり食ってしまうからである。これは、その小さな虫にしてみれば、「神隠し」「超常現象」に等しかろう。敵うも敵わないも無い。本質的に、対抗する術などあり得ない。これが、「天敵」なのである。

 となると、「天敵」に「食われる」側に残るのは、「諦念」だろうか?

 新規の解説の追加が停滞している「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」だが、(なんとか早く再開したいのだが、)「ジャングル大帝 1」に書いた「解説」から、引用しよう。(3年半も前に書いた文章であるが。)


 しかし実は、「草食獣と肉食獣が、仲良く入り交じって暮らしている」という状況は、童話的なフィクションではない。現実に、そうなのだ。(少なくとも、人間の視点からは、そう解釈することが可能である。)肉食獣は、必要以上に草食獣を殺すことは、しない。必要な時(空腹な時)に必要なだけ、殺すのである。それが(獣ならぬ、無慈悲で不条理で反自然的な)人間との本質的な相違である。ジャングルやサバンナの映像を見たことがある人ならお判りだと思うが、昼寝や一家団欒?をしているライオンのすぐ隣で、シマウマたちは平和に食事をしているのである。ライオンたちの狩りが始まれば、もちろん命懸けで逃走し、そして運がなかった誰かが食われ、そしてその日の犠牲は彼だけだと決まっているので、ライオンたちの血なまぐさい食事のすぐ隣で、また草食獣たちは食事を続けるのである。これが天敵というものであり、食物連鎖というものである。ここには恐らく、憎しみは、ない。

 「天敵」を持たない生物(種族)は、いくらでもいるだろうが、その代表格は、(人間の視点からみれば、)もちろん「人類」であろう。少なくとも、人間自身は、そう考えている。(ある種の病気は、「天敵」と言いたくなるほど致命的であるが、それらに対して(予防措置も含めて)全く打つ手がない、という状況では(もはや)無いので、「天敵」とは言えない。「老衰」まで「天敵」に含めるのは、定義の広げすぎ。)

 とくれば、もちろん「デビルマン」だ。あの作品の前半で、デーモン族(というより「悪魔」)は、人間の「天敵」なのではないか? という視点が導入されている..(だから早く、「デビルマン論」を書かなければいけないのだが、時間がない。たった一日だけ、フルに休日をあてることができれば、それで十分なのだが、それが取れないのだ。)

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*1999年10月28日:「波乗り野郎」


 明日は会社で健康診断。よって今夜は、食事も酒も21時で終わりである。

 今ごろになって、「波乗り野郎」を導入する。ご存じの方も多かろうが、要するに、「オフライン・ウェブページリーダー」である。タイマで指定した時刻(典型的には真夜中、就寝中)に自動的にネットサーフィンして、指定したウェプページが変更されていたら、(自分の)キャッシュにため込む。ユーザーは、日中、オフラインで(電話を切っておいて)ゆっくりとネットサーフィン(キャッシュサーフィン)をする。

 以前から知っていたソフトなのだが、いまいち必要性を感じなかったので、導入していなかったのだ。このソフトの大きな売りのひとつは、(テレホーダイ等で電話代が廉い)深夜に、勝手にネットサーフィンをしてくれる、という点なのだが、そもそも私は、深夜起きているし [;^J^]。最新版を常時ウォッチ出来る、というメリットについても、私が常時見ているページの数は、両手では数え切れないが両足追加すれば十分だ。手動でも不都合は感じない。

 ローカルなPCの中に、そのウェブページの完全なミラーが出来る、というメリットに、今さらながら気が付いたのであった。例えば、久留氏のウェブページ(TomePage)などは、常時、データベースとして持ち歩く必要がある。いつでもどこでも、その場ですぐにインターネットにつながる環境では無いので、ローカルなハードディスクにミラー化されている方が、圧倒的に便利なのである。

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*1999年10月29日:「モーニング 新マグナム増刊」雑感


 健康診断。さて結果は。

 「モーニング 新マグナム増刊 No.11」を読む。現在、(ほぼ)隅々まで読んでいるマンガ雑誌は、これだけである。

 鶴田謙二の「Forget−me−not」は、なんの不思議もなく、ごく自然に落ちている [;^J^]。岩明均の「雪の峠」は、短期集中4回連載の最終回。素晴らしい。見事なものである。今回の「ネオ・デビルマン」は風忍だが、どうも彼の、悪い癖が出てしまったような。(次回の「ネオ・デビルマン」は、安彦良和である。)佐藤マコトの「サトラレ」。傑作。タイトルから自明な“逆テレパス”の話。このネタは、私は「虎よ、虎よ!」(アルフレッド・ベスター、1956)で読んだのが最初だったと記憶するが、これより古い作例も、恐らくあろう。この「サトラレ」では、オチのエスカレーションが素直で心地よい。(が、同じアイデアのショートショートは、あるかも知れない。)

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*1999年10月30日:「第2回 国際オペラコンクール」一次予選 第一日


 「第2回 国際オペラコンクール」の「一次予選」の「第一日」である。一次予選はアクトシティの中ホール。(二次予選と本選は大ホール。)三日間とおしで1000円。三日とも10時半から6時まで。(最終日は5時まで。)よって、半券があれば、三日とも出入り自由ということになる。

 参加者は(キャンセル含み)97人。応募者総数は233人だったらしいが、一次予選の前に足切り選考があったのかな? 21歳を最年少として、上は33歳まで。(これが今回の年齢制限の上限。)平均年齢30歳。さすがに日本人が多いが、むしろ、韓国人や中国人が目立つ。次にロシア人。その他の欧米諸国からの参加者は、ごく少ない。彼の国々には、コンクールは山ほどある、ということだろう。とはいえ、イタリア、フランス、ルーマニア、スロバキア等々からも数名ずつ。

 知っている名前も、ちらほら。参加者の多くは、若手のプロか、セミプロ、あるいは音大生であろう。オペラを歌っている(あるいは勉強している/目指している)からか、華のある人が多い。(全員が、ではない。)

 私は“審査員の耳”を(当たり前だが)持っていない。明らかな技術的な問題を起こした場合は、(例えば、コロラトゥーラのアリアで、連続して音を外した場合とか、)それはもちろん、判る。(声量の問題では無く)声が響く/響かない、届く/届かないも、判る。しかし、そういうレベルで(私にも判る程度の)問題を起こしている人はあまりいないし、(いることはいるのだが、)そういう「問題」が、審査員に「問題視」されるかどうかも、やはり私は知らないのである。結局、聴いていて(歌として、音楽的に)面白いかどうかしか、私には判断出来ない。

 「ナクソス島のアリアドネ」から「偉大なる女王様」と「ホフマン物語」から「森の小鳥は」を歌った幸田浩子に、好感。技量については云々出来ないのだが、表情が素晴らしく豊かでチャーミングである。それと、「椿姫」から「ああ、そは彼の人か」と「魔笛」から「夜の女王の復讐のアリア」を歌ったLee Ha−Young(韓国)。「夜の女王」は、やや単調に流れるきらいもあったが、力強さは印象に残った。もうひとり挙げると、「セヴィリアの理髪師」から「陰口はそよ風のように」と「イオランタ」から「罪もなくなぜに苦しむ」を歌ったTigran Martirosian(ロシア)。

 昼飯は、遠鉄デパートで開催中の「北海道物産展」で、いくら丼と(デザートに)ソフトクリーム。んまい。いくら丼にソフトクリームを和えたのではないので、心配しなくて良い。(書いていて自分で気持ち悪くなってきた。[;^J^])晩飯は、天狗で。

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*1999年10月31日:「第2回 国際オペラコンクール」一次予選 第二日


 昨日同様、10時半からアクトシティ中ホール。(昨日同様、開始時刻は少々遅れた。)

 一人目のテノールが、今コンクールで初めて、事故らしい事故を起こした。高音を出し損なって、止まってしまったのである。

 昨日、書き忘れたのだが、ちょっと驚いたのが「時間切れの鐘」である。歌が終わっていなくても、これが鳴ったらそこまで。随分長い曲もあるのだから、考えてみれば当然だし、こういうコンクールでは常識なのかとも思うが、聴いていて非常に落ち着かない。いつなるか、いつなるか、と、ヒヤヒヤするのである。

 一般に、歌手は(特にリサイタルの時など)目元がふらつかないように、何人かの客をターゲットにして、そこに視線を固定することがある。(歌手ではなくても、プレゼンの時などに、しばしば用いられる(推奨される)テクニックである。)で、今コンクールでは、前の方の中央付近に座っている私は、その丁度いい?位置にいるらしく、しばしばターゲットにされている。

 見つめられるのは、悪くない。特に、愛の歌や、(例えば、「こうもり」のアデーレのクープレのような、)コケティッシュな歌では。しかし、たとえ愛の歌であっても、狂女系の役作りの、イッてしまった(ほとんど三白眼の)瞳で、ヒタと“見つめられる”と、はっきり言って、こあい [;^J^]。

 昼飯は、昨日同様、「北海道物産展」で、ウニ丼と(デザートに)ソフトクリーム。んまい。ウニ丼にソフトクリームを和えたのではないので、心配しなくて良い。(書いていて自分で気持ち悪くなってきた。[;^J^])晩飯は、天狗で。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 3 1999 
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