*1999年11月08日:「ドリトル先生」
*1999年11月09日:“クリーンブレイク”について
*1999年11月10日:書籍流通革命
*1999年11月11日:新発見、ならず。
*1999年11月12日:モーレツ世代
*1999年11月13日:Y2K
*1999年11月14日:エア・フェスタ浜松’99
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*1999年11月08日:「ドリトル先生」


 大道芸の審査結果を、http://www.daidogei.com/ で確認する。まず、ワールドカップ部門。

*チャンピオンサンキュー手塚
*銀賞ストレンジ・フルート
*銅賞サルゲイリー

 ジャパンカップ部門。

*チャンピオンSIRIUS
*銀賞Mr. アパッチ
*銅賞三雲いおり

 その他。

*実行委員会特別賞リエンドレ・リベラ&クレールデュクル
*敢闘賞PONTA the CLOWN COMEDY SHOW!

 リンクを張っていないのは、今年観なかった芸人。つまり、ジャパンカップ部門は、全滅である。「Mr. アパッチ」の自転車芸は、去年観ている。それほどの感銘は受けなかったので、今年は見送っていたのだが、他の二人(二組)は、去年(以前)から、安定した評価を受けていた人たちである。来年は、マークしておくか。

 ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生シリーズ」(岩波少年文庫)、全12作(13冊)読了。以前、「ドリトル先生月へゆく」では、「確か、巨大な植物(花)が月まで届くだかして、これを伝って月に行く」、と記憶している旨、述べたが、これはもちろん、大間違い [;^.^]。濃厚な酸素を吐く巨大な花の中に顔を突っ込んで呼吸するのは、記憶どおりだったが、巨大な植物(木)を登って月へ行くのではなく、月から来た、モスラのごとき巨大な蛾に乗って、飛んで行くのであった。(確かに、どうも「ジャックと豆の木」入りすぎていて変だ、とは思っていたんだが。[;^J^])

 それにしても、素晴らしいシリーズである。再読して、感動を新たにした。少年時代の追憶と分かちがたく結びついている「ドリトル先生航海記」が、やはり最高かと思うが、その他に、特に感銘を受けたのは、「ドリトル先生のサーカス」の楽しさと、「ドリトル先生と緑のカナリア」の波瀾万丈の展開。そして、「ドリトル先生と秘密の湖」の、まさに神話的な、壮麗な幻想美である。

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*1999年11月09日:“クリーンブレイク”について


 PCのキーボード(それも、リブなどの小型タイプのものではなく、フルサイズのキーボード)を叩いている時の、私の指の動きは、あまり人に見せたくない類のものである。

 つまり..非常に「気障」で、「いやらしい」のである [;^J^]。

 もとよりタッチタイピングなど出来ないので、その意味では「気障」でも「いやらしく」も無いのであるが、(偏見率25%、)指の“踊り方”が、いやらしいのである。

 特徴的なのは、“跳ねる”ことである。一連の語句をタイプした直後、(典型的には、リターンキーを叩いた直後、)その指(リターンキーであれば、右手の薬指か中指)を掌側に丸めると同時に、手首のスナップを利かせて、掌ごと、指全体を20cm前後、“手前上方”に、跳ね上げるのである。興が乗ってくると、耳の脇まで跳んでくる。これを、リターンキーを叩くときに限らず、右手の薬指(または中指)にも限らず、両手のいずれの指でも、やる。しかも、まるでPCのキーボードではなく、鍵盤楽器のキーボードを叩いているかのごとく、リズミカルに..

 ..遊んでいるようにしか、見えない [;^J^]。仕事(も)してるってば [;^.^]。

 どうして、このような非能率(というより、不合理)な叩き方をするのか。“癖”としか言い様がないが、敢えて分析してみると..“クリーンブレイク”のつもりらしいのである。

 私がプロレスを観ていたのは、新日と全日の2大勢力に加えて、第3の団体としてUWFが勃興して来た頃であるから、(国際プロレスは、とうに潰れていた、)どえらく昔のことである。つまり、アントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンが、抗争を繰り広げていた時代だ。

 その夜も、猪木とシンの試合をテレビ観戦していた。ロープに追い込まれた猪木と、ロープを掴んだまま攻撃し続けるシンの間に、レフェリーが割って入る。(ロープを掴んだままの攻撃は、反則である。)すると、反則魔のヒール(悪役)であるシンが、“万才”の姿勢で両手を高く掲げて、猪木とロープから離れたのである。これが(私が理解しているところの)“クリーンブレイク”である。離れぎわに一発、(レフェリーの死角で)殴るか蹴るかして“ブレイク”するのが常道なのだが、そんなことはしないぞ、俺はルールどおり、これ以上の攻撃はせずに離れたぞ、というアピールとして、両手を掲げたのである。当然、観客は、「いいぞー、シン!」、とばかりに、ヒールの“フェアプレイ”に歓声を送る。(昨今のプロレスの観客もそうなのかも知れないが、このあたりが、少なくとも当時の新日の観客の、凄いというか素晴らしいところで、猪木にもヒールにも(善玉にも悪玉にも)、声援を送っていたのである。)

 リターンキーや、その他のキーを叩いたあと、隣りのキーに触ってミスタイプしたりしないように、安全圏まで、素早く指を離す。大げさなアクションで“アピール”しながら。

 クリーンブレイクである。

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*1999年11月10日:書籍流通革命


 日経ビジネス誌に、面白い記事。“日本独自のライフライン”である「コンビニ」が、日本のインターネットとEコマースのブースター(というか、起爆剤)になるであろう、という観測である。

 日本全国、どこに行っても、似たような品物と似たようなサービスしか提供していない「コンビニ」には、私などはうんざりしているのだが、逆に言えば、コンビニさえあれば、日本全国、どこに行っても、同じ品質(水準)のサービスを受けられるのである。冷静に考えてみれば、これは凄いことだ。しかも、その取り扱いサービス(品目)の品揃えは、急拡張している。チケットの購入や光熱費等の振り込みをコンビニで行うのは、今では常識だが、いよいよインターネット関連事業に、本格的に参入してきた、というわけだ。

 インターネットで物品を購入する時、最終的には「モノ」が動く以上、「物流」が絶対に必要である。そのインフラとして、日本全国に数万の店舗があるコンビニと、“それらに「物品」群を供給し続ける「物流ライン」”が、(ハードウェアの新規投資を必要とせず、ソフトウェアの変更だけで)使えるのである。

 この記事で(一例として)取り上げられていたのは、「書籍」の購入である。私などは、「カード決済&勤務先への宅配便」、という、現在使っている(コンビニを経由しない)システムに、特に不満も無いのだが..多くの日本人は、不便だと思っているらしい。

 まず、カード決済に、慣れていない。仮に慣れているとしても、インターネットでカード情報を送るのは不安である。(なまじ中途半端に知識のある人ほど、“こわい”と思うであろう。)となると、安心なのは「代金引き替え」であるが、これは、自宅に“常駐している”家族がいないと使いにくいシステムであり、かなり多くの日本人は、この範疇(日中、自宅で受け取れない)に入る。(勤務先で「代金引き替え」で受け取るのは、席を外している可能性を考えると、少々リスキーである。単に受け取るだけでいい宅配便とは異なり、受付や総務に迷惑をかけることになる。)

 コンビニを利用する書籍購入システムは、「どこぞのウェブページで発注し、その時にプリントアウトされるバーコードか、または、注文番号をコンビニに持っていって、“その場で(例えば現金で)支払い”、数日後(あるいは、その日のうち)に、そのコンビニに届けられてきた書籍を、受け取って帰る」、というものである。

 このシステムの優れている点は、「現金取引」で購入できる、ということと、自分の行動半径内(通勤/通学の途上)のコンビニで、直接、品物を受け取れる、ということである。これによって、インターネットで金銭(あるいは、カード番号等の個人情報)を送ることの不安と、(「代金引き替え」システム等の)物品受け取りの不自由さの両方から、解放される。

 先にも述べたように、私自身は、個人情報の送信とカード決済、及び、宅配便による配達、という、現行のシステムに、特に不満はないのであるが..しかし、現行のシステムでは、「送料」を払わなくてはならない。不満と言えば、これが不満である。コンビニ配送システムでは、送料が不要(または、あるとしても、極めて格安)になるはずである。これは大きい。

 現実問題として、今現在でも、「送料自体」の負担は、たいしたものではない。紀伊國屋のBOOK WEBで、一回の注文で、約500円かそこらである。その本を書店に買いに行く(いくつもの書店を梯子して探し回る)ための電車賃(またはガソリン代)と時間を考えれば、500円なら、完全に黒字である。高いとは、全く思わない。

 問題は、“「冊数に関わらず」送料は同じ”、というシステムにある。つまり、「どうせ同じ送料で買えるのだから、この機会に、他にも買える(買ってもいい)本があれば、買っておこう」、という発想をしてしまうのである。(実際には、“「冊数に関わらず」送料は同じ”どころか、“*万円以上買えば、送料はタダ!”、という、悪魔的な罠すら、仕掛けられているのだ。)

 結果として、不要不急の(生涯、読む機会も読む時間も作れないかも知れない)本を、「ついでに」山ほど買ってしまうことになる。これによる「金銭的被害」の方が、送料負担なんぞとは比較にならないほど、大きいのであった。

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*1999年11月11日:新発見、ならず。


 今月2日に、「3軒茶屋の2階のマンガ屋」のウェブページの「新入荷」のコーナーで発見していた、「世界の四大聖人 -孔子・シャカ・キリスト・マホメット- 手塚治虫編 ジュニア愛蔵版 中央公論社」が、届いた。従来の(私が知る限り、全ての)作品リストに記載されていなかったので、念のために押さえたのだが..

 ..なるほど。これは、記載されるわけが無いわ [;^J^]。表紙を含めて、ただの一点の(マンガはおろか)イラストも収録されていないどころか、「解説」や「まえがき/あとがき」の類にも、いっさい、手塚治虫の形跡は、無い。ただの一筆も、描いても書いてもいないのだ。この本の中の「手塚治虫」要素は、「手塚治虫編」という文字列だけなのである。

 要するに、手塚プロダクションの(または、手塚プロに持ち込まれた)企画なのだが..それだけではネームバリューがアレなので、手塚治虫の名前を使ったのであろう。私の手塚リストに、これを加えることはしない。

 しかし、うっかりこれを買ってしまったことは、後悔していない。というか、そんなことを気に病むようなメンタリティの持ち主は、「オタク」としても「コレクター」としても「リスト制作者」としても、使い物にならないのである。

 ま、つまらん本なので、手放すつもりではありますがね [;^J^]。

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*1999年11月12日:モーレツ世代


 この話は、まだしていなかったと思うが..

 本宮ひろ志という漫画家がいる。作品の出来不出来が激しいが、ま、かつては好きだった漫画家である。決して代表作では無いと思うが、「やぶれかぶれ」という、実録マンガ(議員立候補を決意してから始まったドタバタ劇を、リアルタイムでルポしたもので、西村編集長や田中角栄、早坂秘書らを実名で登場させたのが話題になった)が、なかなか面白かった。三国志世界を題材にした「赤龍王」は、箸にも棒にもかからない駄作だった。

 彼がどこかで書いていたのだが..小金(こがね)も貯めたので、ここらでのんびりしよう、と、ハワイに遊びに行った時のこと。常夏の脳天気な気候と、椰子の木。特に「椰子の木」が、「な〜んもせんでいい、自堕落な楽園」らしくて素敵だ、と、悦にいっていたらしいのだが..

 ..なんと、2週間しか、もたなかったという。

 2週間過ぎた頃には、なにもせずに、ぼよよ〜んとタレていることに耐えられず、遮二無二仕事を始めてしまったらしいのである..

 私は、このエピソードに、ひどく感じ入った。そして、色々な人に、この話を紹介した。

 大概の人は、(“モーレツ世代”ではない、若い人だからかと思うが、)「そういうこともあろうかと理解は出来るが、俺は同じ振舞いはしないね。(何ヶ月でも遊べるもんねっ)」、と、(揶揄を込めて)言う。そうかも知れない。

 しかし私は..数週間は“もつ”だろうが、数ヶ月“もつ”とは思えないし..また、そうあるべきだと(遊び続けていることが耐えがたくあるべきだと)、思うのだ。

 「ゆとり」も「余暇」も、いまや「美徳」である。どういうわけか、「地球に優しい」に、理不尽にリンクされることもあるが、こんなのはただの勘違いであるから、置いておくとして..

 肉食動物が、草食動物を“狩る”。これは“仕事”である。ウサギを倒すライオンの例を引くまでもなく、食うために、全身全霊をかけているはずだ。草食動物が草を“刈る”。これも同様。(肉食動物のいない、安全な)草場を探すために、全身全霊を(命を)かけていると思う。

 時には、弛緩するのもいい。遊ぶのもオッケーだ。弛緩や遊びの時間の方が長くても、いいだろう。(それは確かに、素敵なことだ。)しかし、食うための、生き延びるための“仕事”は..全身全霊をかけた、命がけの、「モーレツ」なことがらなのだ。それを忘れた個人は、滅ぶ。国も滅びる。遠からず..

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*1999年11月13日:Y2K


 久々に休日出勤。自部署の基幹マシンであるSUNのサーバーの、Y2K(2000年問題)対策(パッチ当て)である。

 ちょっと手こずったが、夜までに、問題なく終了。年内に、同じくSUNのワークステーションをもう一台と、ごろごろ転がっている、Win95/Win98群にパッチ当てすれば、一応、(私の部署としては)Y2K対策は「済み」、と言える。(MSのアプリなど、まだ多少の積み残しはあるが。)

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*1999年11月14日:エア・フェスタ浜松’99


 今日も休出。Y2K対策の続き。1〜2週間先送りにしようかと思っていた、もう一台のSUNワークステーションに、この際ついでにパッチ当てしてしまうことにしたのである。

 ということで、早朝から(車で)会社に向かうが..自衛隊北基地周辺の、反対側車線で大渋滞。「エア・フェスタ浜松’99」か..

 ..なんと、浜松北基地の外周路を、(入り口である)南門から少なくとも西門まで1/4周して、そこからさらに1キロほどの、東名浜松西インターの料金所まで、行列が続いている。もしかして、ランプウェイから本線まで続いていたのでは。東名本線上の、罪もない一般人に合掌。(ひとごとひとごと)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 17 1999 
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