2021年12月27日:「2000年代海外SF傑作選」 2021年12月28日:紺屋の白袴? 2021年12月29日:エアコンフィルタ掃除 2021年12月30日:「珍電子楽器LOVE」 2021年12月31日:第5回ももいろ歌合戦 2022年01月01日:流浪のために 2022年01月02日:篁牛人展/浅草目次へ戻る 先週へ 次週へ
「2000年代海外SF傑作選」(橋本輝幸編、ハヤカワ文庫)、読了。
「ミセス・ゼノンのパラドックス」(エレン・クレイジャズ)−出オチというかタイトルオチ。書いたもん勝ちの、一発ネタ [;^J^]。「懐かしき主人の声」(ハンヌ・ライアニエミ)−なかなか素敵な活劇である。このネコはキャプテン・ワオ(「鼠と竜のゲーム」(コードウェイナー・スミス))を想起させる。ネコなら大体こうなるか [;^J^]。「第二人称現在形」(ダリル・グレゴリイ)−クスリによって第2の人格が発現してしまった、その第2人格を主観とする。面白いが、普通小説だと思う。「地火」(劉慈欣)−炭坑を舞台とする、非常にわかりやすい、マッドサイエンティストというよりは(驕った)エンジニアもの。大災害を引き起こした彼らは命を落とすが、未来においてその技術は改良され実用化しているという、むしろ前向きで未来志向の、古き良きSF。「シスアドが世界を支配するとき」(コリイ・ドクトロウ)−インターネットの管理者視点のディザスター(の後の世界)もの。2006年の作品だが、インターネットのハード/ソフト/管理運営業務の細部の描写はさすがにリアルで、いまだに古びていない。傑作。
「コールダー・ウォー」(チャールズ・ストロス)−冷戦のプレイヤーたちが、クトゥルーの邪心たち(の世界)を開いてしまい、世界は破滅する(ほうがまだマシな状態になってしまう)。「可能性はゼロじゃない」(N.K.ジェミシン)−発生確率の低い事象が集中的に起こるようになった世界。SFとしては半世紀前の水準であり、本書に選ばれた理由がわからない。「暗黒整数」(グレッグ・イーガン)−数学理論づけはある程度読み飛ばしたが [;_ _][;^J^]、重なり合って存在する異次元とのコミュニケーション/闘争としてとらえると、極めて伝統的なパターンである。互いに相手の世界のよってたつ数学公理を証明によって破壊しあう..でいいのかな? [;^J^] 傑作。自分が何にかかわっているのかを説明することができないパートナーと破局(一歩手前)に至る(が一縷の希望は残す)という結末も、黄金パターン [^.^]。「ジーマ・ブルー」(アレステア・レナルズ)−機械に補助された完璧な(カメラのような)記録ではなく、人間の不完全で誤謬にまみれていく記憶にこそ、価値がある、というテーゼ。このアーティストのモデルはクリストかな?
目次へ戻る仕事納め。
帰途、OAナガシマ浜松西インター店で、UPS(無停電電源装置)を購入。現在自宅で使用中のUPSが(とうの昔に [;^J^])有効期限切れだったからである。この店でPC回りのハードウェアを買うと、代わりに1台(PC本体/ディスプレイ/プリンタ/その他を)引き取ってくれるのだ。今日は、現在使用中のUPSを持参してこなかったので、引き取り証をもらった。明日、もってくる。
それにしても会社では、各事業所の基幹機器をガードしているUPS本体とバッテリーの有効期限の管理、及びそれらの交換を担当しており、もちろんきっちりオンタイムで処理しているのだが、業務外のプライベート物件となると、まぁ、いい加減なものである [;^J^]。紺屋の白袴..ではないな、「自分のことには忙しくて手が回らない」のではなく、自分のことは単に怠けているだけなのだからな。[;_ _][;^.^]
目次へ戻る今日から冬休み。快晴。
長年の懸案であったエアコンフィルタの掃除に、覚悟してとりかかる [;^J^]。なぜ「懸案」だったかというと、極端に効きが悪くなってきたからである。温度設定を非常に高くして風速を最大にしても、そよそよというより、ほとんど吐息 [;^.^]。夜は寒いったらありゃしない。まぁ、うっかり昼間つけっぱなしにして外出して帰宅すると、モァッと暑くなっているので、稼動していないわけではないのだ。要するに、風が床(フトン)まで届かない。
なぜ「長年」放置していたのかというと、室内機にアプローチできないからである [;^.^]。フィルタを取り外すためには室内機の真下に行く必要があるのだが、そのあたりには本とか本とか本とか本とかがうず高く(フルヘッヘンド)積みあがっており、モチベが..[;_ _][;_ _][;_ _]
..ま、やればできるのだ。物理的に不可能なことではないからね [;^J^]。なんとかかんとかフィルタを外して屋外に持ち出し、まだ「布状」にまではなっていなかった埃の「層」を一皮剥いで [;^.^]、エアコンに戻す..おお、風が出てくるようになった![;^.^]
UPSを昨日購入してきた新品に交換し、期限切れのお古を車に載せて出動。まず、富田整形外科で、年内最後のリハビリ。OAナガシマで、旧UPSを引き渡す。蜆塚の郵便局に寄ってから、湯風景しおり(わりと短時間)。昼食は浜田山でつけ麺。りそなで現金を下ろして、帰宅。
エアコンから風が出てくるようになったとはいえ、夜、床の付近の室温は、十分に上がらないなぁ。エアコン自体の賞味期限が切れているのかもしれないが、何しろ2023年には退去するのだ。今さら買い替える選択肢はないし、修理代も惜しいぐらいだ。なんとかあとひと冬、もてばいい。[;^J^]
目次へ戻る朝は快晴だったが、昼には雲が広がる。
三方原のアマノ書店に寄ってから、イオンタウン浜松葵のダイソーで、手縫い糸(黒)を買う。私がもっとも行わない(疎い)「家事」は「裁縫」なのであるが [;_ _][;^J^]、ボタンをつけるぐらいのことはする。で、現在普段使いしているジャケットのボタンがひとつ取れてしまったので、補修していたのだが、糸の色が違うのである。もうひとつのボタンを取り付けている(元からの)糸の色は「黒」なのに、手持ちの糸は「白」しかなかったので、白糸で補修したのである。はっきりいって、あまり見映えが良くはない [;_ _]。黒糸でつけなおそうと思いましてね。[;_ _][;^J^]
..で、首尾良く黒糸を入手したのだが、これがなんと「60メートル」[;^J^]。これより短いのが、なかったのだ。これまでの消費速度で除算すると、私の余命を遥かに越える。生涯かけても使いきれない買い物をしてしまった..[;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]
100円ショップに来るのは久しぶりなので、軽く見て回る。お菓子/つまみを少々。文具コーナーに「日本地図」が印刷されている小学生向けの下敷き(県名、県庁所在地名付き)があり、これは勉強になると思ったが [;^.^]、(だってあなただって、日本地図に県名を全部は入れられないでしょ? 入れられないでしょ? [;^.^][;^.^][;^.^])ま、プライドが邪魔をして、買えませんでした。[;_ _][;^J^]
「珍電子楽器LOVE STRANGE SYNTHESIZERS OF JAPAN -HIROMICHI OOHASHI COLLECTION-」(オオハシヒロミチ、リットーミュージック)が届き、さっそく一読(及び付属CDを一聴)。これは楽しい![^.^][^.^][^.^] 直接触った記憶がある楽器はほとんどないが、邪魔にならないサイズで動くものが手に入るのなら、いくつか欲しい![^.^]
目次へ戻る好天。イオン浜松西で総菜を購入。
さて、17:00から24:30まで、第5回ももいろ歌合戦 なのである [;^J^]。まったく常識外れの長丁場なのであり、16:30頃から慌ただしく年越し蕎麦を作って食し、買ってきた惣菜と酒をコタツ周辺に適当に展開して、開演を待つ。
コンテンツは、マイナビニュースの レポート&セットリスト を参照していただきたいのだが、ずっと正対していると体力が持たないので、適当にBGM/BGV化していた時間帯もそれなりに長かったのは、やむを得ないところである。昔は(数年前から、録画するのみで観なくなっている紅白も含めて)全曲ツイッターで実況中継などという正気の沙汰ではないことをしていたのだが [;^J^]、そんなことはもはや不可能。ごくごく一部だけ適当にピックアップして、コメントしておく。
「I LOVE YOU / 尾崎裕哉」、「強がり / 戸田恵子 feat. 百田夏菜子」などに、感銘を受けた。「吼えろ 2021 / ファンキー加藤 withももいろクローバーZ」の元気の良さは、やはり素晴らしい。「「FFP feat.C&K」 「華麗なる復讐 -“THE SHOW” ガチダンスRemix ver.-」 / s**t kingz × Z princez(玉井詩織&佐々木彩夏)」は、ももクロのふたりが s**t kingz のダンスについていけるのか心配したのだが、杞憂であった。キレッキレ![^.^]
「HAPPY WEEKEND LOVE / ゆいか(本仮屋ユイカ)」..不勉強ながら、本仮屋ユイカが歌っていることを知りませんでした。なかなか良かったよ。
むろん、問題を感じる演唱もあった。「旅人よ / 加山雄三」は、しかし病み上がりなんだから仕方がない。あまり無理させるなよ [;^J^]。「I'm proud / 華原朋美」は..辛いな [;_ _]。巨大化(婉曲表現 [;^J^])しているのは仕方がない。首から上の輪郭が私の記憶と違っていたり、恰幅のいい着物姿で余計にまるまる感が強調されてしまっていたのも、どうこう言うつもりはない。ただ、この衣裳はこの曲には合わないと思うのだ。そして、どうにもこうにも音程が..ときどき光る瞬間は、それは確かにあるのだが..
そして終盤の「案山子 / さだまさし」で、私の脳内で何かが暴走したよ。[;^.^]
この曲をちゃんと聴くのは初めてかなぁ..もちろん、ももいろ歌合戦の大きなアドバンテージであるところの「フル尺」で歌っているのだが..あれ? 2番までなの? ふつう、3番まであるだろう。なぜ..?
もしかして3番は削除されていて、そこではおふくろが亡くなったことが告げられていたのではないか、とか。
あるいは(あたかもモーツァルトが父への一連の手紙の中で母の死を隠した(小出しにした)かのごとく)おふくろの死を伏せているのではないか、とか。
そもそも、誰が歌っているのか。
どうやら、地方から都会に出た少年に向けて、その親族が語りかけているようであるが、ここでは便宜上、歌っている(語りかけている)のを(田舎に残った)“兄”、語りかけられているのを“弟”と呼ぶことにすると..
果たして“弟”は実在しているのか。閉塞した地方都市から(老親の介護で)出るに出られない“兄”が想念の中で生み出した、妄想/逃避/理想的分身ではないのか。
あるいは逆に、果たして“兄”は実在しているのか。
地方都市から逃げ出した“弟”が、無意識の贖罪(代償)として脳内で生み出した存在ではないのか。この“歌”全体が、“弟”の妄想ではないのか。
では、誰に対する贖罪か。
老親か。
彼らはあるいは既に存在しないのではないか。
もう生きてはいないのではないか。
なぜ生きていないのか。
なぜ“弟”は逃げ出したのか..
目次へ戻る快晴。正月早々ガソリンを無駄遣いして適当ドライブしているうちに安新町の浜松鑑定団に通りすがったので、寄ってみる。収穫は無し。
12/21 の日記で、「流浪に必要なすべてのものが過不足なく収められた鞄(リュックでもいい)を持って旅立つ、というビジョンを、少年時代に確かに持っていた。いつの間に忘れてしまっていたんだ、この私は..[;_ _]」、と書いた。
さすがに記憶がおぼろげだが、「家なき子」だったのではないかと思う。リュックを背負って、楽器(フルートだったかな)をもって、その演奏を披露してお金を稼ぎながら流浪の旅をすることに、とことん、憧れたのである。(それがいかに過酷な生活であるかなどということには、まったく気がつくはずもなく。[^.^])そしてリュックの中に入れるものは..入れるものは..!、と、妄想していたのである。
帳面、鉛筆、カッターナイフ(いや、ボンナイフ、あるいは肥後守(ひごのかみ)だったかもしれない)、ハンカチ、磁石、そして、本..
まだ小学生だった私は、今ほどたくさんの本を読んでいたわけではないが、それでもお気に入りの本を20冊ぐらいは持ち歩こうと夢想したはずだ。背負子(しょいこ)のような小型の「本棚」を背負って歩くことを検討した記憶が、確かにある。無論、その重さに考えが及ぶほどの分別はなかったことは言うまでもないし [^.^]、そもそも「分別」がある時点で、このような妄想には耽らないのであるがそれはさておき。[;^.^]
これが西洋の少年ならば「聖書」を1冊荷物にいれればすむのであるが(未読の方のために申し上げておくと、辛気臭い説教さえ読み飛ばしてしまえば [;^.^] そう悪くはない本ですよ [;^J^])、当時の(今もか)私には、なかなかそこまで絞り込めなくってね。
ちなみに(いきなり時代が飛ぶが)絶対に荷物に入れてはならないアイテムは、もちろん、おわかりであろう。スマホである。これひとつで、全部、台無しになってしまうのだ。まったく、恐るべき破壊力である..
25年前、フランクフルトに出張したおり、(当時はスマホはなかったが)ノートPCをホテルの部屋のモデム端子に接続して、パソコン通信とインターネットにつながったとき、「日本にいるのと、なんの変りもない!」、と感激すると同時に、「お陰で“旅情”が半減とは言わないまでも、三割ほどは目減りしたが、これはこの圧倒的な便利さとの、やむを得ないトレードオフであろう」..と、溜息をついたものだ。(1997年02月23日:フランクフルト第一日:8時間の薄暮)
ついでに。これも何度か書いているかな。スマホより数世代前の「衛星電話」が、「ジュラシックパーク III」で、印象的に使われていた。サイトB(絶海の孤島)で絶体絶命のピンチに陥った主人公が、衛星電話で(文明世界に、いきなり)助けを呼ぶのである! このシーンで、私はまさに唖然とした。これは、従来の「秘境冒険映画」では絶対にやってはならない(というか、あり得ない)ことであったし、それと同時に、今後は避けてはとおれない(当たり前の)シチュエーションであることを、納得せざるを得なかった。世界は変わってしまったのだ..
目次へ戻る快晴。6:50に発ち、バスで浜松駅へ。すき家で朝食。7:49のひかりで上京。少し早すぎるので、品川駅構内の喫茶店で時間調整。
9:48、六本木一丁目。曇天。徒歩で10:00、大倉集古館。「生誕120年記念 篁牛人展〜昭和水墨画壇の鬼才〜」(後期:〜1月10日(月・祝)まで)である。前期は 2021/12/05 に観ている。今日は基本的には差分(展示替え分)を観に来たという次第。
とはいえ、これらは通期展示。左図、「雪山淫婆」、右図、「西王母と小鳥」。これらの女怪/女仙の巨大な肉塊には、我ながら認めたくないことではあるものの、わが内なるコンプレックス/フェティシズムを活性化しかねないパワーとエネルギーが、確かにある..[;_ _][;^.^]
左図、「観世音」の、淡く輝く色彩。右図、「竹林虎」の、もっさりした体格と、お茶目な上目遣い。虎のうしろには、何やらオコな小鳥がいる。[^.^]
左図、「羅浮仙・林和靖」は、樹木のフォルムがとにかくかっこいい。右図のタイトルは「婆裸門の図」だが、修行中の釈迦を妨害しにきた悪魔のように見える。
10:50、退出。11:30、銀座線浅草駅。前回ここに来たのは、当時はまだ存在していたニフティサーブの会議室のログによれば、1995年5月5日。FCLAの20人ほどのオフが銀座方面で開催され、浅草に流れてきたのである。(廃墟通信を始める前の時代である。)
雷門を通って、まずは参拝。無茶苦茶混んでいるというわけではないが、それなりの人混み。賽銭箱に近づけないので、遠投 [;^J^]。昼食を食べていなかったので、屋台でもつ煮。猿回しを少し見物してから、実はこちらが本日のメインターゲットだった「浅草花やしき」に着いたのが、12:55。ここに来るのは、実に今日が初めてなのであった。
非常に心地よくコンパクトで可愛い施設である。これほど狭いのに、遊びどころがいっぱいに詰め込まれている。13:05、ローラーコースターの待ち行列に並ぶ。私が並んだポイントには「ここから60分待ち」と掲示されていたのだが、乗れたのが14:02。あまりの精度に驚いた。[;^.^]
これが目当てだったのである。昨年11月、BSテレ東の「新美の巨人たち」で「浅草花やしき」の「日本最古のローラーコースター」が取りあげられ、そして魅入られてしまったのだ。むろん、いつかはこの遊園地に来るつもりではあったのだが、なんとローラーコースターには65歳以上は乗れないということをこの番組で知って、慌てて来たのであった [;^J^]。まだ63歳なので余裕はあるとはいえ、どなたもご存知のとおり、ちょっとうかうかしていると、2年なんか、あっと言う間に過ぎてしまいますからね。
..舐めてたんですけどね [;^J^]。わりと怖かった [;^.^]。ちなみに私はいわゆる「絶叫マシン」に乗ったことはないし、おそらく生涯、乗ることはない。そういう人間が言うところの「わりと怖かった」であるから、適当に判断していただきたい。[;^J^]
あとは、「スカイシップ」と「お化け屋敷〜桜の怨霊〜」。なかなかよい [^J^]。
そして、屋上の絶景ポイント、スカイプラザから写真撮影。
16:00頃、退出。帰途、交通規制で雷門方面には進ませてもらえず、西へ。初めて通るホッピー通り、すげえ [;^J^]。酒場しかない [;^.^]。軒並みオープンテラスで、まるで京都の鴨川の川床(かわゆか)状態 [;^.^]。しかもすべて感染防止のビニールでおおわれているので、これはもう、ホットハウス(温室)通り [;^.^]。夏は鬱陶しいだろうが、この季節なのでなんか暖かそうでこれはこれで風情が。[;^.^][;^.^][;^.^]
結構歩いて、16:34、浅草線浅草駅。泉岳寺で京急に乗り換え、17:41、相鉄線・鶴ヶ峰駅。バスにすぐに乗れて、18:00、鶴ヶ峰の家。すぐに出て、18:20、竜泉寺の湯。
21:10に退出し、21:20、鶴ヶ峰の家。
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