2021年08月02日:年金相談など 2021年08月03日:PC届いた [^J^] 2021年08月04日:幻想美術選「シュヴァルの理想宮」フェルディナン・シュヴァル 2021年08月05日:右脚が痛い.. 2021年08月06日:血管に問題あり? 2021年08月07日:吉田博展/渡辺省亭展 2021年08月08日:ヨハンソンの「最後にして最初の人類」/幻獣神話展 VIII目次へ戻る 先週へ 次週へ
夕方パラパラ降りそうということなので、自転車ではなく自動車で出勤..まぁ、少しは降った。[;^J^]
老齢年金請求手続きの相談を、専用フリーダイヤルに。結果、9月11日に(自宅から歩いてもいける場所にある)年金事務所に出向いて手続きすることになった。また、先日このために取得した住民票は実は不要であったことが判明 [/_;]。350円の大損害である [/_;]。なんかほかに使い道ないかな、これ。[;^J^]
あーりん、退院。[^J^]
目次へ戻る第60回日本SF大会 のために、8月21日の晩に予約していたホテル高松ヒルズから、8月一杯休業決定とのメールが届いた [;^J^]。ただちにキャンセルして、8月22日に別途予約していた高松パールホテルを、8月21日にも予約した。結果として連泊になったのだが、いったんチェックアウトしなくちゃならんのだろうな、多分。[;^J^](それより、高松パールホテルは、休業しないだろうなぁ..[;^.^])
先日、秋葉のヨドバシカメラに発注したPCが、届いた [^J^]。LIFEBOOK WN1/E2 である [^J^]。17.3インチ。[^J^]
..でかい [;^.^]。これはノートじゃないよ、体感的にはデスクトップだよ [;^.^]。写真の奥に写っている従来から使っていたノートPCと、少なくとも同じ画面サイズがほしいと思っていたのだが、従来は実は15.6インチだったことに、今さらながら気がついてみたり。[;^.^]
ヨドバシで店員さんと相談したとき、「17インチとなると、ある程度メーカーが限られますねぇ..」、と、言われた時点で気がつけよ。[;^.^][;^.^]
リュックに、ギリギリ入るサイズ。図書館に持参して作業していたら、ドン引きされるサイズである。[;^.^][;^.^][;^.^]
なんにせよ、ここ数日間は立ち上げている暇がない。夏休みになるかな。[^J^]
右脚の付け根が動きにくいというか、動かすと痛い。少し前からの傾向。運動不足以外の原因を考えにくいが、ストレッチしていいのか?(やり方によっては逆効果になるし..)整形外科で相談するか..
目次へ戻る「幻想美術選」、第259回。立体物(写真)を採り上げるのは、第238回の「冥婚」以来となるが、建造物を採り上げるのは、初めてである。
一介の郵便配達夫、Joseph Ferdinand Cheval(1836〜1924、Wikipedia)は、1879年のある日、配達の途上、ひとつの石に蹴躓(けつまず)き、その石の不思議な形に魅了されて持ち帰り..そこから全てが始まったのだ。それから来る日も来る日も石を持ち帰っては積み上げ続け、「おとぎの国の宮殿」を作り続けたのである。33年間も。
この「理想宮」は、「宮殿」と名づけられてはいるものの、この写真に写っている階段や周囲の木々からもおわかりのように、実はもちろん、それほど大きなものではない。とはいえしかし、ひとりの人間がプライベートタイムにこつこつと石を積み上げて作り上げたものとしては、十分に非常に巨大である。
この建造物の最大の魅力は、その細部の多様性にある。至るところに見どころがあるので、画像検索結果も、ご参照いただきたい。聖書やヒンドゥー教のモチーフ、オリジナルなクリーチャーたち..
この「幻想建造物」に向き合うとき、私はいつも、忸怩たる想いに襲われる..シュヴァルに引き換え、我が身の不甲斐なさに打ちひしがれてしまうのだ。益体もない、子どもっぽい空想を生涯かけて暖め続けたという意味では、シュヴァルも私もまったく同じであるにも関わらず、シュヴァルはそれを形にし、今のところ私にはその気配もない..まったく羨ましくて仕方がないのだ..余生で彼に追いつけるだろうか..(全力で止められそうな気もするが。[;^J^])
ひとりの市井の夢想家が生涯かけて作りあげた、まったく無意味な、しかしだからこそ美しい、巨大な構築物。「軍艦島」が「廃墟の王」であるがごとく、「理想宮」は「幻想建築の王」、「アウトサイダーアートの王」なのである。
目次へ戻る右脚付け根は、相変わらず痛い。普通に歩くことはできる。その間、特に痛いわけではない。しかし立ち止まったり、向きを変えたりすると、シクシクッとくる。また、じっくりと疼いてくることもある。ほかにも、可動部ではない箇所、たとえば脛なども、疼いたりする..
..明日、医者に行くか..
静岡県内、蔓延防止等重点措置適用地域になる。(もしかして、正しくは(正式には)「まん延防止」なのかな?)
目次へ戻る明るい曇天。テレワーク。
終業後、右脚の痛みの件でT整形外科へ。レントゲンを撮ったが、骨にはなんら異状なし。むしろ、年齢にしては状態がいい方だとのこと。それよりも..しばらく足首を触診していた先生が、右脚の血管が左脚のそれよりも「触りにくい」ことに気がつき、聖隷三方原の心臓血管外科を紹介された [;_ _]。その場で連絡をとり、8月12日に予約した。
この痛みの原因は、案外、少々ひねっただけであり、血管についてはまったくの別件、ということも、実にありそうではあるのだが、とにかくまずは、原因を知りたい。
キングクリムゾンの来日公演のお知らせが届いた。東京公演の抽選に当選する気がしないので、大阪公演を狙う。12月3日を第一志望、2日を第二志望として申し込んだ。さて、どうなるか。
あーりんが復帰したと思ったら、今度は、百田夏菜子、陽性。[_ _]
サトウサンペイが、7月31日に誤嚥性肺炎で逝去されていたとのこと。享年91。合掌..
目次へ戻る快晴。7:40に発ち、バス停へ。右脚付け根外側が特に、少し捻りの入る荷重のかけ方をするとヒクヒク痛い。速く歩けない。今朝はバス停まで歩くだけだからいいが、駅まで歩ける気がしない。駅まで普段は50分程度だが、歩けたとしても、80分近くかかってしまうのではなかろうか..[;_ _] 原因がなんであれ早く治したい。
バスで浜松駅へ。8:37のJRて、9:50、静岡。10:00の開館時刻に、静岡市美術館。「没後70年 吉田博展」(〜8月29日(日)まで)である。この版画家の展覧会は何度も観ているし、代表作もほぼ観ているはずなのだが、ついうっかり、交通費を払ってでも観に来てしまうなぁ。[;^J^]
だからもういまさらなので、さらさらとタイトルを列挙するだけになるよ [;^J^]。初期の油彩画からは、「穂高山」(画像検索結果)。あとは全部木版で、米国シリーズからは「ナイヤガラ瀑布」(画像検索結果)。日本アルブス十二題からは、「劔山の朝」(画像検索結果)と「穂高山」(画像検索結果)。
瀬戸内海集からの、有名な「光る海」(画像検索結果)と「帆船」(画像検索結果)が、彼のイメージを決定づけているかな。冨士拾景からは、「雲井櫻」(画像検索結果)と「御来光」(画像検索結果)。「朝日」(画像検索結果)、「渓流」(画像検索結果)。
「鈴川」(画像検索結果)、「上野公園」(画像検索結果)。東京拾二題から、「亀井戸」(画像検索結果)と「平河橋」(画像検索結果)。「きばたん あうむ」(画像検索結果)の「空摺り」の繊細さは、jpgファイルでは伝わらないねぇ..
印度と東南アジアシリーズからは、「カンチェンジャンガ 朝」(画像検索結果)、「フワテブールシクリ」(画像検索結果)、「タジマハルの朝霧 第五」(画像検索結果)、「タジマハルの夜 第六」(画像検索結果)。「陽明門」(画像検索結果)と「新月」(画像検索結果)も、味わい深い。
昼食は、静岡駅構内のASTYで中華料理でも、と考えていたのだが、店を探していたら「銀座ライオン」を見つけてしまったので、ここに即決。
..理由を書いておこうか [;^J^]。今日はこのあと横浜の家に泊まり、明日、有楽町で展覧会を観る予定なのだが、有楽町で展覧会を観たあとは、銀座インズの「銀座ライオン」で昼ビールを飲むことを定例としているものの、現在、かりに開いているとしてもビールは飲めないはずなので、その代替にというわけで。
せっかくなので地元のものをということで、静岡麦酒ジョッキ、桜海老フラムクーヘンなどを飲み食いして、13:05、退出。13:14のJRで、14:25、三島田町。14:30、佐野美術館。「渡辺省亭 ―欧米を魅了した花鳥画―」(後期:〜8月29日(日)まで)である。(前期は、2021年07月23日 に観ている。)
「猛乕之図」の、力強い存在感。
日本美術鑑賞者としての倉田わたるの弱点は、「茶道具」と「書」である [;_ _]。ほんとに、猫に小判・豚に真珠状態なのだが、この「名号」の良さは、わかる(つもりである [;^J^])。力感とリズム、下絵(蓮)とのバランスなど、いずれも完璧。右幅には「南無阿弥陀仏」、左幅には「南無妙法蓮華経」と書かれていることは、キャプションを読むまでわからなかったが [;_ _]、そんなことは些事である。[;^.^]
左図は「瀑布岩燕図」。構図が格好いい。
中央図「群雀之図」は、伊藤若冲の「動植綵絵 秋塘群雀図」(画像検索結果)の向こうを張って描かれたものと思われる。若冲よりも上手く描けるぞ!という自信は、背景を描かず、雀たちの写生だけで勝負しているところにも現れている。確かに、省亭作品の方がリアルであるし、一羽一羽、すべて異なる姿勢で描いているところなど、感嘆せざるを得ない。
にも関わらず、多くの人には(恐らくは)若冲作品の方が、深く印象に残るのではあるまいか。それは、省亭作品と異なり、全ての雀が同じ姿勢、同じ角度で描かれているという「非現実性」の故である。いっそ現代的な、グラフィックデザインの域に到達しているからである。
右図、「群雁図」も、とにかく上手い。
15:10に退出して、横浜へ。鶴ヶ峰駅前の相鉄ローゼンで酒と弁当を買って、19:00、鶴ヶ峰の家。
目次へ戻る警告:本日の日記は、ヨハンソンの「最後にして最初の人類」を観て逆上したため、長文となっております。[_ _][;^.^]
雨。鶴ヶ峰の家から9:51のバスで発ち、駅前のサイゼリヤでブランチ。鶴ヶ峰駅から10:48の新宿直行便で、11:32に新宿着。ちょ〜便利。[^.^]
駅から徒歩ですぐの 新宿シネマカリテ で、12:15からの回で、「最後にして最初の人類」(原作:オラフ・ステープルドン、監督:ヨハン・ヨハンソン)を、観る..
..なるほど..
..結論から申し上げると、これは、ステープルドンの「最後にして最初の人類」では、ない! [;_ _][;_ _][;_ _]
さらに勢い余って言い切ってしまおう。この「映画」は、大学の映研レベルである!..[;^.^][;^.^][;^.^]凸 以下に、その論拠を述べる。
この「映画」は、3つの構成要素から成っている。まず、「映像」。不思議な形状をした建造物群(の廃墟)が、延々と映され続けるのだが、この映画の「映像」の実に95%以上が、この建造物群の映像。あとは、オシロスコープの波形スウィープの映像と、死にゆく太陽を表しているのであろう赤い星の映像が、全部かき集めても5%以下。
この「未来的な形状の」建造物群は、旧ユーゴスラビアのチトー政権下で創られた戦争記念碑(スポメニック)。社会主義国家のイデオロギーを具現していることは言うまでもないが、それが現在はほぼ廃墟と化しており、その状態の映像をベースとしているところに、政治的なメッセージのレイヤーが存在するのだが、とりあえずこの「政治性」は、ヨハンソン監督の意図がどうあれ、この「映画」の「問題点」の、本質ではない。まことにフォトジェニックであり、アングルや映しようによっては、未来の建造物や、未来の人類の似姿(にすがた)にも見える(ことが、監督の狙いである)。
第2の構成要素は、ヨハンソン自身による「音楽」。ゆったりとしたペースで撮されるスポメニックの映像とよりそう、重厚な持続音ベースの音楽は、タンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツを思わせなくもない。
そして第3の構成要素が、ステープルドンのテキストを抜粋した「朗読」。
..これだけ。
実にミニマルでシンプルなことに、この「映画」の構成要素は、以上ですべてなのである。
最大の問題点は、この朗読テキストにある。原作の最後の2章からの抜粋(+アルファ)。先週の日記でリンクをご紹介した、原作小説の作品紹介ページの「あらすじ」をチラ見していただくだけでいいのだが [_ _]、この「第15章」と「第16章」の「梗概」を述べているだけ..つまりこの時点で、この「映画」は、「最後にして最初の人類」では、ないのだ。
冒頭いきなり、「これは、20億年後の最後の人類からのメッセージである」、と、語り出される。なるほど、「壮大」である。確かに「数字」は大きい。しかし、そこに至るまでの経緯も物語も、長い長い、本当に想像を絶するほど長い時の流れも人類の歴史も一切語られずに、いきなり「20億年後」と言われても、なんの実感も重味もスケール感も遥かなる感慨も、感じられない。「20万年後」ですら、ない。「2000年後」か、下手すると「200年後」からの語りかけ程度の距離感(センス・オブ・ディスタンス)しか、そこにはないのである。
ステープルドンのテキストから、さまざまなエピソードを語りはする。遠い未来に、宇宙に探検に出た人々が、恐ろしい体験をして地球に逃げ帰り、そのまま引きこもってしまったなど..しかしそれらの歴史やエピソードは「語られる」だけであって、映像でも音楽でも表現されていないので、実感(というか「実体」)を伴わない。「軽い」のだ。観念的なのだ。頭でっかちなのである。
これはたしかに定義上、「映画」ではある。しかし「映画」フォーマットが、ベストだったのだろうか。むしろ舞台にかけるべきなのではないだろうか。バックスクリーンにこの映像を延々と流し、スピーカーからはこの音楽を延々と流し、そして舞台中央に俳優がひとり立って、71分間、朗読する..そういう上演形態の方が、ふさわしいのではないだろうか。
なぜ倉田は、この「映画」に、これほど当たりが強いのか、と、疑問に思われるかもしれない。
それは、私の暗部、私の若気の過ち、私の若き日の妄想の「底の浅さ」を、突きつけてくるからである。
だから、私は、逆上したのである。[;_ _][;^J^]
これは「大学の映研レベル」だと書いた。私は学生時代、その、映研ですらない、単に、SF映画を作りたいなぁ..と、妄想しているだけの、いちSFファンに過ぎなかった。「2001年宇宙の旅」のような映画を作ることを「妄想」してはいたが、しかしもちろん、そんな妄想には実現性が一切ない、ということも、百も承知していた。
才能、資金、組織..そう、なによりも、組織。映画はひとりで作れるものではなく、大勢の俳優に演技をさせなければならないし、SF映画ならば必須の特撮には、膨大な人手と資金と技術力が必要になる。いずれも夢を食(は)んでいるだけの学生には、無縁なシロモノだ。そんなことは、わかっていた。
しかし当時の私は、妄想の中で、抜け道を探し当てたのだ。
特撮は、無理だ。
ならば、ロケだ。
グランドキャニオンに行くのは無理だとしても、それなりにSF的で壮大な風景は、国内にもあるだろう。それ風の屋敷や都市景観も、あるだろう。映写機の使い方に熟達しさえすれば、ひとりで撮れるではないか。
音楽。当時、冨田勲に入れ込んでいた私は、自分ひとりで、自室の中で、映画のサウンドトラックを作れることを知っていた。ノープロブレムである。(妄想の中では、自分は冨田勲程度の才能は持ち合わせていたのである。[;_ _][;^.^])
一番大変なのが、大勢の俳優たちを組織して演技させること。押し出しが弱く気の小さかった私には、できそうもないことである。ならば、そういう要素をなくしてしまえばいい。登場人物は、なしだ。絵になる風景も音楽も揃っているのだ。物語は、ナレーションで進めればいい..
..かくのごとく、映画を撮る勉強も、シナリオライティングの勉強もせずに、寝っ転がりながら妄想していた学生・倉田わたるは、40年後に、ヨハンソンの「最後にして最初の人類」を、突きつけられたのだ。学生時代に妄想していた「学生でも安易に作れるSF映画」とこれが、いかに似ていることか!(特撮なしの絵になる風景、それを支える音楽、俳優なしでナレーションのみ..)私は、過去の私を告発しなければならない立場に追い込まれてしまったのだ。「お前が安易に夢見ていたものは、仮に形になっていたとしても、最大限よくできたところで、このようなものだったのだぞ」、と..
だから、私は、逆上したのである。[;_ _][;^.^]
念のためにフォローしておくが、この「最後にして最初の人類」の個々の構成要素は、もちろん、大学生の妄想などとは次元の違うレベルで作られている。スポメニックの映像にしても、誰が撮ってもこのような効果を上げられるというものではない。音楽も素晴らしい。そして朗読は、断片となり本来の幻想と遥けき感覚は削がれているとはいえ、ステープルドンの、美しく力強いテキストである。にも関わらず、これらを組み合わせても、この程度のものにしかならない。ましてや40年前の私の妄想など、これの100分の1、いや、1000分の1にも満たない価値しかなかっただろう..私の学生時代の妄想の「実力」たるやその程度のものにしか過ぎなかったのだということを突きつけられて私はわたしは..(もう、ここらへんでやめておけ..[;_ _][;^J^])
14:00前に、有楽町。駅前のカレー屋で、遅い昼食。交通会館で、「幻獣神話展 VIII」
図録も購入したが、この展覧会は毎回、2次元作品よりも立体作品の方に印象的な作品が多い傾向があるように思われる。(あくまでも私見である。)左写真は「金翅鳥」(伊原源造)。買ってもいいかな?と思わせる格好良さだが、33万円となると、いささか手が出ない。[;^J^]
15:27に東京発のこだまで、17:19、浜松着。18:00、帰宅。右脚が痛く、バス停から自宅まで、普段の5割増程度の時間がかかった。[;_ _]
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