2020年03月23日:ふいんき [^.^] 2020年03月24日:テレワーク初体験 2020年03月25日:オリンピック延期 2020年03月26日:幻想美術選「ガラ酸とダリ酸のデオキシリボ核酸」サルヴァドール・ダリ 2020年03月27日:コミケ中止 2020年03月28日:新聞整理など 2020年03月29日:記事のスキャンなど目次へ戻る 先週へ 次週へ
未来からの介入になるが、これを書いているのは3月30日であり、この時点で、生半可ではない衝撃を受けているので、テキスト量は少なめです。[_ _]
今日は、先日の休日出勤の代休である。午前中、S証券へ行き、取得価額を調べてもらうために株式異動証明書を提出する。経緯が複雑というほどではないにせよいささか長期にわたっているので、今日のところは調べきれず、後日、電話をいただくことになった。
これはまだ書いていなかったかな。たとえばテレビを見ていると、はっきりと「ふいんき」って発音している人が、結構いる。不思議で仕方がないのだが..これ、発音しにくいよね? 何度か練習してみたが、「ふいんき」と発音するのは、相当、難しい。こういうのは「楽な方」に流れる(変化する)のが通例なのだが..
それにしても、「ふいんき」に、どういう漢字が当てられると思っているのだろうか?(ためしに「ふいんき」でぐぐってみたら、変換できなくて困っている人が、少なくないようだ。[;^J^])強いて当てれば..「腐陰気」? まぁ、確かにそういう雰囲気はあるよね。[^.^]
宮城まり子、逝去。享年、93。合掌..
目次へ戻る多くの会社で似たような状況だと思うのだが、私の勤務先でも、テレワークの導入を徐々に進めていた。あまり詳しくは書かないが、まだトライアルにとどまっている部署もあれば、本格的に導入している部署もあり..
そしてまた、多くの会社で似たような状況だと思うのだが、この騒ぎで、一気に加速 [;_ _]。これまたあまり詳しくは書かないが、私の所属部署では演習を行うことになった。つまり、今日は全員、テレワークである。
実は私は、テレワークは初めてなのであった。自宅環境の問題としては、業務用の部屋を確保できない(気分を切り替えにくい)点が危惧されたのだが、これは案外、杞憂であった。また、一人暮らしであり、仕事の邪魔をする家族がいないので、その理由で効率が落ちることもない。
朝礼も、テレビ会議で行った。30人弱だが、無理なく行えた。私の背後の壁いっぱいの書架がそこそこウケたが [;^J^]、ほかの連中が誰一人書架を背負っていないことが、私は、むしろ気に障ったね。
本棚もなければ写真や複製画も飾られていない空虚な壁面なんて、意味がわかんない。[-.-]凸 [-.-]凸 [-.-]凸 [;^.^]
S証券から電話。取得価額とその算出方法について詳しく説明していただき、だいぶ以前から尾を引いていた本件、ようやく完了した。
目次へ戻るそりゃそうだ。いつ発表するかだけの問題だった。仮に夏までに新型コロナが「日本で」終息したとしても、それだけでは開催できない。「全世界で」終息している必要があるのだから..(だいたい、現時点で、世界中の国が互いに渡航禁止しあってるだろ..)
志村けん、陽性。
目次へ戻る「幻想美術選」、第189回。サルヴァドール・ダリも、トップに並ぶ6回目。今回の作品は、浅めのダリファンは、ご存知ないのではないかしら。[^.^]
この絵については、どうしても、自分語りから始めることになる..当時おそらく高校生であった。既にいっぱしのダリファンであった私は、しばしば通っていた神保町の、とある(洋書がメインの)古本屋のショーウィンドウに展示されていた、ごつく分厚く豪華なハードカバーの、ダリの画集に魅了されていた。価格は4万円。買えるわけがない..買えるわけがないのだが、どうしても我慢できなくなった私は、店主に、内容を確認させてくれ、と、頼みこんだ。露骨に嫌な顔をされたことを憶えている。高校生に買えるわけがないからだ。立ち読みするだけに決まっているからだが..それでも私は鋼の神経で [;^J^]、店主のしかめっ面の前でページをゆっくり繰っていき..そして、この作品を見いだしたのだった。
驚いた。当時の私は、ダリの作品といえば、「記憶の固執」「内乱の予感」「燃えるジラフ」のような、くっきりとした地平線と明確な形態をもった極彩色の作品しか知らなかったのだ。この作品のような、モノトーンに近い抑制された色彩が響き合う、錯綜した超越的な遠近法のもとに、あらゆるオブジェが重力を無視して浮遊している絵画空間は、初めて観るものであったからだ。
「この絵を手元に確保したい!」、と、痛切に思った。もちろん、現物を買いたいという意味ではなく、この作品が収録されている「画集」を買いたかったのである。この画集は4万円もするので買えない。しかし、これ以外の画集にこの作品が収録されているのを観たこともない。これは長期戦になるぞ..と覚悟を決めたのは立派だったが、長期戦も長期戦。およそ30年後、2004年に「ダリ 全画集」(TASCHEN)を入手するまで、その夢は叶えられなかったのである..(部分図を収録した書籍(洋書)ならば、数年をまたずして入手できたのだが..)
高校時代の神保町の書店の店頭に時間を戻す。この作品それ自体と共に強烈に印象に残ったのが、「タイトル」であった。洋書なので、もちろん、原題が記載されていたのだが..「Galacidalacidesoxyribonucleicacid」..何これ!? こんな単語が存在するわけがない..
それからおそらく1年とは経っていなかっただろう。まだ、この絵を収録した画集を手に入れることこそできないものの、解説を読む機会はあり、そこでは、「解読不能の(無意味な、あるいは意味を超越した造語である)タイトル」をつけられた作品、として紹介されていた。私は当時、それを得々として、父に受け売りした。ダリには、こんな不思議なタイトルの作品もあるんだよ..と、私が書き記した「Galacidalacidesoxyribonucleicacid」をひと目みて、「あぁ、美術評論家とは、なんと無知蒙昧な連中であることか!」、と、父が天を仰いだのを、はっきりと記憶している。「解読不能どころではない、明確な意味をもっているではないか!」、と。
言うまでもない。「DNA」なのだ。当時の私はおそらくまだ高校の生物(または化学)の授業で、デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)を習っておらず、読み解けていなかったのである。(「s」が挿入されている理由は ― おそらくダブルミーニングを構成しているのだろうが ― よくわからない。)そしてもちろん、「Gala」は、ダリ夫人のガラ、「Dala」はダリ(Dali)とアラー(Allah)を掛けているのだろう。それぞれに付けられている接尾語「ci」については、「エル・シッド」(El Cid(Wikipedia 参照))に由来するという解説を読むこともあるが、それよりも化学用語としての「酸」(acid)ではあるまいか。あるいはその両義かも知れないが、よく見て欲しい。「Galacidalacidesoxyribonucleicacid」..「ガラ」「ダリ」「デオキシリボ核酸」の3語を、「acid」が「リエゾン」しているのである。したがって、無理矢理日本語に訳すと、「ガラ酸とダリ酸のデオキシリボ核酸」ということになるわけである..まぁ、インターネットもなかった当時、スペイン伝承の「エル・シッド」はともかくとしても化学用語まで読みとれ、と、「美術評論家」に求めるのは、いかにも要求水準が高すぎたと思うが。[;^J^]
それにしても、まったく、なんという作品、なんという幻想空間だろう! 半可通の科学オタクであるダリによると(必ずしもディスっているのではない [;^J^]、芸術家には、こういう軽薄さも必要なのである)、デオキシリボ核酸の「二重螺旋」は、「人間と神をつなぐ、唯一の構造物」なのである。(だから、この作品は「宗教画」としての結構を備えているのだ。)画面右側の印象的な「結晶構造」は、塩化ナトリウムの立体構造を表しているつもりらしいが、完全ではない。これは、アラブの兵士の「死の立方体」(お互いの頭をライフルで狙っており、誰かが引き金を引くと、残り全員が死ぬ)とのダブルイメージで構成されている。アラブの兵士とのダブルイメージと言えば、左側から迫り来る兵士の密集隊形もそうで、これは「二重螺旋」に見えないこともない。この全景を見つめている手前の後ろ姿は、もちろん、ガラ。ダリは明確には描かれていない。(左手上空でタイトルが記された巻物を掲げているのは、預言者イザヤである。)そして、センター上空には、天使..この、浮遊感..
まったく、なんという絵画宇宙であることか! 長い年月を閲(けみ)してようやく私の手元に来た、この作品の複製を観るたびに、私の魂は時空を超えて、遙けき世界に連れ去られている..そこはあるいは、アラブに支配されていた、スペイン上空なのかも知れない..
目次へ戻る..状況を鑑みれば、これもまったく、やむを得ない..関係各位の心中を察してあまりあるが、今年はもう、「一回休み」の年なのだとしか言いようが。
目次へ戻る他人との距離を十分に取れれば、外出しても問題はない。花見が問題になるのは、宴席や人混みで濃厚接触が起こりかねないからであって、人影もまばらな湖畔の木々の下をひとりで散策し、(現場まではひとりで車を運転して往復し、)帰宅してからはきっちり消毒手洗いしていれば、なんの問題もない..
..はずなのだが、まぁ、引きこもっておくか。[;^J^]
だいぶ前から未整理状態だった新聞の山を、切り抜きしつつ大整理。新型コロナの、僅かここ2〜3ヶ月の蔓延の猛烈なスピード感に、あらためて溜息をつく..
目次へ戻る昨日きり抜いた(100件近い)新聞記事を、スキャンしてHDDに整理する。結構な時間がかかる。むろん、紙の方は捨てるのであるが..本当は、こういう「電子化」はしない方がいいのだ、と仰るのが、山田正紀。
「新聞の切り抜きでも何でもそうなんですけど、下手に整理するとそれで安心して、後で見なくなっちゃう。なので、大きい封筒に入れておくのがいちばん扱いやすいんです。(中略)整理整頓にあまり時間をつかわないほうがいい」(「SFの書き方 「ゲンロン大森望SF創作講座」全記録」(大森望編、早川書房、185頁))
..ごもっとも [_ _]。しかし、そうも言ってられませんで..[;_ _] この部屋の中で、新聞の切り抜き(を入れた封筒)なんか、いつ消失してもおかしくないんだもの..[;_ _]
ペンデレツキ、逝去。享年86。R.I.P..
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Apr 5 2020
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