2018年08月13日:8〜9月の展覧会観覧予定 2018年08月14日:芸術学勉強会「内的体験」 2018年08月15日:「探偵AIのリアル・ディープラーニング」 2018年08月16日:幻想美術選「シュルレアリスムの思い出:天空の象」サルヴァドール・ダリ 2018年08月17日:「プロジェクト・シャーロック」 2018年08月18日:「カメラを止めるな!」 2018年08月19日:ひたすら書く書く [;_ _]目次へ戻る 先週へ 次週へ
勤務先の基本的な(デフォルトの)夏休みは今週1週間なのだが、今年は実験的に、各自、好きな時期にシフトして取得できるのである。私は先週、取得済み。というわけで、今週は労働週なのである [;^J^]。他にも出社している人は結構いるが、やはり少ない。落ち着く..(← こらこら。[;^J^])
たまに遠雷。一瞬、照明ちらつく。
8月から9月にかけて観る(ことを試みる)展覧会は、下記である。
大田区立龍子記念館
「名作展 ベストセレクション 龍子記念館の逸品」
〜8月26日(日)まで
東京国立博物館
「特別展「縄文―1万年の美の鼓動」」
〜9月2日(日)まで
国立新美術館
「ルーヴル美術館展 肖像芸術――人は人をどう表現してきたか」
〜9月3日(月)まで
国立西洋美術館
「ミケランジェロと理想の身体」
〜9月24日(月・休)まで
岡田美術館
「初公開 田中一村の絵画 ―奄美を愛した孤高の画家―」
〜9月24日(月・祝)までまで
弥生美術館
「文豪・泉鏡花×球体関節人形」
〜9月24日(月・祝)まで
ポーラ美術館
「ルドン ひらかれた夢ー幻想の世紀末から現代へ」
前期:〜9月26日(水)まで
後期:9月28日(金)〜12月2日(日)まで
※9月27日(木)に展示替えがあるところからの推測
永青文庫
「大名美術入門―殿と姫の美のくらし―」
〜10月3日(水)まで
名古屋ボストン美術館
「名古屋ボストン美術館 最終展 ハピネス 〜明日の幸せを求めて」
〜10月8日(月・祝)まで
この8月、ほとんど展覧会を消化できていないのが尾を引いている..[;_ _]。龍子記念館は、多分見送り。縄文展とルーヴル美術館展には、8月下旬に(這ってでも [;^.^])行くとして、ミケランジェロ展、弥生美術館、岡田美術館、ポーラ美術館(の前期)は、おそらく9月末の三連休しかチャンスがない。そして、岡田美術館とポーラ美術館は地の利が悪く、同日に別の展覧会を片づけられないかも知れない..そしてここらで手こずっていると、名古屋ボストン美術館の最終展に、駆けつけられないかもしれない..[;_ _]
目次へ戻る今月の芸術学勉強会のテキストは、バタイユの「内的体験」であった。いやはや、参ったまいった [;^.^]。事前に購入して、無理やり最後まで「通読」はしておいたんですけどね..[;_ _][;^J^] 個々の文章は、日本語として読める [;^J^]。あるいはパラグラフレベルでも、把握できる。ただ、全体として、何を言いたいんだか..[;^J^] もっと明解に書けんのか..いや、敢えてこういう書き方をしているんだろうなぁ..
派生して、ニーチェの話題になった。バタイユ同様、ニーチェもろくに読んでいないが..(まぁ、高校生時代に背伸びして「ツァラトゥストラ」ほか数冊を読みはしたが、もちろん、その時点では理解なんぞ、とてもとても..)聞けば、ニーチェも(のちにバタイユがお手本としたのかどうかはさておき)、論旨混乱、ロジック矛盾な、行き当たりばったりの論文が多いらしい。それでも、哲学史上最大の巨人のひとりであり、後世に及ぼした影響は絶大。ニーチェファンの(あるいはニーチェにとらわれ、あるいはニーチェの影から脱しようと藻掻いた)哲学者は数知れず..(バタイユも、そのひとりであるのだが、)一体なぜ? 普通に(理系的に)考えたら、論旨が混乱していて矛盾だらけの「論文」なんて、無価値ではないのか? と、思う。それとも、文系では評価軸が違うのか? いや、西欧において「論理」の基本は、理系も文系も違いはないはず..
ここで、私の思いつきが暴走し [;^J^]、しばらく余談というか雑談モードに、参加者たちを巻き込んでしまったのは、申し訳ないことであった [;_ _]。以下、ニーチェに関しては上述のとおり、素人同然の私の妄言であるが..
「もしかしたら、哲学者にニーチェのファンが多いというのは、モーツァルトの「魔笛」のようなものではないのでしょうか。オペラ「魔笛」はモーツァルトの、いや、音楽史上の最高傑作のひとつであると同時に、その“深遠な”内容が、後世の(19世紀)の文化人たちに深い感銘を与え影響を及ぼし熱狂させ、ゲーテに至っては、「魔笛 第2部」を執筆する計画すら立てていたほどですが、この計画は実現しなかった。それもそのはず、実は「魔笛」というのは、ストーリーは支離滅裂で、とても文学者や哲学者の評価に耐えうるようなシロモノではない。ましてやゲーテが続編を書くほどの値打ちはない。では、なぜ、みんな、それほどの「傑作」と「錯覚」してしまったのか。それは、モーツァルトの音楽故です。これこそは掛け値無しに、西洋音楽史上最高峰クラスと言える、圧倒的に美しいメロディーが、次から次へと現れる。その音楽の素晴らしさに酔い、目が曇って、台本も文学的に素晴らしいと思い込んでしまった。ゲーテですら。私はニーチェの哲学は理解できていませんが、その文章ははるかな昔にいくらか読んだことがある。美しい。カッコイイ。哲学者たちは、これに「騙される」のではないでしょうか。少々筋がとおらなくても途中から論旨が変わってしまっても、あの力強い美文に乗って読み進めることはできる。感動もするでしょう。ニーチェの論旨の「筋の通らなさ」を「魔笛」の台本の適当さ加減にたとえれば、ニーチェの文章の魅力は、「魔笛」の音楽の「魔力」に相当するのではないでしょうか..」
..まったく、我ながら、その場の思いつきで、「裏付けはないが説得力はある」論を、ペラペラ喋れるやつだよなぁ..[;^.^] こういうタイプはヤバイので、皆様も、私に騙されませぬよう..[;^.^][;^.^][;^.^]
目次へ戻る朝6:20に、いきなりの大雨。案の定、CSが入らなくなっている。まぁ、今日明日は、録画する番組がないからいいや。
終日、雨。
先週の旅行時、九州で買い足した、「探偵AIのリアル・ディープラーニング」(早坂吝、新潮文庫nex)のインプレを書いておく。
私はAIについては、「ブルーバックス的教養」(という表現は今でも有効なのか? [;^J^])しか持ち合わせていないが、「フレーム問題」「シンボルグラウンディング問題」「不気味の谷」「中国語の部屋」を、なかなか巧妙に物語に落とし込んでいる。全5話からなる連作だが、第2話では、クイーンの某マスターピース(書名は伏せる)を、綺麗に借用している。AIものとしてもミステリとしても、高水準である。
キャラ的にも、いっぱい、いっぱい引いているので、続編はなんぼでも作れるぞ。(それとも、既にある?)
目次へ戻る「幻想美術選」、第127回。ダリは4回目の登場となるが、この作品をご存知の方は、ダリファンでも、ほとんどいないのではあるまいか。
ダリの作品に親しんでいる方には、説明の必要もないであろうが、この、脚が異様に細長い象は「天空の象」あるいは「宇宙象」と呼ばれる、ダリのもっとも有名なモチーフのひとつ。この連載で紹介した「ザクロの周囲を一匹の蜜蜂が飛んだために生じた夢から目覚める一瞬前」の遠景にも、見ることができる。
この作品では、なんと、その「天空の象」が「図解」されているではないか! 「図解」である! 「図解」なのである! 「大図解」なのである!
..この興奮は、天才編集者・大伴昌司が主導した、少年雑誌の巻頭特集ページの大図解の黄金時代を知らない人には、伝わらないかなぁ..[;^J^] 仮にそれを知らなくても、男子にはわかっていただけると思うのだ。大怪獣、宇宙船、ジャンボジェット機、巨大旅客船、航空母艦、サンダーバード基地、スペクター基地、東京都庁(の地下に隠されている秘密大基地 [^.^])の、見取り図、俯瞰図、実測図、要は「大図解」を、見たいと思わない男子がいるであろうか!
2016年の8月、京都文化博物館で開催された「ダリ版画展 −もうひとつの顔−」でこの作品を発見し、驚愕し、図録を買って帰って以来、いったい何回、何十回、いったい何時間、何十時間、この絵の「中」で、この「象」の胎内で、過ごしてきたことだろう..中央に階段室。その周囲に、いくつかの不思議な部屋が見える。背中のすぐ下の部屋は、まるで林のようである。その部屋に入るには、マンホールのようなものを通る必要があるらしい。そのマンホールへの、階段室からの経路は、どうなっているのであろうか..頭部は操縦席らしく、操縦士らしき人間(?)が、高い椅子に坐っているが..なんと、後ろ向きに座っている。そのすぐ後ろの部屋には、大きな鏡らしきものが見えるが、これは何かを映し出すためのスクリーンなのであろうか..?
この「魔象」に、この異界の、異形のヴィークルに、搭乗し操縦し、ダリの幻想世界の中を、その果てまで、地上遙かな高みから見下ろしつつ超現実的な地平線に心を馳せつつ、旅してゆきたい..ダリの幻想宇宙の中を、何年も、何十年も、その百倍の年月でも..
..いかん、とまらない..甘美な夢から、「もうひとつの人生」(ネルヴァル)から、帰って来れない..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^][;^.^][;^.^]
(以下、2024/03/07 追記)この「象」の元ネタを発見した。(「世界奇想美術館 異端・怪作・贋作でめぐる裏の美術史」(日経ナショナルジオグラフィック、2023)153頁)
ダリは、これを「宇宙象」化したのである。18世紀の奇想を取り込み(コラージュし)宇宙象と合体させる(あるいはメタモルフォーズさせる)ことによって、これほどまでに異様で素晴らしい「ビークル」を作り上げて見せたのである。
先日読了した「プロジェクト・シャーロック」(大森望、日下三蔵編、創元SF文庫 年刊日本SF傑作選)のインプレも、書いていなかった。
「ルーシィ、月、星、太陽」(上田早夕里)−シリーズの一部。世界観は言うまでなく素晴らしい。「Shadow.net」(円城塔)−悪くないトリビュートだが、さほど惹かれず。「最後の不良」(小川哲)−実にわかりやすいが、ノリ損ねた。「プロジェクト:シャーロック」(我孫子武丸)−素晴らしい。ミステリとしてもSFとしても完璧。クラウド内に放たれたモリアティ。なぜか「声の網」(星新一)を想起した。
「彗星狩り」(酉島伝法)−文体に慣れていれば、大丈夫 [;^J^]。「東京タワーの潜水夫」(横田順彌)−うーむ、乗れない [;_ _]。「逃亡老人」(眉村卓)−例のパターンである [;^J^]。「山の同窓会」(彩瀬まる)−素晴らしい。“異様な世界”が、地に足がついている。「ホーリーアイアンメイデン」(伴名練)−人の心を操り、世界平和を実現してしまう姉を、命と引き替えに止める妹。
「鉱区A−11」(加藤元浩)−ストレートな三原則テーマのミステリ。「惑星Xの憂鬱」(松崎有理)−文句無しに楽しめる。「階段落ち人生」(新井素子)−まぁ、いつものアレだ [;^J^]。「髪禍」(小田雅久仁)−普通はもう少し手前でやめておくものだと思うが、リミッターを外したか [;^J^]。「漸然山脈」(筒井康隆)−う〜ん、悪いがいまいち..「親水性について」(山尾悠子)−短いが、しみじみと良い。どこがと訊かれても困るが。「ディレイ・エフェクト」(宮内悠介)−まずまず。「天駆せよ法勝寺」(八島游舷)−佛教用語を外すと普通のSFにかなり近づくと思うが、別に悪いことではない。
目次へ戻る2〜3日前からだろうか。朝は明確に、涼しく爽やかである。まぁまた、何度も暑さが戻ってくるのだろうが。
何度も車で訪れている「ららぽーと磐田」へ、今日も車で..途上、想定外の紆余曲折があり、走行距離も所要時間も、数倍を要してしまったのだが、何が起こったのかは、私の名誉と体面を守るために、伏せておく [_ _]..いや、まさかとは思ったんですよ、本当に..[;^.^][;^.^][;^.^]
12:35からの回で、「カメラを止めるな!」を観た。SFマガジンの映画レビューで取りあげられており、なんとなく気になっていたのだが、急激に盛り上がりつつあるので、これはいかん、流行に乗り遅れること自体はなんとも思わないが、流行が始まる前から着目していながら、アクションが遅くて結果的に乗り遅れてしまう、というのは、悔しい [;_ _]、我慢ならん![;_ _]、というわけで。[;^J^]
これは..素晴らしい! どこまで書いていいのかな。序盤が、「ゾンビ映画を撮っていたら、ほんとにゾンビが出てきたぞ♪」、という、ほとんど天文学的な回数繰り返し使われてきた超ワンパターンで、ということは、つまり、この部分は劇中劇、メタな趣向で始まるのである..と、ここまでは(タイトルから自明なので)書いてもいいだろう。
ここまで観ていて、ちょっと困ったのである。「あまりにも、出来が悪くて..いくらメタな仕掛けとはいえ..」..テンポが乱れる。ときどき妙な間が開く。意味不明な繰り返しが、何度もある。伏線が回収されていない。途中からカメラのアングル(撮り方)が変わる..実際、(客席は大入りだったのだが)この時点で見限って(呆れて?)出ていった客がいたほどである。
なんだかなぁ..と、観ていたら..観ていたら! これ以上は書かないが、後半はいわば「真相編」。全ての疑問がビシバシ解かれ、全ての伏線がビシバシ回収されていく、その快感! 感動的な傑作である! 必見!
目次へ戻る9:00、市役所。印鑑登録証明と住民票の写し。時刻が中途半端すぎるので(まだどこの店も開いていない)、自宅に直帰。
あとは終日、他にはなにもせず(できず)に、8月7日〜8月12日の旅行の写真のセレクトと、廃墟通信の執筆と、廃墟通信の執筆と、廃墟通信の執筆である..[;_ _][;_ _][;_ _][/_;]
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