*2017年07月17日:マイクロレンズ、届く
*2017年07月18日:幻想美術選「オルフェの死」ジャン・デルヴィル
*2017年07月19日:梅雨明けですか..
*2017年07月20日:有安杏果と笑いとカメラと
*2017年07月21日:町に子どもが目立つ..
*2017年07月22日:「風紋」の譜読み
*2017年07月23日:証明責任
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2017年07月17日:マイクロレンズ、届く


 先日発注した交換レンズ、「AF-S VR Micro-Nikkor 105mm f/2.8G IF-ED」が届いた [^.^]。持ち重りがする [^.^]。軽いレンズも嬉しいが、重いレンズも嬉しい [^.^]。その、質量感が。

 フードを付けると、案外長い [;^.^]。マイクロレンズ(ニコン以外のメーカーはマクロレンズと呼ぶ)は、その名称から「小さい」レンズかとなんとなく思いこんでいたのだが [;^J^]、逆に大きい(ものもある)のだね。いずれにせよ、カメラ(D750)本体はリコール修理点検中なので、まだ試用できないのだ。[;_ _]

 カメラとレンズのための防湿ボックス内の湿度は、安定して40%を切り、ほとんど35%に近い。少し下がりすぎ? [;^.^](レンズにとっての理想の湿度は、40%らしいのだが..)

*目次へ戻る


*2017年07月18日:幻想美術選「オルフェの死」ジャン・デルヴィル


 「幻想美術選」、第73回。「第53回:サタンの財宝」以来の再登場となる、マイ・フェイヴァリット・アーティスト。

Picture

「オルフェの死」(ジャン・デルヴィル、1893年)

 (この画題がわからない人は、Wikipedia で「オルフェウス」か「オルペウス」を検索すること。)ここでは、八つ裂きにされて川を流れ下るオルフェウスの首と、彼の竪琴が一体化しており..というか、まるで竪琴が、亡き主人(オルフェウス)の夢を紡いでいるかのごとくである。この耽美的な美しさ、どこか危うい神秘性は、まったく比類がないが、それは、オルフェウスの中性的な容貌にも由来している。それもそのはず、モデルは画家の妻。だからどこかアンドロギュノス(両性具有者)的なのだ。

 デルヴィルは、19世紀末の神秘思想(薔薇十字会)に傾倒していた。この作品に、その影響を読みとることは容易いが、いちいちそこまで遡らなくても、この純粋な「美」、ほとんど「無駄に美しい」[;^.^] 水準にまで到達している「美」に耽溺すれば、十分である。

*目次へ戻る


*2017年07月19日:梅雨明けですか..


 西日本を中心に、大変な豪雨に見舞われた地域が少なくないというのに、浜松では、まとまった雨など降っていない..というか、連日の雨、という状況が、ほとんどなかったような気がする。連日の「雨模様、たまに小雨」なら、数回あったが..(無論、本降りの日もあったが、散発的である。)

 関係あるかどうかは不明だが、防湿ボックス内の湿度が安定して35%を切り始め、30%に近づいている。頑張り過ぎである [;^.^]。このボックスは電源付きの本格的なものではなく、密封容器+乾燥剤という簡易な構成なので、精密・精確なコントロールはできない。下がり過ぎて(乾燥し過ぎて)いるときは、蓋を開けて、室内の湿気た空気を混ぜてやるぐらいしか..[;^.^]

*目次へ戻る


*2017年07月20日:有安杏果と笑いとカメラと


 私は、有安杏果に似ている。「笑い方」が..彼女は、皆が盛り上がって爆笑しているときも、大笑いできない。「面白いなぁ..」と、胸の中で思うものの、表面的には微笑むだけである。(だから、誤解されるのだが。)私もそうだ。多分、声をあげて笑うことなど、年に数回も無いのではあるまいか。(もしかすると、数年に一度かもしれない。)無論、面白がってはいるのだが、それが肉体言語に翻訳されないのである。(たまに、大笑いしながら手を(1回)たたく人がいるが、こんなアクションをしたことは、物心ついて以来(つまり半世紀以上)、一度も無いと思う。)

 有安杏果のカメラの構え方が気になる。ファインダーを覗くのではなく、カメラを顔から離して液晶を見ているのである。

 無論、こういう流儀もあるのだろうし、どちらが正しいというわけでもない。私も、ライブビューイング(つまり液晶)画面を見なくては撮影できない条件では、液晶を見ている。しかし基本的には、常時ファインダーである。顔から離して液晶を見ていると、ホールド性が悪いからだ。手ブレしてしまう。

 これは気のせいかもしれないのだが..液晶を見ながら撮影する人の率は、女性が高いような気がする。顔(あるいは眼鏡)にカメラを押しつけることを、無意識のうちに忌避しているのだろうか。それとも私の、思い込みだろうか..

 もひとつついでに。液晶を見ながら撮影する、というのは、写メ(スマホも含む)で育った人には、ごく自然なことなのだろうね。

*目次へ戻る


*2017年07月21日:町に子どもが目立つ..


 ..夏休みか..悪感情..(← いい歳して、おやめなさい。[;^.^])

*目次へ戻る


*2017年07月22日:「風紋」の譜読み


 夏オフに向けて、「風紋(管弦楽版)」の打楽器とハープのパート譜の、譜読みをする。Fantom−Sで、ハープ+ウィンドチャイム+タムタム(銅鑼)は、無理なく兼任できそうである。(ハープとウィンドチャイムが完全にかぶっていて、ハープパートを捨てざるを得ない箇所が1小節だけあるが、ここのハープは聞こえなくてもよいと判断。)

 今年は鍵盤楽器奏者が、初日は2人、2日目は3人いる。(たいして役に立たない私を0.5人として加算すると、それぞれ2.5人と3.5人。)普通に考えれば、十分安堵できる人数なのだが、そのかわり、打楽器奏者が極端に少ない。2日目の吹奏楽枠で、奏者も楽器も、大量に必要になるはずである。シンセでどこまでカバーできるだろうか..恐怖である。[;^.^]

 ホワイトストリート南端のイオンで、買い物若干。

 平尾昌晃、肺炎で逝去。享年79歳。合掌..

*目次へ戻る


*2017年07月23日:証明責任


 本件、プレイヤーが無駄に多すぎるし、地雷がそこらじゅうにばら撒かれているので、敬して遠ざけてきたのだが..やはり、これだけは書いておかないとね。最初からとは言わないが、かなり早い時点から感じていた違和感を。

 ..「違和感」ですませていい問題では、ないのだが。

 何故、これほど長引くのか。何故、「疑惑」が「これほどある」のに、「水掛け論」に終始しているのか。言うまでもない。追求側・告発側が、「決定的な証拠」を持っていないからである。それがあれば、今ごろとっくに結論が出ている問題なのに。

 これが、違和感の正体である。なぜ彼らは、証拠もないのに追求し続けているのだろうか。証拠がなければ、あるいは不十分だということが判明したら、(いったん)引き下がり、陣容を整え、新証拠を携えて再アタックするのが、「筋」ではないか。なのに、なぜ、いつまでもグズグズと続けているのだろうか。これでは永久に終わらないではないか。それが狙いか。穿った見方だが、消耗戦に持ち込むのが。

 ネットのあちこちで見かけるのだが、「なにもかも忘れたことにして、「無いことを証明せよというのは悪魔の証明と呼ばれる」と切り返す。よし、俺もこの手を使おう(笑)」..という「揶揄(やゆ)」。「反論」ではない。そりゃそうだ、なぜなら安倍首相のこの発言は論理的に正しく、反論できる性質のものではないからだ。「上から目線」で「揶揄」するしかないのだ。「証拠」さえ突きつけることができれば、安倍首相にこんな発言をさせるまでもなく、一撃でケリがつくのに、それが無いばかりに、自分をそこまで低めなければならない..

 「疑惑を突きつけられた側に、自分が潔白であると証明せよと迫るのは、痴漢の冤罪を着せられた男に、自分はやっていないことを証明せよ、証明できなければ有罪!、と迫るのと同じだ」、という指摘も、どこかで見た。正鵠を射ている。

 「証明責任」という概念を知らないのか。

 なによりも不気味なのは..私がここまで述べてきたことなど、「承知の上」で追求している人々が、大勢いるように思われることである。論理的におかしいことは「百も承知!」、でも、「相手が安倍なら(安倍を倒すためなら)多少の無理は、アリだ!」..

 ..これ以上の「危険思想」は、ない。

 これは、民主主義ではないし、法治国家のありようでもない。

 おそらく、この人々を突き動かしているのは、共謀罪を頂点とする、安倍首相の「数々の悪政」に対する「義憤」なのだろう。つまり、自己イメージとしては、「正義の側」なのだ。

 「正義の暴走」ほど、恐ろしいものがあるだろうか。

 日本を壊しているのは、安倍首相サイドでは、ない。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 27 2017
Copyright (C) 2017 倉田わたる Mail [kurata@rinc.or.jp] Home [http://www.kurata-wataru.com/]