*2017年05月15日:WannaCry
*2017年05月16日:有楽街で歓迎会
*2017年05月17日:6月の上京予定
*2017年05月18日:幻想美術選「世の栄光の終わり」フアン・デ・バルデス・レアール
*2017年05月19日:ネタが無いので会社の秘密を [;^.^]
*2017年05月20日:半ドン休出
*2017年05月21日:はままつフラワーパーク
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*2017年05月15日:WannaCry


 先週の日記にも書いたとおり、あまり詳しくは書けないのだ。今回の WannaCry に限らず、マルウェアやサイバー攻撃に関しては。(痛くもない腹を探られるのは、好むところではない。)

 必要な措置を取り、必要な対応をする。クソ忙しいのに、とんだ割り込みである。["-_-]凸

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*2017年05月16日:有楽街で歓迎会


 残業せずに帰宅。すぐに徒歩で出て、浜松市の街中へ。19:00から有楽街の「楽蔵」で、来日中の(勤務先の)関係者の歓迎会。(基本的にはプライベート旅行である。)

 観光予定を訊いたら、東京ではどことどことどことどこへ、京都ではどことどことどことどこへ..と、それぞれ10箇所以上。「1日で!?」、と、驚いたが、それぞれ3日ほど、確保されているのであった [;^J^]。早とちりするなよ、あぁ、びっくりした。[;^.^]

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*2017年05月17日:6月の上京予定


 予定どおり、午前半休。8:00過ぎに徒歩で出て、予約していた浜松医療センターの耳鼻科へ。3ヶ月ごとの、右耳の不調の経過観察(診察/報告)であるが..そろそろ我慢も限界ということで、手術を受ける意向を伝える。(決定ではないが。)それを前提として、少しでも手術の成功の可能性を高めるため(というか、空振りしないように)、近々改めて、検査することになった。その際には、なんとかして症状を(測定できる環境(条件)で)再現しなくてはならない。

 9:30過ぎにいったん帰宅。浜松市連絡ごみ受付センターに電話して、廃棄の段取り。昼前に出て、20:00過ぎまで仕事。

 6月10日(土)〜11日(日)に上京することを急遽決定し、高速バスのチケットを確保。以下の2件が目的である。

*森アーツセンターギャラリー
 「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち
 〜6月18日(日)まで

*山種美術館
 「花 * Flower * 華 ―琳派から現代へ―
 〜6月18日(日)まで

 在京の飲み仲間に連絡する。もしも土曜日に飲みが成立するなら、一泊して上記2件を土日に分け、さらにもう少し案件を突っ込む。飲みが成立しないなら、土曜日に両方とも片づけ、その日のうちに(遅くはなるが)浜松に帰る。(森アーツセンターギャラリーが20:00まで開いているので、このプランが可能になる。)さて、どうなりますことか。[^.^]

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*2017年05月18日:幻想美術選「世の栄光の終わり」フアン・デ・バルデス・レアール


 「幻想美術選」、第64回。2回続けて爽やかな空気感の作品をお届けしてしまったので、今回は、これでも喰らえ。[^.^]

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「世の栄光の終わり」(フアン・デ・バルデス・レアール、1671年頃)

 ..[;^J^] フアン・デ・バルデス・レアール(1622〜1690、Wikipedia(スペイン語))は、セビーリャ出身のバロックの画家である。この作品は、セビーリャのサンタ・カリダー病院附属サン・ホルヘ礼拝堂のために描かれたもの。ご覧のとおりの、「ヴァニタス(Wikipedia)」であり、「メメント・モリ(Wikipedia)」であるが..それにしても、「イーゼンハイムの祭壇画(「幻想美術選:第47回」)」もそうだったが、このような絵を病院(の付属の礼拝堂)に飾るとは、いったいどういう神経をしているのであろうか [;^J^]。少なくとも日本においては、九相図(Wikipedia画像検索結果)が病院に飾られている例など、私は寡聞にして知らないぞ。[;^.^]

 この絵は、一見、謎めいて見えるかも知れないが、実は、読み解けない要素がほとんどない、寓意が明快な作品なのである。

 一番手前の腐乱死体は司教。向こう隣の、まだ生の温もりを残していそうな死体は騎士。奥の方の骸骨は、もはや生前の職業も解らない。それぞれ、死からの第二段階、死からの第一段階、そして、死からの最終段階であり、「この世における栄光」にかかわらず、死は平等に訪れることを示している。「主の栄光」をまとって上から伸びてくる手は、聖痕を見るまでもなく、キリストの手。吊り下げられている天秤は、死者の生前の「七つの大罪(悪徳)」と「七つの美徳」を計っており、地獄行きか天国行きを決めるのであるが、今は不安定につりあっている..多くの人は、そういうものだろう。みな、善悪の両側面をほどほどに備えており、完全な善人も、完全な悪人も、滅多にいるものではない..このあと、この天秤はどちらに傾くのだろうか..(下手(しもて)の階段にとまっている梟は、夜と眠りの象徴である。)

 敬虔なキリスト教信者にとっては、恐怖とともに信仰心をも(改めて)かき立てられるであろう作品世界であるが、われわれ非キリスト者にとっては、ただひたすら恐ろしく、おぞましい..しかしながら、この、容赦のない屍体表現の「逆説的な美しさ」は、どうだ! この、シデムシに喰い荒らされている、腐敗臭で鼻が曲がりそうな司教こそ、幻想美術史上、最高のスーパースターのひとりであろう!

 ..しかし、私が何よりも恐ろしいと思うのは、この死体ではない。この天秤が「大体、つりあっている」ことなのである..この死体たちが善悪どちらに属するか、決まりかねる状況であるのだが、しかしながら、死後の世界には「天国でも地獄でもない、中間領域」など、無いのである。(「煉獄」は違う。煉獄は、天国へのワンステップである。)つまり、「二分法」なのだ。ほんのちょっとした、生前の美徳と悪徳のアンバランスで、イエスかノーかが決まってしまうのである。永遠のイエスか、永遠のノーかが..

 ..それをよしとする、この世界観が、私には恐ろしい..

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*2017年05月19日:ネタが無いので会社の秘密を [;^.^]


 (会社の秘密:ここから)プロクシを経由しない、社外のインターネットに直結している回線が(特殊用途で)用意されている。通称、「外直」。(会社の秘密:ここまで)

 (倉田の秘密:ここから)「外直」をいつも、「外道」と空目している。(倉田の秘密:ここまで)

 ..そんだけ。[;_ _][;^J^]

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*2017年05月20日:半ドン休出


 快晴。7:50に車で出て、某事業所へ休日出勤。早めに着いて鍵を開け、作業開始の準備をしながら待つ。9:00からの作業を滞りなくすませ、車でもうひとつの事業所に移動し、同様に鍵を開けて作業し、10:20に終了。

 これで終わりのはずだったが、最初の事業所の作業内容に、確認し直したいポイントをひとつ思いついてしまったので引き返し、再チェック。問題なかった。11:10に撤収。

 湯風景しおりに直行し、夕方になる前に帰宅。

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*2017年05月21日:はままつフラワーパーク


 7:30過ぎに、はままつフラワーパークに車で出発。もちろん、7:50に着く。開園は8:30である [;^.^]。10分繰り上げ、8:20に入れてもらえた。D750とレンズを3本、「AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G」「AF-S NIKKOR 20mm f/1.8G ED」「Ai AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D」を持参して、とっかえひっかえ交換しながらの、撮影練習である。

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 左写真は、魚眼で池を。画角が広いのも良し悪しで [;^J^]、こうして太陽を背負うと、自分の影が写り込んでしまいがちであり、それを避けようとすると、アングルに(余計な)制約がかかってしまったりする。(この写真も、本当に自分が撮りたかった方向からのショットではないのだ。)中央写真も、もちろん魚眼。構図が甘くても、なんとなくサマになってしまうのは、良くないことだと思う [;^J^]。上達を阻害しかねない。



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 左写真は、魚眼ではない、20mmレンズ。中央写真は、ほぼ同じ場所で撮影した、16mmの魚眼レンズ。後者の方が、3メートル以上踏み込んだ地点からの撮影であるにもかかわらず、より広いエリアが写っている。

 右写真も魚眼だが、そう言われないと、気付きにくいでしょ。「見えている範囲を“全部”取り込む」という意味で、魚眼レンズで撮影した写真は情報量が多いが、その代償として、(時には不自然に見える)「歪み」を伴うわけだ。しかし、こういう風景だと、歪んでいることに気が付きにくい。街中ならばビルが曲がれば一発でわかるのだが、「もともと歪んで(傾いて)生えている」木は、街路樹でもない限り、普通に存在するのだから。



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 20mmと16mm魚眼の比較をもうひとつ。もちろん、左が20mm、右が16mm魚眼である。今度は先ほどとは逆に、魚眼レンズの方が、少し下がった地点からの撮影。だから、いくらか広いエリアが写るのは当然なのだが、それを差し引いても、魚眼の「世界の広さ」は、明らかである。(どうして、比較のために、全く同じポイントから撮影しないのかって? それをすると、どちらか一方は、構図のバランスを逸した、つまらない写真になってしまうからである。)

 無論、画角が全てではない。何よりもこの20mm、(多少の歪曲収差を別にすれば)歪まない [;^.^]。広い世界をのびのびと撮せる。



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 左写真は、ヒカリゴケ。私らの世代にとっては、「ひかりごけ」とくれば、武田泰淳であり、團伊玖磨であるのだが、若い世代はご存知だろうか..

 ..それはともかく [;^.^]。これはなかなか撮影が難しかった。なにしろ、暗い密室の中で栽培されており、観客は、その密室の壁の(玄関ドアの新聞受けのような)横長のスリットに被せられたカバーを上に持ち上げて、覗き込むのである。スリットのサイズは、一眼レフのレンズ(「AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G」を使った)よりも上下に狭く、外界との明るさの差も大きく(少し目を慣らさないと見えてこない)、さらに言えば、そこそこの行列になったりするので、じっくり狙っているのもはばかられ、結局、列の最後尾に何度もつきなおして、ほとんどメクラ撮影に近い失敗写真を何度も撮り重ね、なんとか見られるものが写った、これがそれである。[;_ _][;^J^]

 右写真は、中南米原産のジャカランダの木の花。これも「AF-S NIKKOR 50mm f/1.4G」を使ったのだが..ちょっと不思議なのは、この「ボケ方」。境界線が比較的くっきりとしている、なかば同心円状の「光の滲み」が、近視の乱視(私のことだ [;^J^])で観た風景のごとく、重なっている。本来、もう少し(ダ・ヴィンチのスフマート技法のごとく)グラデーションがかかるというか、境界線が目立たないものではないかと思うのだが..このレンズでこういうボケ味を狙うと、大体こういう結果になる。これは、「ボケとはこういうものなのか」「このレンズの(良く言えば)クセ、あるいは(悪く言えば)性能の限界なのか」、どちらなのだろう..?

 ..ま、私は、「伊藤若冲の筋目描きみたいで面白いな」、と、ポジティブに捉えているのであるが。[;^.^]



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 悪のりして、ローズガーデンで、魚眼使いまくり [;_ _][;^.^]。はっきりと理解できたことは、魚眼で風景写真を撮るときは、厳密に左右対称にしないと(というか、両端の高さを揃えないと)、非常に居心地が悪いということ..[;_ _][;_ _][;_ _][;^J^]



 11:30に発ち、高丘で書店などに寄ってから、午後いっぱい、湯風景しおり。夕方に帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 25 2017
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