*2016年05月09日:合衆国の負の選択
*2016年05月10日:昔は良かった?
*2016年05月11日:新デジタルデバイド
*2016年05月12日:貴重な色
*2016年05月13日:幻想美術選「幽霊之図」月岡芳年
*2016年05月14日:5月下旬からの展覧会観覧予定
*2016年05月15日:せめて死に花を..
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*2016年05月09日:合衆国の負の選択


 合衆国は、今から「負の選択」に入る。

 もしかすると、彼らは「負の選択」にあまり慣れていないかも知れない。それが、心配といえば心配な点である。

 日本人は、「負の選択」に慣れている(..というか、少なくとも国政選挙レベルでは、私は、負の選択以外の投票をした記憶が、ほとんどない)。結果、「よりマシな“負”」「いくらかでも“ゼロ”に近い“マイナス”」を選ぶことに、長(た)けているのである。幸か不幸か日本人は。

 実際、過去数十年間を振り返っても、国政選挙において、それほど酷い「負」が選ばれてしまったことは、あまりないと思う。もちろん、たまに大間違いをやらかしてもいるが..これは民主主義の、避けられないコストである。

 さて、合衆国民は、どうなのであろうか..

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*2016年05月10日:昔は良かった?


 昭和30年代と現代を比べてみよう。現代の方が圧倒的に、平和で住み良く素晴らしい、社会であり国であり時代である。

 昭和30年代を生きていた年代の人に訊くと、(サンプル数が多いとは言えないが)みな、即答でそう答える。(無論、違う考えの人もいると思いますが。)

 何よりも、私の母。昭和7年生まれだから、昭和30年代というのは彼女の人生における、いわば黄金時代。人は誰でも、もっとも体力が張り切って元気だった時代を、もっとも良き時代として認識(追想)する傾向があるが、その母が、現代(2016年)の方が遙かに素晴らしい、と、断言しているのである。

 私の認識も、そうである。昭和30年代もそれなりに良い時代であったし、現代よりも良い面もあったようには思うが、冷静に考えると、多くの場合、それは「記憶の美化作用」である。

 「三丁目の夕日」が、嘘だとは言わないが..

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*2016年05月11日:新デジタルデバイド


 最近の新聞で読んだ話題..といっても、ずいぶん昔から囁かれていたようには思うが..

 パソコンが使えない新入社員が増えているという。キーボードの打ち方も遅く(たどたどしく)、マウスのダブルクリックやドラッグ&ドロップも、満足に出来ないのだという。(まるで、往年の「電脳なをさん」に出てくる、あの課長(名前が出てこない [;^J^])みたいである。)

 新たな「デジタルデバイド」が発生しつつあるのだ。昔は、年寄りがパソコンを使えないことを「デジタルデバイド」と呼んでいたが、いまや、若者がパソコンを使えなくなりつつあるのである。

 まぁ、無理もない。スマホや携帯で卒論を書いてきた連中である。彼らからみたら、馬鹿でかいパソコンでバリバリ仕事をこなしながらも、携帯やスマホの使いこなしがいまいちであるような年寄り連中こそ、「デジタルデバイド」という言葉によって差別すべき対象なのであろう。

 パソコンを使いこなせる方が、ダサいのだ。ちょうど、我々の世代(50代後半)にとって、ソロバン、計算尺、タイガー計算機などをガンガン使いこなせる世代(人々)が、「尊敬」というよりは、やや「敬遠」の対象に近いのと、似たような感覚なのだろう..(← ちゃんと読み流さずに突っ込んでるだろうね。[^.^][^.^][^.^][;^.^])

 タブレットだけで仕事が出来るようになれば(触手 職種によっては、今でもそうなっているが..ま、タブレットだけで仕事が出来るようにお膳立てしているのは、パソコン部隊なんだけどね [^.^])、キーボードもマウスも必要なくなるか..そもそも、キーボードもマウスも、人類史の黎明期から存在した、人類の体型に本質的に適合しているツール、というわけではないしね。(考えてみれば、マウスというのは、随分不思議な入力デバイスである。)

 入力デバイスのあるべき未来像は..スマホやタブレットにむかって、「やれ、スマホ」、「がんばれ、スマホ」、「負けるな、スマホ」..あとは、グーグルとマイクロソフトとアップルが、なんとかしてくれるさ。[^.^][^.^][^.^]

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*2016年05月12日:貴重な色


 あなたが日本絵画のマニア(とまではいかずとも、ちょっと突っ込んだファン)ならば、「ベロ藍」という「色(あるいは絵の具、顔料)」の名前を聞いたことがあるであろう。「ベルリンブルー」がなまって呼ばれたとされ、「プルシアンブルー」とも呼ばれる。もちろん舶来で、現在確認されている限りでは、日本での最初の使用例は、伊藤若冲の「動植綵絵」の中の一幅で、1765年頃。1826年頃から大量に輸入されて使いやすくなったようで、葛飾北斎も歌川広重も、多用している。彼らの浮世絵版画を特徴づける、あの鮮やかで素晴らしい「青」は、これである。当初は、極めて貴重な「色」だったのだ。

 あなたがフェルメールのファンならば、「ラピスラズリ」あるいはこれを精製して製造された「ウルトラマリン」の名前を聞いたことがあるであろう。あの、一目見たら忘れられない「フェルメール・ブルー」の正体が、これである。重量あたりの値段は、金塊よりも高価だったという。

 こういうのは、みな、昔の話さ。今では誰でもどんな色でも使えるのさ、と、思っていたら、実はそうでもなかった。「ドラゴンズドリーム ロジャー・ディーン幻想画集」(ブルース・インターアクションズ)を繙(ひもと)いてみよう。鮮やかな黄色が印象的な「イエス イヤーズ」のジャケットを見開きで紹介している、第100頁。

 ある有名ブランドのアクリル絵の具製造会社は、カドミウム絵の具の生産を中止しようとしていた。とくにカドミウムイエローがそうなのだが、毒性が強すぎると判断されたためだ。ロジャーはこれを黙って見過ごすわけにはいかないと感じ、会社がその絵の具を撤収する前にこの絵を完成させてしまおうと決心した。これは4枚組ボックスCDのジャケット用の絵で、最初キャンバスに、これでもかというほどたっぷりカドミウムイエローを塗った。そしてその上から細部を描き足していった。(後略)

 ..つまり、この鮮やかで素晴らしい「黄色」も、今となっては「貴重な色」というわけなのだった。

 とはいえ、これは「アナログ」世界でのこと。「デジタル」世界では、それこそ、誰でもどんな色でも、調合し放題、使い放題であり、それが悪いことであろうはずは全くないのだが..いかにも、軽い。もう、比較にもならないほど、軽いのだ。いまさら引き返すことなど、(多くの人にとっては)できやしないが..

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*2016年05月13日:幻想美術選「幽霊之図」月岡芳年


 第11回である。(これまでのラインナップは、「幻想美術選」でご覧ください。)前回の「幻の馬車」(ダリ)の英語タイトルは「Phantom Cart」。つまり「幽霊馬車」..というわけで幽霊つながりで、今回は、日本幽霊画史上、最高傑作クラスの逸品をお目にかけよう。(ご存知の方が多いと思うけど。)

Picture

「幽霊之図」(月岡芳年、1878〜84年頃)

 タイトルは「幽霊之図」だが、これは、おそらく「姑獲鳥(うぶめ)」(難産のために死んだ女性が化身した妖怪であり、赤子を抱いて現れ、通行人に抱かせようとする。また、怪鳥形態の伝承もある)である。血に染まった腰巻きと、腕に抱いている赤子から、それがわかる。(こんにちでは、「幽霊」と「妖怪」を厳密に定義しわけているが、明治初頭の両者の定義も語感(概念)も現代とは当然異なっていただろうし、ここは掘り下げずに、先に進むことにする。[;^J^])

 ..なんの贅言を要しようか。これほど美しく、また哀しい「幽霊」の絵を、あなたは見たことがあるだろうか? 断言できないが、彼女が抱いている赤子は、生きているように見える。つまり、この若く美しい女性は、子どもを残して死んでしまったのである..その悲しみが、わずかにうつむいた後ろ姿から、しみじみと伝わってくる。

 それと同時に、これほど「気味が悪く」「恐い」幽霊画も、そうそうあるものではない。それは、ことさらに「幽霊(あるいは妖怪)らしい」、凄みをきかせた恐い表情も仕草もしていない、抑制された表現からきているものである。(彼女の顔(表情)が見えないのが、何よりも怖い..)

 私にとって、「床の間に飾りたくない絵」の、文句無しのナンバーワンであると同時に、一度見始めてしまうと目を離せない、文字どおり「魅入られてしまう」絵のナンバーワン(は言い過ぎだが、トップ20ぐらいには入る)でもある。それは、色数もごく少ない、極めて簡潔な表現の一幅の絵の中に、「慈愛」「悲しみ」「恐怖」「怒り」など、多様でアンビバレントな感情を、完璧に描き込んでいるからであろう。私は、彼女が怖い..振り返る可能性を想像しただけでも、鳥肌がたちそうになる..しかし同時に、彼女が哀れでならないのだ..

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*2016年05月14日:5月下旬からの展覧会観覧予定


 5月24日までの「若冲展」の後期展示が問題だったのだが、作品リスト(展示替え情報付き)を(真剣に [;^.^])精査したところ、それらのうち半分は、2010年05月09日に「伊藤若冲 アナザーワールド」(静岡県立美術館)で観ており(手元の図録に収録されている)、残りの半分は、今秋、岡田美術館で開催される「―生誕300年記念― 若冲と蕪村 江戸時代の画家たち」でおそらく観られるはず、と踏んで、後期はパスすることにした。もちろん、これらの事情(後期を観なくても見逃す作品は無い)を別にしても、是非とももう一度観たい展覧会であるのだが、「1.待ち時間が半端ない」「2.ラストチャンスとなる今週末の上京は、諸般の事情で相当難しい」ことから、見送りということで [_ _]。なに、前期だけでも、十分堪能しましたし、未練はありません。[^J^]

*武蔵野市立吉祥寺美術館
 「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく
 後期:〜5月29日(日)まで

*出光美術館
 「開館50周年記念 美の祝典 II ― 水墨の壮美
 〜6月12日(日)まで

*東京国立博物館
 「黄金のアフガニスタン−守りぬかれたシルクロードの秘宝−
 〜6月19日(日)まで

*町田市立国際版画美術館
 「森羅万象を刻む―デューラーから柄澤齊へ
 〜6月19日(日)まで

*損保ジャパン東郷青児美術館
 「フランスの風景 樹をめぐる物語
 〜6月26日(日)まで

*山種美術館
 「Seed 山種美術館 日本画アワード 2016
 5月31日(火)〜6月26日(日)まで

*森アーツセンターギャラリー
 「日伊国交樹立150周年記念 世界遺産 ポンペイの壁画展
 〜7月3日(日)まで

*奈良県立美術館
 「藤城清治 光のメルヘン展
 〜7月3日(日)まで

*東京都庭園美術館
 「メディチ家の至宝−ルネサンスのジュエリーと名画
 〜7月5日(火)まで

*国立新美術館
 「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展
 〜8月22日(月)まで

*国立西洋美術館
 「聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画
 7月9日(土)〜9月19日(月・祝)まで

 ..楽なスケジュールに見えるでしょ。これが実は、そうでもない。6月の週末の詰まり方が、全然わからないのだ。5月21日(土)22日(日)は無理だが、5月28日(土)29日(日)には、「何が何でも」上京して、(会期終了の早い順に)片づけられるだけ片づけておかないと、危ない..

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*2016年05月15日:せめて死に花を..


 ..いや、私の話ではなく、自転車の話である。[;^J^]

 好天。ナカノサイクルセンターに、自転車をTSマーク整備出しに行き、まず、ざっと見てもらったところ、だいぶガタが来ているとのこと。この1年間、時間を作れず、ほとんど乗れていないのだが、それでもガタが来るのか..というより、乗れていない(従ってメンテもほとんどしていない)からガタが来たのであろうなぁ..後輪の軸の部分は、多分交換。前輪ブレーキも、おそらくまるごと交換。工賃その他込みで2万円以上かかるかも..でももちろん、直してもらう。

 なぜなら、この1年間、ほとんど放置していたのである。おそらくそれが原因でガタがきて、それを修理する金が惜しいからと「廃車」にするなんて..人間として許される行為か?

 この自転車、もう余命は長くないかも知れないと、宣告された。一箇所、ガタが来ているということは、そこを直しても、次々にあちこちがダメになる可能性もあるとのこと。それを直し続けるよりは、買い直す方が廉くつく可能性も、示唆された。(余命とは、そういう意味である。)しかし、こうなったら、意地でも修理する。

 修理して、これからはなんとかして時間を作って、自転車乗りを本格的に再開する。そして、修理し続けて、いずれ修理不能なまでに壊れて廃棄しなくてはならなくなるとしても、せめてその直前まで、乗り回してやろう。馬と同様、自転車も、走っている(走っていられる)ときこそが、幸せなのだから..死ぬ(壊れる)にしても、せめて、幸せな時に、死なせてやろう..

 何度か書いていると思うが、私の人生の目標は、「寝たきりにならない」ことである。歩ける/活動できるうちに、いきなり死にたいのである。それと同じことだ。そういう人生観を(夢を)持っている私が、自転車に対して同じことをしてやらないなんて..人間として、最低である..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 19 2016
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