2016年05月02日:吉野朔実、逝去 2016年05月03日:萩尾望都SF原画展/江戸絵画の夢と空想 2016年05月04日:出光美術館 2016年05月05日:カラヴァッジョ展/人造乙女美術館/国芳国貞展 2016年05月06日:若冲展/恐竜博2016 2016年05月07日:幻想美術選「幻の馬車」サルヴァドール・ダリ 2016年05月08日:冨田勲、逝去目次へ戻る 先週へ 次週へ
吉野朔実が、4月20日に亡くなっていたとのこと。死因は未公表。
私のツボから多少外れていたこともあり、あまり数多くの作品を読んではいないのだが..それにしても、本当に、毎週のように..[;_ _][;_ _][;_ _]..合掌..[_ _]
しかも、享年57歳..私と同い年ではないか..私もそろそろ、死に頃ということか..(冗談ではなく、身辺整理にとりかかってもいい年齢だ..)
目次へ戻る6:10に自宅を発ち、7:19のひかりで上京。9:35、武蔵野市立吉祥寺美術館に着く。(ちょっと、たどり着くまでに迷いました。[;^J^])開館25分前。「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」(〜5月29日(日)まで)である。前期は5月5日まで。5月6日から、40点ほど展示替えされる。
とにかく、徹底して「SF原画展」なのである。「ポーの一族」すら、影も形もないという潔さ。「百億の昼と千億の夜」、「スター・レッド」、「11人いる!」、「宇宙叙事詩」、「銀の三角」などの本格SF作品に徹底的にフォーカスしていて、密度が濃い。そして..なんという、原画の美しさ! 後世に残すべき/残さねばならない、芸術品である。
展示替え後も、観に来たいものだ。図録を購入して、11:20に退出。昼食は、吉祥寺で(久しぶりに)回転寿司。(腹具合に合わせて無駄なく適量だけ発注して食べられる、というのは、良いシステムである。)府中に転進し、13:15、府中市美術館。ここに来るのは何度目かな。バスの待ち時間が長いので歩いたが(20分弱)、結構、微妙な距離である [;^J^]。気持ちの良い公園の中にあるので、散策にはいいんだけどね。
「ファンタスティック 江戸絵画の夢と空想」である。前期には間に合わなかった。後期も5月8日(日)までなので、あなたがこれを読む頃には、終わっている。[_ _]
展覧会自体のコンセプトは面白いし、集められた作品群も良い。しかし、十分に整理/分類が出来ていない(切り口が明快でない/分類の次元・階層が揃っていない)印象を受けた。別にディスっているわけではなく、むしろ、「そりゃ、大変だったろうなぁ..」..と、同情してしまったというのが正直なところ [;^J^]。かつて、「日本幻想作家事典」(国書刊行会)の巻末附録の「怪奇幻想漫画家事典」で、20数人の漫画家の項目の執筆を担当し、その中には「手塚治虫」も含まれていたのだが、手塚の厖大な作品群は、実は大部分が(広義の)「怪奇幻想漫画」の範疇に入る。それをどうやって(「幻想」という視点から)分類・整理したものか、数週間にわたって悩みに悩み、迷いに迷ったことを思い出したりして..[;_ _][;^J^]
特に琴線に響いた作品を挙げておくと、(画像検索できなかった/絞り込めなかった作品が多くて申し訳ないのだが [_ _]、)円山応挙の「霊峰図」、河野栄寿の「昇天竜図」、河鍋暁斎の「波乗り観音図屏風」(画像検索結果)、東東洋の「煙霞山水図」。
伊藤若冲の「乗興舟」(画像検索結果)は、若冲ファンならどなたもご存知の、ネガの世界。長沢蘆雪の「朧月図」(画像検索結果)、勝川春章の「見立江口君図」(画像検索結果)、小泉斐の「竜に馬師皇図屏風」。葛飾北斎の「富士越竜図」(画像検索結果)は、絶筆とされている有名な作品。
14:25に発ち、17:00、横浜・鶴ヶ峰の実家に帰省。
目次へ戻る朝、4:30頃に目を覚ましたときには静かだったのだが、その後、強風、雨。二度寝して7:00に起き直したら、まだ風が残ってはいるが、雨はやんでいる。やがて快晴。
実家前のバス停から9:01のバスで発ち、10:25、出光美術館。(開館前には着くことにしている私が、30分ほど遅れたのは、前記の天候の事情があったからである。要するに、晴れるのを待っていたのだ。)「開館50周年記念 美の祝典 I」。「第I期 やまと絵の四季」は、5月8日(日)まで。あなたがこれを読む頃には、「第II期 水墨の壮美」(5月13日(金)〜6月12日(日))が始まっている。(ちなみに、この美術館では、展覧会のURLが「present」という刹那的 [;^J^] なものなので、あとから読み返してリンクをクリックすると、(その時点で開催されている)別の展覧会のページに飛んでしまう。困ったものである。こういう美術館がいくつかあり、廃墟通信のバックナンバーを読み返すときの、頭痛の種なのである。[;_ _][;^J^])
本展覧会の最大の目玉は、III期に分けて全巻展示される「伴大納言絵巻」(画像検索結果)である。つまり、3回来い、というわけだ。[;^.^]凸(こういうのを、悪徳商法..いやいや。[;_ _][;^J^])それにしても、群像の描きわけの妙! 多様な表情といい姿勢・動作といい、それらの面白さといい、現代の「漫画」表現の基本は、この時点で完成しているではないか、と、思い知らされる。
「吉野龍田図屏風」(画像検索結果)、冷泉為恭の「雪月花図」。詫磨栄賀の「山越阿弥陀図」(画像検索結果)は、山の向こうから巨人像として現れる阿弥陀のスケール感が見所だというが、つまり、ゴジラか [;^.^]。伝 俵屋宗達の「月に秋草図屏風」(画像検索結果)の空間感覚は、ほれぼれとするほど、クール!
11:35、退出。せっかく有楽町にいるので、駅前のビックカメラへ。まず、モノキュラー(単眼鏡)。展覧会用であるが、現在使っているのは、確か5千円台のもの。十分使い込んだし、もう一段上の視界の広さと明るさが欲しくなってきたので、2万5千円台のモデルにグレードアップする。次に、一眼レフカメラの相談。夏までにはコンデジ(とスマホ)の人から脱却して、一眼レフの人になりたいのである。金に糸目は..もちろん、つける [;^J^]。レンズ込みで100万円、というのは、想定外。しかし、一式10万円以下も、想定外。ここは、「形から入る」というか「値段から入る」。つまり、あえて(自分の実力以上の不相応なものであろうが)高い買い物をする。すると、いくらなんでもそれを遊ばせるわけにはいかないので、必ずや、何がなんでも使い込もうとするであろうからである。(つまり、私の「貧乏性」に、全幅の信頼を置いているのである。[;^J^])なまじ安物を買ってしまうと、結局使わないうちに(たとえばそのジャンルに興味が失せたり、スペックが時代遅れになったりして)捨てるハメになっても、別に惜しくはないからね..(そういう実例が、たくさんあるのである..[;_ _][;^J^])
13:45、実家に帰宅。さっそくモノキュラーを試用してみるが、調子が悪いのか私の眼がおかしいのか、ピント合わせ中、あるいは、少し傾けるだけで、視界に影が拡がったりブラックアウトしたりする。多分、製品の不良ではなく、私の使い方に問題があるのだと思うが、購入したビックカメラにGW中に持ち込んで相談しよう。
下の妹が実家に来訪。夕食を作り、泊まっていく。
目次へ戻る実家前のバス停から7:01のバスで発ち、8:15、国立西洋美術館。「日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展」(〜6月12日(日)まで)である。もちろん、開扉は9:00 [;^J^]。先頭から4人目ぐらいだったが、最終的にはかなりの行列になったようである。
これは..かなりの見応え。都合がつく方は、是非とも! カラヴァッジョ作品では、「女占い師」(画像検索結果)(このタイトルの作品は複数あり、本展に来ていたのは、男が小首を右側(向こう側)に傾げているバージョン)、「トカゲに噛まれる少年」(画像検索結果)、「果物籠を持つ少年」(画像検索結果)、「バッカス」(画像検索結果)、「エマオの晩餐」(画像検索結果)。
盾に描かれた「メドゥーサ」(画像検索結果)が来ていたのには、大感激! そして、世界初公開となる「法悦のマグダラのマリア」(画像検索結果)である! 単に「新発見」という話題性だけの作品ではない。この表情と「闇」(それも単なる「闇」ではなく、その彼方に「光」がある)は、ただごとではない。
私は、ほぼ一番乗りで入館できたので、他の部屋を全て早足でスルーして、「法悦のマグダラのマリア」が展示されている部屋に、一気に直行した。他のお客は順番に観ているらしく、私は5分以上、この絵を(というか、この部屋を)独り占めしていたのである。[^.^] まるで、美術番組のロケみたーい♪ \[^O^]/\[^O^]/\[^O^]/ [;^.^](それから改めて、遡って全展示を観たという次第。)
カラヴァッジョ以外の作品では、オラツィオ・ジェンティレスキの「スピネットを弾く聖カエキリア」(画像検索結果)が、とにかく、かーいい![*^.^*](← 罰当たりな。[;^J^])バルトロメオ・マンフレーディの「ユディトと侍女」(画像検索結果)は、女たちの冷静さが怖い [;*.*]。世が世ならば、保険金殺人を冷徹な計画のもとに実行するタイプである(← どこまで罰当たりな。[;;^.^])
うっかりマークしていなかったのだが、国立西洋美術館内で「描かれた夢解釈」(〜6月12日(日)まで)も開催されていたので、もちろん観ておく。
左図は、ジョルジョ・ギージの「人生の寓意」(「ラファエロの夢」)。昔から大好きな、わけのわからんごちゃごちゃ図像 [;^J^]。とにかく、暇つぶしには最高である [;^.^]。他、ジャック・カロの「聖アントニウスの誘惑」(画像検索結果)は中学生時分から親しんでいる作品。自宅の画集群の中にも、複製が5〜6点はあるはずだが、スキャンの手間を省かせていただく [;_ _]。テニールスの「聖アントニウスの誘惑」(画像検索結果)も、手持ちの画集のどれかに入っていたような気がするなぁ。
11:00に退出。有楽町のビックカメラへ。昨日購入したモノキュラーが使いにくい(もしかして不良品?)、という相談。結果、やはり不良ではなく、仕様。使い方の問題であった。上目遣い気味にして、支えている指を額に当てて固定する。確かに効果がある。相談してよかった。(従来使っていたモノキュラーは長さが短く、この問題が発生しにくかったのだ。)
12:20、ヴァニラ画廊。「人造乙女美術館」(〜5月22日(日)まで)。白昼堂々、18禁の展覧会である [^.^]。ヴァニラ画廊とオリエント工業がコラボしているこの企画、5回目らしい。(知りませんでした。[;^J^])単にラブドールを展示しているのではなく、美術史家・山下裕二氏が監修して、日本美術(の中の美女)をラブドールに演じさせるという趣向がポイント。池永康晟、橘小夢らの作品を演じており、見応えがあった。
なお、基本的にラブドールの展覧会なのであるが、客層の主体は(意外にも?)若い女子である。また、特に日本画を演じていない、ラブドール自体の展示もあり、一体だけは、お触り自由 [;^J^] なのだが、それを、若い女子たちに混じって、平気で撫でたりさすったりできる「鋼(はがね)の神経」こそ、年の功というものである。[^.^][;^.^]
なお、ラブドールの絵葉書が売られていたので、スキャンしてリンクしておく。未成年は、クリックしちゃダメ! 絶対! [^.^](→ きらら、キューティーカレン、沙織パーティーメイク、友美、瞳、栗原まどか)ちなみに、なんとなく誤解されているような気がするが、私はラブドールは所有しておりません。絶対! [;^.^]
12:50に退出し、渋谷へ。13:45、Bunkamuraザ・ミュージアム。「ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞」(〜6月5日(日)まで)である。
想定外の混み方であった [;^.^]。日本人は、浮世絵が好きだなぁ..[;^J^] そして、作品紹介であるが..ここでする必要、あるかなぁ..[;^J^] 前記の展覧会公式サイトの「作品紹介」のページを見てもらえばいいような気がする。[;_ _](← 手抜きをしたいという心の叫びが、届いているでしょうか..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])それに、この展覧会の最大の魅力は、「ボストン美術館所蔵」の「状態が極めて良い」刷りを観られることにある。それは、画像検索結果のリンクや、図録や絵葉書からのスキャンの添付では、表現しきれないと思う。[;^J^]
とにかく見応えのある展覧会である。時間がとれる人は、是非とも!
15:45に退出し、1Fの喫茶店で冷たいものを飲んでひと休みしてから、18:00過ぎ、実家に戻る。
目次へ戻る 実家前のバス停から7:06のバスで発ち、8:30に東京都美術館。「生誕300年記念 若冲展」(前期:〜5月8日(日)まで)なのだが..開扉1時間前の時点で、既に300人は並んでいた [;^J^]。例によって9:30の開館時刻の10分前には入れてくれたが、その時点で、雑な目測だが、800〜1000人。GW中とはいえ、一応は平日なので、これでも一番すいている(はずの)日を選んできたのであるが..「鳥獣戯画展」に匹敵する、大惨事 大人気である [;^.^]。もはや若冲は、ここまでのポジションに登りつめていたのか..再認識した。
若冲の展覧会は多数開催されているが、その全てにこれほど観客が殺到しているわけでは、もちろん、ない。今回は、特別なのである。「動植綵絵」全30幅+「釈迦三尊像」3幅の同時公開、及び、83年ぶりに発見された「孔雀鳳凰図」、という、これだけでもお腹いっぱいというか、語弊を恐れずに言えば、若冲マニアならば「発狂もの」の品揃えなのである。これだけ並んで当たり前。私が甘かった。[_ _][;^J^]
とにかく、物凄いラインナップなのである [;*.*]。箸休めが無いので、疲労困憊 [;_ _][;^.^]。いちいち紹介しきれないので、以下、ほんの抜粋である。
「動植綵絵」(画像検索結果)は30幅あるので、まとめて検索したったわ [;^.^]。そして、83年ぶりに発見された「孔雀鳳凰図」(画像検索結果)。
「竹虎図」(画像検索結果)は、竹の葉の表現が素晴らしく、「月に叭々鳥図」(画像検索結果)は、とにかくフォルムが面白い。まるで、最新鋭の戦闘機のような..「乗興舟」(画像検索結果)は、3日前にも紹介したな。そして、「百犬図」(画像検索結果)、「象と鯨図屏風」(画像検索結果)、「虎図」(画像検索結果)、「鳥獣花木図屏風」(画像検索結果)..これはもう、なんという..これはもう、なんという..まさに、この展覧会の惹句どおり、「ひと月限りの、この世の楽園」である!
悪いことは言わないから、これは観とけ! 5月24日まで! 入館の待ち時間は長いが、入館してからは、そんなにすし詰めというわけではない。(すし詰めにならないように、入場規制をかけているわけなのだからね。)例えば、最大の目玉である「「動植綵絵」全30幅+「釈迦三尊像」3幅」は、広い(円形の)部屋の壁沿いに囲むように並べて展示されており、かつ、順路があるわけではない。どれから観てもいいのである。そして、33幅もあれば、必ずどこか、隙ができる..というか [;^J^] 人波の薄い箇所が出来る。部屋の中央付近でレーダー探知機と化し、空いている(あるいは人の壁が薄い)作品を攻撃すればいいのである。(なんの話だ。[;^J^])
11:30に、退出。この時点で、100分待ちの看板。[;^J^]
11:45に、国立科学博物館。「恐竜博2016」(〜6月12日(日)まで)である。
こちらは、さすがに(ある程度)すいていた。(大人は有休とれるけど、子どもは学校を簡単には休めないからね。[;^J^])今回の目玉は、なんといっても、最大級のティラノサウルス(「スコッティ」)(全長12m)と、最大級の肉食恐竜・スピノサウルス(全長15m)のツーショット。さらに、スピノサウルスについての新知見(おそらく水棲。おそらく四足歩行)、幼児恐竜の化石など、なかなか見所が多い。
13:30に退出。僅かにポツ雨。15:35、実家に戻る。
帰宅してから集合写真を撮ったので、載せておく。ダイオウイカのダイちゃんと、縄文のビーナスちゃんは、前から実家に居た子たち。猫又ちゃんは、昨日、「俺たちの国芳 わたしの国貞」展で保護してきた、国芳の猫又(落書き仕様)。スピノくんとティラノくんは、今日、「恐竜博2016」で、保護。
第10回である。(これまでのラインナップ:「幻想美術選」)
メジャー → マイナー → メジャー → マイナー、というパターンがあからさま過ぎても面白くないので、崩しにかかる [^J^]。つまり、超メジャー画家の(多分)マイナーな作品、というわけである。この絵、ご存知かな?
ダリの作品の「幻想絵画」呼ばわりには、その筋のモノども(私も含む [;^J^])からは一言も二言も三言も四言もあろうが、そんなのにいちいち耳を傾けていると話が先に進まんので [^.^]、ここでは雑に「幻想絵画」というレッテルで括(くく)らせていただく。[;^J^]
ごく初期の修行/模索時代を過ぎて、いわば、ダリがダリになってから以降は、彼の作品は、全て幻想絵画であると言っても過言ではない。それも、「記憶の固執」、「ナルシスの変貌」、「内乱の予感」、「秋の人肉食」、「アフリカの印象」、「目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢」、「ポルト・リガトの聖母」、「最後の晩餐」、「十字架の聖ヨハネのキリスト」、「磔刑(超立方体的人像)」、「ティトゥアンの大会戦」、「幻覚素の闘牛士」、「ガラ酸とダリ酸のデオキシリボ核酸」、などなど、挙げても挙げてもキリがない。派手な仕掛けに彩られた、重量級の「幻想絵画」の大傑作の大山脈である。
それらの中で、この「幻の馬車」..(バリエーションというか、同様の作例はいくつかあるのだが)いかにも地味で、マイナーである。しかし、ことさら「通ぶって」みせているわけではない。私が愛するダリ作品の、トップ5とはいわないが、トップ10に確実に入っているのは、嘘偽りのないところである。
諸星大二郎の傑作中編「失楽園」は、数多くの名画を引用していることでも知られている。「地獄の門」(ロダン)、「海の幸」(青木繁)、「十字架を担うキリスト」(ボッシュ)、「快楽の園」(同)、「アテネの学堂」(ラファエロ)、「最後の晩餐」(レオナルド・ダ・ヴィンチ)、「モナリザ」(同)、「不安なミューズ」(デ・キリコ)、「着衣のマハ」(ゴヤ)、「晩鐘」(ミレー)、等など..そんな中で、この「幻の馬車」だけは、複数回、引用されている。(他の作品は(舞台として借用した「快楽の園」を除けば)1回のみ。)つまりやはり、「幻想系」の人には「刺さる」のだ。この絵画は..
ふと、不安にかられることもある。これは本当に「幻想絵画」なのだろうか..なにか「超現実的」な事象が生起しているのだろうか..ただの風景画なのかも知れない。これが「幻想絵画」であることを担保しているのは、そのタイトル(「幻の馬車」)だけなのである。砂漠の中に蜃気楼のごとく現れた町に向かう馬車..馬車が「幻」なのか、町が「幻」なのか、あるいはその両方か..
絵の上端と下端の「陰」は、薄目を閉じたときに睫毛(まつげ)(と瞼(まぶた))が視界を狭めているようにも見える..(ここから、「リング」の最重要アイテム、「リングビデオ」を想起するのは、私ぐらいのものかも知れないが..[;^J^])
目次へ戻る昔と異なり、連休最終日は無理をしない。どこにも寄らず、実家前のバス停から9:01のバスで、新横浜経由で浜松に直帰。12:20、帰宅。連休中の録画の処理とか読書の続きとか昼寝とか、のんびり骨休めをしていたら..今年最大のバッドニュースが..
..冨田勲、逝去。(5日に亡くなっていたらしい。)慢性心不全。享年84歳..
夜、知人からのメールで初めて気がつき、さすがに動転した。それは確かに、大往生と言うべきなのだろう。彼の年齢は知っていたのだから、心構えが出来ていなかった方が問題だとも言える。しかし..しかし..本当に、毎週毎週、次から次へと..[;_ _][;_ _][;_ _]
私の人生が、かくある原因を作った、最大の犯人..じゃなくて [;^J^] 功労者は、間違いなく、冨田勲である。(ベルリオーズでもマックス・エルンストでもA.C.クラークでも手塚治虫でも、吾妻ひでおでもなく。)彼と彼の音楽が存在しなければ、私が電子楽器メーカーに勤めることはなかったし、音楽に対するスタンスや感性(← なんとも薄い言葉で、我ながら情けないが)も、全く変わっていたはずだ。美術や文学のレセプターにも甚大な影響を及ぼしていると思う。私がどのような人生を歩んでいたか、本当に、想像もつかない。
その、「人生の転回点」は、はっきりと憶えている。
1974年のことか75年だったかは曖昧なのだが、高校の昼食(弁当)の時間、放送委員会が、BGMを流していた。だいたい、みんなわいわいがやがや喋っていて、真剣に聴いちゃいないのだが、ある意味それを逆手にとって、放送委員が自分の趣味のレコード(CD出現以前の時代だよ)を勝手にかけていたわけである。(考えてみれば、羨ましいポジションだった。)そんなある日、聴いたこともない音色で奏でられるドビュッシーの音楽が、教室のスピーカーから流れてきたのである..仰天した私は放送室に駆け込み、「いったい、いま流れているのは、なんだ!」
そのとき、黒いロングヘアーの、小柄でちょい美人な放送委員が、してやったりという顔(当時の横浜には「ドヤ顔」という言葉はなかったと思う)で、胸の前にかかげてみせたのが、あの、ドビュッシーの横顔のジャケット。冨田勲の「月の光」だったのである..(..あー、言わずもがなだが、彼女とは、その後まったく何もなかった。これはラノベやマンガではなく、現実の話であるので、そこんとこ、わきまえるように。[;^J^])
その後、大学生になって、秋葉原のローランドスタジオに入り浸って常連になっていた私が、「冨田勲を囲む会」という内輪のイベントに呼ばれて、舞い上がってすっ飛んでいったときの想い出話などは、省略しよう。(捜せば写真もあるはずだが。)彼の音楽あるいは音楽性に、常に満足していたというわけではないし、この廃墟通信でも、彼の(大規模イベントの)ライブCDを、かなり強い言葉でディスったことがあるはずだ。それもこれも(言うまでもないことだが)「ディスるに値する存在」だったからである。(そうでなければ、単に無視する。)近年も、初音ミクとの共演など、とにかく意欲的に活動を続けていた。(だから、油断していた..訃報が不意打ちだった、ということは、ある..)
..心の底からの感謝とともに、合掌..[_ _][_ _][_ _]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: May 14 2016
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