2012年02月06日:冬になると、美人が増える [^J^] 2012年02月07日:不安定な時間 [^.^] 2012年02月08日:アレルギー検査とMRI 2012年02月09日:まったく眠れず [;*.*] 2012年02月10日:画集を3冊 2012年02月11日:DVD−RAM/DVD−R保全計画第II期 2012年02月12日:快晴 → 引き篭もり → リストのメンテ [;^.^]目次へ戻る 先週へ 次週へ
なぜなら、マスクで顔の大半を隠すから。[^.^](← 男子なら誰もが思っている本音なんですよ。[;^.^])
女性看護師や女医が美女揃い [^.^] なのも、原理は同じである。花粉の季節にも同じく美人が増えるのだが、冬場ほどにはマスク装着率が高くないので、自動的に美人の数は減る。[;^.^]
今朝は雨。自動車出勤。帰路、月いちのO内科。
目次へ戻る早朝、風雨が強い。無論、今日も自動車出勤である。とはいえ、会社に着いた頃には小止みになっていたが。昨夜から雨雲に覆われているおかげで比較的暖かいのは、助かる。
今年の年初から(部署は異動していないが)勤務する部屋が変わった関係で、朝のラジオ体操をする場所が変わり、体操中、窓越しに隣の棟でラジオ体操をしているOLたちが(ブラインド越しに)見えるようになった。気になるのは..スピーカーから流れる音楽と、全く同期していない人がいることである [;^J^]。隣の棟とはいえ、全館一斉放送なので、彼女らが聞いている音楽のタイミングは、私が聞いているタイミングと同じはずである。体育会系の会社ではないので、いい加減な体操をしている社員は珍しくないのだが [;^.^]凸、それにしても彼女らのずれ方は、度を過ごしていると思う。
耳から入ってくる音楽に対して、ここまでずらして体を動かすのは、逆に困難ではなかろうか..となると、音楽自体は(総務に設置されている)装置から隣の棟にも「同じ時刻」に放送されているのだから、考えられる結論はひとつである。隣の棟とは、「異なる時間が流れている」のである。例えば「10月1日では遅すぎる」(フレッド・ホイル)的な? [^.^] ..などと、場所柄もわきまえずに得々として語ったりするから、SFファンは疎まれるのである..[;_ _][;_ _][;_ _]
..ま、それはそれとして [;^J^]。「10月1日では遅すぎる」においては、地域によって「時代」レベルで時間が異なるので、高々、秒のレベルで時間がずれていると思われる今回のケースに適用するのはいかがなものか..と、こうるさいオールドSFファンは(これまた得々として [;^.^])突っ込んでくるだろうが、実はこの小説は、時間理論テーマSFであると同時に、音楽論・演奏論の開陳にバランスを逸して重きが置かれている、ほとんどこちらが主題ではないかとすら思える作品なのであり、私の勤務先が電子楽器メーカーであることと、巧妙にかけて引用しているのである [^.^]。特に未来社会の章における下記のくだりなど、1966年の時点で、現代の(電子)音楽シーンの様相を的確に予言しているとしか言いようがない。「かなり前から、この社会では楽器を演奏するものはいないのではないかと考えはじめていたのだが、それは事実だったのである。エレクトロニクスの技術を応用すれば、音楽を作ることはたやすい。だから熟練した演奏をしようにも、それにどうしても必要な長年月の練習に耐える動機が人びとに欠けているのだ」..[;^.^][;^.^][;^.^]
目次へ戻る午前半休取得済み。8:40に自宅を出て、自転車で750メートル先の浜松医療センターへ。予約していたMRI検査である。
MRI検査を受けるのは確か2回目か3回目で、数年ぶり。前回は肩だったが、今回は耳(というか頭蓋)である。30分もかからないのであるが、ヘッドフォンから流れてくるノスタルジックなオルゴールの響きと、それに唐突に被さってくるゴゴゴゴゴゴゴゴゴッとか、ドッドッドッドッとか、ガガガガガガガガガガガガガガガガッとか、ゴンッゴンッゴンッゴンッとかの騒音とのコンビネーションが、妙に音楽的で面白い。[^J^](← そういう種類の音楽もあるんだから、引かないでくださいよ。[;^.^])
そのあと、診察。今回のMRI検査の(詳細な)結果はまだだが、前回おこなったアレルギー検査の結果は出ていた。なんと、「スギ」と「カモガヤ」と「ガ」と「ハンノキ(属)」が 妖精 陽性である [;_ _]。アレルギーなど無いと思い込んでいただけに、微妙にショック [;_ _]。それにしても、「ガ」が意外。自宅内はもちろん、玄関前の常夜灯に蛾が集まってくることすら無いのだが..もしや私の就眠中に、いずこから入り込んできた毒蛾たちが、私の頭上で舞い踊り、毒の粉を降り注いでいるのだろうか..(← それだと、怪奇大作戦 [;_ _](← 「MRI」と「SRI」を、巧妙にかけているのである [;^.^]))
昼から(自転車で)出社。往路も帰路も風が強く、飛ばされそうになり、恐いこわい..[;_ _]
目次へ戻る昨夜(というか今朝)は(廃墟通信の更新のために)3時まで起きていたのだが(← このこと自体の(健やかな生活という視点からの)是非はさておくとして [;^J^])、その後、妙に目が冴えてしまい、フトンの中で悶々としたまま、朝まで一睡もできなかった [;_ _]。確かに、22時頃から30分ないし最大1時間弱、居眠りした可能性はあるのだが、ほとんど徹夜の仕儀と相成ったのは、久々である..[;_ _]
今日も風は強めだが、昨日よりはよほどマシ。[;^J^]
目次へ戻る今夜はネタが無いので、先月読んだ画集の記録を、読書記録DBから貼り付けてお茶を濁す。(ほぼ、抜き書きのみである。)
「神秘なる挿絵画家 エドマンド・デュラック」(海野弘、マール社)デュラックの画業の全貌を見渡せる。14頁の「黒の島々の王の物語」のイラストの背景、飾り格子越しの隣室からの光は、高層ビルの夜景のようにも見える。実に幻想的な傑作。「優美と幻想のイラストレーター ジョルジュ・バルビエ」(海野弘、パイ インターナショナル)
比較的不案内なイラストレーターであった。アール・デコ期の文化のサンプルとして、座右に置く。「プラド美術館所蔵 ゴヤ − 光と影(展覧会図録)」(村上博哉、読売新聞社文化事業部編、読売新聞東京本社)
「このような物語、文学的なファッション・イラストは、1920年代半ばぐらいまでしか続かなかった。やがて写真がイラストに代わっただけでなく、芝居がかった思わせぶりなポーズも時代遅れになった。その変化は映画のサイレントからトーキーへの変化に並行している。サイレント映画では目や顔、身体でのオーヴァーな演技が必要であり、字幕が必要だが、トーキーでは自然な、日常的な演技でないとおかしい」(22頁)
展覧会自体は、1月21日に観ている。目次へ戻る
「18世紀のうちに制作された版画集のタイトルが、想像力や空想に結びつけられる<カプリーチョス>であったことは偶然ではない。ところが、戦後の暗い時代を迎えると、ゴヤは次なる新しい版画集のために、<妄>という、狂気や精神錯乱に関係する陰気な言葉を用いた。そして、それらの作品の登場人物たちは、不条理への歩みを進める。<ロス・カプリーチョス>においてはつねに、起こっている出来事の理由を見つけることができた。そこに描かれていたのは、無知、迷信、欲求、強欲がもたらす不公正な状況の原因と結果であった。しかし、<妄>においてゴヤは、それまで探求されていなかった、ある可能性を発見した。すべてのもの、人間とその行動、さらには人生までもが、本当にいかなる意味ももたないことがありうるという可能性である」(27頁)
「ゴヤの世代に、彼ほど劇的な発展の過程をたどった画家はいない。スペイン人画家のなかにはもちろん、一人として、ゴヤのような進歩の過程をたどった者はおらず、他のヨーロッパ諸国の画家たちのなかにさえも、同じような道を歩んだ者を見つけることはできない。ゴヤという人物は、ほぼ同時期にベートーヴェンが音楽においてそうしたように、その時代の芸術を支配している諸規定の多くを破壊した芸術家である。二人はともに、古典主義から、既存の諸規範との決裂へといたる道を歩んだ芸術家であり、ゴヤはその諸規範との決裂を、技術と主題選択の両面において成し遂げたのである」(28頁)
「<ロス・カプリーチョス>が制作されたのは、王権が貴族や高位聖職者との対決姿勢を示した時期と重なっている。ゴヤの思想傾向は、聖職者、貴族、民衆という最も保守的な階層と対立していた君主政体やゴヤ自身の啓蒙派の助言者、教養あるエリート層と、目的を一にしていた。18世紀最後の10年間は、啓蒙派の人々が抱く刷新への強い願望と王権の政治的利害が一致した時であった。そして、「気まぐれ」の普遍性を示し、画家の創造的自由を主張するという二重の意味をもつ<ロス・カプリーチョス>もまた、彼らの関心事を共有しているのである」(129頁)
「ここで、厳密な意味で諷刺的な、あるいは皮肉なものと、グロテスクなものの間には、微妙な違いが存在するということを強調しておきたい。というのも、諷刺が現実を意識的に誇張すること、教化的意図をもってデフォルメするのに対し、グロテスクなものは現実世界が内包する否定的なものを明らかにするからである。<ロス・カプリーチョス>の諷刺的要素には、17、18世紀ヨーロッパの美術および文学の伝統のうちに先例が存在したであろう。一方、グロテスクなものは、近代性の先駆けであった。啓蒙思想に即した改革の意図をもって人間の振る舞いを嘲ることと、社会の基盤にある価値体系の悪辣さを暴き出すこととは同じではない。前者には諷刺で十分だが、後者はグロテスクなものを必要とする。諷刺は肯定的な価値であり、その目的は観者の笑いを誘うことである。それに対して、グロテスクなものは否定的な価値であって、その存在は内省へと導く」(141頁)
「女性は、このシリーズ(「戦争の惨禍」)の多くの版画を通して、戦争に取材した視覚表象の歴史において初めて主役の地位を獲得したのである」(186頁)
録画済みDVD−RAM/DVD−Rの保全計画は、緊急の案件を概ね片付け終わっていて、いわば第I期が完了している状態である。緊急の案件というのは、「再放送される可能性もソフトとして販売される可能性も(ほぼ)無い(くだらない)バラエティ番組」や「5年後、10年後にも“すぐに”参照したくなる可能性がある(すなわち、手元/自室内に存在している必要がある)資料価値の高い(主としてサブカル系の)ドキュメンタリー番組」などである。
何度も書いていることであるが、メジャーな映画や、評判が高いTVドラマは、将来にわたって、いつでも手に入る(再放映/販売され続ける)ので、わざわざ手間暇かけて個人で保全する必要はない。これらの中間の、「緊急性や切実性は無いが、将来にわたっていつでも手に入るというわけでも無い」、というジャンルの録画が、もちろん一番多いわけである。別に暇だというわけでもないが、ぼちぼちここを、崩していくか..
..と、7年前から3年前にかけてDVD−Rに録画した、NHKの「探検ロマン世界遺産」シリーズを調べてみたら..どうやら、手遅れだったらしい [;^J^]。とりあえずサンプルとして7年前の第1回の録画と3年前の最終回の録画を調べてみたのだが、両方とも(録画した)RD−X5では再生できるものの、BDレコーダー(DMR)にかけてみたら、第1回の方は認識しない。最終回の方は、認識/再生できる..そしていずれも、PCのDVDドライブでは、認識しない..
..まぁ、個人的にそれほど貴重な(思い入れのある)録画じゃないから、いいけどね [;^J^]。「美術系」「旅系」「サイエンス系」などの録画を、ぼちぼちチェックしていくか..
晴れているので、10:30から13:30頃まで、湯風景しおり。陽射しは暖かいのだが、寒風はまだまだ強い。時代舎(古書肆)で画集を1冊買い、14:10に帰宅。
目次へ戻る快晴だが引き篭もって、根を詰めた作業に没頭する。[;^J^]
私自身、手塚治虫の作品リストを作成&メンテしているのだが、世の中にはこの種のサイトはいろいろある。中でも傑出しているのが、「手塚治虫のすべて(encyclopedia of Osamu Tezuka)」である。厖大な情報量はもちろん、非常に丁寧なリンクが縦横に張られていて、インデックスとして使い勝手が良いのである。
このサイトの作品リストの情報は、とっくの昔に、当方の作品リストに反映させていた..と、思い込んでいたのだが、ふと思い立って、少しチェックしてみたところ、それがただの思い込みであったことが判明した [;^J^]。おっかし〜な〜〜〜..[;^.^][;^.^][;^.^]
..となると、やるべきことは、ひとつである。私が作成している作品リストと、「手塚治虫のすべて」の作品リストは、いわばベン図の関係にあるのだが、「手塚治虫のすべて」の作品リストのコンテンツをひとつひとつピックアップ(クリック)して、私のリストにあるかどうか確認し、無ければ、追加作品リストにアペンドしていくのである。当たり前だが、つまり、手塚治虫の全作品数とほぼ同じ回数、クリック&チェックすることになるのである。
かなりの数なのである。[;_ _]
かなりの数なのである。[;^.^]
今日のところは、全体の三分の一ぐらいしか終えられなかった。追加作品リストが完成したら、次にこれらがどこの図書館に収蔵されているか捜索し、図書館別に閲覧予定(あるいは北海道立図書館のような遠隔地の図書館の場合は複写依頼予定)を組み立て、収蔵されている図書館が見つからない作品や、データが曖昧で、そう簡単にはみつけられそうもない作品については、別途、捜索プロジェクトを起こさなければならない..
..なんとまぁ大変な作業を、ご苦労様なことよ..と同情されるかも知れないが、実は、こういう作業を行なっている時間が、一番幸せなのである..[;^.^][;^.^][;^.^][;^.^][;^.^](どうでもいいこだわりだが、「時間」と書いて「とき」とルビを振るの、嫌い。[;^J^])
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Feb 16 2012
Copyright (C) 2012 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]