*2011年09月12日:国会図書館/日本科学未来館/ベルリオーズ「ロメジュリ」
*2011年09月13日:自由のために..
*2011年09月14日:「屍衣の花嫁」
*2011年09月15日:4000キロ越え
*2011年09月16日:寝汗地獄 [;_ _]
*2011年09月17日:セガンティーニ展/ルドンとその周辺展
*2011年09月18日:しおり/献血/布団乾し
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*2011年09月12日:国会図書館/日本科学未来館/ベルリオーズ「ロメジュリ」


 実家前のバス停から7:54のバスで発つ。国会図書館入りは、開館10分後の9:40。

 昨日の多摩図書館同様、Nさんからいただいた情報関連の調査がメイン。ちょっと意外だったのは、

フライシャーと私の漫画(77/04/30 東京・お茶の水・全電通ホール)(講演)::6:FILM 1/24 第16・17号:77/06/10

 ..これは完全に見落としていた。「FILM 1/24」誌には、ひととおり目を通していたつもりだったが、勘違いだったらしい。今日はもうこれ以上時間が取れないので、後日、改めて絨毯爆撃しなくては。

 12:40頃に退出。永田町から豊洲に出て、ゆりかもめで「船の科学館」に13:40に着いた時点で、休館日であることが判明 [;^.^]。私はどうも、ここと相性が悪いなぁ。閉館日に来てしまったのは、これで確か3度目である。[;_ _][;^J^]

 この4.5連休のプランを事前に(精緻に、高密度に)組み立てていた時点では、ここが月曜日休館であることはもちろん把握していて、日曜日にアサインしていたのであるが、先週の日記に書いた事情で土曜日の午前中が使えなくなり、急遽(まさにパズルを解くがごとく)予定を組み替えた時点で、月曜休館、という情報が落ちてしまったのだった。(本来の手順をすっ飛ばさざるを得ない)突発的な緊急変更時に、情報が欠落する..これは、規模の大小に関わらず、システムやプロジェクトが瓦解するときの典型的なパターンである。おそらく原発事故も、このような成り行きだったのだろう..て、すまん、思わず朝礼のシナリオを組み立ててしまった。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 ..えーと、いずれにせよ、転んでもただでは起きないよ [;^.^]。直ちに転進。13:50に徒歩5分先の 日本科学未来館 へ。グッドタイミングと言うべきか、「メイキング・オブ・東京スカイツリー ―ようこそ、天空の建設現場へ―」展が開催されていたので、見学する。これは非常に面白い。都合がつく方には、一見をお薦めする。(10月2日まで。)改めて驚いたのは、施工期間の短さと、鉄骨塔の2万5千ものパーツのサイズが「全て異なる」ことである。もう少し、標準化できなかったものかと思うが [;^J^]、しかし、不規則な形の土地の上に、足元は三角形、上部は円形、という構造物を組み立てるのだから、これはもう、やむを得ないことだったのであろう。

 16:50頃退出。ゆりかもめで新橋に出て、17:55に、サントリーホールの向かいの、AUX BACCHANALES(大馬鹿なれ? [;^.^])へ。ジントニックと軽食で、時間調整。18:30の開場に10分ほど遅れてサントリーホールへ。読売日本交響楽団の定期演奏会である。

ベルリオーズ/劇的交響曲〈ロミオとジュリエット〉作品17
指揮:シルヴァン・カンブルラン
メゾ・ソプラノ:カタリーナ・カルネウス
テノール:ジャン=ポール・フシェクール
バス:ローラン・ナウリ
合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:三澤洋史

 私が所有している、この曲の数多くのCDと比べて、格別の名演奏だったかと問われると、そういう印象は受けなかったと答えざるを得ない。しかし、実演(演奏の現場)の空間にいることによって、CDの再生ではときに聴き取りそこなうことがある、この曲の「マジック」に気づかされたのは、事実である。やはりこれが、実演の値打ちなのだ。

 それは、この音楽の「尋常ならざる幻想性」である。

 私がなぜ、この異形の作品に惹かれているのか、改めて認識した次第であった。ベルリオーズの「ロミオとジュリエット」は、「幻想音楽」の一大傑作であったのだ。

 多くの読者は、この作品に疎いであろう。もしもお暇なら、拙文(「新・ベルリオーズ入門講座 第5講 ロメオとジュリエット」)を読んでいただけると話が早いのだが [;_ _]、どなたもご存知のシェイクスピアの原作の音楽化。ただし、単純な歌劇/音楽劇化ではないし、ストーリーを追っているとすら言いがたい。とはいえ、いくつかの印象的なシーンを接続したもの..と整理してしまうと、この曲の本質が欠落してしまう。

 夢のような(悪夢のような)ムードが、全編を覆っているのだ。

 何よりも異常なのは、いちおう男声と女声のソリストがいるのに、彼らが主役に当てられていないことである。終曲には、準主役の神父(バス)が登場するが、テノールは端役も端役のロメオの友人に過ぎず、メゾ・ソプラノに至っては、いわばナレーターである。原作に登場するその他の主役たち、大勢の(重要な)脇役たちには、ひとりも声をあてられておらず、それどころか音楽劇の中に存在しているのかどうかすら、おぼつかない。

 まるで、(秘やかに演じられる)影絵劇のようだ。

 特に重要なのが、全編の音楽的な中心である「キャピュレット家の宴会」と「愛の情景」が、いずれもインストゥルメンタルナンバーであることである。チャイコフスキーの「幻想序曲“ロメオとジュリエット”」のような、声楽抜きの純然たる管弦楽曲ならばともかく、声楽入りの作品において敢えて声楽抜きであることにより、「黙劇」「影絵劇」的な印象が圧倒的となる。(さらに言えば、後者(愛の情景)には、「舞台裏の声楽による導入部」がついているだけに、いっそう、本編の「沈黙」が際だつことになる。)とどめは、「キャピュレット家の宴会」と「愛の情景」を、同じく管弦楽曲の、幻想的な「マブの女王のスケルツォ」がフォローして、いわば中間部の「管弦楽曲3部作」を構成していることである。この精妙なスケルツォ自体の幻想性・幽幻性もさることながら、原作では僅かに触れられるだけの、まさに枝葉も枝葉のエピソードに、これだけ重要な役割を与えるという際どいバランス感覚こそが、「夢の論理」にほかならない。

 21:00終演。有楽町に出て、足の向くままに彷徨った末、「銀座INS」という建物の中の「PUB BULLDOG」に時間調整のために腰を落ち着けたのが、21:50頃。カクテルを飲みながら、国会図書館での調査データをリブ100に入力する。

 23:15に閉店。東京駅に向かい、23:50に八重洲口を発つ高速バス(ドリーム静岡・浜松号)に搭乗。

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*2011年09月13日:自由のために..


 ドリーム静岡・浜松号は、定刻どおり、6:00に浜松駅前バスロータリーに到着。6:35に発つ舘山寺方面への始発バスで、7:00に帰宅。連休中の予約録画の処理(再生(内容確認)とかBDへの保存とか削除とか)などしつつひと休みして、昼前に出社。

 9月11日の日記に書くのはオトナの態度で憚ったことを、2日遅れで書いておく。(腹膨るるのも、業腹なのでね。)

 9.11の犠牲者を悼むのは、いい。

 しかし彼らを、「自由のために戦った、尊い犠牲者たち」、と称揚するのは、いかがなものか。言いたくはないが、これが合衆国の、一番イヤなところなのだ。「フリーダム」が、万能のマジックワードだと思っているのだ。

 思考実験をしてみよう。

 たまたま私が、あの日、あのビルの、展望レストランでくつろいでいたとしよう。

 そして、突入する旅客機に、殺されたとしよう。

 ..断言するが、私は、「自由のために戦って死んだのではない!」

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*2011年09月14日:「屍衣の花嫁」


 先日の日本SF大会で買ってきた、「屍衣の花嫁」(平井呈一訳編、1960、東京創元社、世界恐怖小説全集 12)を読了した。

 「世界恐怖小説全集」は、名高い怪奇小説叢書であり、そのラインナップたるや、「吸血鬼カーミラ」(レ・ファニュ)、「幽霊島」(ブラックウッド)、「怪奇クラブ」(アーサ・マッケン)、「黒魔団」(デニス・ホイートリ)、「列車081」(マルセル・シュオッブ/他)、「蜘蛛」(エーヴェルス/他)等など、まさに目も眩まんばかりの暗黒の輝きを放っているのだが、その最終巻である「屍衣の花嫁」は、世界怪奇実話集である。

 第I部は(私は実話系には疎いのだが)歴史的に有名な幽霊譚(幽霊屋敷譚)が名匠の鑑識眼で集められているようで、資料的にも手元に置いておく価値はあろう。怪異の実態自体は、古めかしく感じられるものが多いが、それも時代性故の面白さである。第II部ももちろん実話系なのだが、第I部が記録風だったのに対して、実話小説の形を採っている。「死神」「女好きな幽霊」「画室の怪」「貸家の怪」「石切場の怪物」などに、特に興趣を覚えた。第III部は、19世紀の合衆国で起きた「ベルウィッチ事件」の真相を、精神分析学者が推測するというものであり、この種の論考のサンプルとしての価値があると思う。

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*2011年09月15日:4000キロ越え


 自転車の走行距離が、4000キロを越えた。(危うく忘れるところだったが、来月10月2日が、購入一周年記念日である。シャンパンでもぶっかけようかな [;^J^]。後始末が大変だけどな。[;^.^])

 数日前に、ふと思いついてサドルの高さを調整したところ、格段に走りやすくなった。つまりこれまで、サドルが低すぎたのである。無論、「サドルに乗り、ペダルに土踏まずをのせて一番下まで回したときに、膝がのびきる高さ」ということは承知しており、そうしていたつもりだったのだが、やはりまだ膝が十分に伸びていなかったのである。また、この高さだと、停車時にサドルに乗っていると地に足がつかないので、当然、サドルから降りてトップチューブに跨ることになるのだが、このとき、リュックをサドルに乗せて肩を休ませることができるのは、なかなか快適である。[;^J^]

 しかし、もう1年にもなるというのに、自分でまともに整備できないのは、情けない限りである。まだ、パンク修理をしたこともないのである。この週末の三連休にでも、整備の練習をすることにしようかな..(タイヤに釘で穴を開けたりして。[;^.^])

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*2011年09月16日:寝汗地獄 [;_ _]


 もともと汗っかきな体質である。人一倍、汗をかく。特に、額の両端のこめかみより数センチ上と、両耳の真後ろ2センチほどの場所からは、穴でも開いているのか、ダラダラダラダラと、飲料水に出来るほど流れ出す..(← 誇張度当社比30% [;^.^])気温の高い日にちょっと外出したり、自転車に乗ったり、肉体労働したりしただけで、後頭部がシャワー上がり直後のような状態になる..しかしまぁ、交換用のハンカチやタオルの携行を忘れなければ、さほど鬱陶しいわけでもない。要は、慣れである..

 ..が、先週あたりから、事態がかなり深刻化している。安眠できないのである。あまりに寝汗が酷すぎて。[;_ _]

 とにかく、枕の濡れ方が尋常ではないのだ。後頭部から流れ出す汗が、枕のみならず(寝相の悪さ故に頭部が枕からこぼれたときは)敷布団や、ときには掛け布団まで、ぐっしょりと濡れる。そうでなくとも睡眠が浅く、夜中に何度も起きては二度寝、三度寝を繰り返す体質なのだが、起きた時点でこの始末なので、二度寝どころではなく、枕カバーやシーツを交換し、乾くまでは枕が使えないので布や衣類を丸めて代用品を作り、頭部のみならず全身の汗を拭き取り、寝巻を交換するなど、大わらわ。それでも再び眠れば同じことが繰り返されるのは明らかなので、眠りたくもなく、といって、起きているわけにもいかず、せめてもの自衛作として、枕(あるいは代用品)にタオルを何枚も巻きつけて、いくらかでも発汗を抑えるためにエアコン(冷房)の設定温度を思い切って低くして、それでも、次に目が覚めたときには、枕もタオルもシーツも寝巻も、またしてもぐっしょりと濡れている..冷房をきつくするにも限度があり、風邪をひいてしまっては、元も子もない..

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*2011年09月17日:セガンティーニ展/ルドンとその周辺展


 7:52に自宅を発ち、9:51に静岡着。駅前の 静岡市美術館 の開館時刻の10時に入り、「アルプスの画家 セガンティーニ −光と山−展」を観る。

 私は従来、セガンティーニといえば、幻想絵画のアンソロジー(画集)にしばしば収録されている「邪悪な母」(画像検索結果)や「逸楽の懲罰」(画像検索結果)などの系列の作品を描く「幻想画家」として認識していたのだが、この展覧会のポスターの「アルプスの真昼」(画像検索結果)の、晴れやかで清清しい世界に虚をつかれ、そうか、本領はこちらであったのか..と、観に来た次第である。前記「アルプスの真昼」のほか、「羊たちへの祝福」(画像検索結果)、「羊の繊毛」(画像検索結果)、「わがモデルたち」(画像検索結果)、「水を飲む茶色い雌牛」(画像検索結果)など。幻想系の作品としては、「生の天使」(画像検索結果)や「虚栄」(画像検索結果)などを堪能した。

 11:30に退出し、11:45に、静岡駅構内(ASTY静岡)の「万豚記」で昼食。(前回もここを利用し、なかなか美味かったので。)真昼間から老酒を飲りながら [;^.^]、蒸し鶏バンバンジーと担々辣餃子(いずれも一品料理)。量的には大体足りていたのだが、担々辣餃子の後味を老酒だけで洗い流すのは難があるので(もう1〜2杯、必要になるので [;^J^])、ここは無難にチャーハンで〆よう、と、玉子レタス炒飯を頼んだら、これが大間違い [;^.^]。いや、味にはなんの問題もなく、美味しかったのだが、その量たるや、わたしの基準では完全に2食分(以上)[;^.^]。それでも空腹時ならなんとかなるが、既に2品(+老酒)で、そこそこ腹くちくなっているのである。腹に詰め込むのに、30分かかった。[;_ _][;_ _][;_ _](「残す」ということが、心理的に不可能な体質でしてね。[;^J^])

 13:04のJRで14:15に浜松に戻り、引き続き、バスで 浜松市美術館 へ。「岐阜県立美術館所蔵 ルドンとその周辺展 〜夢見る世紀末〜」である。

 ルドンは、私の故郷のひとつである。私の音楽鑑賞人生の起点にいるのは、ビゼーの「アルルの女組曲/カルメン組曲」(クリュイタンス指揮)、ベートーヴェンの「交響曲第3番」(フルトヴェングラー指揮(ウラニア盤))と並んで、ベルリオーズの「幻想交響曲」(ミュンシュ指揮)なのだが、同様の意味で、絵画鑑賞人生の起点にいるのが、ドラクロワ(特に「ファウスト」と「ハムレット」への版画)、マグリット(「大家族」など)と並んで、ルドンなのである。確か中学3年生時分に、T君と神奈川県立近代美術館に観にいったのではあるまいか。もちろん、初期の「黒のルドン」、後期の「色彩のルドン」のいずれもが展示されていたのだが、私は「黒のルドン」の暗鬱な幻想に夢中になった。「エドガー・ポーに」「ゴヤ頌」「陪審員」「ヨハネ黙示録」、そして何よりも「聖アントワーヌの誘惑」! ..それ以来、ルドンの版画は何度も展覧会で観てきたし、画集も何冊も買ってきた。だから、今回の展覧会で展示されている作品は、全て見覚えのある作品ばかりであるはずだったが..

 ..やはり、画集でしか観ていない作品、というのは、「体に入っていない」ものである。(← なにげに教訓めいているが [;^.^])新鮮な発見を、いくつもしてしまった [;^J^]。得したと考えるべきか、残念に思うべきか。[;^.^]

 ルドン以外の作品では、ファンタン=ラ・トゥールの音楽テーマのリトグラフ「幽霊船のフィナーレ」(「さまよえるオランダ人」)「パルジファルと花の娘たち」(「パルジファル」)「ハロルド:山岳にて」(「イタリアのハロルド」)、及び、マックス・クリンガーの有名な版画集「手袋」など。

 16:55に退出し、17:20にバスで帰宅。やれやれ、これで、今月の展覧会ハシゴ強行軍は、一段落である [;_ _][;^J^]。次は来月下旬の予定。

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*2011年09月18日:しおり/献血/布団乾し


 朝から快晴。終日晴れているらしいので、とにもかくにも、ここ最近の寝汗でグダグダになっている敷布団と掛け布団と枕を乾す [;^J^]。8:10に自転車で発ち、久しぶりに湯風景しおりへ。入浴前に、まずは散髪。ここで散髪するのは初めてであるが、カットのみ1680円であり、廉い。街中の床屋でも、洗髪なしなら同じようなものだと思うが、カット後の洗髪は(私の場合)必須なので、これまで常に、洗髪付き1900円でやってもらっていたのである。考えてみれば、ここでカットすれば、洗髪してもらう必要は無いではないか [^.^]。よし、これからはここで散髪することにしよう。

 例によって読書しながら日光浴するが、早くも10:40に引き上げる。当初の予定では、昼食もここで食べて15:00頃に引き上げ、帰宅してから布団を取り込み..という段取りだったのだが、多少、雲も広がってきて、これ以上、十分な紫外線浴ができないかも知れないので、昼前に別のメニューを突っ込むことにしたというわけ。

 いったん帰宅してから、未視聴DVDを持参して車で街中に出動。いつもの 献血ルーム・みゅうず へ。当初は明日か、または来週に予定していた成分献血である。昼過ぎに帰宅。

 引き続き、クリーニング出し。午後は曇るかと思いきや、雲ひとつない青空が広がってしまった [;^J^]。湯風景しおりでの午後の日光浴を失った埋め合わせをしなければならない [;_ _]凸。この紫外線を生かして..となるとやることはひとつだ。乾していた布団を、どんどんローテーションする。前後を入れ替え、表裏も入れ替える。もしかしたらさほど意味は無いのかも知れないが、私としては、全ての面に、万遍なく天然の紫外線を照射しておきたいのである。私の体内から汗に乗って流れ出た毒素を、太陽光線で全て焼き殺してしまいたいのである..科学的であろうがあるまいが。[;^.^](これは、出かけずに、自宅に詰めていないとできないことである。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 23 2011
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