2011年06月27日:9月までの展覧会の予定 2011年06月28日:ツイッターのヤなところ 2011年06月29日:フェイスブックのヤなところ 2011年06月30日:日焼けか火傷か [;^.^] 2011年07月01日:いろいろ発注 2011年07月02日:「トロイアの人々」SF版 [^.^] 2011年07月03日:殺風景な階段室が好き目次へ戻る 先週へ 次週へ
例によって、把握している範囲で、9月までに観に行く予定の展覧会をメモしておく。(リンクリストにしておくと、あとで何かと便利なのである。)
目黒区美術館
「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ展」
7月14日(木)まで
山種美術館
「美しき日本の原風景 −川合玉堂・奥田元宋・東山魁夷−」
7月24日(日)まで
サントリー美術館
「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」
7月24日(日)まで
静岡市美術館
「歌川国芳展」
7月9日(土)〜8月21日(日)まで
(7月16日(土)、8月21日(日)予定)
米沢嘉博記念図書館
「耽美の誕生 ボーイズラブ前史」
10月2日(日)まで
浜松市美術館
「岐阜県立美術館所蔵 ルドンとその周辺展 〜夢見る世紀末〜」
9月6日(火)〜10月10日(月)まで
静岡市美術館
「アルプスの画家 セガンティーニ −光と山−展」
9月3日(土)〜10月23日(日)まで
国立科学博物館
「恐竜博2011」
7月2日(土)〜10月2日(日)まで
..といったところかな。無論、このほかにいろいろ割り込んでくるだろう。(国芳展に2回行くのは、前期と後期で大規模な展示換えがあるからである。)
われながら問題だと思うのは、国立新美術館の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」をリストアップしていないことである。[;^J^](← リンクも張っていなかったりして。[;^.^])つまり..印象派に、まったく興味が無いのである [;_ _]。今後、この展覧会を取りあげるであろうテレビ番組(「ぶらぶら美術・博物館」など)を観て、気が変わる可能性はもちろんあるが、今のところは、どうにも腰が重いねぇ..[;_ _]
目次へ戻る私はツイッターを(最近は、上京・上阪時以外は、ときどき覗くだけとはいえ)それなりに便利に使っているが、ツイッターを嫌っている人が大勢いることも(直接、間接に)知っている。ツイッター嫌いの、もっとも主要な(目立つ)理由は、「誰に読まれているのかわからない」「いきなり、見知らぬ人から難癖をつけられて、気味が悪くなった」といった類であろうが、「(十分な)議論や説明が、不可能である」という理由も大きい。一例を挙げると、品川庄司がツイッターから離脱したのは、自分に対する(誤解に基づく)バッシングに対して、「140字では、誤解を解くことも説明することもできない」からであったという。
もうひとつ、非常に大きな(ある意味では深刻な)理由として、「リツイートが、嫌だ」、が挙げられる。この理由からツイッターをやめた人を、個人的に何人も知っている。これは、大問題である。「リツイート」こそ、ツイッターの本質である。「リツイートが無ければ、ツイッターじゃない」と言ってもいいぐらいだ。では、なぜ「リツイートが嫌い」なのかと言うと..
まず最初に(注意深く)お断りしておくが、ここで問題にしているのは、「議論系のツイート(のリツイート)」だけである。いわゆる「お知らせ」的なリツイートや、単に面白かったり愉快だったりする言辞の気楽なリツイートは、対象外である。(といっても、後者を「議論系」から厳密に分別することが難しい場合も、あるのだが。)
さて、あらためて。
自分がフォローしている人のツイートは、もちろん、読みたいと思う。しかしその人が(善意から)リツイートしてきた見知らぬ人のツイートは、そもそも読むことを想定していなかったのである。そして、単にそれだけのことなら、(お付き合いで読むことも面倒なら)スキップすればいいだけのことなのだが..
..これは経験的に、ある程度高い確率で言えることなのだが、「リツイートされてくる(議論系の)ツイート」は、極めてしばしば、「平均的なツイートよりも、遥かにうざい」のである。「うとましい」のである。スキップするにしても目に入ってしまうのであって、「うざく」て「うとましい」ツイートを(読みたくもなかったのに)読まされてしまった、という不快感は、どうしても残る。(この不快感の蓄積が、あるスレッショルドを越えると、ツイッターから離脱することになるわけだ。)ではいったい、どこがうざいのか。
これは、元のツイートの問題では、無いのである。「リツイートのされ方に、問題がある」のである。
いったい、どういう(議論系の)ツイートが、リツイートされやすいのか。例えば、A氏とB氏がツイッター上で議論を続けていたとして、A氏がB氏を論破した瞬間、あるいはA氏がB氏に会心の一撃をくらわせた瞬間、A氏をフォローしていたC氏(多くの場合A氏のファンであり、そしてしばしばアンチB氏である)が、A氏のそのツイートを(大喜びで)リツイートするのである。
そのリツイートは、C氏のフォロワーに配布される。彼らはC氏のファンではあるが、一般に、別にA氏のファンでは無く、A氏とB氏の議論にも興味は無いのである。それはそれで(前述のように、単にスルーすればいいだけなので)構わないのだが..「論破する瞬間のツイート」というのは、一般に、極めて、ハイテンションなのである。どこかでやっていた(らしい)議論の、「ハイテンションな、決めゼリフ」が、いきなり叩きつけられるのである。そしてしばしば、意味不明なのである。(当然である。そこまでの議論を読んでおらず、背景も文脈もわからないのだから。)たとえは悪いが、まるで、街宣車が大音声で叫びながら、目の前を予告無しに通り過ぎたようなものである。
さらに付け加えると..議論の「決めゼリフ」とは、極めてしばしば、反語/逆説/皮肉を含んでいるものなのである。これは、議論に慣れた論客であればあるほど、そうである。そしてここが重要な点なのだが、「そこまでの経緯や文脈を知らずに、いきなり、反語/逆説/皮肉を含んだ結論だけ読むと、書き手の意図を誤解しやすい」のである。当たり前である。
繰り返すが、これらは、元々のツイートの発言者(議論の当事者)の責任ではない。彼らには、なんの非も無い。一部だけを切り取る、リツイートのされ方に、問題があるのである。しかしリツイートする人(前記の例のC氏)は、自分は議論を最初からフォローしており、文脈も把握しているものだから、一部だけ切り取って読まされる人に与える印象にまで、想像が及ばない(ことがしばしばある)のである。
そして、このリツイートを(いきなり)読まされた、C氏のフォロワーたちが、A氏のツイート(あるいはA氏とB氏の議論)を源流にまで遡って追跡するかというと、もちろん、そんなことはしないのである。(よほど暇な人は、するかも知れないが..)結局、A氏の発言は、C氏のフォロワーたちにはしばしば誤解され、また、何かしら「イヤな」印象を与えてしまうことが、少なくないのである。これはもちろん、(A氏のファンである)C氏にとっては、まったく心外なことであろう。
中には、ここまで十分に考えが及んでいて、A氏とB氏の議論を丁寧に(連続して)リツイートしてくれる人もいるが、例外的な少数派であるし..また、あまりこういうことをされると、それこそ鬱陶しいのである。(少数派でいてくれて助かるというかなんというか。[;^J^])
C氏は善意の持ち主であり、単に、善意から発する迷惑(あるいは、A氏に及ぼす間接的な被害)に考えが及んでいないだけなのである。これは「ツイッターの本質的な欠点」ではなく、運用(気配り)次第で十分に回避できる問題なのであるが..しかし、「会心の一撃」(だけ)を、思わず広く流布(リツイート)したくなる、という気持ち(というか、ほとんど「脊髄反射」)は、それがワンタッチで出来てしまうだけに、抑えがたいものがあろう。他人事ではない。ここまで(例によって上から目線で [;_ _][;^J^])偉そうに書いてきた私自身が、しばしばやってしまっていることなのである..
(以上の問題点を十分に把握して逆手にとった(誤解させることを目的とした)「悪意のリツイート」も、もちろん横行しているが、焦点がぼけるので、ここでは対象外とした。)
目次へ戻る..というわけで、ツイッターとくれば、もちろん、フェイスブックである。(なんのこっちゃ。[;^J^])ツイッターと異なり個人的にほとんど使っておらず、知識も乏しいので、以下に書き連ねる「フェイスブックのヤなところ」は、あるいは設定で回避できるのかも知れないが..とにかく、表示がうざいことに尽きる..[;_ _]
..と、(具体的に例示するために)久しぶりにログインしてみたら..あれ? それほどうざくない [;^J^]。大体、記憶どおりのレイアウトなのだが..もしかして、いつの間にか(諦めとともに)慣れてしまったのかな?(滅多にアクセスしないとしても、記憶のなかで。)なんか、無駄な敗北感..[;^.^]
目次へ戻る会社からの(自転車での)帰途、O内科に寄り、月に一度の診察を受ける。閉店時刻の18時に間に合うよう飛ばしてきたこともあり、受付のおねーさんたちに大汗を指摘されたが、「まずは、シャワーをお借りしたい」というボケがそこそこウケたので、良しとする。[;^J^]
聴診器を当てる段になって、私の胸と腹を見た先生が息を呑む音が、聞こえてしまった [;^J^]。まぁ私自身、朝晩、洗面所の鏡の前で、大概絶句してますけどね。[;^.^]
先週末の献血時の検査の結果が届く。γGTPは下げ止まって、66から74に戻った。OK、OK。想定内である [;^J^]。というか、下げ止まる(あるいは戻る)のを、待っていたのだ。(ほんとだってば。[;^.^])
何しろ私は、ここ1年間(に限らず、これまでの人生において、ずっと [;^.^])全く節酒してこなかったのである。昨年の10月に自転車通勤を始め、節酒しなくても、この運動だけで(ピーク時、250以上あった)γGTPが下がることに気がついた私は、「節酒せずに自転車通勤だけで、γGTPがどこまで下がるか」、という実験を行なっていたのである。実験である以上、複数のパラメーターを変えてはならず、だから私は昨秋から、節酒をしたくてもできない立場に追い込まれていたのである。[_ _](だから、ほんとだってば。[;;^.^])
一応の結論は、出た。現在の酒量を維持する限り、(25Km/日の)自転車通勤を続けていても、γGTPは、正常値(上限60または65)までは、降りない。納得できる結果である。さて、それでは、やりたくてやりたくて仕方がなかった節酒に、とりくむとしましょうか。[_ _](← 信じてくれよぅ。[;;;^.^])
目次へ戻る歌劇「トロイアの人々」(ベルリオーズ)のBDを、タワレコオンラインで発注する。これは2009年の公演のライブで、Valery Gergiev 指揮、バレンシア州立管弦楽団、バレンシア自治州合唱団、La Fura dels Bous 演出。レコード芸術誌の広告によれば、「スペースファンタジー版」[;^.^] である。実は先日、BSプレミアムで放映されたのだが、当日はそのことに気づかず見逃し(当然、録画もせず)、翌日になってからツイッターで知って切歯扼腕していた、曰くつきの代物なのであった。[;_ _][;^J^]
その、ツイッターでの評判は、(記憶で書くが)「スター・ウォーズ+スーパー歌舞伎」というものであった [;^J^]。ツイートした人は好印象を抱いていたようだが、まぁ、外してるんじゃないかなぁ..「リング」(「ニーベルングの指環」(ヴァーグナー))じゃねーんだし..[;^J^] でも、まさか観ない(買わない)などという選択肢は、あり得ないのである。当然。[;^.^]
昼休み、北海道立図書館に、吾妻ひでお関連初出誌×2、手塚物件関連初出誌×38、計40件、コピー依頼を送信した。実のところ、新発見の案件は、ひとつも無い。たとえば、「プレイコミック」誌1970年10月10日号に連載されている「人間昆虫記」(手塚治虫)。前後の調査から、この号に掲載されていることは昔から確実だったが、この号をこれまで図書館でも古書市場でも見つけられず、初出の状態で読んでいなかったのを、今回、この図書館の蔵書検索で発見した、という経緯である。残り39件も、おおむね、このパターンである。念押しと言ってもよいし、ダメ押しと言ってもよいし、もしもパラノイアの所業(業病)だとでも言いたいのであれば、好きにすればいいさ。[;^.^]
実は、多少、釈然としない点もある。どうしてこれまで、この図書館で(組織的に、まとめて)蔵書検索をしていなかったのか、ということである。というのも、以前、「少年画報」誌に連載されていた手塚治虫の連載エッセイ「手塚先生のまんが訪問」の半分ぐらいを、この図書館で発見して、コピーを送ってもらっているからである。どうしてそのとき、他の探求案件をついでに調べなかったのだろう..[?_ _][?_ _][?_ _]
夕方、北海道立図書館の担当者から電話。件数が多いので(他の利用者からのコピー依頼と時分割処理をするので)分割して送付させてくれ、とのこと。もちろん、構いませんとも。[;^.^]
先日発注した、センチュリーの「これdo台PRO」(HDDデュプリケーター)の、発送通知が届いた。
リブ100のHDDが、起動時にカコカコ鳴り始めたのは、だいぶ以前のことになる。もちろん、作業領域は、毎日SDに差分コピーをとっているのだが、HDD自体が飛んでしまったら、HDDにOSを再インストールし、環境を再構築(アプリ群の再インストール)、という、馬鹿馬鹿しい手間が発生する。そこで、HDDデュプリケーターを購入することにしたわけだ。
アマゾンで2万2千円強と、結構高い。SATA専用のデュプリケーターなら数千円で買えるようだが、なにしろ、リブ100のHDDはIDEなのである [;^J^]。それにしても、もっと廉い製品もあるようだが、ざっと探してみて、実績、信頼性、簡便さ、適用範囲の広さから、これを選んだ。なにしろ用途が用途だけに、信頼性が低かったら、意味が無いのだ。
6月25日の湯風景しおりでの紫外線浴に由来すると思われる皮剥けが、昨夜来、ひどいのなんの..[;^.^] 肉体表面の、この「醜悪美」たるや、我ながら陶然とするほどのものである。[;^J^](思わず気分は、日野日出志。[^.^][;^.^])
目次へ戻るクリーニング出しのあと、湯風景しおり。10:10から12:40まで、化学線(紫外線)で、さらに皮膚を痛めつける。さらに醜くなろうという魂胆である [;^.^]。浜松西郵便局に寄り、佐鳴台の「やまや」で酒を買って帰宅。(節酒するつもりは、あるのです。[;^J^])
昨日発注したばかりの「トロイアの人々」のBDが早くも届いていたので、早速視聴する。
..これは..面白い [;^.^]。「スター・ウォーズ+スーパー歌舞伎」という評価、当たりです [;^.^]。このオペラの詳細については、お暇なら、拙文「新・ベルリオーズ入門講座 第9講 歌劇 トロイアの人々 (1858)」「ふたつの「トロイ人」」をお読みいただけると話が早いが [;_ _][;^J^]、要するに、木馬の奸計で落城・破滅したトロイアの物語と、流浪するトロイア人たちが約束の(運命の)地・イタリアに辿り着く途上で立ち寄ったカルタゴで、女王・ディドンとの間に引き起こした悲恋物語である。
この演出の基本コンセプトは、約束の地・イタリアを、火星に置き換えたことである [;^J^] が、これが意外に違和感がない。実に自然である。要するに、国を失ったトロイア人たちの、未来のローマ帝国を建造する地への流浪譚なのであって、そこさえブレなければ、目的地がイタリアであろうが火星であろうが、本質的には同じなのである。[;^J^](ちなみに、「火星」というのは、メイキングから拾った単語であって、舞台から明確に読みとれるわけではない。)問題は、途中で立ち寄った「カルタゴ」が、この演出では「どこ」に存在しているのか、ということであるが..要するに、「地球と火星のあいだのどこか」なのであるが..どうやらこの演出家、「(軌道上の)宇宙ステーション」と「スペース・コロニー」と「小惑星」の違いを、知らないらしいのである [;^.^]。実際には知っていて、平均的な観客の知識レベルに合わせて妥協しているのかも知れないが、結果的には同じことである。もしもたとえば「ガンダム」の次回作でこんなことをやらかしたら、ネットの各地でどれほど炎上するか、想像するだに恐ろしいが [;_ _]、ヨーロッパのクラシックファンに見せるための演出だからな。[;^J^]
以下、備忘のために、各シーンごとにやや詳細に記すので、興味のない方は、明日の日記までスルーしてください。[;_ _][;^.^]
第1幕。
ギリシア人が突如去って喜ぶトロイア人たち。兵士たちは確かにスター・ウォーズ風の装束だが、10年も戦ってきたわりには、鎧が、凹んでも汚れてもいない(「スター・ウォーズ」よりは「2001年」風 [;^.^])。しかしこれは、高すぎる要求かも知れない。私の乏しい見聞の範囲に限った話だが、衣服・装束を、リアルにきっちり汚せているプロダクションは、少数派だと思う。
カサンドラーの重厚な装束。ヘクトールの息子は、弔いの蝋燭をラジコンカーで運んでくる。無邪気さの演出か。
走り込んできたエネーが、ラオコーンが(神の怒りに触れて、海竜に)殺されたことを告げるが、そのあとの(恐れおののく)8重唱の背後で、2匹の海竜にラオコーンが殺されるシーンをカットバックで見せるのは、珍しい。海竜たちは、どこかエロい。
「木馬」は実は物理的にはそれほど大きくはないのだが、ダイヤモンド型の造形と照明効果で、巨大さと不気味さを表現できている。外面一杯にノートPCが張り付けられており、木馬を引き入れるときに、トロイア人たちはPCを戦利品として(剥がして)持ち出す。メイキングによると、このとき「ウィルスが浸入した」。
兵士たちはノートPC(のディスプレイ)を胸につけており、そのときどきの心理などを象徴する映像が映っている。アイデアとしては悪くないが、客席から見えているのかな? 顔の前にレンズをセットしていることもあり、どこか、「未来世紀ブラジル」っぽくもある。
第2幕への移行部で、PCの画面がフラッシュ的に高速で切り替えられつつ映り続けるが、その内容は、爆弾(髑髏)マークとか、「SYSTEM FAILURE」とか、「Virus ALERT」など。IT文化のダルい引用かと思ったが、よく考えたら、「トロイの木馬」が浸入したのだから、これで正しいのである。[;^.^]
第2幕。
ギリシア兵が浸入し、トロイアは今夜滅亡する、とエネーに告げるヘクトールの亡霊の表現が、実に素晴らしい! 仮面をつけ、逆さ吊りになって、マリオネット的に「流れるようにギクシャクと」動く。この姿勢では歌えないだろうし、仮面もつけているので、スタントだろうが..しかしこのイメージは、凄くて恐い!
幕切れで、なぜカサンドラーが宙づりになるのか理解に苦しむが、最後に他の女たちも(カーテンの向こうで、数人)宙づりになり、カーテンに、彼女らの影と、自決の血糊がだらだらと..うひゃあ。[;^.^](どことなく、和風のグロテスク趣味である。)(メイキングを見ると、やたらと宙づりにするのは、この演出家のクセらしい [;^J^]。観客のアドレナリンがどーのこーのと戯言を抜かしているが。[;^.^])
第3幕からは、舞台がカルタゴ。ディドンが、いきなり吊られている。[;^J^](つまり、このあたりが、スーパー歌舞伎っぽい。[;^J^])
第4幕の「王の狩と嵐」では、しばしば演出放棄というか、オーケストラを映すだけの演出(ソフト)が多いのだが、ここではちゃんと演出されている。精霊たちの踊りは、やはり少しエロい [^.^]。狩りが始まると、ハンターたちが犬を連れて出てくるのだが、これが本物の犬ではなく、人間が四つん這いになっている、いわば「人犬」で、なぜか、エリザベスカーラーを装着している..「犬」であるという記号だろうか?[;^J^]
このあとのバレエシーンの前に、バックスクリーンに、宇宙ステーションの映像が映り、ここで初めて、ここが宇宙空間であることが、暗示される。
イオパスの歌の前に、イオパスの前にマイクが設置されるのは、面白い。もちろん演出上だけのことで、PAは使ってません。[;^J^]
エネーとディドンは宇宙服を着て、ふたりでブランコに乗って(宇宙空間で?)二重唱..この宇宙のなかにふたりっきり、て感じ? それはいいのだが、背景には、風力発電の風車が..[;^J^] 宇宙空間だろうが宇宙ステーションだろうが小惑星だろうがスペースコロニーだろうが、あり得ない映像だが、どうもメイキングによると、「エコの象徴」らしい。演出家の意図としては、カルタゴは、エコロジカルな理想郷らしいのだが、うーむ..[;^J^] この二重唱の最後に、メルクリウス神が現れるのだが、どういう演出にするのかと楽しみにしていたら、人工衛星に乗って現れた。それは構わないのだが、人工衛星がふらふら近づいたり離れたりするのは、力学的に感心しない。(← まだ言うか。[;^.^])
第5幕。
第1場。おお、水夫ヒュラスは、最初から(船のマストではなく)軌道上で船外活動中だ。(以降、力学的ちゃちゃは入れないことにする。[;^J^])やはりカルタゴは、宇宙空間にあるのだ。(トロイアはどこにあったのだろう?)トロイアの兵士たちと(テントの中で、彼らとペアになっている)カルタゴの女たちを一緒に登場させるのは、面白い。次のシーンで(宇宙服を着ている)エネーがアリアを歌っているあいだにも、彼を誘惑し続ける。(ちなみにこのアリア中、意味不明な妖精?が、高いところで踊っている。人工衛星の擬人化ではなさそうだが..)
これに続く幽霊の場(5人の幽霊が、イタリアに出発せよ、と、エネーに詰め寄る)では、放置されていたテントが吊り上げられ、中で何か(幽霊)が、宙づりになって蠢(うごめ)いている。(つまり、直接は姿を現さない。)第2幕のヘクトールの幽霊の処理と同様だが、このイメージは、いい。このあとに登場するディドンは、宇宙服を着ていない。出発するものと留まるものとの違いか。
第2場では、確かに宇宙ステーションの内部っぽい雰囲気がある。トロイア人たちが出発してしまった!という報せがもたらされた時、バックスクリーンに、明確に、宇宙船群の出立が描かれる。映像のセンスとクォリティは実に陳腐だが、わかりやすいことは確かである。
第3場では、薪の山のかわりに、半球ドームの周囲に数十台のノートPCが貼り付けられ、それらのディスプレイをマルチスクリーンとして映像が切り替わる。まずまずのアイデアである。
最初に映っている回転体は、明らかにカルタゴであり、その不規則な形状は、どう見ても(宇宙ステーションでもコロニーでもなく)「小惑星」である。「薪の山」の上でディドンが胸を刺して自決すると、映像は、流れる血流。薪の山に火が点けられると、映像は、炎。
しかし、私の胸が張り裂けそうになったのは..ノートPC群のディスプレイが1枚だけホワイトアウトしていて、映らなかったことである [;_ _][;^J^]。いわば、ドット欠けだ。PCのトラブルか設置ミスかはわからないが、IT回りの担当者に感情移入してしまって、胸が痛い [;_ _]。彼の首、飛んだかもしれん..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
..というわけで、これはお買い得でした。この作品の最高の演出と言えるかどうかはさておき、二度、三度と観たくなるソフトである。(実のところ、そういうソフトは、むしろ珍しいのだ。)
「これdo台PRO」が届いたので、早速試用。実に簡単。
コピー元のHDDとコピー先のHDDをつないで、ボタンを押すだけ。途中、案の定、読み込みエラーが発生したが、リトライさせて切り抜けた。上記リトライ時間込みで、20Gの2.5インチIDEのコピーに25分ぐらい。コピー先のHDDをリブ100に装着して、問題なく起動できることを確認。
やれやれ、これでひと安心。[;^J^]
目次へ戻る外出日和としか言い様がない曇天であるが、結局、モチベーション上がらず、浜名湖一周サイクリングに出かけることもせず、読書と録画消化で、まったりと過ごす。
新幹線(あるいは東名バス)の車窓から眺めていると、沿線のビルの中に、結構な割合で「階段室」(階段だけが設けられた空間)を見ることができる。それがデパート的なビルである場合、飲料の自動販売機が置かれていることもあるし、中には、壁面に絵画などが飾られている場合もあるが..私が好きなのは、階段以外には全く何も無い、観葉植物も置かれていない、まるで新築直後のような、殺風景な、寒々とした階段室なのである。
われながら、やや不思議な嗜好である。そんな空間にいても面白いとは思えないからだ。まるで、私の狭い自宅が(殺風景どころか)床も壁も、本とかCDとかDVDとか本とかCDとかDVDとか本とか本とか本とかで埋め尽くされ溢れかえっているありさまの補償作用のごとくであるが..
..重要なヒントが、ひとつある。そもそも新幹線や高速道路から「その階段室の(殺風景な)ありさまの全体を見ることが出来る」ということは、つまり、その階段室の壁が、少なくとも一面は、天井から床までガラス張りなのである。どうやらこれが、重要な要素なのだ。一面のガラス窓の外に風景が見渡せる開放感に溢れている、殺風景な部屋..
..まず、間違いない。これは、「鉄人28号」である。
「鉄人28号」で描かれる、正太郎の部屋や、署長の執務室や、悪人のアジトや、その他のさまざまな部屋は、必要最小限の家具(というより「記号」)以外は、全く何も描かれて(置かれて)いない、殺風景な部屋なのである。小学生時分の私の魂の奥底に、この部屋たちの印象が深く刻み込まれたのだ。別に「鉄人28号」に限らず、当時の少年漫画(特に、SF系/未来系)は、似たようなものだったかも知れないが、「鉄人28号」の印象が圧倒的なのは、やはりそのスマートな筆致がずば抜けていたからなのだろう..(私は漫画評論家ではないし、いちいち裏を取る手間はかけないので、悪しからず。[_ _][;^J^])
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jul 7 2011
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