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確かケンコバだったと思うが、何かのバラエティ番組で、「男は無駄な勝負をすることがある。たとえばサウナで、先に出たら負けだ」、と述べ、女性出演者たちの暖かい失笑(憐笑)を買っていたが [;^J^]、これは私も同意見である..というか、先週末の土曜日もそうだったのだが、私は湯風景しおりのサウナで、毎回毎回、無駄な勝負をしているのである。[;^.^](ちなみに私が利用しているのは(広い)乾式のサウナではなく、(より狭い、定員8人程度の)蒸気式の「漢方薬草サウナ」である。)
サウナに入ってから出るまでのアルゴリズムは、以下のとおりである。
1.先客がいなければ2.へ。いれば3.へ。
2.入った時刻から5分経つのを待ち、出て終了。
3.先客が全員出るまで待つ。
4.時計を確認し、入った時刻から5分過ぎていれば、出て終了。
5.入った時刻から5分経つのを待ち、出て終了。
このアルゴリズムで不定長なのがステップ3である。最長20分近くかかったことがあるが、中断したことはない。つまり必ず、先客よりも後から出ているのである。(これまでのところはね。)
補足しておくと、先客が「いつから」入っているのかは(知りようもないことであるし)問題とはしていない。また、後から入ってくる客も、考慮外である。
..なぜ、こんなことをしているのかと訊かれても、困るのであるが。[;^J^]
目次へ戻る朝食は、タジン鍋でフレンチトーストのリベンジ。先週は火加減を間違えて焦がしてしまったので、手順を変えてみた。すなわち、牛乳50cc、卵1、砂糖大サジ1で漬け汁を作り、食パン1枚を(6枚程度に)千切って浸す。タジン鍋にバターを引いてこれを並べ、(外径19cmの鍋だとぎゅう詰めになるが [;^J^]、)片面に弱火で焼き色を付けつつ、ベーコン(またはハム)と溶けるチーズを載せて塩胡椒。コンロから下ろして蓋を被せ、電子レンジ(500W)で5分。
これが、なかなか美味いのである。[^J^](レシピには、漬け汁に浸したパンの両面を焼けと書かれているが、なんせぎゅう詰めで反しにくいので、今日のところは略して片面でお茶を濁しました。[;^J^])
晩飯は、やはりタジン鍋に、白菜(ザク切り)、大根(イチョウ切り)、エノキを敷き、豚バラを載せて15分間弱火で煮込み、ポン酢醤油で味付けしただけのもの。
これが、なかなか美味いのである。[^J^](こんなに楽ばかりしていると、料理がどんどん下手になってしまうような気がする。[;^.^])
目次へ戻る先週の日記に書き忘れていたが、「ヴンダーカンマー 兵器局非常識器材関連開発室 2」(西川魯介、リュウコミックス)を購入したのだった。(この巻で完結。)
作者については、(面倒なので)Wikipedia から引用する。
眼鏡っ娘萌え。主人公、もしくはヒロインが眼鏡をかけている確率が極めて高く、成人向け描写でも外さない。マニアックなネタを好み、細かなパロディをコマの隅や台詞まわしに仕込む。伝奇・怪異ものにも通じ、作風の基本はギャグ・コメディ漫画である一方、『なつめヴルダラーク』などに見られるようにクトゥルフ神話や人狼、妖怪などのオカルトモチーフをしばしばもりこむ。また銃器やメカの描写には一定の拘りが見られる。ナチス・ドイツ系ネタを特に好んで取り上げ、原稿随所へのドイツ語の書き込みも非常に多い。
..ま、おおむね雰囲気は伝わったと思うが [;^J^]、この作者の作品群のメインストリームは成人漫画であり、罪もけがれもない婦女子にはお薦めしにくいのが難点であるのだが、(しかしそういう婦女子は非実在ではないかと思うのだが [^.^]、)本書は安心。少年誌(「月刊COMICリュウ」)に連載されただけに、その類の描写はなく、
第二次世界大戦まっただなかの1941年、ドイツ北東部・バルト海に浮かぶ離島「坩堝島」に一人の若者が降り立った。テオドール・ガッセ少尉、彼の任地では大戦を勝ち抜くべく新兵器の開発が行われていた。それも「超」が付くほどのトンデモ兵器が……。(以上、Amazon より引用)
..という設定の、ナチス&オカルト&クトゥルーネタの、ダークで朗らかなコメディとなっている [^.^]。クトゥルー神話の知識や、(実在の)ナチスが、本当に「「超」が付くほどのトンデモ兵器」を開発していたという知識があると、さらに楽しめるのは事実だが、そういう(余計な [;^.^])ことは知らなくても、十分面白い作品である。お薦め。
目次へ戻る昨日の日記の続きである。
タイトルの「ヴンダーカンマー」とは、どういう意味であろうか。これはドイツ語で「驚異の部屋」を意味しており、「兵器局非常識器材関連開発室」を指しているのかも知れないが、「驚異の部屋」の本来の意味は、異なる。
軽くぐぐってみたら、検索結果の上の方に非常に手頃なページがあったので、リンクしておく。→ 「「ヴンダーカンマー(ヴンダーカマー)」驚異の部屋とは? -スチームパンク大百科-」
ドイツ語ではWunder(驚異の) Kammer(部屋)と書きます。15世紀のイタリアから発生し18世紀後半までヨーロッパで流行した「珍品を蒐集したコレクションルーム」のことです。
ついでに Wikipedia もリンクしておくが(驚異の部屋)、無論、博識な西川魯介はこんなことは百も承知で「ヴンダーカンマー」というタイトルを採用したのであり、それにはなんの問題もない。
王侯が作り上げたヴンダーカンマーの、眩暈がするほどの凄みを満喫できる書籍を、紹介しておこう。「驚異の部屋 ハプスブルク家の珍宝蒐集室」(Elisabeth Scheicher、松井隆夫、松下ゆう子訳、平凡社)である。またしても Amazon から引用すると、
世界劇場としての美術=驚異蒐集室。王侯たちの美術蒐集室は複雑な構成体、内的秩序を備えた総合体であった。互いにかけ離れているように見える品目も、宇宙の調和的秩序を反映している。この世のあらゆる産物と人間のすべての技…このような万有の充溢を通しての美術蒐集室の、まさに百科全書的な構成体としての本性が明らかになる。それ自体で完結した小宇宙というこの解釈は、美術蒐集室が16世紀以来、世界劇場と呼ばれるようになったことによって確証される。
..あまりわかりやすい梗概ではないが [;^J^]、豪華なカラー図版で紹介されている蒐集品のジャンルを挙げると、黄金、贈り物、家宝、骨董、銀、相続品及び取得品、面白容器、「素朴様式」、鉱物標本、楽器、時計、自動機械、科学機器、岩石、鉄製品、錠前、拷問具、書物、稀覯本、珍品、羽根飾り、コロンブス以前の文化財、雪花石膏と硝子、珊瑚、ブロンズ作品、陶磁器、工芸細工キャビネット、武具、雑品ケース、木製品、横置ケース、絵画..といったところ。「百科全書的な小宇宙」であることが、おわかりいただけるだろうか。
質量ともに文字通り国家的な事業であり規模であるハプスブルク家の「ヴンダーカンマー」に比べると遥かに小振りなものではあるが、しかし同じく、われわれ一般庶民の手が届かない高みで軽やかに遊んでいるのが、荒俣宏の「ヴンダーカンマー」である。
「アラマタ珍奇館 〜ヴンダーカマーの快楽〜」(荒俣宏、集英社)には、古今東西の珍品奇品の、素晴らしい図版とそれぞれの物語が収められている。字を書く人形、鳥人間の剥製、東京のパナマ運河、カラクリ時計、光る肖像画、ビン詰め人体解剖写真、明治時代の超高級便器、表紙に手の付いた本、国産初の電気製品、怪物の干物、十九世紀の巨大オルゴール、三本足の招きガエル..そしてこの(まさに読者を陶然とさせる)小宇宙の物語には、胸が張り裂けるような破局が待っているのだ..あとがきには、この「ヴンダーカンマー」が、ボヤの煙と煤、そしてある台風の日の烈風によって破壊され、永久に失われてしまったことが書き記されているのである..
そして最後にもちろん、澁澤龍彦について述べなければならない。澁澤龍彦宅の有名な居間と書斎もまた、ごく小規模ながら、極上の「ヴンダーカンマー」である。特に居間の中心に位置する有名な飾り棚(満足のいくサイズと画質の画像データを探せなかったことを遺憾とするが)に、私は本当に、本当に、憧れたものであるが..
..しかし、ハプスブルク家、荒俣宏宅、澁澤龍彦宅には遥かに及ばぬまでも、実は誰しも、「ヴンダーカンマー」を持っているのだ。少女のことはわからないが、かつて少年であった人には、憶えがあるはずだ。高価な物品である必要はない。プリズム。方位磁石。蝉の抜け殻。鉱石ラジオ。玉虫の死骸。ビー玉。万華鏡。貝殻..机の引き出しや鞄の中に隠し持っていたこれらのガラクタ(の集積・総体)こそ、私たちの「ヴンダーカンマー」であったのだ。
目次へ戻る6月11日の関西フィルの定期公演のチケットを入手したので、早速大阪のホテルを予約した。ちなみに「堂島川温泉 天神の湯 ドーミーイン梅田東」であり、ここは、天然温泉大浴場が、非常に魅力的なのである。
今日は有休取得済み。8時過ぎに聖隷三方原病院で、人間ドックの再検査。胸のCTスキャンである。レントゲンでなにやら妙な影が見えていたからであるが、異常無し。骨や血管の合成像が見えていたんでしょう、とのこと。何事もなくて、まずは良かった。
今日は快晴であるが、この週末(明日明後日)は曇天らしいので、有休とはいえウィークデイの白昼堂々、11:20から14:30まで湯風景しおりで日光浴 [;^J^]。その後、いつものチケット屋で新幹線の回数券(浜松 ⇔ 新大阪)を購入してから、I医院へ。いったん帰宅して、18時過ぎに徒歩で「足湯居酒屋 癒し処 中々」へ。50分ぐらいかかるかと思っていたが、35分強で着いてしまい、早すぎても仕方がないので、15分ほど周辺の住宅街をうろうろと不審者する。[;^J^]
19時過ぎから、勤務先のKさん、Hさんと、3人でモツ鍋などをつつきつつ、飲み。途中で少し寝てしまったかもしれない [;^J^]。0時頃にお開き。徒歩で0:40に帰宅。
目次へ戻る会社で実にしばしばみかけるのだが、メールのフォルダを細かく分けすぎている人が、多すぎる。メールをどこのフォルダに入れたかわからず、探すのに余計な時間がかかっているのである。本末転倒である。(無論、メーラには「検索」コマンドがあるのだが、「すぐに見つかるだろさ」と思えるときは、人は、わざわざ検索コマンドを立ち上げてキーワードをタイプしたりはせずに、目で探してしまうものなのである。)
言うまでもないが、分類のし過ぎは逆効果なのである。今日も、DVD(パッケージメディア)の整理をしたのだが、結局、「音楽」「アニメ」「邦画」「洋画」「その他」の5分類とし、それぞれの中で50音順とすることにした。たとえば(洋画邦画問わず)私の映画コレクションの半数以上は「SF」か「ホラー」なので、そういう分類を作るのは筋が通っているのだが、そういう仕分けをしてしまった場合、たとえば「フランケンシュタイン」や「マタンゴ」は、「SF」なのか「ホラー」なのか。仮に「SF」と決めてそちらに分類するのならば、それはそれでも構わないのだが、今の時点でどちらか迷ったぐらいなので、将来これらを探すときに、「ホラーではないか?」と、自分の中で分類基準が変わっている可能性は、大いにある。その場合、まず「ホラー」を探し、つぎに「SF」を探し直すことになり、手間が増える。それよりも、「洋画」でひとくくりにしてしまって、50音順にしておくほうがいいのである。(無論、複数のタグを付けることができる状況ならば、自ずと事情が異なることは言うまでもない。)
また、今回の5分類の勘所は、いうまでもなく「その他」である。天文関係のドキュメンタリーや、アイドルDVDなど、明らかに「音楽」「アニメ」「邦画」「洋画」のどれでもないものも多数含まれているが、この4分類のどれにいれるべきか少しでも迷ったものも、全て「その他」に放り込んでしまえば良い。論理的にも実運用的にも、「その他」を設定した時点で、その分類基準は完備になるのである。
目次へ戻るベルリオーズのオペラのDVDを2タイトル、片付けた。いずれもライブ映像である。
まず、今日タワレコから届いたばかりの、「ベンヴェヌート・チェルリーニ」(NAXOS 2.110271、Gergiev指揮、Philipp Stolzl演出、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団他)。まずは何よりも、ヒロインのテレサを演ずる Maija Kovalevska である。歌良し、ルックス良し。17歳の少女を演じて、まったく違和感がない。
演出もなかなか良い。舞台を現代に移しているのだが、うざい「読み替え」など一切せず、音楽の邪魔をせず、それでいて、豪奢でチープな遊びを大量に放り込んでいる。ポップスターのごとき法皇(とその従者たち)の造形は好悪がわかれるかも知れないが、主人公の弟子のアスカーニオが、メトロポリスのマリアのごときロボットであるのは、なかなか素敵な思いつきである。
次に、「トロイアの人々」(OPUS ARTE OA0900D、Gardiner指揮、Yannis Kokkos 演出、オルケストル・レヴォリューショナル・エ・ロマンティーク他)。これは購入してから(例によって)3年ほど寝かせていたものであるが..これは凄い。
このオペラについて語り始めると到底紙幅が足りないので [;_ _]、もしもお暇ならば、拙文「新・ベルリオーズ入門講座 第9講 歌劇 トロイアの人々 (1858)」「ふたつの「トロイ人」」を読んでみていただきたいのだが、要するに、木馬の奸計で落城・破滅したトロイアの物語と、流浪するトロイア人たちが約束の(運命の)地・イタリアに辿り着く途上で立ち寄ったカルタゴで、女王・ディドーンとの間に引き起こした悲恋物語である。
歌と演奏については、申し分のないものである、と述べるにとどめ、ここでは演出について触れるだけにしよう。特に前半の(滅亡を目前とした − しかし、預言者カサンドル以外は誰ひとりそのことに気が付いていない)トロイアの描写は、これ以上の演出が存在しうるのか疑わしいほどの素晴らしさである。天井には(斜めになった)巨大な鏡を設置し、これによって舞台上の人々を「正面からと、真上から、同時に見ることが出来る」。真上からの視点とは、言うまでもなく、「神々の視座」である。そして、「木馬入場のシーン」だ。
私はこのオペラの映像を複数もっているが、「木馬入場」をト書きどおりに(物理的に、具体的に)再現している演出は、ひとつもない。映画やアニメならばともかく、実際の歌劇場の舞台では物理的に困難(不可能)であるということと、無理に(可能な規模に)縮小して実現すると、極めて貧相なものになってしまうからである。そこで、いずれの演出でも知恵を絞って、いわば「象徴的に」表現するわけである。この公演もその例にもれないが..最高峰の出来であるというほかはない。天井に釣られた鏡の向こうで、壁が(従って、実際には床が)開き、木馬が「覗き込む」のであるが..ここで私は思わず息を呑み、座り直してしまった。まさにトロイアを滅ぼすに相応しい禍々しさ、恐ろしさなのである。
ディドーンが自殺する最後の場面についても、触れておかねばならない。この公演では、珍しいことに初稿が用いられており、ディドーンの「ローマ…、ローマ…、不滅の!」という、最後の叫びが存在しない。音楽的にも演劇的にも、通常演奏される最終稿(前記の叫びが存在する)が、やはり優れていると思うが、この珍しいバージョンに接することができたという意味でも、実に価値が大きい盤であった。
ちなみに、本盤は、異なる番号で再発売されている..というか、今月号(先月号だったかな?)の「レコード芸術」誌でその再発盤のレビュー記事を読んで興味を惹かれ、さっそくタワレコのサイトで発注しようとして、決定ボタンをクリックする直前に、「どうも、これは、自宅にあるような気がする..」、と、気が付いて発掘するのに成功し、危うく二重買いするのを免れたという次第なのであった。[;^.^][;^.^][;^.^]
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