*2010年05月17日:Mixiの仕様変更に気づかず [;^J^]
*2010年05月18日:タジン鍋、発注
*2010年05月19日:桃屋のラー油、まだ買えず
*2010年05月20日:「第9地区」
*2010年05月21日:「城のつくり方図典」
*2010年05月22日:タジン鍋、使用開始
*2010年05月23日:「聖フォリアン寺院の首吊男」
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*2010年05月17日:Mixiの仕様変更に気づかず [;^J^]


 会社からの帰宅時、王将に寄って、改めて餃子を食してみるが..やはり、美味いは美味いが、特に傑出したところのない、標準品の美味しさだとしか思えんがなぁ..まぁ、標準品たり得る実力、とはいえるのだろう。要は、カローラですか。

 Mixi日記を流し読みしていたら、複数のマイミクが、「また(メイン画面の)仕様が変わった!」、と、{怒って|呆れて|舌打ちして|溜息をついて}いた。あらま、そうだったのか..と、なぜこの時点で気が付いていないかというと、iPhone の mixi Browser mini で読んでいたからである [;^J^]。これを含む「勝手ソフト」たちにとっては比較的小さな変更だったようで、運良く問題なく表示できていたが、対応しきれないほどの大変更だった場合は、また、{いきなり|予告なく}表示できなくなっていたところであった。

 Mixiのこういう振舞い(ほとんど予告なしに表示仕様をコロコロ変える)を批判する人は多いが、まぁ、Mixiの立場(というか論理)も、わからんことはない。mixi Browser mini(など)では、広告が表示されないのである。そういうソフトの開発・メンテを(仕様変更資料を予め告知するなどの形で)「支援」したりすると、突っ込みを入れてくる「株主」は、必ずや存在するであろう。そういう事態に対して予防的に振舞うことを一概に否定するのも、なかなか難しいことではある。

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*2010年05月18日:タジン鍋、発注


 Mixiの(という接頭辞は、もはや不必要だろうか?)マイミク氏の日記で興味をひかれ、「タジン鍋(Wikipedia)(画像)」なるものを買ってみることにした。

 行き付けのホームセンターには影も形もなく、まぁ探す場所が違うのだろうが(大手のキッチン用品販売店に出向くべきなのだろうが)、面倒なので、アマゾンで検索。うんざりするほど 山ほど見つかったが [;^J^]、とりあえず、ほどほどに廉いものを、ポチッとな。

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*2010年05月19日:桃屋のラー油、まだ買えず


 朝方から小雨が降り始め、昼過ぎから本降り。明朝まで続くらしい。

 午前中、勤務先で献血(400cc)。去年はスキップしたので、2年ぶりである。去年献血できなかったのは、確か、なにかの治療のために抗生物質を服用していたからである。

 帰宅後、21:30(の10分ほど前)から、楽天に出店している某食品店のサイトに貼り付く。例の「桃屋の辛そうで辛くない少し辛いラー油」が21:30から、60個だけ販売されるからである。大方予想はしていたものの、10分前の時点で既にアクセスできず、21:30からリロードを繰り返しても、じぇんじぇんダメ。50秒ぐらい経ってからつながったが、この時点で完売のお詫びである。(多分、数秒で売り切れたのだろう。)

 実は私、まだ、これの実物を見たことがないんだよなぁ..記事と写真だけ。これ、ほんとに実在してるんか? (架空の)非実在食品なんじゃないの? [;^J^]

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*2010年05月20日:「第9地区」


 終業後、会社からララポート磐田に直行する。先週の時点では(何しろこの施設、東名磐田ICの直近に位置しているので)多少回り道(というか、しばらく逆走)になるが、浜松西ICから東名に乗って行こうかと思っていたのだが、料金500円と知って、気が変わった。こんな距離で高速を使っては、いかん。

 会社から約23キロ。所要時間1時間弱。浜松環状線を東進してそのまま65号に入り、45号にぶつかったら右折、しばらく走って左折して374号、という、比較的わかりやすい道筋を iPhone の(標準搭載の)Map で見つけていたのだが、45号にぶつかる少し手前で、65号がある道路と交差しているのだが、その交差点を直行できない(向こう岸が進入禁止である)ことまでは、Map から読みとれなかったなぁ..[;_ _][;^.^]

 ともあれ、18:45に着き、2Fの中華の店で、炒飯と麻婆豆腐のセット。20:10から3Fのトーホーシネマで「第9地区」を観た。

 エイリアン(宇宙から舞い込んできた数百万体もの難民たち)を「被差別種族」として正面から描く「社会派」の作品。第一印象は、「硬派の筒井康隆」である。どの作品に似ている、というのではなく、こういう視点が。さらに言えば、1960〜70年代の小松左京、半村良、星新一らの作風でもある。要するに、どストレートのSFなのだ。舞台を南アフリカとしているのは、この図式がわかりやすくなるからであって、南アを風刺しているわけではない。極めて普遍的な内容である。

 力作であるが、何度も観たい映画というわけでもない。その点、「アバター」の映像美は(内容の生温さに関わらず)厖大な数のリピーターを生み出していることだろう。

 22:15にララポート磐田を発ち、23:00に帰宅。約18キロ..と書くと、すんなり帰れたように見えるだろうが、そうでもない [;^J^]。磐田バイパスに出て西進し、浜松バイパス、152号と走り抜けたのだが、磐田バイパスに出るまでが一苦労。深夜。土地勘のない(初めての)ど田舎。人っ子ひとりどころか、車の1台も走っていない。行き先表示看板は、ほぼ無い。カーナビは搭載しておらず iPhone のGPSの追随性は(土地要因か時刻要因か一時的なものかはわからないが)はなはだ悪くまったく頼りにならない。要するに迷走していたのであるが [;_ _]、適当に走り回っているうちに、偶然、磐田バイパスへの入口まで1〜2分程度のコンビニに辿り着き、そこで道を教えてもらって窮地を脱したのである [;^J^]。やはり、デジタルよりもITよりも、人と人とのアナログコミュニケーションである。[;^.^]

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*2010年05月21日:「城のつくり方図典」


 タジン鍋が届いたが、今夜の食事は済ませていたので、試用は明日からになる。

 870冊も積読していると、掘り出し物 [;^.^] が、いろいろあるものである。数日前に発見した「城のつくり方図典」(三浦正幸、2005、小学館)を、今夜読了した。

 これは実に楽しい本である。城郭建築に限らず、日本史に興味がある人には、強くお勧めしたい。縄張、普請、作事、城下町、城の歴史と地方色、の5章にわたって、豊富な図解と写真で、城の構造とその建築思想を教えてくれる。とにかく、城の見方が変わる。これを片手に、全国の城を見て回りたくなる。以下、抜き書きである。

 「江戸時代の軍学者たちは、土橋を推奨した。木橋は火をつけられると落ちてしまうからだ。敵に橋を壊されたら、城兵は袋の鼠となってしまう。木橋にしておいて、敵に攻められたら橋を落として守りを固めればよいと考えるのは、当時の戦を知らない現代人の発想だ」(38頁)−本書では、実戦を知らない江戸時代の軍学者の机上の空論を概して批判しているのだが、ここでは珍しく彼らの言を肯定的に引用している。

 「45度の勾配の叩き土塁は、手や足を掛けるものがなく、絶対に登ることができなかった。石垣のほうが堅固と思う人が多かろうが、石のすき間が手掛かり足掛かりとなるので、よほど登りやすかったのである」(42頁)

 「現代の石垣工法に通じるからといって、最新技術と思ってはいけない。現代工法は、モルタルで接着しないと石を積み上げることができなくなってしまった、技術力低下が背景にあるのだ」(45頁)

 「松を地中に埋めたら、すぐに腐ってしまうと思うかもしれないが、水中では木材は絶対に腐らず、何百年ももつのである。とくに松材は樹脂が多くて水に強く、粘り気があって折れにくいので、堀底の胴木としては最適である。しかし、堀の水が干上がって、胴木が乾燥しようものなら、たちどころに腐敗してしまう。もちろん、陸上の石垣には、決して胴木を入れてはならない」(55頁)

 「天守と櫓の大きな違いの一つは、本丸御殿を見下ろす側(城内側)に窓を開くかどうかである。江戸時代、家臣が藩主の住居を見下ろすことが禁じられていたため、御殿側を含めて四方に窓を開いたのは天守だけだった」(133頁)

 「昭和以降、外観がまともに再興されたコンクリート造の天守は一基たりともなかったのである。木造の再興天守はコンクリート造と比べれば随分まともであるが、細部を見ると気になる所が少なくない」(194頁)

 「本格的な近世城郭が全国に築かれるようになったのは概して秀吉の天下統一後であって、すでに実戦に供される機会を逸していた」(219頁)

 「(北海道の)本格的な近世城郭は(中略)福山城(松前城)と五稜郭だけである。(中略)机上の軍学をそのまま反映した城郭である点が共通している。また、全国の近世城郭が実戦に供されたことが珍しい中にあって、この二城は明治維新の内戦の中で落城しており、机上軍学の無益性を示すこととなった」(232頁)

 「東日本には石垣を持つ近世城郭が少ないが、関東地方はそれが著しい。(中略)関東地方の城に石垣がほとんどないのは、材料となる石材が産出しないからである(中略)。江戸城を除けば、天守以外の城郭建築も、西日本の大城郭と比べると、極めて貧弱であった。関東地方には有力な外様大名の城がなく、親藩や比較的に禄高の低い譜代大名の城が集中し、幕府はそれらの城に戦略的な重要性を期待しなかった」(234頁)

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*2010年05月22日:タジン鍋、使用開始


 まだ5月だというのに、朝から暑いこと。Tシャツ1枚で外出である [;^J^]。10:50から14:00まで湯風景しおり。

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 タジンポット(タジン鍋)の試用開始。写真を見ても明らかなとおり、内部で水分を環流させる(蒸発した水蒸気を冷まして落とす)構造であり、要するに砂漠の知恵なのであるが、当然、蒸し料理や煮込み料理が得意なはずなので、まずはオーソドックスな「鶏とベーコンの野菜蒸し」を作ってみた。素材を並べて(酒と水を少し振って)蓋をして弱火で15分ほどコトコト煮込んだだけである。これだけで十分、美味しく作れる [^J^]。この買い物は、成功だったかな。



 数日前に購入した「筒井漫画読本ふたたび」(実業之日本社)を一読。16人の作品を収める。「トランペットを吹く弟」(高橋葉介)、「弁天さま」(萩原玲二)、「遠い座敷」(畑中純)などが記憶に残るが、集中のベストは、やはり「わが良き狼(ウルフ)」(とり・みき)だろう。

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*2010年05月23日:「聖フォリアン寺院の首吊男」


 昨日とは一転して、今日は朝から肌寒い。雨である。

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 タジン鍋のレシピ本(「「タジンポット」でつくる、毎日のレシピ60」(口尾麻美、辰巳出版))を参照して、「カチャトラ」(猟師風チキンの煮込み)を作ってみた。要するに鶏もも肉をオリーブオイルで軽く焼き、ジャガイモ、ニンニク、グリーンオリーブとともに、ワインビネガーと白ワインで蒸し焼きにしたものである。美味い。[^.^]



 「聖フォリアン寺院の首吊男」(Georges Simenon、1930、伊東鋭太郎訳、春秋社)を読んだ。1937年に刊行された本である。20数年前に江戸川乱歩の「幽鬼の塔」を読んで感心したおりに、その元ネタとなった作品があることを知り、それから数年後に、どこかの古書市(あるいは目録だったかも)でこの古書を見つけて購入し、それからさらに20年近く寝かせておいた、いわば古書の自乗である。[;^J^]

 メグレがふと悪戯心を起こして、ある不審な(貧相な)男の鞄を入れ換えたところ、この男は鞄を失ったことを知って、絶望のあまり自殺した。ほとんど無意味な悪戯が引き起こした最悪の結末であるが、この男はそもそも何者だったのか? ..という謎から始まり、10年前、ある若者達が若気の至りから引き起こしてしまった殺人事件が彼らの人生に落とした影が語られ、ひとりの画家が憑かれたように描き続ける「首吊り男」の絵が、深い哀感を呼ぶ..いや、なかなかいい話であるのだが..「幽鬼の塔」って、こんな話だったっけ? ..と、飛ばし飛ばしパラ見して確認してみたら、案の定、じぇんじぇん違う話になっていた。[;^.^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 27 2010
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