2004年04月05日:「イッキ」亡国論 2004年04月06日:久々の歓送迎会 2004年04月07日:鞄の中の書籍を守る 2004年04月08日:高橋葉介作品発見 2004年04月09日:シンプルなテクノロジー 2004年04月10日:屋根裏から.. 2004年04月11日:..屋根裏へ目次へ戻る 先週へ 次週へ
この時節に限った話では無いのだが..歓送迎会の季節になると、どうしても(居酒屋などで)目立つもの。それが「イッキ」コールである。
私は、これが、大っ嫌いっ!!
「日本文化の汚点」だと思う。普段は、「日本の恥」などという事大主義的な色合いが無くもない言い方をこそ厭う私であるが、こと「イッキ」に関しては、迷うことなく、「日本の恥」だと言い切ってしまいたい。
「イッキ」は、人を殺すのである。自分の酒量も、従って酒の味のなんたるかも知らぬ人間をそそのかして、死に至らしめることがあるのである。もちろん、仮にそのような最悪の事態を招いてしまったとしても、当事者たちには、悪意のカケラも無いのであろう。だからこそ、なおのこと悪いのである。無知の、無垢の犯罪ほど凶悪なものが、この世にあろうか。
なぜ、この季節に目立つのか。歓送迎会である。学生の卒業パーティ(の二次会、三次会)ならともかく、社会人の新歓コンパで「イッキ」をやっているのである..ま、見た目、若い連中が主体であることが多いので、「新歓コンパ」というよりは、新入社員同士の(同期の)コンパなのだろう。まぁ、私としても、あまり硬いことは言いたくないのだよ。学校を卒業して社会人になった、その春..人生において、もっとも光り輝いている時期だと思うから。最高に昂揚しているのは、私の経験からもわかっているから..だからこそ、「イッキ」などで、その大切な時期を汚して欲しくないのだが..
目次へ戻る何しろ、部署を(実質的に)移動するのがほとんど10年振りなので、歓送迎会で送られるのも久しぶり、ということになる。終業後、車を飛ばして、会場の居酒屋「M」に18:30に到着。
もちろん、「イッキ」コールなどはない、大人の宴会である [;^J^]。女っけが無いのを遺憾とするが [;^J^]、部署の人員構成がそうなっているのだから、仕方がない。
(明日も平日ではあるし)痛飲することもなく、しかし当然、代行運転を呼んで帰宅する。(自宅まで約12キロメートル、3600円。)
目次へ戻る鞄の中に書籍を入れて持ち歩く際、それが傷みかねないことに胸を痛めることがある。ハードカバーならあまり心配はいらないのだが、特に文庫本は、カドが折れるなどの被害を受けやすい。「書籍を入れる」ことを想定している、例えばアタッシュケースの類なら比較的マシなのだが、比較的小振りな(汎用的な)バッグとか、リュックサックの類だと、内側の「カド」が直角とは限らないし、鞄そのものが剛体ではないこともあいまって、この傾向に拍車をかける。(..今、気がついたが、本のカドが折れても気にしないなどという鬼畜外道は、明日の日記まで読み飛ばすこと。)
こういう鞄(あるいはリュック等)の中に(他の荷物と混ぜて)書籍を詰め込む時に、書籍を保護する方策のひとつとして、100円ショップなどで購入できるファイルケースに入れる、という方法が考えられるが、これが案外、うまくいかない。多くの場合、文庫本よりサイズが(かなり)大きいので、鞄の中の空間の無駄遣いになることと、このケースの中で書籍が“遊んで”、ガタガタ動くのである。つまり、かえって傷つく原因となりかねない。書籍の厚みよりもやや薄め、程度が丁度いいのであるが、この条件をピッタリ満たす文庫本の方が少なかろう。(当然、分厚すぎる文庫本は、入らないわけだし。)
..という状況に悩んでいた私が、つい最近気が付いた秘宝秘法を伝授しよう。なんのことはない、どこにでも転がっている「クリアファイル」にはさんで、入れるだけのことである。
右図を見ていただければ、説明もクソも無い。これで、大概のサイズの(小型)書籍に対応できるし、鞄の中にこのようにぎゅう詰めにしても、全く心配はない。書籍のカドも表面も、完璧に保護されている。
一度、お試しください。
ヤフオクで落札した物件が届いた。「コミコミ特別編集 コミック読本 歴史コミック大特集」(1984/07/15)である。
目当てのひとつは、吾妻ひでおの傑作「どろろん忍者」がまとめて再録されていること。ヤフオクで「出品者に質問」して得られた回答では、ページ数の辻褄がいまいち合っていなかったので、何か新情報でもあれば、と考えたのである。(まぁ、単行本未収録エピソードが掲載されているかもとまでは、期待しなかったけどね。)結果、エピソードについてはなんの変哲もなし。(予想どおり、「回答」が間違っていた。)まぁいい。各エピソードのサブタイトルは、「初出誌」とも「単行本」とも異なっているものがあるが、これをリストに記載するかどうかは、悩むところ。(「どろろん忍者」のサブタイトルは、単行本ごとに微妙に異なっているケースも多々あり、実にややこしいのである。)
もうひとつの目当ては、高橋葉介の単行本未収録短編、「石女の惑星」(8頁)。わたくし的には、新発見である。
..ま、凡作だったけどね。[;^J^]
目次へ戻る「ヨコハマ買い出し紀行 11」(芦奈野ひとし、講談社、アフタヌーンKC)を読みながら、なんとなく想ったことを書いておく。
この作品世界は、一見、ローテクだが、実は極めて高度なハイテクに支えられた(何しろ、ほとんど人間と区別がつかないアンドロイドが実用化されている [;^J^])社会なのであるが..ま、それはそれとして、何度か、「レコード」が(重要な小道具として)登場した。
遠い、遠い未来社会において(あるいは、遠い、遠い未来社会のために)「音声記録」を残す手段としては..実は、CDよりもDVDよりも、アナログレコードが適しているのではなかろうか。(耐久性が劇的に改善されて、ほとんど摩耗しない、という仮定を置かせていただければ。)
なぜなら、再現性(再生性)が、極めて高いからである。遠い未来のためにCDやDVDで記録を残すのであれば、その再生装置も一緒に残さなければならない。しかし、今現在動作しているプレーヤーが、1000年後にも動くと考えられるか? まず、無理だろう。少なくともなんらかの「メンテ」が必要だろう。その「メンテ」のために、どれほど膨大な「部品」や「材料」や「工具」や「ツール」が必要かと、想像するだけでも気が遠くなる。「現在のレベルの」技術力が失われているかも知れない超遠未来において、光学系やCPUを、補給できるわけもない。(「現在のレベルの」技術力、というのが重要。現在のレベルの技術力を遙かに凌駕して進歩した社会においても、やはり補給できないであろう。原始的過ぎて、作ることが出来ないからだ。)
こうなると、アナログレコードは強い。なにしろ、レコードプレーヤーなど存在しなくても再生できるどころか、電力すら不要なのだ。轆轤(ろくろ)か何かの上に乗せて回転させながら、針を当てるだけで良いのである。(技術レベルも定かでない)超遠未来においても、あるいは超古代においても通用する記録メディアは、実はCDでもDVDでもなく、アナログレコードなのであった。(繰り返すが、摩耗の問題は解決したとして。)
かつて、「アナログ盤」という拙文で、これに関連する夢想を綴った。あなたが今、暇で退屈でほかにすることが無いのなら、これを読んでも(読み返しても)、バチは当たらないと思うな、私は。[;^J^]
目次へ戻る「屋根裏の散歩者」(実相寺昭雄監督作品、LD、バンダイビジュアル、HOLL−3022)は、私の愛惜してやまないソフトである。その内容は、2年前の紹介記事を参照していただくとして、今夜はこれにいくらか付け加える。「賄い(まかない)付き下宿」について、である。
この映画は(というか原作でもそうだったと思うが)「賄い付き下宿」が舞台なのである。各部屋とも和室であるが、朝晩、女中たちが、それぞれの部屋に食事を届け、また、廊下に出されている食器を片付けていく..私は、こういう形式の宿で暮らしたことがない。学生時代にすごした下宿は賄い付きでは無かったし、少なくとも1980年前後の学生相手の下宿屋は、仮に「賄い付き」であるとしても、それは、食堂に食事しに集まる、という形式であったはずだ。女中が各部屋に上げ膳下げ膳なんてありえなかったと思う。多分、今でもそうではないか。
もちろん、こういう下宿屋の存在(今はどうだか知らないが、少なくとも昔は存在していたこと)は知っていた..が、映像としてはっきりと認識した(意識した)のは、どうも、この映画が初めてだったような気がする。そしてこの不思議な魅力に、(物語の本筋とは別のところであるが)魅入られてしまった、という次第であった。
この雰囲気..ホテルとも違うが、しかしどこかで体験しているような気がするのだけど..
..なんだ。わかった。昨年の春に2週間入院したときと、同じではないか [;^J^]。気楽な読書と上げ膳下げ膳。そうか、そうか。やっぱり病院が(入院生活が)私にとっての「楽園」であったのか..(← 違うぞ違うぞ [;^.^])
有楽街のCOXとヴィレッジ・ヴァンガードが、5月で閉店するらしい。まことに残念。この街路の魅力、約30%減である。
目次へ戻る高丘のメインストリート(自衛隊北基地の北側)に、数ヶ月前から、妙な新築が建っているのが気になっていた。やけに大作りな、普通の住宅ともアパートともつかない、不思議な建物である。いまだ、入居者募集中。
いつも、車で通りすがるだけなので、「なんじゃろな」と思いつつ、横目で眺めていただけなのであるが..今日は、通りすがりに、「グループハウス」と掲示されているのを視認した。「グループハウス」か..この言葉は知らなかったが、ニュアンスは、確実に伝わってきた..
帰宅してから、ざっと検索して得心がいった。やはりそうか。あくまでも老人ホームではない、リタイアした人々が共同生活を送る住居なのである。そういうライフスタイルが提案されている時代なのか。
「人」と「環境次第」ではあるが、いずれ引退したら、はいってみてもいいかも、と思わないでもない。「人」というのは、やはり同居人たちであって、気が合わなければ、それはもう、お互いに苦痛だろうし..「環境」というのは、自分のためにせめて2部屋欲しいということ。寝泊まりする部屋のほかに、どうしても書庫が必要なので [;^J^]..まぁ、屋根裏は無くてもいいや [;^J^]。爺さん婆さんを覗いたって仕方が無いしさ。[;^.^]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Apr 14 2004
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