*2004年04月12日:縁起でもない..
*2004年04月13日:95年の日記から その一
*2004年04月14日:95年の日記から その二
*2004年04月15日:横山光輝、逝去
*2004年04月16日:「妖怪屋敷」
*2004年04月17日:Nさん資料、第24便
*2004年04月18日:DOSパラで発注
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*2004年04月12日:縁起でもない..


 今朝がたの夢は、まったくもって、最低の悪夢であった。

 狭い道に駐車していた(?)自分の車を出すために、切り返しつつ方向転換をしている最中に、側溝に脱輪した勢いで、フロントを潰して動かなくなってしまった。JAF(と警察)を呼ぶしか無いのだが..まずいことに、その3時間ほど前に、私はビールを飲んでいたのである。絶対に呼気からアルコールが検出される。この程度の自損事故で懲戒免職になるだろうか? ..とはいえしかし、酒気帯びでは..

 ..という、ただそれだけの夢。やりきれないのは、この「夢」の状況設定が、「私の歓迎会を兼ねた、部署のバーベキュー大会の帰り」、であることであって..それは、現実世界においては、今月末の29日に実施される予定なのである [;^J^]。私は、僅かでもアルコールが入っている状況においては、金輪際、ハンドルを握らないことを、ここに改めて宣言しておく。

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*2004年04月13日:95年の日記から その一


 職場が変わったばかりなので、ペースに乗るまでは、ただ毎日忙しいばかりで、ネタが無い。(いままでとは異なる「仕事」の内容自体、「ネタ」以外の何ものでも無いのだが、私はここには仕事の話を書かないことにしていますのでね。)..というわけで、昔の日記を漁ってネタ探し。「廃墟通信(幻想日記)」を公開したのは96年の4月からだが、PCに(テキストエディタで)日記を書き始めたのは、その4年前からである。

 公開直前には何をやっていたのかな? どんな年だったのかな? ..と、95年の日記に目を通してみたら..呆れたね。全くもって、なんちゅう1年だ..


*1月 阪神大震災
*3月 (昨年秋から開発チームの一員として刻苦勉励していた)XP−50、ついにリリース
*3月 地下鉄サリン事件、勃発
*5月 帯状疱疹に罹患
*8月 史上最大規模のFCLA夏オフに、シンセ(XP−50)デビュー
*8月 いまのところ最初で最後の、SF大会参加(はまなこん@浜松アクトシティ)
*8月 いまのところ最初で最後の、車対車の事故([;_ _] 人間は双方無傷が不幸中の幸い [;_ _])
*9月 ボイトレ開始(その後、中断 [;_ _])
*11月 北海道旅行
*11月 倉田わたるのミクロコスモス、開設

 ..濃すぎる。これは、濃すぎる [;^.^]。こんな年は、10年に一度で十分です。[;^J^]

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*2004年04月14日:95年の日記から その二


 昨日は書かなかったけど、95年の日記の12月分には、愉快な [;^.^] 記録が残されていた。ああ、そんなこともあったんだよなぁ(しみじみ)..

 12月17日、都内でFCLAの某オフに参加した私は、二次会のあと、浜松へ帰ろうとしていた(はずである)のだが..意識が戻った瞬間、私は、下り階段の上空、数十センチメートルの空中に、階段と並行に頭を下にして浮かんでいたのである..ま、わかりやすく言えば、階段の上でけつまずいて、階段の底に向かってダイビングしている、まっ最中であった。

 無論、意識が戻った直後に、ハードランディングした。全く悪運が強いことに、怪我ひとつしなかった。(これは、泥酔者一般について観察される現象である。つまり、意識朦朧の状態であるが故に、体のどこにも(無用の)力が入っていないがために、結果的に綺麗な受け身がとれていることが、しばしば(あるいは、たまに)あるのである。)..これで終われば、文句無しのハッピーエンドであったのだが..

 ..鞄がなくなっていた [;_ _][;^.^]

 この事態のショックで、さすがにいくらか戻ってきた理性にすがって、駅の構内を探し回ったのだが..この時点で判明したことであるが、ここは新宿駅。広すぎる [;^J^]。結局、浜松への終電には間に合わない時刻になってしまったので、カプセルホテルへ。

 翌朝、会社へは休暇を取る旨連絡しておいて、前夜の私の移動経路を必死になって推理しつつ、鞄を置き忘れている可能性がある駅に片端から問い合わせるが、見つからない。(そもそも昨夜、なぜ新宿駅にいたのかも理解できていないのだから、都内のどこに鞄を置き忘れたのか、推理できるわけが無いのであった。[;^.^])

 ..という状況であるのだから、これ以上、都内で甲斐のない捜索をしても無駄。午後には、諦めて浜松への帰路につく。大事なことは、この紛失によってどれだけの損失を被ったのか、正確に見積もることである。

 実際には、それほどのことはないのだ。帰路の新幹線車中で、通帳と印鑑が入っていたことを思い出したので、浜松に着くやいなや、直ちに銀行に紛失届けを出して停止処理をしたし、コンタクトレンズの道具も無くしたのだが、これは駅前にある店で買い直したし..

 実のところ、その日いちにち、一番悔やんでいた(紛失)被害は..入手困難な「スターシップ」(新潮文庫)、「千夜一夜物語 バートン版全訳」(角川文庫)の第9巻(せっかく、古色を帯びた全巻セットを古書店で購入したのに、この巻だけ買い直すと調和が乱れる)、「スターメイカー」(国書刊行会)..つまり、書籍のことばっか。[;^.^]

 さて、翌日、出社してみたら..なんと、会社に市川警察署からの伝言が届いていたのであった! 新宿駅で鞄を拾得された人が、自宅だか会社だかがある市川(千葉県)の警察署に届けて下さったらしく、警察では、鞄のコンテンツから、その持ち主の住所氏名を容易に特定できた、という次第である。感謝感激!

 拾得された方の連絡先を聞いて、さっそく、お礼の電話。そして預り書を書き留めで送っていただく。これを持って警察署に受け取りに行くのだが、なにせ千葉県のことではあるし、すぐには機会が作れない。結局、翌年、1月25日に受け取りに行ったのであった。

 以上で、この事件は大団円を迎えたわけなのであるが..それにしても、この年の日記を読み返していて、改めて呆れるのは..まったくもって、FCLAのオフ三昧。多分、この年が参加回数のピークである。1年間で38回である [;^J^]。FCLAのオフ活動自体がもっとも活発だった時期であるから、東京近郊のFCLA人には、参加回数が私以上の人も大勢いたとは思うのだが、なにしろ私は(滅多にオフが開催されることもない)浜松に住んでいるのである。にも関わらず、38回。[;^J^]

 開催場所別に分類してみると、


*東京 28回
*大阪 4回
*浜松 2回
*名古屋 1回
*横浜 1回
*鎌倉 1回
*札幌 1回

 ..という、神出鬼没ぶりである。[;^J^](さすがに、札幌には、オフのためにわざわざ駆けつけたのではなく、北海道旅行のついでに、迎撃オフを開いて頂いたのであるが。)

 実際、名古屋から上京する人を東京で「迎撃」するオフにすら、参加しているのである。それは「迎撃」とは言わんのでは。[;^J^]..これを書いていて思わずハイな妄想が暴走してしまったのは、今頃になって「ローマ人の物語」(もちろん、昨日今日の文庫本バージョンではなく、十年間じっくりと熟成した単行本 [;^J^])を読み始めていて、ちょうど今、第2巻の「ハンニバル戦記」にはまっていたからであった..て、お前はハンニバルかよ。→ [;^.^]

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*2004年04月15日:横山光輝、逝去


 久しく、寝たきり状態ではあったらしいが..しかし老衰でも不治の病でもない、事故死である。惜しい。私自身は、格別熱心なファンだったわけではないが、しかし、老若男女、誰が読んでも楽しめる、まさに「国民漫画」と言える作風であった。

 合掌。

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*2004年04月16日:「妖怪屋敷」


 某古書店の目録で発見して発注していた、「妖怪屋敷」(好美のぼる、曙出版)が届いた。これは、久しい以前から探していたものなのである。価格も、廉くはなかったにせよ、まずまず妥当な範囲内であった。

 好美のぼるの名前など知らない読者の方が、多いであろう。貸本漫画時代を生き抜いてきた、怪奇漫画の帝王。手塚治虫の逝去の年に筆を折り、1996年に亡くなった。その著作数は300冊以上..つまり、量的には、手塚治虫とほとんど同等なのである。そして、その300冊の内容だが..まさにB級C級の濫作だったようだ。(私も(サンプルとして)何冊かは購入して持っているのだが。)

 例えば、この「妖怪屋敷」の巻末の広告ページを眺めただけでも、その片鱗は伺える。まず、「好美のぼる 妖怪シリーズ」として、「呪いの忍笛」「妖怪祭り」「妖怪祭り2」「妖怪百面相」「妖怪地獄」「妖怪一族」「妖怪合戦」「にくしみ」..そして、「好美のぼる 新妖怪シリーズ」と銘打って、「変身妖怪」「妖怪七変化」「妖怪もどき」「妖怪屋敷」「超獣妖怪」..

 ..ちょっと、クラクラするでしょう? [;^J^](なんなんだよ、「妖怪百面相」、つーのはよっ! [;^.^])しかし私は、この明らかに粗製濫造な一群のタイトルをもってして、手塚治虫より「下」だなどというつもりはない。才能(の使い方)の種類が違うだけなのだ。そしてこれだけ量産した(できた)ということは、明らかに市場価値があったわけなのである。(少なくとも、スランプに落ちた時期の手塚治虫よりは。)

 私が「妖怪屋敷」というタイトルを知ったのは、SFマガジンに連載されていた唐沢俊一の「ちょっと変な漫画」というコラムでだったと思う。このB級漫画家の一群の作品の中でも、ある意味、際だって個性的な作品として。

 物語は、そこそこ面白くて、そこそこつまらない、要するに少しも後を引かない、文字どおり「読み捨て」られるために作られた類である。その意味では、好美のぼるの、全く標準的な作例と言える。主人公は、とある学生で、(家庭教師として)大きな屋敷に誘い込まれる。そこには妖怪一族が(人間に化けて)棲息していた。妖怪の娘の婿にされそうになるが、主人公を愛した彼女の自己犠牲によって、脱出に成功する(妖怪屋敷は滅びる)、という、そこそこいい話。

 唐沢俊一が注目したのは、その中盤の異常な「展開」である。いや、これを「展開」と言えるかどうか..つまり、妖怪屋敷の中を逃げ回る主人公が、ひたすら妖怪たちに脅かされるシーケンスなのであるが..


 頁を繰ると、右側頁が全頁大で、「(鬼)」というキャプション付きで、「食ってやる こっちへこい ちょうど夜食まえだ!」、そして左側頁で4コマか5コマ使って、主人公が「ウァ」とかいいながら逃げ回った末、次の部屋のドアに逃げ込むと(読者が頁をめくると)、右側頁が全頁大で、

 「うまい肝をもっているか 抜いてやろ 食ってやろ!」(すいこ)、そして左側頁で4コマか5コマ使って、主人公が「ウガッ」とかいいながら逃げ回った末、次の部屋のドアに逃げ込むと(読者が頁をめくると)、右側頁が全頁大で、

 「わしはキツネじゃ いやタヌキじゃ ばかにしてやる たぶらかしてやる!」(むじな)、そして左側頁で4コマか5コマ使って、主人公が「アッ」とかいいながら逃げ回った末、次の部屋のドアに逃げ込むと(読者が頁をめくると)、右側頁が全頁大で、

 「生きているやつはきらいだ 死んで来い 死人ならくらってやる!」(もうりょう)、そして左側頁で4コマか5コマ使って、主人公が「ワーッ」とか「ウアッ」とかいいながら逃げ回った末、次の部屋のドアに逃げ込むと(読者が頁をめくると)、右側頁が全頁大で、

 「いいえりもとじゃ くっついてやる くっついてはなれんぞ!」(ぶるぶる)、そして左側頁で4コマか5コマ使って、主人公が「アアッ」とかいいながら逃げ回った末、次の部屋のドアに逃げ込むと(読者が頁をめくると)、


 ..これが26回も繰り返されるのである [;^J^]。これは凄いよ、頭の中が真っ白になるよ [;^.^] 手塚治虫も、こんな手法は、思い付かなかったしねっ![^O^]

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*2004年04月17日:Nさん資料、第24便


 昨夜届いていた、Nさんからの手塚治虫関係資料、第24便を整理する。今回の目玉は、

ぼくがいちばん困ったとき うらめしい日曜日(エッセイ):1:少年サンデー:62/01/28
鬼丸大将 リボンサイダー広告:1:少年キング:69/05/04
レコードジャケット(イラスト):2:「ブッダ」(日本コロムビア、CS-7096):83/04/21
シンセサイザー“ブッダ”によせて(エッセイ):1:「ブッダ」(日本コロムビア、CS-7096):83/04/21
包装紙イラスト(阪急岡町商店街・けやき昆布本舗):?:?:?

 ..と言ったところかな。最後のは何なんだと思われるでしょうが、在阪時代に描かれたものらしい。昭和20年代か? なかなか味のあるデザインなのである。

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*2004年04月18日:DOSパラで発注


 ま、Win95なのである。私のリブ100は、いまだに。(← 倒置法。[;^J^])この機体の使い方からするに、別にこれで十分だし、今さら大概のウィルスもワームも、Win95なんか相手にしてくれないので、安全で快適なのだが..しかしやはり、レトロ過ぎるのである [;^J^]。テレビなんか見なくてもいいにしても、WinXPくらいは使わないとね。

 というわけで、XP機を買い足すことにした。リブ100はハードが非力すぎるし、自宅にはもう1台、Win98機があるのだが、これもハードがレトロ系。マザーボード入れ替えたりなんたりしているよりは、もう、セットアップされた奴をまるごと買う方が簡単確実。

 朝いちで散髪してから、浜松のDOSパラへ。DOS/Vマガジンの広告であたりをつけていた奴を発注する。(スーパードライブに交換、とか注文をつけたので、即納(お持ち帰り)ではなくなってしまった。)来週の日曜日にゲットする予定。

 昼食は、DOSパラのすぐ近くにあることが判明した「青空きっど」という、つけ麺屋。社内で良い評判を聞いていたので、以前から気になっていたのである。なかなか美味。

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*解説


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Last Updated: Apr 21 2004 
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