*2003年11月24日:楽器博物館/魔笛
*2003年11月25日:古色蒼然(あるいは燻し銀)
*2003年11月26日:ゲルギエフのベルレク
*2003年11月27日:「魔王ダンテ」リメイク版、完結
*2003年11月28日:小沢健二のインプレ
*2003年11月29日:毎度おなじみ東名バス
*2003年11月30日:亡父の十三回忌
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*2003年11月24日:楽器博物館/魔笛


 佐鳴台の「にんじんパパ」で朝食を食べてから、久しぶりに楽器博物館へ。目当ては企画展「ピアノ大解剖」であるが、Tさんはここは初めてなので、常設展も見て回ったのだが..全部は回りきれなかった [;^J^]。2時間コースだと記憶していたのだが、丁寧に回ると、実は4時間コースなのであった。昼食時刻になってしまったので、常設展は1/3以上省略した。ま、この展示はどこにも逃げるわけではないので、日を改めれば良いのである。

 昼食は、駅前のタージマハールでインド料理。ナンとカレー。

 ヤマハでCDや楽譜を見繕うが、特に購入せず。有楽街のヴィレッジヴァンガードで渋松対談の本(またかよ [;^J^])、ジョーシンでDVDを3枚買う。(イエスのライヴ×2+「海底軍艦」。)車で富塚町のツタヤに移動し、CDを5枚借りる。(Tさんお薦めの小沢健二を3枚と、戦メリのサントラと、ラピュタのサントラ。)ここで我々は戦メリを棚から見つけられず、店員さんも、端末では在庫有りとなっているのになかなか店内から発見できなかったのだが..理由はシンプル。「サントラ」でも「坂本龍一」でもなく、「クリスマスソング」に分類されていたのであった。[;^J^](普通の神経の持ち主は、そんなところは捜さない。[;^J^])帰宅してから、これらをひととおり聴く。(私にとっての初物は、小沢健二である。インプレは、日を改める。)

 Tさんに、「魔笛」(モーツァルト)のLDを観せる。(UNITEL/60VC913〜4、サヴァリッシュ指揮/バイエルン国立歌劇場管弦楽団、エヴァーディング演出、クルト・モル、グルベローヴァ、フランシスコ・アライザ、ルチア・ポップ、ウォルフガング・ブレンデル、他。)私は、オペラ・バージンにオペラを手ほどきする時には、いつも、この名盤を観せることにしている。“外した”ことが一度も無いのだ。かなり長いオペラなのだが、今回も、最後まで面白く観てもらえたようである。

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*2003年11月25日:古色蒼然(あるいは燻し銀)


 (今夜のネタは、SF者であると同時にシンセ者(あるいはプログレ者)でもあるオタク読者限定である。)

 今月号のSFマガジンは、スタニスワフ・レム特集である。それはいい。ただ、編集後記に、こんなことが書かれていた..「巽さんは、「いま、現代文学界に広くアピールできるSF作家は、バラード、ディック、レムの三人だ」とおっしゃっていました」..

 ..って、つまり、あれか。よーするに、SF界は、「いまだにキーボードマガジンの表紙が麗々しくリック・ウェイクマンやキース・エマーソンやYMOで飾られているシンセ界の同類だ」、っつー意味かっ!?(あ痛たたたたたたたたっ!! [;^O^] 書くんじゃなかった [;^.^]..

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*2003年11月26日:ゲルギエフのベルレク


 東名バスで上京。12:50霞ヶ関着。まずは国会図書館。普通、国会図書館に用がある場合は、開館時刻(9:30)に間に合わせるために新幹線を使うのだが、今日は、予定調査案件が10数件と少なく、比較的短時間で調査が終了する見込みであるので、交通費を惜しんだという次第。

 しかし..目下、国会図書館は、ひっじょ〜〜にっ!不便な状態にある。システム変更中だとかで、利用カードすら発行されず、貸出もコピーも何もかも、全て手書きで運用されているのである。まぁ、移行中の臨時措置として、やむを得ないっちゃー、やむを得ないかも知れないが..問題は、この「臨時措置」が、来年の秋まで続く!..ということなのである!! な、な、なにそれっ!? システムの移行・再構築に、1年もかかるって!? ここは地球か!? 本当に外界と同じ時間流が流れているのか!? 永田町1−10−1は、亜光速で移動中だったりするのではないか!?..

 ..一事が万事。いくらお役所仕事だとはいえ、この時間感覚..2〜3ヶ月で片付けろよ。(せいぜい1ヶ月、といいたいところだが..)全く..これじゃ到底、21世紀じゃないよ。まるで江戸時代だよ..

 ..ま、とにかく、手塚治虫関係の調査。

手塚治虫氏との宇宙ランデヴー(インタビュー)(芳村真理氏)::5:婦人公論:63/08
マンガ映画を海外に進出させた 手塚治虫・悦子さん夫妻(インタビュー)(河盛好蔵氏)::7:主婦の友:63/10

 ..は、ヤフオクの出品状況に網を張っていて発見したもの。

大公開!!まんが家年賀状 今年こそ公害を追放しよう!!::1:COM:71/01

 ..は、従来、「希望の友」誌に掲載されたものだと思い込んでいた(なんらかの情報源から誤記したか、その情報源が誤っていた)ため、これまで発見できていなかったもの。(Nさんからの情報で、判明したのである。)

人間はどこまで生きられるか(座談会)(渥美和彦、阿部裕、石井威望、桑木務、小松左京氏)::44:メディコピア 11号:84/07/20
メッセージ賛歌(エッセイ)::1:映画アニメグラフィティ「11人いる!」(小学館):86/12/01

 ..は、数年前に「雑誌だと思い込んで」逐次刊行物目録で検索して見付からなかったため、「国会図書館に蔵書無し」フラグを立てたままだったのだが、今回、ふと気がついて、雑誌or一般図書で検索をかけてみたら..いずれも「一般図書」カテゴリで発見できたもの。まことに教訓的な物語である。(「廃墟通信」は、本当に、面白くてためになる読み物ですね。[^J^])

 上記以外にも数件の調査をしてから、現代マンガ図書館へ。ここでは閲覧は、プレイコミックを1冊のみ。(所要時間、10秒フラット。)むしろメインは、ヤフオクで売れ残った雑誌(「別冊 週刊漫画TIMES」)を2冊、寄付したことである。目録を確認したところ、実にうまいぐあいに、この2冊は蔵書が無かった。

 時間が無いので、神保町はパス。秋葉原に直行して、石丸でCDを1枚。

 そして六本木へ。久しぶりにサントリーホール。本日のメーンイベント、読売日本交響楽団の定期演奏会、ゲルギエフ指揮する、ベルリオーズの「レクイエム」である。

 ベルリオーズの最高傑作クラスの名作である「レクイエム」については、拙稿が参考になる。(「新・ベルリオーズ入門講座 第3講 死者のための大ミサ曲」、「鳴り止まぬティンパニ」。)暇な方は眺めていただくとして..この曲を演奏する際に問題となるのは、その特異な「編成」と楽器の配置を、いかにして実現するか、である。特徴的なのは、「16台のティンパニをはじめとする、大編成の打楽器群」と、「会場の四隅に配置される金管楽器群(バンダ)」であり、前者は比較的問題にならない(作曲者の指示どおりの人数を集められる)のだが、後者については、会場の制約が大きいのである。

 解決方法は、何とおりかある。

* 指示どおり、なんとかして会場の四隅におく。(会場四隅配置と呼ぼう)
* 会場ではなく、舞台の四隅におく。(舞台四隅配置と呼ぼう)
* 舞台の両翼と、その外側(少し客席より)におく。(両翼配置と呼ぼう)

 ..さらに、これらの折衷型。無論、「会場四隅配置」以外は、作曲者の指示に反する「妥協案」であり、本来の「金管群の立体音響が飛び交う」効果が得られないことは、言うまでもない。

 私はこの曲については、21セットのCDの他に、LDを2セット、実演を4回、つまり都合6回、「目撃」している。(そして今夜が7回目というわけだ。)それらの「解決方法」をまとめておこう。

 まず、これら全てに共通していることは、

* 四隅のバンダ、及びホルン、バスーンの人数は、作曲者の指示の、丁度半分。
* 弦楽器群と、合唱も、ほぼ半分。
* 打楽器は、ほぼ指示どおりだが、シンバルとタムタムは、多くの場合、半分以下。(ただし、ティンパニ奏者は10人以下(6人程度)のことも多い。これは、ベルリオーズの時代と異なり、ペダル・ティンパニを使ってピッチを変えつつ演奏できるからで、譜面に書かれている音は全て、叩き出せている。)

 ..ということである。

* バーンスタイン指揮/フランス国立管弦楽団/他(LD、TOLW−3678〜82)
舞台四隅配置。
* コリン・デイヴィス指揮/バイエルン放送交響楽団/他(LD、PILC−1165)
舞台四隅配置。
* 若杉弘指揮/新日本フィル/晋友会/他、東京文化会館、1992年7月1日
舞台四隅配置。
* 小澤征爾指揮/ボストン交響楽団/タングルウッド音楽祭合唱団/他、サントリーホール、1994年12月10日
会場四隅配置。
* シャルル・デュトワ指揮/NHK交響楽団/国立音楽大学合唱団/他、NHKホール、2002年12月13日
両翼配置。
* 沼尻竜典指揮/名古屋フィル/愛知県合唱連盟/他、名古屋市民会館、2003年10月5日
両翼配置。

 そして、今回は..

* ゲルギエフ指揮/読売日本交響楽団/キーロフ歌劇場合唱団/他、サントリーホール、2003年11月26日
会場四隅配置と両翼配置の折衷型

 ..というわけだ。

 サントリーホールの構造をご存知の方はお判りかと思うが、このホールの客席は、おおざっぱ、「すり鉢の底」にあり、そのすり鉢の最上辺に、バンダを配置することが可能なのである。そしてかつての小沢の実演では、最上辺の(ほぼ)四隅にバンダを配置したのだが、今回、ゲルギエフは、最上辺の「両奧と、左右」に配置した。

 会場入りしてすぐにこれを確認した私は、その時点では、正直、多少失望したのだが..しかし実際に演奏が始まってみると、これで十分、立体音響が実現できている。特に今回、私は、1階席のほぼ中央やや前より、という、ある意味「ベスト」な場所で聴いており、まさに天上から、金管群の音響が降り注いできたのである。

 音響的には、これまで接してきた実演中、最高の感銘が得られたと言える。(上記小沢の実演(同じくサントリーホールにおける、会場四隅配置)の時は、座席がこれほど良くは無かった。)ただし音楽的には、多少、難ありであった。

 第1曲から第6曲までアタッカ(切れ目無し)で一気に演奏し、第6曲(ラクリモサ)が終わったところで、初めて指揮者は腕を下ろし、再チューニング。(以降、最終曲(第10曲)までは、ことさらなアタッカではない。)この処理は、極めて妥当である。

 全体的に、声楽陣に問題がある。この合唱団、必ずしもうまくないのだ。ピッチが揃っていないところが、しばしばある。常にでは無いが..澄んだ響きが聴こえないのだ。また、第9曲「サンクトゥス」が特に問題で、テノールソロの中本聡が、いまいちなのだ。弱音で囁くように歌い出すのはいいが、この弱音を支えきれず、弱々しい響きになっている。少なくとも“天上の声”ではない。また、ABA’B’構成なのだが、B、B’の「ホザンナ・イン・エクセルシス」のパートのフーガが、勢いが(というか、威勢が)良すぎて、落ち着かない。

 ..とはいえ、全体としては、良い演奏会だったと思うし、私は十分、満足した。21:30のひかりで浜松へ。こだわりやまで一息ついてから、タクシーで帰宅。

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*2003年11月27日:「魔王ダンテ」リメイク版、完結


 午前半休。クリーニング、郵便局、その他。

 「マガジンZ」誌で連載されていた「魔王ダンテ」(永井豪、リメイク版)が終わったが..結局、ダメでした、これ..

 「魔王ダンテ」とは、「デビルマン」に先立つ、永井豪のSF長編第一作であり、掲載誌(「ぼくらマガジン」)の廃刊によって未完となった、まさに伝説的な作品である。

 超古代の地球。先住民族である「人類」は、凶悪な侵略者である「神」にその文明を滅ぼされながらも、醜い怪物的な姿の「悪魔」となって生き延び、遙かな時を経た現代に蘇って、「神」の子孫たる「現世人類」を掃討すべく、戦いを挑む..「デビルマン」の原型であることが、お判りであろう。オリジナル「魔王ダンテ」は、まさにこの「悪魔対人類(神)の最終戦争」が始まろうとする個所で、中断していたのである。

 去年の1月に今回のリメイク版の連載が始まった時から、危惧していたのだが..なんとも軽く、屈託が無い。オリジナル版の、「神話的」としか言い様がない、圧倒的なエネルギーも怨念も悪夢的な雰囲気も無い。今回の連載がオリジナル版に付け加えたものは、“何もない”。オリジナル版の連載中断によって、いくつかの伏線(というか“言葉”)が宙に浮いたままになっていたのだが、それらのうち特に目立つ、「サタンの力を借りろ..」と「アダムとイブに気をつけろ..」を、解決しただけである。そしてこれがまた、なんというつまらない解決方法であることか..要するに、「そういう名前のキャラクターを登場させた」だけであり、前者は「ダンテの友人(戦友)」であり、後者は「神の超強力兵器(兵士)」である。こんなものは、読みたくもなかった。

 そして、悪魔(先住人類)と神(現世人類)の最終戦争であるが..なんというつまらない結末..そりゃ普通、戦争をすれば、どちらかが勝って、どちらかが負けますよ..(そして今回も、読者の予想どおりの側が勝ったわけなのだが..)しかし、例えば「デビルマン」は、「ハルマゲドンでどちらが勝ち、どちらが負けたかなど、もはや全く問題にならない、超絶的な結末(ヴィジョン)」を呈示して、読者を圧倒したのであるが..それに比べて、今回のこの「ハルマゲドン」は..いやもちろん、永井豪の天才をもってしても、生涯にただ一度しか書けないであろうほどの傑作「デビルマン」と比較するつもりは無いのだが、しかし、それにしても..この最終頁の「“オチ”的なナレーション」に至っては、もはや、唖然・呆然..まるでイミテーション..縮小再生産..

 思えば..目覚ましい“中断シーン”によって、読者にほとんどトラウマに近い鮮烈な印象を残した「凄ノ王」の完結編である「凄ノ王 超完全完結版」の終わり方も、なんとも手緩い、敢えて言えば“ふぬけた”ものであったし..「凄ノ王」同様、連載中断・連載再開を繰り返した「バイオレンス・ジャック」のエンディングも、毀誉褒貶、相半ばするものであった。(この作品については、私は、わりと評価しているのだが。)また、中断作品ではないが、「デビルマン」の再話である「デビルマン・レディー」がまた、なまぬるい作品であったし..

 ..もはや、結論は明らかであろう。永井豪は、未完の作品を完結するのは禁止!! [;^.^]

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*2003年11月28日:小沢健二のインプレ


 今週月曜日に、ツタヤで(Tさんに薦められて)レンタルした小沢健二のCD、3枚。月曜日にひととおり聴いたあと、3日間かけて、1日に1枚ずつ聴きこんでみた。そのインプレを書こう。月曜日に最初に聴いたのは「Eclectic」なのだが、インプレは、そのあとに(3日間かけて)聴いた順に行く。

 前提条件として..私は、小沢健二を全く知らなかった。(名前だけは聞いたことがあるような気がしなくもないが、多分、気のせいであろう。)また、このあたりのジャンル、音楽シーン(J−POP?)についても、無知である。従って、他のミュージシャンとの比較は出来ないし、これらのCDで聴かれる音楽や手法についても、それが、新しい/古い/独創的である/ありふれている、などの批評は出来ない。あくまでも、この3枚、それ自体の印象批評である。

 まず、「球体の奏でる音楽」。「なんと少年っぽい(子どもっぽい)!」、というのが、第一印象。無垢というか、若々しいというか..しかしこの印象は、ジャケットとブックレットに掲載されている“写真”に惑わされている可能性も、かなり高い。あまりと言えばあまりなほどの(語弊を恐れずに言えば)“幼さ”なのだ。当時、何歳だったのかは知らないが、特に、仰向けに横になっている写真など、どう考えても、まともな成人男子の姿勢ではない [;^J^]。全く、人ごととは思えない..[;^J^]。そう、つまりそこなのだ。ここに聴く(ここに見る)小沢健二の「子どもっぽさ」は、実に、倉田わたるの「子どもっぽさ」に近い。もちろん、私は、こんな音楽は創らないし、こんな詞は書かないし、こんな歌は歌わないし、これほど若くはないし、これほどハンサムでもないし..(とはいえ、小沢健二が、それほど男前だとは思えないけどね [;^J^]..)しかし、こういう“横たわり方”は、いかにもしそうなのである [;^J^]。他人じゃないよ、こいつ [;^.^]..

 次に、「犬は吠えるがキャラバンは進む」。これは、今夜、この日記を書く段になって、初めて(チェックして)気がついたのだが..「球体の奏でる音楽」よりも、古かったのか!(「犬は吠えるが..」は1993年、「球体の..」は1996年。)「球体の..」の方が、若い頃の作品だと信じ切っていた。(それほどまでに、「球体の..」は、若々しいのである。)Tさんも言っていたように、一聴すると、似たような曲が多いのであるが、繰り返し聴いているうちに、クセになる。

 「Eclectic」が、もっともアダルトなアルバムである。それもそのはず、2002年にリリースされたもの。なんでも、数年間沈黙したのちの作品らしい。ジャケットデザインが、上記2盤に比べて遙かに洗練されており、音楽ともども、スタイリッシュ。全編にわたってうっすらとかけられたフェイザーが、統一的なサウンドイメージを創りだしているが、これはこれで作為的な演出と言えなくもない。(そして私は、それ(作為的な演出)を否定することはしない。念のため。)

 「球体の奏でる音楽」収録曲では「ブルーの構図のブルース」「すぐに会えるかな?」、「犬は吠えるがキャラバンは進む」収録曲では「暗闇から手を伸ばせ」「天使たちのシーン」「ローラースケート・パーク」、「Eclectic」収録曲では「麝香」「あらし」が、特に印象的であった。

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*2003年11月29日:毎度おなじみ東名バス


 それにしても、新幹線を使って浜松から上京する人数に比べると、東名バスによる上京者数は、ほとんど“誤差”としか言い様がない。みんな、そんなに急いでいるんだろうか? 東京には、昼頃に着ければ十分なことも多いはず。その場合は、バスを使えば新幹線の半額で上京できてしまうのであるが..まぁ、このバスの宣伝をし過ぎて利用者数が増えて混んでしまっても、私としては困るのであって、今ぐらいが丁度いいのではあるけれど。[;^J^]

 霞ヶ関には30分強遅れて12:58着。まず、現代マンガ図書館へ。とはいっても、本日は調査予定案件はほとんど無い。“かつて蔵書されていなかったが、その後に追加収蔵された書籍・雑誌”がないかどうか、リストをざっとチェックする。吾妻ひでおについては、空振り。手塚治虫については、アンケート回答を(偶然)1本、発掘できた。神保町に寄ってから、実家へ。

 H2A打ち上げ失敗。実に痛い..

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*2003年11月30日:亡父の十三回忌


 今回の帰省は、亡父の法事のためである。法事といっても無宗教なので、一応「節目」のタイミングだけは仏式から拝借するが、実態は、墓参りと会食だけである。

 出がけには(台風が来ていたようで)かなりの雨だったが、横浜霊園のある金沢八景駅に着く頃には小止みになっており、助かった。とはいえ、もしも土砂降りであれば墓の掃除は省略されたところを、雨が上がったために掃除しなければならなくなったのだから、プラマイゼロである。[;^J^]

 墓参りをすませてから横浜駅に戻り、東口の崎陽軒(きようけん)で中華料理の会食。親族総勢11人。長男として、ごくごく略式の挨拶をする。

 15時過ぎに散会。雨はほぼ上がっている。15:45新横浜発のこだまで、浜松へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 3 2003 
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