2003年12月01日:眠りに落ちるとき 2003年12月02日:断頭台への行進×15 2003年12月03日:街角の恐怖 2003年12月04日:廃墟を磨く 2003年12月05日:陽の光 2003年12月06日:国会図書館/手塚治虫初期連載作品群/墓参り 2003年12月07日:浜響定期/チャイコフスキー&メンデルスゾーン目次へ戻る 先週へ 次週へ
けっして睡眠不足気味だというわけではないのだが..私はしばしば、睡魔に襲われがちである。前夜に十分な睡眠をとっていても、わりと簡単に居眠りできてしまうので、多少とも体質的なものか..あるいは、単なる“クセ”かも知れないが。
で、どういう時に眠くなるかというと..ひとりで端末に向かっている時ではない。「人の話を聞いている時」である [;^J^]。(もしもあなたが私の知人であるなら、きっと、思い当たるフシがあると思う。[;^J^])典型的には、会議(ミーティング)中ね。これは困る。かなり困る [;^J^]。しかし、眠気を吹き飛ばす特効薬もまた、判っているのだ。
それは、「人の話を聞いてばかりいないで、自分から能動的にしゃべる」ことである。この効果は、まさに劇的。睡魔など跡形もなく消し飛んでしまう。要は、知的刺激が云々かんぬん..別に、分析するまでもないやね。理屈は自明だろう。
じゃあ、全然、困る理由は無いじゃないかって? もちろん、そのとおり。その会議で、自分が話す(発言する)話題があればね! [;^.^](← そもそも自分からアウトプットするネタが無いような会議に出るんじゃねーよっ! というのが、身も蓋もない正論ではあるが、そうも言ってられない(用は無いが、バックレるわけにもいかない)会議っつーのもあるんでね。[;^J^])
目次へ戻る数日前に購入した、珍品(つーか“色物”)CDのインプレを書いておこう。「断頭台への行進」(UNIVERSAL、UCCS−1043)。ベルリオーズの「幻想交響曲 第4楽章“断頭台への行進”」ばかり、15種類収録したもの。[;^J^](この類のCDとしては、「ベイヌムからシャイーまで11種の“春の祭典”」(LONDON、DCl−1021)という、「“春の祭典”より“大地の踊り、乙女達の神秘的なつどい/いけにえの讃美”」が11連発、つーのも持っていたりするんですが。[;^J^])
ま、生誕200年ならではの“バカ企画”っつーわけだが [;^J^]..これがなかなか捨てたものではなく、大変、興味深く聴けたのである。
内容は、
1. ベイヌム指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1951 2. モントゥー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1957 3. オッテルロー指揮 ハーグ・フィルハーモニー管弦楽団 1958-59 4. マルケヴィッチ指揮 ラムルー管弦楽団 1961 5. ミュンシュ指揮 ハンガリー放送管弦楽団 1966 6. アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1967 7. ストコフスキー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 1968 8. 小澤征爾指揮 ボストン交響楽団 1973 9. メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1979 10. デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 1984 11. レヴァイン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1990 12. コリン・デイヴィス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1990 13. ガーディナー指揮 オルケストル・レヴォリューショナル・エ・ロマンティーク 1991 14. ショルティ指揮 シカゴ交響楽団 1992 15. チョン・ミュンフン指揮 パリ・バスティーユ管弦楽団 1993
..である。上記のうち、1、2、4、5、8、9は、これまで持っていなかったソース..とはいえ、これらの指揮者(または指揮者とオケの組合せ)の、別のテイクは、大抵、持っているのだが..意外だったのは、小澤征爾盤をひとつも持っていなかったこと。今回、初めて気がついた。“盲点”というのは、どこにでもあるものである。
..というわけで、多くは、既知の演奏であるし、そもそもこれらを含めて、幻想交響曲のCD/LD/DVDを70種ほど持っているので、“演奏表現のバラエティの幅広さ”については、熟知していたわけであるのだが..まとめて聴いてみて、「これほどの違いがあるのか!」、と、改めて再認識した。いやぁ、これはやっぱり、面白いや!
この15トラック中、最も“名演”と思えるのが、10.のデュトワと、11.のレヴァインである。いずれも“重厚な”響きが特徴的で..まぁ、この曲に関して言えば、私の好みが「“重苦しい系”の演奏」だ、ということもあるが。デュトワは、まさに“優等生的”な名演であり、このピースから引き出すべき“面白さ”と“凄み”を、万遍なく再現(表現)している、という感じ。これに対してレヴァインは、“病みたる重戦車”[;^.^] という風情で、これはこれで実によろしい。(私は、こちらの方が好きである。[;^J^])初めて聴いた小沢盤の“快速・快演”も、悪くない。
強者(つわもの)をこれだけ揃えると、初演当時の楽器(と演奏会場)で演奏されたガーディナー盤のサウンドの特異性が、よくわかる。また、これら15テイクのうち最も“冴えない”のが、(自他共に認める「幻想交響曲」のスペシャリストである)ミュンシュのトラックだ、というのも面白い。まぁ、ここに収録されているミュンシュの演奏は、有名なパリ管盤でもボストン響盤でもない、私も初めて聴くテイクであり、オケの技量に問題があることも確かである。
しかし..しかし、「名演」とか「上手い/下手」とかいった論点を、全部度外視して..(というか“吹っ飛ばして”..)ばっつぐんに! 面白い! のが! 7.のストコフスキーである! ..どのくらい面白いのかというと、もう、どっひゃ〜っ!! \[;^O^]/..というぐらい! ..わかりにくいかな。じゃぁ、うわわわわわ〜〜っ!!\[;^O^]/..というぐらい!!(..同じですか。そうですか。[;^J^])なんというか、もう、べらぼうであるっ!
とにかく、ここ数日間、このCDをカーステに放り込んで聴いているのだが..もっとも危険なのが、トラック7であった。思わず上体がずっこけるわ、「こ、これ..な、な、な..アハ、アハ、アハ..[;^O^]」状態だわ、腕も脚も踊り出しちまうわ、興奮してアクセルを蹴り込んぢまうわで、もぅ、危ねぇ、危ねぇ..[;^.^][;^.^][;^.^] そんじょそこらのハードロックもヘビメタ(古い!)も、メじゃないっつーのっ!
まさに天才! ストコフスキーこそは、「音楽を面白く聴かせる」ために、ただそれだけのために生まれてきた、超天才だったのである..あぁ、ストコフスキーさえ健在なりせば、こんにち、世界のクラシック音楽業界が、これほどの不況に見舞われることもなかったろうに..(シミジミ..)
目次へ戻る昨夜、街中に出るバスの車中から、外をぼんやりと眺めていたら..浜松城前の交番のあたりで、何やら“恐い”ものが視界のすみに引っかかったのである..
..あれは一体、なんだったのだろう?..と、今夜はわざわざデジカメを持って、その近くのバス停で降りて、交番付近へ..
..何のことはない、ポスターであった..でも見てよ、これ..「私は、見た」、はいいんだけどさぁ..そうでなくとも物騒になりつつある世相に、さらに“ホラー”の種を振りまいて、どうするんだよぅ。[/_;]
(それはそれとして、携帯のこういう使い方も、既に実用化されているのだね。別に「監視社会」がどうこうとは(この事例からは)思わないけどね。)
目次へ戻るふと、一念発起して、私の住まいの中でも最も“廃墟的”な一角である、台所のガスコンロのあたりの掃除にとりかかってみた。(“一念発起”する必要があるほどの状態なのである。[;^J^])
なにしろ、前回、いつ掃除したのか、どうしても思い出せない [;^J^]。1986年の春に引っ越してきて以来、一度も掃除したことがない..ということはあり得ないのだが..ここ10年以内に掃除したことがあるかと訊かれると..[;^.^]..たまに、火を使うことはあるんですけどね。
とにかくスーパーで、必要な掃除用品を見繕う。(持っていなかったわけではないのだが..[;^J^]..ストックしていた掃除用品自体が、崩壊(腐敗)していましたのでね。[;^.^][;^.^][;^.^])ステンレスに付着している“異物”の“層”を剥ぎ取らなければならないので [;^J^]、この際、ステンレスが傷だらけになるのには目をつぶって、金属系のタワシ+クレンザーで、ガシガシこすりまくるつもりだったのだが..最近は、金属系はむしろ少数派なんですね。知りませんでした、ここ10年ほどの状況の変化は [;^.^]。“水で濡らして拭くだけで落ちます”、という類が多い。そのひとつである「劇落ちキング」という奴を買ってみる。まぁ消耗品で、大きなスポンジのようなものを、適当なサイズに千切って使うのであるが..
おおーっ! 効く効く! 落ちる落ちる! 10年間の蓄積が..[;^.^] これだけでピッカピカ、というわけにはいかないのだが、金属タワシ+クレンザーと、適当に併用すれば十分である。本日購入した分は使い切ってしまったので、明日、さらに買い足して、残りも拭ききってしまうことにしよう。
目次へ戻るこの季節(冬至前後)になると、ひとつ、困ったことが起こる。朝の出勤時の太陽の方向が、まずいのである。
大体、6:50頃に自宅を自家用車で発つのであるが、会社までの途上で、(比較的)細い道から(比較的)広い道へ、T字路の縦棒を上がっていって、突き当たりを左折する個所が3個所あり、それらの地点では、安全確認のために右側を覗き込むのであるが..その方向に、太陽があるのである。
もう少し、季節か時刻が異なれば、太陽はそこにはいないのであるが..とにかく、これは困る。その方向から走ってくる車が、非常に見づらい(どころか、ほとんど見えない)のである。
やはり、サングラスが必要なのかなぁ..しかし、これは手間だぞ。普段は(透明な)眼鏡をかけているので、運転用に、度付きのサングラスを誂えるか、あるいは、運転時にはコンタクトレンズ+サングラス、という体制にしなければならない。どちらも避けたいなぁ..
目次へ戻る今週末も上京である。しかも今日は、トリプルブッキング。
7:20のひかりで、まずは国会図書館。手塚治虫関連調査は4件のみ。とはいえ、ヒット率高く、コピーを2件入手。もう1件も成果ありで、結局、外したのは1件だけ。入手したのは、
「ベルサイユのばら」と少女漫画について(エッセイ)::2:「ベルサイユのばら 3」(集英社):76/03/25 さようなら(エッセイ)::1:「虎三の言いたい放題」(「虎三の言いたい放題」刊行委員会):81/05/10
永田町から半蔵門線(田園都市線直通)で市が尾へ。Tさんに迎えに来ていただき、(外食してから)15時過ぎまで、Tさん宅で調査。時間も無いので、初期の連載作品に絞り、「ぼくの孫悟空」、「サボテン君」、「冒険狂時代」、「新世界ルルー」。「新世界ルルー」は調査終了。「ぼくの孫悟空」の未確定部分も、かなり少なくなった。「サボテン君」、「冒険狂時代」とも、あとひと息。
中山駅まで送っていただき、横浜線で東神奈川駅へ。京浜急行仲木戸駅から徒歩数分の慶運寺に墓参りに行くのであるが、東神奈川駅と仲木戸駅は向かい合っており、東神奈川駅の改札を出て、左側を見ればそこにあるのに..私は何故か右側に歩いてしまい [;^J^]、約5分間、気がつかなかった [;^J^]。われながら、気の利いた芸風である [;^.^]。どーもおかしい遠すぎる、と、道行くひとに訊ねて、真相を知って引き返したのだけれども、おかげで、遅刻。[;_ _][;^.^]
降ったりやんだりの雨の中、O君の墓参りをすませる。あとは会食。合計6人(+子ども1人)で、開店20分前(現在時刻、16:40)のソバ屋に入り、少し早めの忘年会。始めたのが早かったので(時刻は失念したが)終わるのも早く、あまりに早すぎるので(店名は失念したが)もう一軒。結局、22:00新横浜駅発のこだまで浜松へ。
目次へ戻るアクトシティの大ホールで、浜響定期。本日のプログラムはチャイコフスキーとメンデルスゾーン。普通は、このふたりの組合せというと、(俗に「メン・チャイ」と言うこともあるが)それぞれのヴァイオリン協奏曲(の顔合わせ)を連想するのだが、今日のは、「ヴァイオリン協奏曲」はチャイコフスキーのみで、あとは、同じくチャイコフスキーの「幻想序曲“ロメオとジュリエット”」、メンデルスゾーンは「交響曲第3番“スコットランド”」である。(指揮:井崎正浩、ヴァイオリン独奏:飯島忠亮。)
う〜ん、正直な感想を書くが、今回のはいまいちでした。「ロメジュリ」についていえば、僕は、ベロベロに陶酔したい。そのために必要なのは、弦楽器群(特にヴァイオリン)の艶やかさであり、それを実現するために絶対に必要なのは、(10人の“ユニゾン”が“ソロ”に聴こえてしまうほどの)精確なピッチなのである..要求水準が高すぎるかも知れないが。
「ヴァイオリン協奏曲」についていえば、ソリストに満足できない。これは一般論だが、私が「協奏曲」に求めるのは、「ソリスト」の圧倒的な“オーラ”である。オーケストラ(と指揮者)の総体と拮抗するどころか、それを踏み台にして、天空高く飛翔してしまうほどの“エナジー”である。(そしてそのためには、必ずしも“超絶的なテクニック”を必要とはしないのだが..)飯島のソロに私が感じたのは、そこまでの“デモーニッシュさ”ではない、むしろ“フレンドリーな心地良さ”である。これを尊ぶ価値観はあるであろう。私には、とても物足りないのだが..やはり、要求水準が高すぎるのかも知れないが..
「スコットランド」は、磨き足りないと思う。一番、気になったのは、第2楽章の木管群の、軽やかなパッセージの受け渡し。ここがうまく“流れない”のだ。どのパートが、どうつっかえている、というわけではないのだが..ここをクリアしてもらわないと、“メンデルスゾーン・マジック”が、現出しない。ただの凡庸な交響曲になってしまう..こればっかりは、要求水準が高すぎるとは思わないぞ。もっと頑張ってくれ!
それと、アンコールに奏された、メンデルスゾーンの(「真夏の夜の夢」よりの)「結婚行進曲」だが..金管群に難がある。コラール(というか「和音」)が決まらない。これは困る。浜響の金管は、もっと上手いはずだ。以前、ブルックナー(「交響曲第7番」)を聴いた時とは、全然違う。まぁ、「本プロ」と「アンコール」とでは、リハーサルに割ける時間が違うだろうし、それは私も理解できるが..「アンコール」の出来不出来は、その演奏会の印象を最終的に決定づけてしまうのであるから、もっと気合いを入れて準備するべきだと思う。(それが無理なら、アンコールを奏すべきではない。)
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Dec 10 2003
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