*2002年08月26日:「コミック伝説マガジン」、休刊
*2002年08月27日:「渺々」
*2002年08月28日:「ロボットマンガは実現するか」
*2002年08月29日:中途半端なカルチャー雑誌
*2002年08月30日:「ガンダムエース」
*2002年08月31日:「さくや 妖怪伝」/「アフター0」
*2002年09月01日:「アフターモーツァルト」
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*2002年08月26日:「コミック伝説マガジン」、休刊


 あらら。「コミック伝説マガジン」、VOL.8 であっけなく休刊ですか [;^J^]。先日、「はよ潰れてくれんかな」、とか書いたような気もするが(「廃刊待望論」)、私のせいじゃないぞ。[;^J^]

 「今のところ全号揃っていて、廃刊になっても特に困らなくて、かつ、全号手元に置いておく値打ちはあるかな、という雑誌」の一例として挙げたのだが..実のところ、この「コンプリートセット」には、さほどの値打ちは無い。なぜなら、全然「コンプリート」じゃないからである。始まったばかりでいきなり中断させれらた、中途半端な連載群。それも多くは、過去の名作の(気の抜けた)再利用なんだからね。(実際、この類の連載は、ほとんど全て読み飛ばしていた。)

 数少ないオリジナル新作(従って逆に、なぜこの雑誌に連載されていたのか理解できない)「プロレスヒーロー列伝・力道山」(原作:原康史、作画:原田久仁信)は、毎号、楽しみにしていたのだが..ま、仕方ないな。

 ..どうしたものかな。まとめて手元に置いておくほどのものではないのだが..売り払っても二束三文だろうし..毎号、1〜2本は、入手困難かつ価値有る作品の復刻が載っているので、それらを切り取って廃棄するか..

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*2002年08月27日:「渺々」


 「渺々(びょうびょう) 1」(小川隆章、モーニングKCDX、講談社)を購入。多くは、「モーニング」誌に不定期連載されていた時点で読んでいたのだが、改めて感心した。

 海の生物の視点で描いた、人間の登場しない(一部のエピソードでは、背景として登場する)作品である。モーニング誌で初めてこの漫画に出会った時、何に驚いたかというと、「リーフィー・シードラゴン」のアップのオオゴマである。そんじょそこらのSF漫画家/イラストレーターには思いつけないような、奇矯なフォルムへの驚きと、こんな異様な姿の生物を主人公としているのか! ..という驚き。かつて「恐竜大紀行」(岸大武郎)に初遭遇した時の「プテラノドン」の飛翔シーンのアップにも、同様の感動を覚えたものである。

 このジャンルの名作としては、「原獣事典」(谷口ジロー)も忘れることは出来ない。それと、1〜2ヶ月前から、やはりモーニング誌に不定期連載が始まった「DINO2(ディノ-ディノ)」(所十三)の、「vol.1 BC.66.000.000」。(この私としたことが、切り抜いた時に刊号データを書き留めなかったので、初出データが(今のところ)不明である。)これは、「ティランノザウルスに育てられたトリケラトプス」という、意表をついた設定の傑作。(ティランノザウルス親子の関西弁が、いい味出してるんだ、これが。[;^J^])

 以上全て、生物(動物)たちに、思い切った「擬人化」を施している作品である。(「渺々」には「(人間語に翻訳できる)会話やセリフ」がほとんどなく、その分、一見、「擬人化」の度合いが低いように見えるが、どうしてどうして、哲学するウミイグアナなど、喋ろうが喋るまいが、思いっきり擬人化された存在である。)「リアル指向でありながら(※)」擬人化の進みすぎた動物漫画は、リアリティに欠け価値が低い、と思われがちであるが、上記の作品群は、いずれもその俗説への強烈な反例と言えよう。

だからもちろん、例えば「ジャングル大帝」は、この話題のスコープ外なのである。

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*2002年08月28日:「ロボットマンガは実現するか」


 起床しても、なんか全然エネルギー準位が上がらないので、無理せず休暇を取る。仕事が暇なわけでは(全然)無いのだが..車を30分間運転出来るとは思えない体調なので..

 購入したまま整理せずに積み上げられていた古雑誌などを、ゆうパックの箱に詰めて押し入れに押し込む。分類に苦渋したりして、結局半日以上かかってしまった。多くは、吾妻ひでおの作品の初出誌であり、どこの図書館にも蔵書が無いので、やむを得ず大枚はたいて購入したものである。初出誌データを確定させることと、初出誌版と流布版との差異を確認することのために購入しているのであるが、逆に言えば、それらの要件が終わった瞬間に、(あるいは、念のためにコピーを取った瞬間に、)これらの雑誌は用済みなのである。どうしたものかな。ヤフオクで売る? これまでの経験では、大体、1万円で買った物件は500円位で売れるので、全然元気が出ないねぇ [;^J^]。現代マンガ図書館にでも寄贈しようかなぁ。

 「ロボットマンガは実現するか」(米沢嘉博、実業之日本社)を購入、一読する。(雑誌シフトしているとはいえ、たまには単行本も読まないと、毎日毎日雑誌のバックナンバーばかり読んでいては、煮詰まってしまいますのでね。)

 夢を追い続ける技術者たちへの取材。元気の出る内容。ケアレスミスも少々。第254頁で、インタビュアー(阿久津仙三)が「ロボット三原則」の由来について語る個所の「ガーンズバック」は、「キャンベル」の間違い。阿久津仙三は科学ジャーナリストらしいが、SFの基礎教養については、いささか怪しい。(その場の勢いで間違えることは(誰でも)当然ありうるが、校正チェックで気がつかないようでは..)

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*2002年08月29日:中途半端なカルチャー雑誌


 ..でまぁ、半年以上もため込んだ雑誌を、青息吐息つきながら消化している中には、「インターネットマガジン」も含まれているわけです。(2002/1月号から読んでいなかったのである。つまり、10ヶ月。)

 久しぶりに、この雑誌をまとめて通読しているのだが..なんだかなぁ..昔ながらの質実剛健な「役に立つ」記事も、依然多いのではあるけれど..

 なんなんだろな、いつの間にか大増殖している、情報量も意味も無いエッセイ群は。お洒落? シティ派? これがいわゆる「カルチャー」なんですか? 試しに、書き出しの数行と真ん中の数行と結尾の数行だけを読んで全体の内容を(補完して)推測してから、改めて、全文に目を通すと..的中率は80%を軽く越える。(90%以上とは言わないが。)これは、わたくし的には、朝日新聞の社説とほぼ同じ水準である。

 ..つまり、読んでも読まなくても同じなのだ。

 こんな雑誌を今後も買い続ける必要があるのか無いのか..毎号毎号、有益な情報“も”含まれているので、判断に迷う。こういうのを、「抱き合わせ販売」と言うんじゃないかなぁ..

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*2002年08月30日:「ガンダムエース」


 ..でまぁ、半年以上もため込んだ雑誌を、青息吐息つきながら消化している中には、「ガンダムエース」も含まれているわけです。(創刊号から第6号まで、1冊も読んでいなかったのである。[;^.^])

 実は私は、「ガンダム世代」ではない。1958年生まれだから世代的には含まれていても不思議はないのだが、ティーンエイジャー時分に、テレビから心が離れた時代があり、それと「ガンダム時代」が重なっているらしいのだ。(同じ理由で、私は「ヤマト世代」でもない。)

 ま、それを残念に思う気持ちが皆無では無いにせよ、「別にいいじゃん」、と思っている。全ての日本人がオタクである必要は無いし [;^J^]、こういう人生を歩んできた、という過去を変えることは出来ないし。

 ただ、「ガンダム(という作品・番組・現象)の本質」が判らないことについては、確かに時々閉口している。やはり「学ぶ」必要があるのだ..ということなら、がたがた言わずに、全作品(映画も含めて)の全話のLDなりビデオなりDVDなりを、買うか借りるかしろって?

 ..正論である。しかし恐ろしく効率が悪い、従って役に立たない正論だ。力わざ過ぎるし、しかも結局、解らんものは解らない。(時代も世代も外し過ぎているからね。)..ということで、「ま、なんとかしたいものではあるが..」というフェーズで、ガンダム問題を棚上げにしてきたわけ。

 「ガンダムエース」誌の出現には、だから非常に期待したわけなのであった。なんといっても、安彦良和による「最初のガンダム」のオリジナルストーリーの漫画化。恐らくここに、ガンダムの本質を読みとることが出来るであろう..

 ..という雑誌を、6冊も積み上げてはいけませんな [;_ _]。とにかく、メインとなる安彦良和分だけを、先に一気に通読した..

 ..なるほど。確かにこれは素晴らしい。(何をいまさらと、おっしゃるでしょうが。)当時、「こんなものは(ハード)SFじゃない」、という指摘に始まる議論(激論)もあったと聞くが(「歴史」の知識)、その指摘は確かにもっともであるが、「一定の(しかも低くない)水準をクリアした作品には、それなりの評価を与えるべきである」、という陣営に(今の)私はくみしたいなぁ。

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*2002年08月31日:「さくや 妖怪伝」/「アフター0」


 「ガメラボックス」(5枚組)の特典盤(2枚)に目を通す..ま、いいんじゃないっすか。購入価格を忘れたので、価格に見合っているかどうかの評価は出来ないが。

 未再生DVDの山を掘っていたら..あらま、こんなソフトを買っていたのか。「さくや 妖怪伝」(ワーナー・ホーム・ビデオ、DL-18765)。1時間半もかからない軽量作品なので、思い立ったが吉日で目を通す。

 ..なかなかいいじゃん。主役の安藤希、セリフはいささかたどたどしいが、涼しげな目がいい。(「赤影」の目に似ているような気がする。)「ものすごく立派な特撮テレビ番組」、というスケール感だが、それでいいと思う。ボスキャラ(土蜘蛛)を、松坂慶子が楽しそうに(巨大化して)演じているのが、お値打ち [^.^]。

 先日購入してきた「アフター0」(岡崎二郎、ビッグコミックス、小学館)の、最初の4巻を一気読み。(10月に全8巻で完結予定。)素晴らしい短編集。不覚ながら、この作者を認識していなかった。言われてみれば、ビッグコミックに連載されているオオサンショウウオ(オヤジ系)の漫画が、この作者なんですね。「国立博物館物語」の作者でもあるのか..私、この「国立博物館物語」は、タイトルで引いてしまっていたことを、白状しなければなりません..(「東京大学物語」の同類かと思ってさ [;^J^])。探すか。店頭在庫、あるかなぁ。

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*2002年09月01日:「アフターモーツァルト」


 東京で買ってきたCD、「アフターモーツァルト」(NONESUCH、AMCY-19010)。ギドン・クレーメル率いる若い音楽家たちによる、モーツァルトへのリスペクト。

 これがどうも、ダメダメ。「W.A.M.の生涯からの5分間」、「メッセンジャー」、「ハイドン風のMOZ−ART」、といった現代作品は、ま、こんなものか..なのであるが..モーツァルトのオリジナル作品である「セレナータ・ノットゥルナ ニ長調 K.239」、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク ト長調 K.525」、「おもちゃの交響曲」(これは、モーツァルトの父、レオポルドの作品)、が、駄目なのである。どうにもこうにも響きが肉厚で、しかも重い。軽けりゃいいとは思わないが..何か意図でもあるのだろうか? クレーメルの音楽って、こんなんだったかなぁ?

 実はこのCDは、最近の「レコード芸術」誌(何月号だったかは忘れた)で、宇野功芳が誉めていたから、買ってみたのである。私は基本的には、彼が誉めたCDは買わないことにしているのだが [;^J^]、このCDについては、「「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は到底推せないが、「おもちゃの交響曲」が実に面白い!」、と、評価していたからである。

 「おもちゃの交響曲」においては、実に革新的な試みをしており、ロボットの赤ん坊が可愛らしく喋り、遊び回り、云々..

 ..面白そうでしょ? ..で、買ってきたんだが..確かに、宇野功芳は嘘は書いていなかった。しかしね..

 「ロボットボイス」の「Hello!」に始まり、「Bye!」に終わる、この演奏。しかし、こんにち「おもちゃの交響曲」を演奏しようとすれば、大概誰でも、この程度のことは思いつくのではないか? きょうびの幼児が「水笛」で遊びますか? (喋る)玩具でしょ?(それがロボットの形態をしているか、その他の形態をしているかはさておき。)この「Hello!」も「Bye!」も、そこらじゅうに転がっている、「玩具の“声”」である。つまり、まるっきり「当たり前の工夫」「当たり前の演奏」にしか、聞こえなかったのである。

 その「(なんら新規性の無い)玩具の“声”」を、宇野功芳は「ロボットボイス」と表現していた。つまり、「未来」のイメージを聴き取っていたのである。ここで私は騙された(というか、過剰な期待を抱いてしまった)のであった。(宇野功芳の「未来」では、サザエさんが連載されていると思う。)

 あの世代の音楽評論家に、「21世紀の日常感覚」を期待してはならないのだ。(例外も、多々いらっしゃるのではありましょうが。)1980年代後半だったかな、チャイコフスキーの「大序曲 1812年」にシンセサイザーを導入したシャルル・デュトワを(ライナー・ノーツで)「ナウい」と誉めた「音楽評論家」に、失笑してしまったものであるが..

 ..ま、自戒だ、自戒。私もこんにちの若者たちには、このように見えているに決まっているのだから..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 4 2002 
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