2002年04月29日:「カーニバル」三部作 2002年04月30日:ルー・テーズ逝去 2002年05月01日:ビッグコミック/冒険王、調査 2002年05月02日:超寡占状態? 2002年05月03日:ヴァン・ヴォークト! 2002年05月04日:いつもひとりで歩いているから 2002年05月05日:ワンポイントかマルチマイクか目次へ戻る 先週へ 次週へ
清涼院流水の「コズミック」と「ジョーカー」を読んだのが、今年の正月(正確には、大晦日と元旦)であった。これを読了した時点で、世界観を同じくする(続編の)「「カーニバル」三部作」の存在を知ったのだが、ま、ご存知のとおり、他に読むべき本を山ほど抱えている身なので、パスしていた。
数ヶ月後、ブックスアマノ三方原店のオープンを視察した際、新書コーナーに、やたらと“凶悪な”オーラを放っている分厚い3冊があった。それが、「カーニバル」三部作(「カーニバル・イヴ」「カーニバル」「カーニバル・デイ」)であった。(まぁ、「カーニバル・イヴ」は普通の厚さであったが、あとの2冊が..)大体、この3冊のサブタイトルが(ミステリコーナーだというのに)「人類最大の事件」「人類最後の事件」「新人類の記念日」なんだから、ちゃんちゃらおかしい [;^.^]。いずれにせよ、喧嘩を売られているとしか理解できない状況だったので、(分厚さ相応の値段の高さに溜息をつきながら)確保した。これが3月23日。
..で、例によって積んでいたのだが..とにかく“目障り”なので [;^J^]、この連休の前半に、エイヤッ、と、片付けたわけである..
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......これ、誰がどう読んでも、SFじゃん [;^.^]。なんなんだよ、この神聖城(サンクチュアリ)っつーのはよっ! おいこらっ! [;^.^](← この程度ではネタバレにもなっていないので、心配しなくて良い。)しかも、謎解きがまた..[;^J^]..「現象を支配するロジック」を読みとれれば良し、とする態度は、レムの「捜査」を想起させないでもないが、そんな立派なものでもないような気もするし..[;^J^]..終盤、謎謎勝負に負けた腹いせに、10億人、いっちゃいますか。そうですか [;^J^](納得出来た時点で、読者の負けだが)。
..確かに、これにくらべりゃ、「コズミック」(ですら)も、“普通の”ミステリだわなぁ..
私は、マルキ・ド・サドの「ソドム120日」を想起した。作品の内容は全く異なる(ほとんど接点が無い)のだが..いずれも、「焼け付くような、極限の作品」なのである。(ミステリの枠内でこれ以上の“大量殺人”を描こうとすれば、「地球爆破」ぐらいしか残されていないが、それはもはや「カーニバル」の二番煎じにしか、なり得ない..)
目次へ戻る享年86歳。正直なところ、「まだ生きていたのか!」..という驚きの方が強い。
全くの偶然だが、ちょうど「コミック伝説マガジン」に連載中(再録ではなく新作)の“力道山伝”、「プロレスヒーロー列伝・力道山」(原作:原康史、作画:原田久仁信)に華々しく登場したところであり、感慨無量である。
目次へ戻る今日から帰省。まずは例によって、7:14のひかりで、国会図書館。
本日の調査は、「ビッグコミック」と「冒険王」がメインである。いずれも、「何を今さら..」と思われるであろうが..
「ビッグコミック」誌からは、少なくとも18回続いた「ビッグコミック賞」の「選評」を拾った。(この賞が“終わる”ところまでは届かなかった。時間切れである。)「こんなものも手塚治虫の“著作物”に含めるのか?(そこまでするか?)」、と思われる読者も多かろうが、もちろん、リストへの収録基準を満たしているし、それに非常に興味深い“著作物”なのである。この賞からは、実に多くの重要な漫画家がデビューしている。彼らの“デビュー作”を手塚治虫(をはじめとする一流漫画家たち)がどのように評価したか。これは貴重な歴史的ドキュメントなのである。
「冒険王」誌は、吾妻ひでお調査。「ナマズン」である。掲載誌が不明な「漫画」は、余すところ、これだけなのだ。(「新井素子等のエッセイに寄せたカット」の掲載誌が不明なケースは、まだいくつか残っているが。)屈辱である。これまでは他にも調査・発掘すべき案件が多かったので、敢えて後回しにしてきたのであるが、「調査・発掘すべき案件」の残りが相当減ってきたので、改めて「ナマズン」シフトすることにしたという次第。とにかく「掲載誌不明」などという事態は、寛恕しがたい。
これまでの調査から、「1970年代前半の「冒険王」誌」の可能性が高いのだが..見つからない。そもそも国会図書館には、「冒険王」誌がきちんと揃っていない。肝心要の「1970年代前半」に、大穴がある。現代マンガ図書館もどうよう。両者組み合わせても、まだ「数ヶ月間」の(閲覧できない)空白期間が残っている。もしやこの時期に掲載されたのであろうか..?
..本当に「冒険王」誌なのかなぁ..?
神保町に回って、鶴田謙二のイラスト集などを購入してから、横浜の実家に帰省。
目次へ戻る鶴田謙二のイラスト集(「ひたひた」)に載っているロングインタビューは、なかなか面白い。いや全く、暗いこと..[;^J^] 「Forget−me−not」は、今、描き直しをしているらしいが..早く単行本にしてくれ。
映画の字幕について、常々不思議に思っていることがひとつ。私は、年に数本しか観ない超怠惰な映画ファンであり、サンプル数があまりに少なすぎるのであるが..それが洋画である場合、いつもいつも、字幕作成(翻訳)者は、「戸田奈津子」なのである。何故?
年間数万冊は出ないかも知れないが数千冊は確実に出ている「海外文学」の翻訳者が「ひとりしかいない」、という事態が考えられるであろうか? もちろん、ご存知の通り、膨大な数の翻訳者たちが(多くの場合?)自分の得意分野の書籍の翻訳をしているのである。
洋画の字幕は、その役割を「ひとりで」こなしているわけだ。全ての(?)ジャンルにわたって..まともな翻訳を望む方が、どうかしてるわな。
一体全体、どうして、こんな事態に到ってしまっているのだろう? 競争原理が働かなければ、質が向上するわけが無いではないか。世界に冠たる「“翻訳王国”日本(但し、洋画の字幕は除く)」、か..
目次へ戻る午前中から、亡父の墓参り。帰宅は15時頃。
「ウイッチクラフト・リーダー」(アンソロジー、朝日ソノラマ、ソノラマ文庫海外シリーズ)を読了。入手にてこずっていたのだが、一ヶ月ほど前、ヤフー・オークションで落札し、しばし寝かせておいてから [;^J^] 片付けた、というわけ。
目当ては「最後の魔女」(ヴァン・ヴォークト)である。これで、邦訳されたヴァン・ヴォークトの長・短編は(私の把握している限り)全て読んだことになるはずだ。(同人誌等にひっそりと翻訳掲載されていたとしても、それは私にはわからない。商業誌やアンソロジーに掲載された分は(単行本未収録分も含めて)全て押さえているはずである。1〜2本の見落としはあるかも知れないが。)
..やはり、ヴァン・ヴォークトは素晴らしい! この作品(「最後の魔女」)が、著者の代表的な傑作かというと、そうではない。まぁ水準作(あるいは凡作)だ。にも関わらず..奇妙に心に残る。老いた人体から若い人体へと「憑依」を繰り返す「魔女」(というか「エイリアン」)と戦って退治する..という、ただそれだけの話なのであるが..著者の“エイリアン”描写には、ある種の“潤い”があるのである。それが、独特の(夢のような)ムードを醸し出す..
せっかくだから、ここで「ヴァン・ヴォークト・イントロダクション」といこう! オタクなあなたは別として、多くの読者は(確率的に)ヴァン・ヴォークトを読んだことが無いはずである。では、何から読むべきか。(実は、ヴァン・ヴォークトは、日本では(本邦独自編集の短編集も含めて)単行本は20冊前後しか出ていない。だから簡単に全貌が把握できるのである。)まぁ、30年近く読んでいない長編も多くあるので、細部の記憶違いは多々あろうが。
さて、ベスト3(乃至ベスト5)を発表する前に、1パラグラフほど、呟かせて欲しい..ヴァン・ヴォークトといえば、いの一番に出てくるのが「スラン」かも知れないが..やはり“古い”と思う。次に高名なのが「非(ナル)A」シリーズだが..これは、“ヴァン・ヴォークト・マニア”ならともかく、シロウトにはお薦めできない [;^J^]。「支離滅裂なわけのわからない小説を書くやつー」、と、刷り込まれること必定だからである。
..そこで、「初心者にお勧めするヴァン・ヴォークト」ベスト3!
終点・大宇宙! 創元推理文庫 宇宙船ビーグル号の冒険 創元推理文庫、等 地球最後の砦 ハヤカワ文庫SF
「終点・大宇宙!」は、短編集である。詳しくは、私自身による「書評」を参照して欲しい。SF史上、屈指の名短編集だと思う。
「宇宙船ビーグル号の冒険」は、「“エイリアン”(あるいは“怪物”)テーマ」の(やはりSF史上)最高傑作のひとつ。しかしこの「スタンダードな傑作」には、ヴァン・ヴォークトの(特に)長編を特徴づける、支離滅裂に暴走する夢のような狂気が不足している。そこで..
..「地球最後の砦」なのである。入手困難だとは思うが、なんとかして読んでいただきたい。時空を(そしてロジックをも)ロングレンジで飛び越える、狂熱の世界! これを読めば、あなたも、倉田わたるのヴァン・ヴォークトへの思い入れが理解できるはずである。
上記3冊を読んだ上で、さらに読みたい!という人には、
イシャーの武器店 創元推理文庫 武器製造業者 創元推理文庫
..の、「武器店シリーズ」であろう。
読む必要が無い凡作(駄作)も当然あるのであって、それは私のようなマニアにとっては必読なのだが、初心者が読むべきでは(もちろん)ない。それは、
目的地アルファ・ケンタウリ 創元推理文庫 未来世界の子供たち 創元推理文庫 月のネアンデルタール人 創元推理文庫 惑星売ります 創元推理文庫
..である。いずれも著者の(比較的)晩年の作品であるが、“幻想”の衰えが無惨である。
目次へ戻る私は歩行速度が速い。街中を歩くときも、絶えず前の人を追い越し続けており、追い越されることは滅多に無い。
従って、集団で移動するのが何よりも苦手なのである。多くの人に賛同していただけると思うのだが、集団の移動速度は、その集団の人数に反比例する。だから私は、いつも先頭に立ってしまう。(ほとんど鉄砲玉状態である。)多くの場合、道を知らないのに。[;^J^]
そしてまた、やたらと「迷いのない」歩き方をするものだから、後続の連中は私が目的地への道を知っているものだと思い込んで、安心してついてくるのである。知らんっちゅうに。[;^J^]
「せかせかした奴だな、もっと余裕をもって“歩き”を楽しまなくっちゃね!」、と、仰るかも知れないが、それが道端の花や動物や人家や廃墟を愛でる散歩であれば、私は誰よりも時間をかけて楽しむであろう。そうではない、単なる“移動”に過ぎない“歩き”に、時間をかける必要があるであろうか? 例えば宴会会場に行くのであれば、ぐずぐずせずに会場に直行し、さっさと乾杯する方が、よほど有意義な時間の使い方ではないか..
..しかしこれはもしかすると後付けの理屈であって、単に「人とペースを合わせるのが苦手」というだけの話かも知れない。徒歩にせよ車にせよ、常にひとりで移動している私は、移動ペースを私の一存で決められるのだから。
目次へ戻る10年以上前に「レコード芸術」誌で読んだ記事である。(切り抜きが行方不明なので、記憶だけで書く。)
同一ソース(オーケストラ)で、マルチマイク録音とワンポイント録音を行ない、音楽評論家たちとオーディオ評論家たちで比較試聴をした。結果は、オーディオ評論家たちは例外なくワンポイント録音を、音楽評論家たちはやはり例外なくマルチマイク録音を、良い録音として選んだとのこと。この記事の筆者は、「ワンポイント録音の方が現実の音に近いのだから、これをオーディオ評論家が採るのは当然。一方、マルチモノでは、現実のステージでは聴き取れない微細なフレーズのクローズアップ等、現実の音に忠実な音というよりは“楽譜に忠実な音”が録れるのだから、音楽評論家に取っては、これの方が良い録音であるというのも当然」、と論評していた。
..なんとなく出来過ぎの話なので、いささか眉つばではあるし、その場に立ち会った評論家の耳、というバイアスなりオフセットなりがかかっているわけだが、当時は(今でも?)良い録音=ワンポイント録音、マルチモノは汚らわしい前世紀の遺物、というムードが支配的だったので、この記事は印象的であった。
私のスタンスとしては、好きな音楽がいい演奏で聴ければ、ワンポイントでもマルチモノでもなんでも良い。演奏の邪魔をしないのが第一。もしもでしゃばって、演奏に介入して(バランスをコントロールして)も、結果が良ければ許す。私が聴きたいのは“音楽”であって、“音”じゃない..といったところ。あなたはいかが?
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