2002年03月11日:溜息 2002年03月12日:「SFバカ本」 2002年03月13日:ペットボトルの時代 2002年03月14日:軽薄礼賛 2002年03月15日:からまれる 2002年03月16日:音程の不自由な人々 2002年03月17日:現地主義目次へ戻る 先週へ 次週へ
毎日のようにバスに乗っているわけだが、降車時の運転手の「挨拶」が、気になることがある。
要は、「どうもありがとうございました」、と言っているだけなのであるが..彼らが平均して一日に何回言っているのかは知らないが、仕事とは言え人間であるから、やはり“慣れ・飽き・倦み”は避けられず、いい加減に崩した発声になっているのである。それが面白い。
律儀な運転手は、マイクを通じて、「どうもありがとうございました」、と、きちんと発音する。少し“慣れ”が入っている運転手は、口の開き方がややいい加減になって、「どぅもありっとぅしたぁ」、という感じになる。さらにこの傾向が進行すると、「ど〜もぁ〜した〜..」、というレベルにまで“進化”(退化?縮退?)する。
そして究極の運転手は、もはや言葉を発しない。マイクに向かって、低く深い“バス”の声(洒落にあらず)で、“溜息”をつくだけなのだ。あなたがSF者ならば、“HALの「デイジー」が止まる直前”だと言えば、伝わるだろう。こんなのを、乗客が降りるためにバス停に止まるたびに、繰り返し聞かされるわけなのである。[;^J^]
目次へ戻る「SFバカ本 電撃ボンバー篇」(岬兄悟、大原まり子 編、メディアファクトリー)を読む。このシリーズ、廣済堂文庫時代からずっとつき合っているのだが、(とはいえ前号の「天然パラダイス編」は、うっかり買いそびれてしまったが、)この類のアンソロジーの常として、作品ごとの出来不出来の差が激しい。大概どの巻も、傑作と愚作が同居しているのだが、今回はこれといった傑作は無い。辛うじて佳作が数編。
どうように、この類のアンソロジーの常として、「常連」がいるわけなのであるが..「常連」中、群を抜いて水準が低いのが、編者のひとりである大原まり子である。努めて公平に読んでいるつもりなのであるが..彼女は、「SFバカ本」というコンセプトを理解できているのだろうか? 「編者」という立場に甘えて、単に(他の媒体では通用しない)“緩い”作品を書いているだけだとしか思えない。同人誌じゃあるまいし..
一方、共編者の岬兄悟の作品は、ほとんど“ハズレ”がない。常に佳作以上であり、多くは傑作である。こうなると、単なる「実力差」の問題か。
目次へ戻る朝日の朝刊に、最近は緑茶のペットボトルが売れている、という記事。全国の事業所で流行しているという、(時には半日近くかけて)少しずつ飲む飲み方に、丁度手頃だということらしい。この記事で初めて知ったのだが、こういう飲み方を「ちびだら飲み」というそうな。“ちびちび、だらだら”飲むからだというが..そりゃ確かにそうだけど、身も蓋もない表現だよな。[;^J^]
緑茶系ではないが、「爽健美茶」のペットボトルのキャンペーン(「アロマキャンドル」のオマケがつく)に律儀につき合ってきたのだが、本日(全12種類中の)12種類目をゲットして、「あがり」である。最後に買う巡り合わせになったのが、「ラベンダーの香り」。別に狙ったわけではない。[;^J^]
目次へ戻る別に酒の席に限ったことではないが、「天狗」や「こだわりやま」で飲んでいると、実にしばしば遭遇する会話パターン。会社員のグループで、先輩の男性社員1名プラス後輩の女性社員2〜3名、という組み合わせで発生することが多い。
つまり、その男性社員がいろいろと(公私硬軟取り混ぜて)教える立場なのであるが..ここで話題の広さ(抽斗の多さ)を開陳しようとする男性社員が、極めてしばしば破綻してしまうのである。といっても、破綻していることに当人も聞き手も気が付いていないことは多いし、彼女らは(少なくとも表面上は)感心して拝聴し続けているのである。隣りで聞いている私も、もちろん、吹き出すなどという不調法なことをするわけもなく、ただひたすら、忘れないうちにと、その可笑しな(しかし得意満面の)“訓話”をリブ100に打ち込み続けているという次第。[^.^]
「だからさ、SMって知らない? サド・マゾ。サド、ていうのはいじめて喜ぶ方で、マゾ、ていうのは、いじめられて喜ぶ方なの!」..軽くずっこけられる、肴としては美味しいお言葉である [;^J^]。誤解の無いように申し添えておくが、私は、普通の常識人としては、「SM」についてはこの程度の認識で全然構わないと思う。少なくとも、罪のない酒の席の話題としては十分だ。多くの人が、マルキ・ド・サドやマゾッホの原典を読む必要があるなどとは、全く思わない。
しかし、例の男性社員が恐らく彼らの名前すら知らないことは(ほぼ)確実であるが、この場合は少しまずいのだ。なぜなら彼は、この場では「教師」だからである。「教師は、教える内容の10倍の知識を持っていなくては勤まらない」のである。それだけの広範な裏付けの無いジャンルについて語りたい時は、だから普通の雑談として喋るべきなのであって、「教師モード」で喋るべきではないのだ。この切り替えが出来ない(判らない)人間を形容して「軽薄」と呼ぶ。
サディズムはかなり広範な概念だが、コンパクトでわかり易い一節を、サドの『ソドム百二十日』から引用しておこう。
「快楽のとき喜ばれるのは、明らかに恐怖であり醜悪である。美は単純なものであるが、醜悪は異常である。そして、はげしい想像力はつねに単純なものより異常なものを好むのだ」
前記の男性社員も、せめてこの程度の「雑学」を貯えておけば、もっと「いいかっこ」が出来たのに..(そしてさらに恐るべきことは、聞き手の後輩女性社員たちが、この程度の(先輩よりも幅広い)知識(雑学)背景を持っていながら、この酒の席では先輩を立てて、何も知らない顔をして感心して聞いているフリをしている、という可能性である。)
目次へ戻る今日は終業後に部署の宴会がある。会場は自宅からはやや遠く、帰宅してからバスで出向くと開始時刻に間に合わない。ということで自家用車は使わずにバス出勤。会社がはねてから、バスと徒歩で直接会場へ。宴が終わったのちは、バスまたはタクシーで市街中央部の某所(悪所にあらず)にしけこむ作戦である。(要は、酒気帯び運転をしたくないのだ。)
というわけで、目一杯飲んでも大丈夫。しかも飲み放題。先日の宴会では、白ワインを(2杯ずつ注文するなど)ガブ飲みして、プチ記憶喪失に陥ったが..(まさか私も二次会に同行したとは知りませんでした [;^J^]..)今夜は大丈夫。白ワインを4杯ずつ注文しても、(記憶の瞬断が無かったとは言わないが)おおむねOK。精算をすませて会場を後にして、街中に向かって(タクシーの空き車が来ないかどうか振り返り振り返りしつつ)歩き続けたイメージも、はっきりと記憶している。全然OK。
..で、「市街中央部の某所」の記憶はスキップして [;^J^]、次の記憶は、その某所から「赤ちゃん」への途上である [;^.^]。深夜1時半くらいだった筈であるが..(というのは、その某所は1時で閉店した筈であるから..(私が本当にそこに居たとして..[;^.^]))ふと気が付くと、胸ぐらを掴まれていたのである。
ひとけの全くない深夜の路上である。どうやら私は、前方から来た(大学生と思われる)あんちゃんに“ガンをつけた”らしいのである。「なんだよー、ひとの顔を見て笑いやがって!」、みたいな言いがかりをつけられているらしいのである。
ここで私は、「原理的には完全に正いが、摘要としては非常に稚拙だったかも知れない」行動にでた。つまり、「完全に無視した」のである。
返事をするどころか目を合わせるどころか、抵抗もせず、掴みかかってきた彼の手を振り払いもせず、ただ単に前進し続けたのである。そこに彼がいる(そして私の進行を阻んでいる)ことに、全く気が付かぬかのごとく。単に(例えば)「向かい風」で歩きにくいがごとく。
これが、彼を怒らせたようなのである。考えてみれば無理もない。「まともに相手にする価値の無いものを相手にしてはいけない」、という知恵は、「癩乞(かったい)に棒遣り」という成句として、この日記でも何度か紹介している。この行動原理自体は、正しい。
しかし実際問題、「全く無視された(存在を認識されなかった)」側としては、怒り狂うのである。その怒りがダイレクトに自分に跳ね返ってくる状況では、この(正しい)原理を摘要すべきではないのである。この場合、他に見物人もいない深夜の路上なのであるから、もっとも賢い行動は、「すんません、すんません、もうしません..m[;_ _]m」..と、ヘコヘコ謝ることであったろう。これでなんの後腐れも残らない。どうせ相手も(恐らく)酔っぱらいなのである。憶えているわけがない。
しかしなにしろ私も酔っていたし、そのような“適格な”判断が出来る状態でもなかった。そこで、“原理原則を通す”という、“正しい”行動にでた訳なのであった。オトナじゃないね、我ながら。
..さて、事態の顛末なのであるが..別にあなたが(暗に)期待したような、酷い目には合わなかったのである。(残念でした。[^.^])実は、この路上にいたのは彼と私のふたりではなく、3人であり、どうやら彼のガールフレンド?かと思われる女性もそこにいたのである。そして彼女は、私に執拗に掴みかかってくる彼を、なんとか制止しようとしていた。ま、(正直に言えば)彼女の助けもあり、私は全く彼の存在を無視したまま、その現場を何事もなかったように離脱したのであるが..
..しかし、考えれば考えるほどわからない。一体、彼は「何のメリットがあって」、私にからんで来たのだろう? 状況を正確に描写すると、彼は私を蹴りも殴りもしなかった、ただただ「しがみついてきた」のである。体格は私と同程度。つまりかなり小柄な方であるから、あるいは腕力に自信が無かったのかも知れない。とすると理解できないのは、そこに彼の(推定)ガールフレンドがいたことである。彼女に“いいところ”を見せたかったのであろうか? だとすれば逆効果もいいところである。人間扱いされず、野良犬扱いすらされず、せいぜい“向かい風”程度の障害物としてしか私に認識されなかったところを、彼女に見られてしまったのであるから。(私に反撃されて殴り倒された方が、遙かにマシだったであろう。)まぁ、まさかこんなことになるとは思わなかったのであろうなぁ。
..という「間抜け」と遭遇したのであることよ、と、その数分後に辿り着いた「赤ちゃん」のカウンターで吹聴していたら..「ちょっと..血がついてるよ..」、と、一同に心配されてしまった。なるほど、よくみたらワイシャツの胸元にもジャケットにも、点々と血の痕がある。酔っぱらってたから気が付かなかったが、実はどこかに傷でもつけられたのであろうか?
しかし、帰宅してから調べて見ても、どこにも怪我はしていない。カスリ傷すらない。無論、唇を切ったり鼻血を出したりしたわけでもない。それに、ワイシャツの血痕をよーく観察すると、これは内側からの出血ではなく、また、(鼻や口など)上から落下してきた血でもない。「外側からなすりつけられた血の痕」である。つまり、例のあんちゃんは、あらかじめ指だか手だかを怪我しており、その手で私の胸ぐらに掴みかかってきた(または、掴みかかってくる勢いで、何かの弾みで怪我をした)のである。それで私の衣服が汚れてしまったのだ。
..め、迷惑な(間抜けな)やつーっ!! [;^.^]凸
目次へ戻るま、深夜の駅前の路上では、いたるところでアマチュアミュージシャン?が歌っているわけなのである。別に浜松が「文化都市」だからというわけではなく、全国どこでも同じ状況なのであろう。
100人中99人までが途轍もなく下手であるということも、恐らく、浜松の特殊事情ではあるまい。
本当に、不思議で仕方がない。平均的な日本人は、もう少し「音程」が取れるのではなかろうか。確率的に、どこかおかしい。もしかして、「音程の取れなさ」と「街中で歌いたがる傾向」には、相関関係があるのだろうか?(そんな気がしてきた。)
彼ら路上のミュージシャンは、ハモる喜びを知らないのだろうか? 自分で弾いている伴奏のギターのコードとハモる喜びを。
目次へ戻る海外旅行どころか、国内旅行も滅多にしない(そのわりには、たまの旅行には麗々しく旅行記を書いて掲載する(「シルクロード 恐竜紀行 '94」「北海道無軌道紀行 '95」))私であるが、それでも、かなりの確信をもって言えることがある。
それは、「現地では現地のメニューが一番うまい」、ということである。
もちろん、世界中どこでも(少し大きな都市なら)日本料理店も中華料理店も存在する。それはあるいは(大きな店であればあるほど)美味いかも知れないが、しかしその「美味さ」は現地で作られたものではあるまい。日本なり中国なりから送り込まれたスタッフによって作られたものであろう。そういう「現地人以外によって作られた現地以外のメニュー」は、ここでの議論の対象外である。
私が言いたいのは、例えばドイツであれば、「ドイツ人が作った日本料理や中華料理よりも、ドイツ人が作ったドイツ料理の方が美味い」、ということである。これは、ドイツ料理が口に合う合わないとか好きだ嫌いだとかとは、独立な事象である。
理由は明快であろう。なぜなら現地人は現地の料理を「確信をもって」作っているからである。その味が美味いか(あるいは手を抜いたからいまいち美味くないか)どうか、確信をもって判断しているからである。対して、彼らにとって日本料理の味も中華料理の味も、いわば「想像上の味」である。無論、料理のプロとして「自分なりに」美味いと確信できる味に仕上げているのだろうが、その料理が本来どういう味がして、どのように味わわれているのかは、想像する以外に無いのである。
補足しておくが、後者を否定するつもりは、全くない。そんなことを言い出したら、日本で食べられる「洋食」の味を、ほとんど全て否定することになってしまう。未知の文化(「味」)を自分なりに想像し咀嚼して移植することには、大いに意義がある。
しかしそれはそれとして、せっかく異郷に出向いたので有れば、その「現地」において、確信をもって作られている食事を味わいましょうよ、と言いたいだけである。(「自分の土俵」という言葉に置き換えると、いろいろと応用が効く物の見方かも知れない。)
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