*2002年03月18日:くらたまの立ち位置
*2002年03月19日:パワーオフ!
*2002年03月20日:パワーオン!
*2002年03月21日:Nさん資料、第14便
*2002年03月22日:「だって、買っちゃったんだもん!」
*2002年03月23日:不快なインタビュアー
*2002年03月24日:“一世一代のチャンス”
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*2002年03月18日:くらたまの立ち位置


 くらたま(漫画家:倉田真由美)も(プチ)ブレイクしているようで、以前からなんとなく気に掛けていたファンとしては、嬉しいことである。(「くらたま♪COM」参照。)ただ、彼女の単行本は、結構売れている(らしい)のに、書店ではなかなか見つけられないことが珍しくない。それはなぜか。

 置かれている場所が違うのである。少なくとも浜松では過半数の書店において、「コミックコーナー」ではなく、「芸能本(あるいはサブカル系)コーナー」に積まれているのである。

 まぁ、理由はなんとなく判るのだが..[;^J^] 西原理恵子にも、この傾向(何故かコミックコーナーには置かれない)がある。そしてこれまた非常に多くの場合、くらたまと西原は、並べて積まれているのである。いいのか? こんなことして? この二人の間には確執があるんじゃなかったっけ? [;^J^] それともガセか? [;^J^]

 まぁ、芸能本コーナーならまだましで、正真正銘の風俗本の仲間入りしていることもあるのだが..やはり何故か納得出来てしまう。[;^J^]

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*2002年03月19日:パワーオフ!


 部署のレイアウト変更(及び私を含めた一部のメンバーについては仕事部屋の引越)である。恒例である。苦行である。しかしもちろん、目的があってやっていることなのだから、適切に実施すれば適切な結果が得られるのである。(最近、エリアーデをまとめて読み返しているので、思わず「太初に起った宇宙創造的な型」だの「聖なる力の周期的再生」だので(周期的なレイアウト変更を)語りたくなったが、ここは我慢のしどころである。[;^J^])

 これまた例によって私が指揮を執っているのであるが [;^J^]、事前の準備が(私個人としては前例が無いほど)不足していたにも関わらず、メンバー各位の協力よろしきを得て、夕方までに、あらかた片づいた [_ _]。

 不可避的に発生するトラブルも多少はあったが、これはやむを得ない。取りあえず、私の(業務用)PCの電源が入らなくなった。[;^.^]

 どうも、電源スイッチが(物理的に)壊れただけのように見える。そこらのPCから電源スイッチを引っこ抜いて付けかえてみれば判ることなのだが、「電源スイッチを一時的に引っこ抜いてもよい手頃なPCが無い」「別の端末はあるので今日のところは業務を遂行できる」「このPCのワークエリアの(直前の)バックアップは昨夜とってあるので、最悪、このPCがオシャカになってしまっても、業務内容が失われることは無い」、等などの理由により、帰路、電源スイッチを購入することにして、今日のところは(一抹の不安抱えつつ)このまま帰宅する。(備忘:OAナガシマは電源スイッチを取り扱っていない。コンプマートには在庫があったので、これを確保した。)

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*2002年03月20日:パワーオン!


 出社してから朝いちで、昨夜購入した電源スイッチを業務用PCに応急処置的に取り付ける。問題なくパワーオン! やれやれ [;^J^]。応急手術ではないきちんとした手当(工作)は、そのうち暇になったら、じっくり施そう。

 ちなみに私は、始業の45分乃至1時間前に出社することにしている。(部署では一番乗りであることが多い。)理由は明快で、早朝は道がすいているからである。始業時刻にちょうど間に合うような時刻に自宅を発つと、1時間近くかかるのだが、始業1時間前という(必要以上に)早い時刻に着くよう自宅を発つと、25分で着くのである..これではわかりにくいな。要するに、始業時刻である8時30分に着こうとすると、7時30分に発つ必要がある。一方、7時30分に着くためには、7時5分に発てば良い。25分間だけ早く発つことによって、車に乗っている時間を35分間短縮できる。これは馬鹿になりませんよ。塵も積もればなんとやらで、1日あたり35分間稼ぎ出せるのは、非常に大きい..

 ..といっても、以上は全て、時間を(自分勝手に)自由に使える独身者の特権ではある。例えば、子どもと話す機会が朝食時しかない人にとって、「必要以上に早く出社する」などという選択肢が、あり得るわけが無いのである。

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*2002年03月21日:Nさん資料、第14便


 早朝に先週分の日記を更新して、やれやれと一息ついて、昼過ぎになってから気が付いた。先週の3月13日には、Nさんから3月10日に届いた、手塚治虫関連資料第14便の整理をしていたのであった。これを書き忘れていた..というわけで、いささか変則的だが、3月13日の処理内容を本日の日記に書いておく。(記録のためにも、必要なことなのだ。「制作日記」のページから、リストの作成・メンテの過程を追えるようにしているのである。)

 今回の目玉は、「タイガー博士の珍旅行」(「漫画と読物」誌連載)と「マグマ大使」(「少年画報」誌連載)である。前者は従来、


タイガー博士(原題:タイガー博士の珍旅行)::94:漫画と読物:50/04 - 50/08 - 50/12:267

 ..としか判っていなかったのであるが、今回届いた資料で、


タイガー博士(原題:タイガー博士の珍旅行)::94:漫画と読物:50/04,50/06,50/07,50/08,50/09,50/10,50/11,50/12:267
タイガー博士の珍旅行:地底の国:8:漫画と読物:50/05 付録:0

 ..と、詳細化できた。(すなわち、50/05 号掲載分は、全集未収録だったのであった。)といっても、端から端までの資料が送られてきたわけではない。届いたのは3号分だけであるが、(子細は省くが)他の資料と組み合わせて、非常に効率よくポイントをついた個所が届いたので、一気に全貌が明らかになったのである。

 「マグマ大使」については、とりあえず、連載の最初の6回分が届いた。このあと順次送っていただける予定である。

 いやまったく、ありがたい。最近は、Nさん(及びNさんに連なる人脈(ネットワーク))に頼りっぱなしである。この前、国会図書館で調査したのは、何ヶ月前だろう? 宿題がたまりまくっているのだ。なんとか、来月には..

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*2002年03月22日:「だって、買っちゃったんだもん!」


 私は、「中村うさぎ」という小説家の名前は知らなかった。が、くらたま(倉田真由美)の単行本にエッセイを寄せているので、くらたまとコンビの企画でホストクラブがよいをしている「中村うさぎ」は、知っていた。

 なので、書店の文庫本コーナーで、彼女の「だって、買っちゃったんだもん!」(角川文庫)をみかけて、なんか見覚えある名前だなと思いつつパラパラと立ち読みして..ついつい、しょーもない本だと思いつつも(自宅では付喪神になりかけの900冊弱の積読が待っているというのに)買ってしまったのであった..だって、買っちゃったんだもん!(← ベタベタですまん。[;_ _])

 いや実際、4〜5ページならともかく、4〜50ページも立ち読みしといて買わないわけにはいかんでしょ、社会正義的には [;^J^]。つまりそのくらい、スラスラと読めてしまう本なのである。

 「歯止めのきかない買い物マニア」として、一家をなしているらしい。確かに、その(外れた、あるいは壊れている)買いっぷりが、実に爽快である。(財布の中には千円札1枚しかないし、貯金残高は5万円だし、10日後には280万円引き落とされるという状況だというのに)“魅入られたように”数十万円のワンピースを買ってしまうシーンとか、傘を1本買いに出ただけなのに、帰宅するまでに150万円衝動買いしているシーンとか..「キレる」というより、「スイッチが入ってしまう」のであることよなぁ..(などと、人ごとのように愛でている場合ではない。金銭的スケールこそ桁違いであるとはいえ、書籍を購入するときには、私も本質的には同じ振る舞いをしているのであるから。)

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*2002年03月23日:不快なインタビュアー


 「まんだらけZENBU」14号。今回は、ただの1つも欲しい物件がない。(念のため、3回ほどスキャンしたのだが。)

 小山春夫氏(往年の、忍者漫画の第一人者)へのインタビュー記事が、不愉快である。小山氏にはなんの問題もない。(彼の発言は、全て興味深い。)不愉快なのは、インタビュアーの古川益三氏(まんだらけ代表)である。彼のインタビューは、相手を問わず、いつもいつもこうなのだ。ヒイキのヒキ倒しというか..賛美の押しつけというか..相手を困惑させてどうするんだよ。大体、小山氏よりも古川氏の発言(文章)の方が、分量が多いのだ。分をわきまえろ。自分のポジションを見誤るな。出過ぎなんだよ。

 ..まぁ、この雑誌(..じゃないな、雑誌コードがないから、厳密には単行本なのかな)は、全体的には面白い記事もそこそこあるし、決して損な買い物ではないので、次号以降も買い続けるつもりですけどね。

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*2002年03月24日:“一世一代のチャンス”


 「漫画讀本」をまとめ買いして総チェックをかけていたのは、もう遙かな昔のような気がするけど..実は今年に入ってからのことだったのですね [;^J^]。大雑把にいって、1950年代後半から1970年にかけて発行されていた雑誌であり、つまり、1960年代の世相の生き証人と言える。

 改めて認識したのは..やはり、1970年の「万国博覧会」の影である。開催の何年も前から大騒ぎして盛り上がっている、という意味では、こんにちの「ワールドカップ」とやらの比ではない。いやむしろ、この雑誌は「万博」の取り扱いが控えめな方であって、図書館でこの時期の他のメディア(雑誌など)を調べると、本当に、これがいかに国家的大事業だったのか、思い知らされる。1960年代後半には、日本は既に「四等国家」ではなかったと思うが..ここで一気に「一等国家」の仲間入りをするのだ! という気概に、国家一丸となって燃え上がっていたのである。(無論、批判・冷笑勢力も、幅広く存在していたが。)私は、これは“社会として”極めて健全な状況であると思う。こんにちの(例えば)中国は、このフェーズにある。だから上向きなのだ。当たり前である。まさに40年前の日本なのだ。(40年後には、中国もこの体たらくかと思うと、今から楽しみで仕方がないけどね。[;^.^])

 「漫画讀本」に載っていた漫画のうち、万博関連で印象に残った作品を挙げておこう。貧しい一家が、家宝を質入れして万博への交通費を捻出しようとしているのであるが、(家宝の質入れなどという罰当たりな行為を)さすがに渋る主人に、妻と子どもが、「一世一代のチャンスじゃないの!」「ことは万博ですぞ!」、と、迫るのである。(若い)あなたは、理解できますか?

 つまり、当時の(貧しい)一般大衆にとって、「万博を見に行く」ことは、「世界旅行」と「未来旅行」の疑似体験だったのである。(いずれも、死ぬまで実現不可能な夢なのだ。)実際、当時の新聞を調べていると、「万博預金」を何年も前から積み立てている、という記事をみかけることがある。つまり、「交通費」と「宿泊費」である。(若い)あなたは、理解できますか?

 私は小学校6年生の夏休みに、一家で万博見物に出かけた。大阪の親戚宅に泊まった。確か2泊3日であった。別に貧しい一家ではなかったが、(中の上、あるいは上の下、といったところであろうか、)それでもやはり、万博会場のパビリオン群の、あの異様なシルエットが遠目に見えてくると、「今から未来都市に入るのだ!」、という高揚感を覚えたものである..

 (当時よりも圧倒的に)豊かな社会が、悪かろうはずがない。しかしあまりにも豊かになった日本社会は、(平成大不況も“豊かさ”の土台を崩しえてはいないのだが、)“夢”を失ってしまった。貧しかったがゆえに夢見ることが出来た“夢”を。

 とっくの昔に不惑の大台に乗った私は、いまだに子どもっぽい“夢”を持ち続けているが..中年男の“夢”は、社会を動かせないのである。社会を動かせるのは、“少年の夢”“少女の夢”である。私は久しく、少年・少女たちと接していない。彼らの“夢のパワー”についての私の懸念が杞憂であれば、それに越したことは無いのだが..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 28 2002 
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